年齢差を考える

8章 純愛乙女狂騒曲
                                                       2006年8月
 中年A氏は焦った。
お見合いツアーは全部込みだと聞いていたから、余分なお金はそれほど持って来ていない。
そんな私の心配をよそに、彼女は安物には目もくれず、高い指輪を物色した。



 私の時も同じパターンだった。東京で知り合ったのだが、やっぱり焦った記憶が今も生々しく残っている。
年甲斐もない厚顔無恥なプロポーズを、渋々ながらも承諾してくれたお礼に何か記念になるものをプレゼントすると申し出たら、即座に時計が欲しいと言う返事が返ってきた。
お安い御用とばかりにデパートへ連れて行ったら、脇目も振らず真っ直ぐ舶来時計売り場に向かった。
オオッ、しまった!と思ったが後の祭りだ、もう安い日本製品なんか眼中にない。
あんたねぇ、日本の時計は安くたって優秀なんだぜ!
ロレックスやカルチェが良いなんて言われたらどうしようかと、内心は神にも祈る気持ちだった。
歳が20歳も違ういい親父が、それは高いから駄目!なんて周囲の手前もあるから言えやしない。
様々なメーカーの舶来時計が、煌びやかに並べ立てられたショーケースの周りを矯めつ眇めつ、肘で他の客を押し退けつつ、品定めに夢中になってグルグルと見廻っていた。

 時折、チラッとこちらを見ては表情を窺う。
まるで私の財布の中身と人間的度量を計っているようでもあった。
後年、その時の腹を女房に聞いたことがあったが、やはり私の睨んだ通り、ゴチャゴチャとケチな事を言うようだったら、白紙の戻そうと思っていたのだそうである。
20歳も年上の男を、平然と試そうとしていたってんだから、中国人妻は怖い。
遠謀、金欲、見栄っ張り、中国人妻によって様々な理由があるだろうが、総じてどうやら日本人と結婚する中国人妻は、人の懐を気にしないタイプが多いようである。
結局、うちはオメガの7、8万円の物に決めてくれたので、内心ホッと胸を撫で下ろしたが、まぁ、40万、50万もする時計を強請(ねだ)られなかっただけ、まだ真面(まとも)だったと言えるかも知れない。

 片や、この中年A氏は試練の始まり。
婚約小姐はチョッとはにかむような笑みを浮かべて、「これがいい」と言った。
ショーケースの中には何の石だろうか?小指の爪ほどもある青や緑の宝石指輪が目を引く。
それらと比べると大きさではグッと引けはとるが、ダイヤや深紅のルビーの指輪もあった。
どれもオーソドックスな作りでデザイン性や装飾性に乏しく、立て爪式の一点豪華主義ともいえる代物が多い。
婚約小姐は左手の薬指にそのダイヤ指輪を嵌め、翳(かざ)したり透かしたりして、すっかり悦に入っている。
悪びれている様子がないことから、先達の残したセオリーを淡々と踏襲しているようだ。
中国でも宝石の王様はやはりダイヤなのか?(こりゃ、まいった・・・・・)と思いつつ中年A氏は、正札の桁を目で追うように勘定した。
1.2、3、丸が3つだから2000元とある・・・・・・日本円で28000円か、意外と安いね。
日本なら差し詰め、この10倍くらいはするかも知れない。本物かどうか疑いの余地は十分ありだが、本人が気に入っているのなら余計なことは言わずにいた方が良さそうである
それに日本人にとっての28000円は大したことがなくても、この辺りの平均所得を考えれば、優に1か月分は楽に越えている。きっと感覚的には20〜30万もする立派な婚約指輪なのだろう。
中年A氏は改めて中国の物価の安さに驚いた。

 装飾品売り場の売り子は、中年A氏が日本人と分かると頼みもしないのに、4000元、5000元もする高価な指輪を次から次と出してきた。まったく大きなお世話である!
婚約小姐が目移りしては大変!と、すばやくそれらを押し戻し、ヒラヒラと手を左右小刻みに振りながら『不要』の意思を示した。
婚約小姐は中年A氏が大枚2000元をそれほどの動揺も見せず支払うのを見逃さなかった。
ホゥ〜・・・・・・・・噂には聞いていたけど、本当に日本人は金持ちなのだと、婚約小姐は改めて実感する。
すっかり大船に乗った気になった小姐は婚約指輪だけでは許さず、結局、スーツまで買わされる羽目になった。
安いとはいえ、これが1200元(17000円)で〆て3200元。
いよいよ財布の中身は軽くなり、もう、飛行場から我が家へ帰れるカツカツのお金しか残っていない。だが、無邪気に喜こんでいる彼女をみたら、銭金(ぜにかね)には代えられない想いが交錯した。
中国婚約者は24歳、中年A氏は47歳、見事!23歳違いの年齢差を乗り越え、その遅すぎた春に終止符を打てる喜びが、いま泉のように湧いて来るのを感じていた。

 日本へ帰るにはハルピンから国内便で一旦大連まで行き、そこから国際線に乗り換える。
ハルピン空港まで婚約小姐も中国側スタッフと見送りにきてくれた。
新潟からだと直行便があるらしいが、A氏は関東在住なので成田経由で帰らなければならない。
たった3日間で婚約まで漕ぎ着けた中年A氏、それも娘と見間違うほど若さである。これなら日本に帰っても大いに面目を施せるというもので、ある種の達成感に包まれていた。
身を切られるような想いが込み上げてくるが、束の間の逢瀬もこれで一旦お別れである。
周囲は雑踏のように人が行き交っていたので、婚約小姐は何も話せず押し黙っていた。

「今度来る時は結婚式だね、電話も手紙も書くから心配しないでね」

そう言ってA氏が手を握ると、強く握り返してきた。目がキラキラと潤んで今にも大粒の涙が零れそうだ。
手を振りながらA氏と仲介業者が出国ゲートを潜ろうとした時、突然、人目も憚らない号泣。

「行っちゃ嫌!行かないで!」

中国の娘ってこんなに感情表現が豊かなのか!今まで振られっ放しのA氏はこういう場面は初めてで、一瞬ドギマギして怯んだ。
イタリア映画の名作『刑事』で、逮捕された恋人がジープで走り去るのを必死に追い掛けるラストシーンを髣髴(ほうふつ)とさせる感動の別れ。
もっともお相手がクラウディア・カルディナーレほどの美形ではなかったのが残念だったが・・・・・(これって、俺がモテたってこと?そりゃ、ないやろ)
なにか一瞬、映画やTVの主人公になってしまった気恥ずかしさに包まれた。
ホントに俄かには信じ難い。こんなに純情な娘は金の草鞋を履いて探したっていないだろう。
ひょっとして大変な金の鉱脈でも掘り当てたのかも知れない幸福感が、A氏の胸を駆け抜けた。

 この娘をなんとしても幸せにしてやろう、貧しくても愛情だけはよそに負けないくらい注ごうと、A氏は熱い決意を滾(たぎ)らせた。



 自宅に戻った中年A氏は、早速彼女の携帯に電話してみた。
愛しい女(ひと)の声は聞けるが、お互い言葉分からず話は一向に伝わらない。
パソコンなど触ったこともないというから、仕方ない、古典的な手紙を書くことにした。
これなら彼女も中国スタッフに訳してもらえるし、中年A氏も中国語が分かる友人に訳してもらえる。

「私は一生貴女を愛し続けることを誓いますが、日本での生活は普通のサラリーマンですから決して楽ではありません。それでも本当にいいんですか?」
「私の両親は農民ですから、辛い生活には慣れています。二人で努力してお金よりも大切な温かい家庭を築いて行きたいと思っていますから安心してください」

概ね、こんなやり取りの手紙が2ヶ月続いた。
爽やかな秋口にお見合い・婚約をしたのに、もう本格的な冬を迎えていた。
中国側へ提出する書類集めにも時間が掛かったのは事実だが、何よりも仕事が忙しく纏まった休みが取れなかったからだ。手紙のやり取りも10通を越えた頃、仲介業者から様子を伺う連絡があった。
それまでも事務的な連絡は何度かあったが、その日は彼女の近況を間接的に教えてくれた。

「彼女はあなたの手紙を翻訳してもらうのに、町まで自転車で行くそうですよ」
「私も悪いとは思っています」
「今は寒いですからね、零下10度くらいにはなるでしょう。でも貴方のためなら苦にならないといっています」

脳天をハンマーで叩かれたような衝撃だった。生まれてこの方47年、思春期も青年期も実年期も女性からこんなに慕われたことなどなかった。
もう矢も楯もたまらず上司に状況を説明して、無理やり1週間の休みをもらった。
純情な親父が手玉に取られて騙されているのか?そんな思いもなかった訳ではなかったが、今は信じたい気持ちで一杯だった。

 旧満州の面積は113万平方キロメートルで、行けども行けども平坦な地平線の大地だ。
黒龍江省はこの内の46万平方キロメートルを占め、日本国土の1.2も倍ある。
ロシアと隣接していて、緯度は北海道の稚内より北に位置している。
省都の哈爾濱(ハルピン)市だけでも九州より広く、お見合いツアーのメッカ方正県は哈爾濱から東へ約180km、人口約10万人の町である。
1月の平均気温は-32℃〜-17℃で、最低気温-52℃を記録したこともある冬は酷寒の地だ。

 旧満州は1931年の満州事変以来、現在の遼寧省、黒龍江省、吉林省などの中国東北部に満州国をごり押しで建国、日本の傀儡政権が引き金となって1941年の大東亜戦争へと突き進んで行く。
旧ソ連が日本との不可侵条約を一方的に破棄して満州に攻め入り、敗戦が色濃くなった1946年、逃げ場を失った多くの日本人開拓者がこの地で亡くなった。
戦後、周恩来首相の『戦争指導者を除き、今大戦は多くの日本人民にとっても災厄』との観点から黒龍江省方正県に、国策に翻弄され命を落とした開拓民を追悼する日本人公墓を建てた。
方正県は今でも残留孤児や残留婦人が最も多く、中国お見合いツアーが盛んなのは、こういった因縁浅からぬものがあった所為かも知れない。
 

 お見合い仲介業者ともども、空路大連へ飛び、大連から国内線のハルピン行きに乗り換えた。結婚式の準備は中国スタッフと婚約者の手で遺漏なく整えられている筈である。
この2ヶ月間慌しかったが、明日、結婚の登記を済ませれば晴れて夫婦だ。
何かまだ信じられないような気持ちで落ち着かない。頬を抓(つね)ってみたが、やっぱり痛い!夢でも何でもない現実に安心した。

もうすぐ愛しの婚約者に会えるかと思うと、中年A氏は胸の高まりを抑えられない。まず会ったらなんて言おう・・・・・いやいや、ヒシッと抱き合う方が自然か?
そうなれば事の流れで、唇を合わせても可笑しくないか、どうせ周囲には知った顔などいないんだし、それも有りかと一人ほくそ笑んだ。

ハルピン空港では中国側スタッフと愛しの婚約者が、今や遅しと出迎え口で待っていてくれた。
ここまでは予測の範囲だ。ここからが勝負!劇的再会映画の主人公になったつもりで、小走りに彼女の方へ。
お互い見詰め合う目からは一筋の涙が・・・・・なんて中々映画のように行かんのが世の常ってもの。
中年A氏の目は年甲斐もなく潤目鰯のように妖しく濡れて光り、瞳の奥でメラメラと情欲に燃えている様子に、婚約者は一瞬たじろいで目を逸らした。

「○○さん、ご苦労様でした、疲れたでしょう。外に車を待たしてありますから、ささ、行きましょう」

おのれ、中国スタッフの奴!一番良いところでなんて事を!こっちは興奮で疲れてなんぞせんわい!
成田から遥々やってきた機中、ずっとこの瞬間を待っていたのに、キスはおろか手も握らないでお終いとはまったくもって情けなやの中国入りであった。

9章 待ち焦がれて花嫁!へつづく

2006年8月26日分、次回更新まで中国ランキングのクリックよろしく。

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