| 年齢差を考える |
| 9章 待ち焦がれて花嫁! |
| 2006年8月 翌日、ハルピン市民生局へ二人で、まず結婚登記に向かった。 細心の注意を払って書類を用意したので、比較的簡単に済ませることが出来た。 お次は写真撮影、中年A氏まで化粧を施され、嬉し恥ずかしの本格的ポーズフォト。 中国では定番であり慣例であっても、中年日本人にはかなり抵抗がある。だが仲介業者によると、帰国後の在留資格申請でモノを言うということであった。 冷静に考えて裏を読めば、そういった物的証拠がないと偽装結婚に間違えられる可能性は極めて高いとになる。自分では歳の差などそれほど感じなくても、やはり人の目には不自然なカップルと映るのだろう。 それにしても度肝を抜かれる華やかさの中で、カメラマンが執拗に愛の表現を要求してくるのには閉口した。 お次に待ち受けていた披露宴。新郎側は援軍なしの婿1一人、新婦側は親戚縁者を引っかき集め、円卓4つに陣取ったに総勢30人の大所帯、端から勝負にならない肩身の狭さ。 宴席後方のドアよりおずおずと新郎新婦が入場、万雷の拍手は日本と同じ。一点違うのは正面席の真上に、『新婚披露宴』と大書された真っ赤な横断幕が掲げられていて、垢抜けなさここに極まれりの感有り。 どうでもいいけど、偽装結婚の疑いを晴らすためにここまでやらなきゃいけないのかと、中年A氏はこれからひょっとして一波乱ありそうな嫌な気が掠めた。 なんとなく隅の方から「ど〜も、ど〜も」なんて言いながら、ドッキリ!のプラカードを持った奴が出てきそうな雰囲気がしないこともない。 招待客も宴の式次第も、仲介業者と取り交した契約書の中に含まれているのだろうが、それにしてもお見合いツアー費25万、結婚式ツアー費150万、結納金30万、その他諸々で10万、総計200万円を超える。 この調子では実際に嫁さんを日本に連れてくるまで、後どのくらい掛かるか見当も付かず、300万円の心許ない預貯金額に危機感が募った。
嫁さんは嫌がる風でもなかったが・・・・・・感激しているようでもなかった。 正式な結婚式が済んで、さらに距離が縮まるかと思ったが、心なしか逆に距離が開いたような気がしたのは、自分の思い過ごしであればよいのだが、しっくりこない一抹の不安を感じた。 でもこれは日本人がすでに忘れてしまった恥じらいや羞恥心のなせるトコロであり、中国の良さだと解釈するようにした。 翌日は義父母の自宅訪問だ。そこはハルピン市内から車で3時間ほど行った農村にあった。日本の古い農家と同じように入口を入ると土間が広がり、隅にはレンガ造りの竈(かまど)があって、焦げた鍋から湯気が出ていた。 お世辞にも暮らし向きは豊かといえそうもない風情である。 義父母は昨日の疲れも見せず、精一杯の歓迎をしてくれた。 日本から持参したお土産を渡した。何にしようかと随分考えたが、夫婦揃ってのペアウォッチにした。 何から何まで中国製が世界を席巻しているご時世だから、特に日本製であることに気を遣った。 あまり歳の違わないお義父さんは相好崩し、日焼けしたその顔で「今日からは身内だ、これからもよろしく」と語りかけてきた。中年A氏には、その“よろしく”が何を意味しているのか、その時は気が付きもしなかった。 4泊5日の結婚式ツアーも、あっという間の最終日、明日は帰国の途に付く。 嫁は中国側スタッフを通して、今後の生活費の交渉を持ちかけてきた。 まぁ、正式な婚姻をしたのだからそれは分かっていたが、さも当然と言う顔で切り出されると、日本人としては多少なりとも抵抗がある。 申し訳なさそうに言ってきてくれれば、「あっ、気が付かなくて御免」で済むのだが、物事をはっきりさせたがる中国人気質では腹芸や阿吽の呼吸は通じない。 先方は生活費月3000元、日本入国が許可されるまで日本語学校に通う費用として月1000元の計4000元を要求してきた。4000元といえば60000円である、中年A氏の月給20数万円の懐具合ではかなり痛い。 あれほど私は金持ちではないと伝えてあったのに、何も分かっちゃいないじゃないか! 可愛い嫁さんの生活費を剥(へず)るのは甚だ心苦しかったが、こちらの事情をもう一度説明して月2500元(37500円)に減額してもらった。最後まで嫁さんは納得できない様子だったが致し方ない。 翌日のハルピン空港での別れ。前回の婚約時と違って、「行っちゃ嫌だ〜!行かないでぇ」の絶叫なし、哀感迫るる涙もなし、淡々としたどこか他人行儀な別れとなった。 嫁さんは昨日の生活費交渉結果がまだ後を引いているようで、不満ありありの顔だった。
帰国後、心配して待っていてくれた年老いた両親に、無事結婚式を終えたことを報告すると、早速市役所に婚姻届を提出した。 ほっと一息だが、ここで気など抜いていられない。最難関である入国管理局への在留資格申請をしなければならないのだ。 仲介業者の話では早くて3ヶ月、下手すりゃ6ヶ月も掛かるって話である。 1日でも早く許可が下りればそれだけ負担は軽くなるのだから、日中の二重生活などに早くケリをつけたい一心で、中年A氏は書類集めに奔走した。 人の苦労など露とも知らない近所の小煩い噂すずめは、一向に顔を見せない異国の花嫁に、「もう別れた」などと無責任に言いふらす者まで出てくる始末。 20項目にも亘る申請書類を揃え、ようやく入国管理局に提出できたのは、帰国から半月が経っていた。 在留許可申請をした以上、あとは審査官の胸三寸の手に委ねられる。 仮に拒否されても理由はハッキリ言ってくれないのが困るが、再び入国管理局を説得できるだけの書類を揃えて、申請するとなれば、いよいよいつ来日出来るか分からなくなってしまう。 まぁ、心配してもしょうがない、偽装結婚と疑われれば、追加書類なり、呼び出しなり何か言ってくるだろう。 もう俎板の上の鯉の心境でジッと待つしかないと思っていたら、仲介業者が一度くらい訪中した方が、新妻も心細いだろうし、入国管理局の心証もいいからという理由で再訪中することにした。 家計的には厳しかったが、在留許可拒否のトラブルに見舞われるより、なんぼか良いと判断した。 予算の都合で2泊3日の弾丸ツアーを決行した。個人で海外に出るのは初めてだったが、付き添いを頼むほどの余裕はない。安く上げるために悲壮な決意で頑張った。 ハルピン空港に出迎えにきてくれた嫁さん、幾分機嫌は直っているようだったが、心のわだかまりは引き摺っているようで、相当執念深いと感じた。 賓館も安いところで良いと事前に電話で言っておいたが、会話にならない言葉のやり取りではうまく伝わらなかったのか、タクシーで乗り付けた賓館は見るからに高そうな4星クラスだった。 おそらく嫁さんにすれば面子もあったのだろう、久々に日本からやってくる夫が3星以下では周囲に対しても聞こえが悪かったに違いない。 だが中年A氏にしてみれば、結婚した以上、妻としてそんなつまらない面子に拘らず、家計に協力してくるのが当たり前だと思っている。妻ならこうあるべきだと決め付けてしまう、往々にしてある日本人亭主の悪い所だ。 まさに日中文化摩擦の前哨戦である。言葉が通じないということは実にもどかしい、4星賓館のロビーで辞書片手に身振り手振り、汗掻いて説明に及ぶ。 何とか理解はしてくれたものの、また嫁さんの機嫌を損ねたらしく、極端に口数が少なくなった。
嫁さんが「今日は帰る」と言い出した。どうも今は生理中だから一緒に泊まれないといっているようだった。 あっけらかんとしたその態度は、まるで前回とは別人みたいに感じられ、恥じらいなど何処えやら実に堂々たるもので、何か言おうと思ったが次の言葉を飲み込んでしまった。 ハルピン市内の小さな会社に勤めているという嫁さんは、そこの寮に帰るのだという。月々生活費を送金しているのに、まだ会社を辞めていなかったのか? こんな調子じゃ、日本語学校だって通っているかどうか怪しいもんである。 中年A氏にしてみれば、言葉の理解が十分でないにしても、在留ビザの進捗状況やこれからの生活設計をジックリ話そうと思っていたが、取り付く島がなかった。 翌日は朝からショッピングに引っ張りまわされた。 如何にもこっちの気持ちを逆撫でされているようで、一体何を考えているのか推し量りかねた。 本当に日本へ嫁ぐ気があるのかさえ疑いたくなってくる。歳が若くてまだ気持ちが浮ついている所為なのか? まぁ、日本へ来れば否が応でも変わらなければならないのだから、中国にいる間は好きにさせてやらなきゃ可哀想かも知れないと思った。ここはひとつ寛容にならなきゃいけないか。 物事に対して、こうでなきゃいけないとする固定観念の強い中年A氏にも問題があった。 日本へ行ったら日本流に変えてくれるなどと、嫁さんが約束した訳でもなし、そんな保証などどこにもなかった。真面目人間A氏の単なる思い込みに過ぎなかったのである。 漏れ出した亀裂は放って置くと段々大きくなる。甘い顔をすればエスカレートしてくるのが世の常というもの。 カラの財布を開け、お金がない!のアピール。あなたは明日日本へ帰るだけだから、有り金全部置いていって欲しいと言わんばかりに迫る。 前回と言い、今回と言い、これじゃぁ、なんだか中国へ来るたび、身包みを剥がされて帰るようだった。 かれこれ4ヶ月掛かったが、幸運にも追加書類の1回だけで在留許可が一発で下りた。 待ちかねているだろう嫁さんに、早速、国際郵便で書類を送った。大事な書類なので追跡調査できるEMS付きにした。料金は少し高いがこの方が安心できる。 嫁さんもこれからパスポートを取得し、瀋陽の日本領事館でビザの申請など煩雑な手続きが待っている。 おそらく入国は1ヶ月くらい先になるだろうと思いながら、中年A氏はいよいよ始まる新婚生活に夢を馳せた。 お見合いツアーから数えて6ヶ月少々で、中国から新妻が成田に着いた。 本当は大連まで迎えに行ってやりたかったが、これから始まる新婚生活のために無駄な出費は極力抑えた。 我が家まで行く間、見るもの聞くものすべて初めての嫁さんはキョロキョロし通しで興奮していた。 玄関戸を開ける音に、今か今かと待ち侘びていた老両親が走るようにして出迎えに出てくる。 「ほぅ〜、お人形さんのようじゃね」 若くて美しい嫁さんに目を細め、「ささ、上がりなさい」と歓迎の気持ちを込めて手を取った。
|