年齢差を考える

6章 要介護になったら?
                                                       2006年5月
 再婚を機にトイレ、浴室、厨房を別にして完全2世帯住宅に造り変えて以来、1階のおふくろさんは豪華な刺身、その上の2階にいる私は訳の分からない中国料理やメザシだったとしても、お互い干渉はしなかった。
だからといって没交渉だった訳ではなく、年に数回はすき焼きやテイクアウトの寿司などを囲んで一緒に食事をした。この時のおふくろさんは上機嫌で楽しそうだった。
姑と嫁の関係は、このくらいがちょうど良いと改めて思った。これが毎日三度三度のことになると、途端に波風が立ってきて、果てはお互い火花を散らす仁義なき戦いにまで発展することになる。
おふくろさんも好きな時に好きなものを食べて、変に気を遣うこともなく自由を満喫出来るのだから、どこの家々も親の体が動くうちはそうした方がいい。

 そのおふくろさんも詰まらなくなると、たまに私らがいる2階へ上がってくることがあった。
女房は掃除なんか誰かやってくれるものと思っているから、階段にかなり埃が溜まっていましてね。
見かねたおふくろさんが、ついでに肩掛けの小型掃除機で掃除してから入ってくる。

「あんまり埃が凄いから掃除しといたよ」
「あっ、悪いね」

私は親子の間柄だから軽く礼を言ったが・・・・・・あんたは違うだろう?
女房はデンと足を伸ばし、パソコンに興じたまま臆面もなくこう言った。

「おかあさん、遠慮しないでこの部屋も掃除してくれていいですョ。私は一向に構わないから」


 おふくろさんにすれば一向に構いますよ。黙って階段を掃除したことを嫌味と取られやしないか、内心不安だった気持ちも吹っ飛び、気遣う自分が馬鹿みたいに思えてきた。

「それは駄目だよ〜、自分のところは自分でやらなきゃ」

おふくろさんも歳とともに丸くなった。
昔なら頭から湯気出して、ぐうたら鬼嫁!くらいは言っただろう。
上海妻は運が強いのか、まったく良い時期に嫁に来たもんである。
女房は時々TVで放送している、日本人のいがみ合う嫁姑問題がわからないと言う。

普通の日本人嫁ならこんな場合、「あんたのお母さん、すごく嫌みったらしいね」となるが、うちの上海嫁は代わりにやってくれるのなら一向に気にしない。
マザコン問題もそうだ。あれこれ姑に夫の世話を焼かれると、日本人嫁は大体気分のいいものではないらしいが、これも「楽でいいじゃない、なんで怒るの?」となる。
おかあさんと呼ぶのも抵抗がない。自分の母親でもないのに「お母さん」って中々呼び難い、なんて拘りはない。
私のおふくろさんが、「おかあさん」という名前だと思えば何でもないと嘯(うそぶ)く。

 中国では名前を呼ぶ時、フルネームでいうのは普通で、さんとか君だとかは付けない呼び捨てである。
深く考えない女房にとって、「おかあさん」はまさにその呼び捨て感覚だから、ストレスなど残る訳がない。
たとえ親愛の情が篭っていないにしても、何も知らないおふくろさんは「おかあさん」を連呼され、それはそれで満更でもないのだから、結果がよければ良し!ということになる。
揉め事がなければ平和が保たれる。だから、私としてはわざわざその真相をいうつもりはなかった。



 ちょっとお茶目だったおふくろさんが、或る日、突然の末期癌を宣告された。
女房との同居が始まって6年が経っていた。深い交流がなくても、一つ屋根の下に暮らしていると娘のような感覚になるのか、歳は取っていても異文化意識を乗り越えた理解を示していた。
そのおふくろさんが医者にも見離され、自宅で気侭に過ごしてもいいとの許可が下りて戻ってきた折、女房から「お義母さんの食事くらい作るけど、あとは出来ない」と宣言された。
私も若い女房に、死に掛けている病人の面倒を全部見てもらおうなんて思ってはいなかったが、改めてそうハッキリ言われては、憤るよりも悲しかった。
6年もの間、幾らか世話にもなっただろう。少なくも嫌な思いは掛けなかった筈だ。
中国は儒教発祥の地、戦後の日本人が忘れてしまった親孝行や慎ましさを、未だに中国人は持っているなんて誰か言っていたが、とても信じられない気持ちになった。

 更なる追い打ち・・・・・・・
もうそれほど長くないと、自分でも感じ始めた或る日。髪を梳(す)いてくれと頼まれたそうだ。
6年間一緒に暮らしていて初めてのことだった。
おふくろさんにすれば、おそらく梳いてもらう無言の中で、「息子の事をよろしくね」と言いたかったに違いない。

「具合悪くたって、髪くらい自分で梳けるのにね。何で私に頼むのよ」

これは文化の違いなんかじゃなくて、本人の資質に問題があるのかと真剣に悩みましたね。
こんなことを平気で言えるようじゃ、将来、私が動けなくなった場合だって、邪険にされるかも知れない。
それとも金、金、金の荒んだ上海の風潮が、人の心を変えてしまった所為なのか?
上海に暮らしていると、最早、親孝行など過去の遺物でしかないと思えることに、よく遭遇する。
親子のいがみ合い、同居から始まる嫁と舅姑の確執、甘やかし放題に育てた一人っ子政策の歪、それに最近日本でも問題のニートや親に依存するパラサイト症候群まで、猛烈な勢いで日本を追い掛けている。
上海も確実に病み始めてきている今、金を持っていない老人を取り巻く環境は決して優しくない。
だから、女房が血も涙もない氷のような女という訳ではなく、そういったお国の影響もあるのかと思った。


 我々団塊世代は今、親の介護問題に直面している人が多い。
私のように仕事をリタイヤした人間はともかく、亭主が現役中の家庭なら、介護負担の大半を妻が背負っているのが現状だ。
妻もまた団塊世代か、若しくはそれに近い世代だから、親孝行を美徳とする教育を受けた最後の生き残りとして、文句を言いながらも受け入れている。
だが、これからの時代は、たとえ妻や子供であっても期待することは出来そうもない。考え方がドライだから、迷惑がられて嫌われるだけかも知れない。
これは妻が中国人だとか日本人だとかに関係なく、社会全体の流れのようだ。

 人生五十年といわれた大昔ならいざ知らず、八十歳まで寿命が延びた今も、依然として親の介護を国民に押し付けている国の無策ぶりもおかしい。
いくら自分の腹が痛まないからといって、無駄な道路や建物など考えもなしに造らないで、国費で十分な介護を受けられる施設なり、親身な対策を立てるのが本当の政道というものだろう。
アメリカでは介護は専門のプロに任せ、家族は心のケアをするという形態が定着しているらしい。
TVのドキュメンタリーで見たのだが、公費で賄われている施設もある程度完備されているようだ。
金持ちニッポンが、なぜそれを出来ないのか?不思議でしょうがない。
3ヶ月毎に追い出され、あちこち盥回しにされる現状の病院システム。認知症や重度の介護が必要な年寄りを受け入れる公共施設は、2年3年待ちが当たり前だという。
そういう辛く悲しい介護の問題に直面して、初めて多くの人が日本の福祉の貧困さに気が付く。
日本人は大人しい!もっと、もっと怒ってもいい!

 女優の南田洋子が、長年に渡って認知症の舅を介護した話は有名で、その献身ぶりは夫婦の鏡とも言われた。映画監督の大島渚が脳梗塞で倒れ、妻の小山明子が介護疲れから自殺まで考えたという話も新しい。
今話題の「明日の記憶」だって、若年認知症になってしまった夫を、妻が必死に支え乗り越える夫婦愛を描いている。うちの女房は、この内のどれにも当て嵌まりそうもない。どうしよう・・・・・・
まぁ、無い物ねだりをしてもしょうがないし、女房が特別悪いという訳でもない。
時代の移り変わりと共に夫婦のあり方も変わってきている。どっちかが倒れたら、もう片方が面倒を看るのが当たり前という思い込みはすでに甘えであって、女房や子供は決してそう思っていないという統計結果もある。
30年以上連れ添い、年は3つくらいしか違わない日本人熟年夫婦だって、夫の定年退職を待って、突然、妻が離婚を切り出すご時世だ。そうなれば老後の介護もヘチマもない。
あと数年で定年を迎える団塊世代の夫は恐々としているだろう、爆発的な離婚ラッシュに見舞われるという予測もあるから、覚悟して置いた方がいいかも知れない。



 医者は余命3ヶ月と言っていたが、癌の進行はもっと早かった。
この辺は「10章 新年早々の葬送」に詳しく書いてあるので、そちらを読んでもらうとして、兎に角、僅か2ヶ月ちょっとで、おふくろさんは呆気なく逝ってしまった。人間の一生なんて、つくづく儚いものだと思った。
女房もやっぱり人の子、十分とは言えないまでも、最後はあれこれ世話を焼いてくれたので助かった。
大した親孝行も出来なかったが、おふくろさんはちゃんと子供のことを考えてくれたのか、これから本格的な介護が始まるという矢先に、突然、この世とおさらばして逝った。
生前、長患いしてみんなには迷惑を掛けたくないと口癖のように言っていたから、図らずもその通りになって、おふくろさん今頃はあの世でホッと胸を撫で下ろしているかも知れない。
人間は誰しも幕切れはこうありたいと願うが、こればっかりは神のみぞ知るところで、その時になってみないと分からないから、いつも不安が頭から離れない。
近況報告で時々古い友人に電話を掛けたりすると、話題はもっぱら病気だとか親の介護の話に集中してくる。
傍で聞いている女房が、「あ〜、お得意の病気自慢がまた始まったよ」といって笑う。
アルツハイマー型認知症の母親を抱えて、すでに老老介護が始まった友人もいる。
若い時に離婚を経験して以来、独身を通しているから、介護負担は全部彼の肩に圧し掛かっている。
仕事と介護の二束の草鞋、これには大変さを通り越して、ある種の悲壮感すら漂う。
夢などとうの昔にどこかへ置き忘れてしまい、その日その日を暮らしていくのが精一杯な現状のようだ。
そろそろ病気で亡くなる奴も出てきた。原因が事故に遭遇してというなら、単に運が悪かったとショックも少ないが、病気で逝ったとなると、かなりブルーな気持ちにさせられる。

「彼は急だったね、仕事中に胸が苦しいって倒れたんだって?」
「そうらしいね、救急車で運ばれたけど、それっきりだったみたいだよ」

友人と電話口で声のトーンを落として囁き合う。あまり急すぎて、本人はさぞや心残りだっただろうと嘆く。
同時に「次は俺の番か?」って気になり、さざ波のように不安が押し寄せてくる。
残された遺族には申し訳ないが、そうなると急に亡くなった友人が、ちょっぴり羨ましく感じてたりしてしまう。
どうせ1回は死ななきゃならないんだから、それが少し早いか遅いの違いだけ。
まことに不謹慎ではあるが、長患いしなかっただけでも「あいつ、いい死に方をした」なんて思いが心の中を過ぎる。
こんなことに思いを巡らす歳になると、いくら貯めたったあの世に持って行けないお金には、とんと執着が薄れてくる。中国人女房とは対極のギャップだ。
だが、結局は私が上海で失敗しなかった大きな要因は、この欲の無さにあった訳だから、世の中、何が幸いするか分からない。

 上海の好景気に浮かれて、小資本で何か商売でも始めていたら、失敗は免れなかっただろう。
よその国で一儲けしようなどと思っても、それほど甘くないのは随分見てきた。
上海人にはしては珍しいくらい見栄を張らない女房だから、ことお金が絡む話には割りと冷静でいてくれた。
金運や仕事運は、一緒になった配偶者の影響が大きいというのが、私が今までの人生から得た持論だが、それから言えば今の女房はホームランは望めなくても、そこそこのヒットが打てるバッターということになる。
堅実派だから、亭主が伸びようとしている時は足を引っ張りかねないが、私のように仕事をリタイヤした人間にとっては、無理を言われないだけ好都合だった。

 この先をも考えても、うちはおそらく上海生活がより長くなってくると思われる。
そうなると5年先、10年先には、私も上海で倒れる確率が高い。動かせれば日本へ帰ってくるが、絶対安静なら、これはもう諦めるしか手はない。
心配性の私は、先へ先へと手を打って置かなければ気が済まない性質だから、あれこれ想像してみる。
危篤か重篤となれば、せめて身内くらいは来てもらいたいと思うのが人情だろうが、うちの系統は情に薄いから、きっと躊躇するだろうな。
すぐ下の弟なんか、すべてに仕事が優先する奴だから、「そんな急に言われても無理だ!」なんて言い出しかねない。無理だ!というのはこっちのセリフだ、どこの世界に弟の仕事都合に合わせて倒れる奴がいる。
あぁ、どっちにしても駄目だ、次男は海外旅行をしたことがないから、肝心のパスポートを持っていない。
三男はどうか?勤めているのが小さな会社だから、下手に休むと首にされるのを恐れている。
それに金がない。渡航費はこっち持ちでもいいが、まぁ、無理を言うのは気が引ける。
身内がこんな調子だから、親戚・知人は言うまでもなかろう。

 おっと、実子を忘れていた。直系身内を忘れるくらいだから、お寒い事情は推して知るべしだ。
女房は未だに先妻との子供は敵対視しているから、息子も敵地へ乗り込むのは気が進まないだろう。
それに離婚以来この10年、ほとんど没交渉で他人みたいな関係になっている。
親子の縁なんて紙風船のように軽いもの。しばらく経って風の便りに「親父が死んだらしいよ」「へ〜、そうだったんだぁ」と知れるのも悪くない。
その時になって長年の不義理を後悔するかな?いや、しないだろうね、おそらく。
 
 結局、女房と上海一族に看取られながら、中国の露と消えるか。
まっ、それもいいかと自分を慰める。
倹約家の女房だから、骨壷を抱えて日本に帰ってきても、中国で一度葬式をやった以上、二度はやってくれないだろうな。そのまま菩提寺の墓の下へ直行か?
女房は、これでやっと決まりが付いたと清清するんじゃないかな。
中国は日本のように小煩く一周忌だ、やれ三周忌だという法事がないから、おそらくそのまま寺とは縁切れだ。
実子だって期待するだけ無理というもの。何たって今まで墓参りなんか行った事がないからね。それに業突張りの住職と付き合って行くのは並大抵じゃない。金の掛かる負の遺産だけ残されても迷惑な話だ。
継いでくれなきゃ、それっきり。欲深な住職のことだから、10年経ったら墓を整理して、遺骨は無縁仏行きだ。
そんなことになるんなら、いっその事、綺麗な海にでも散骨してもらった方がいいか?

「何を一人でお芝居してんのよ!いい加減に勝手な想像はやめなさい!」

誰に語り掛けるでもなく、ブツブツと独り言を呟く私に、業を煮やした女房が吼えた。
取り越し苦労とはいえ、もう死に際を考えている人間と、まだまだチャンスはこれからだ!と希望に燃えてる人間が一緒に暮らしているのだから、そのギャップは埋めようがない。
そうは言っても人間ならば、もういい加減に情が移っただろうと、恐る恐る女房に聞いてみた。

「俺が寝たきりになったら、どうだい、面倒見てくれるかい?」

闇雲この人何を言い出すんだと、シゲシゲと私の顔を見ながら、女房すかさずこう言った。

「大丈夫、中国は安いからアーイーさん(家政婦)雇ってあげるよ」

やっぱり聞かなきゃよかった!駄目だ、こりゃ、見込みがない。
いよいよ現実的になってきた大幅年齢差の壁は、不穏な空気を孕んで佳境に入っていった。

7章 弾丸お見合いツアーへつづく

2006年5月31日分、次回更新まで中国ランキングのクリックよろしく。

ホーム 戻る 次へ