年齢差を考える

3章 オーバースティ
                                                       2006年5月
 オーバースティは、そのままにしておくと強制的に国外退去(退去強制)となり、最低でも5年間は日本に入国することができなくなる。
しかも、5年たっても過去にオーバースティをした事実は消えないので、当然に再入国が認められるわけではなく、他に罪を犯していたような場合は永久に入国することができないこともある。
では、すでにオーバースティとなっている外国人が、そのまま日本に居残るにはどうしたらよいかと聞かれれば、そんな虫のいい方法なんてあるか!と言いたくなるが、これがある。 

 退去強制手続の中で法務大臣が特別な事情があることを認めて在留を許可すれば、そのまま日本に在留することができる。この許可のことを一般に「在留特別許可」と言っている。
だが、これは法務大臣の裁量事項であるため、外国人に「在留特別許可」を求める権利はないのだ。
審査の元となる特別な事情として認められるのは、現在のところ日本人との結婚しかないようです。
しかし、日本人と結婚すれば必ず在留特別許可が与えられる訳ではない。
最近は在留特別許可を得ることを狙った駆け込み結婚や偽装結婚がとても多いため、結婚するまでの事情や本当に結婚しているか等を厳しく調べられる。
「在留特別許可」は退去強制の手続きの中で与えられるため、許可が下りなければ国外退去となり、最悪の場合そのまま夫婦が離ればなれになってしまう。
日本人と結婚していても不用意に入国管理局に出頭すれば、元も子も失くしてしまう恐れがあるのだ。



 私はこういった法律的なことは何も知らなかった。
「日本人と正式に結婚したからには、もう大丈夫」くらいに軽く考えていたし、当事者である女房でさえ、聞き伝てで得た知識を多少持っているに過ぎなかった。だが、結婚して籍を入れた以上、いつまでも不安定な状態にして置く訳にもいかない。
女房にしてみれば、オーバースティをした者でなければ分からない不安感で一杯なのだ。
しかし、東京入国管理局に出頭するということは、感覚的には犯罪者が自首するのと同じで、のこのこ出掛けて行って、そのまま逮捕拘留されるのではないかと真顔で心配している。
そこで私が直接電話して、対応がどんなものか様子を窺ってみることにした。

「○月×日に中国人と結婚したんですが、実はオーバースティと分かりまして、どうしたら宜しいでしょうか?」
「それでは一度こちらまでおいでください。お話はその時詳しく伺いますから」
「なにか持っていくものはありますでしょうか?」
「いえ、何も要りません。ご夫婦でおいでください」

私自身は罪もない善良な日本人なので、入管担当者の対応は穏やかで紳士的だった。
だけど、それが常套手段で、安心させておいてパクッとやられる可能性がないとも言えない。
だが、こうなったら火中に飛び込まなければ先に進めないので、覚悟を決めて出頭することにした。
まぁ、命まで取られ訳でなし、指名手配の犯罪人でもないのだから即!送還ということもないだろう。



 指定された日時に出向いた赤羽入国管理局は大分古びた建物で、入り口からかなりの行列を作って人が並んでいた。大半がアジア人で手に手に書類を持っている。
オーバースティした者の中には、何とか居座ろうと画策する人も、自発的に帰国を望む人もいる。
ここに並んでいる人達は後者の方で、帰国する片道だけの臨時ビザを申請
に来ているようだ。
入国管理局としてもオーバースティ者が自ら出頭し帰国を望むのは、摘発と強制送還の手間が省けて助かる訳だが、日本では一応犯罪であるから、その扱いは少々ぞんざいだった。

 女房は帰国する訳ではないので、真っ直ぐ奥の審査室に向かった。
受付に出頭した事を告げると、名前を呼ばれるまで廊下で待つように言われた。
幅3mほどの廊下には、両サイドに薄汚れた長椅子が置いてあって、私らと同じように「在留特別許可」を求めてやってきたと思しき先客が3組ほどいた。
審査室の入口近くに座っていた組の奥さんは、南国フィリピン系で目鼻立ちが整った美人。年の頃は24〜25歳といったところで、この場の重い雰囲気を救うような明るい感じの人だった。
隣に座っているのが日本人の旦那だろう、頭はほとんど白く、歳の差はうち以上に見えた。
最初に呼ばれたのはこの夫婦で、杖を片手に立ち上がった旦那は歩くのも侭ならない身障者だった。
南国奥さんが支えながら審査室に入っていったが、恐らく偽装結婚と疑われるのは必至で、審査の厳しい事を予感させた。

 順番を待つカップルは又3組に戻った。
私らの対面に座っていたカップルは、これまた誰が見ても夫婦とは思えない取り合わせで、場所を変えればそのままスナックのホステスとお客さんといった雰囲気をしている。
甘えて撓垂(しなだ)れる掛かるように、たどたどしい日本語で話す女を見て、女房にそっと聞いた。

「あれ、中国人かぁ?」
「そうみたいね」
「中国人は堅いから、人前でああいうことはしないって言ってたじゃないか」
「あいつは・・・・売国奴だ」

この中年男も色香に迷った口か?全然、窘(たしな)める素振りもなく、寧ろモテる男の代表を気取っている。
私も人の事をとやかく言える立場じゃないが、なんとまぁ、男とはこう悲しい生き物なのだろうか。
おまけに、この品のない女は場所柄もわきまえず、まるで遊びに来たように派手な服を着ていた。そんな挑戦的な態度では、審査官の心証だっていい筈がないのに、そのくらい気が付かないのだろうか。
このカップルもまた「在留特別許可」をスンナリくれるとは考えられず、審査は難航するものと思われた。

 やはり相手は法律を盾に権力を持っているのだから、尋常にお縄を頂戴するくらいの殊勝な気持ちがなければ叩かれる。
その程度は常識として私にも分かっていた。
だから今日は女房にも地味な格好をさせてきた。
女房は嫌がったが、日本感覚とはそういうものだと説得した。
女房がそんな地味な服など持っていないというので、わざわざこの日の為に買い揃え、夫婦ともダーク色で統一して臨んだ。
このまま帰りにどこぞの葬式へ行っても違和感がないほどだ。

 もう1組は一番奥でひっそりと肩を寄せ合っていた。
奥さんは胸に乳飲み子を抱いていて、隣に座っている父親の膝には2歳くらいの子供が纏わり付いてる。
子供がはしゃぐから、気を遣ってわざと隅っこにいるようで、特にいじけている訳ではなさそうだ。
奥さんの顔付きを見ると、どうもうちと同じ中国系らしく、きつそうな性格はすでに家庭の主導権を握っているようだった。大人しそうな日本人夫は奥さんより小さく見えた。
オーバースティをしてなきゃ、こんなところへ来ることもなかっただろうに、この旦那も私と同様、気の毒といえば気の毒である。
この中国人妻が物怖じせず落ち着いているのは、私らを含め、他の夫婦にない子連れの有利さがあるからだろう。夫婦の歳もそれほど離れていないし、今日のグループの中では断トツ一抜けの可能性が大だった。
何といっても既成事実は強い!子持ちは百万の味方を得たようなもので、「在留特別許可」を取得するにあたって、審査基準となる“特別な事情”はそれだけで十分満たしている事になる筈だ。



 さて、どんじりの私たちが呼ばれた。緊張している女房に「大丈夫、うまくいくよ」と声を掛けた。
審査室に入るなり夫婦は引き離されて、それぞれ別室で質問を受けた。これは想定の範囲内で、質問されそうな事項はお互い食い違わないよう、何度も練習してきた。
私は主に知り合った経緯や交際期間、婚姻後の住居環境などを聞かれただけで、この次来る時に用意してくる書類内容の説明を受け、外に出された。
女房の方は大変だった。まず指紋採取、写真撮影、オーバースティになった経緯、何故日本で暮らしたいのか、などそれはしつこく聞かれたそうだ。そして訊問?終了間際、こう脅かされた。

「日本人と結婚したからといって、このまま日本で暮らせるとは限らない。運良く許可が下りたとしても、2〜3年は掛かるかも知れない。一度帰国すれば、1年でまた入ってこられるのだから、そうしなさい」

入国管理局は理由の如何を問わず、オーバースティしたような不良外人は、とにかく帰してしまいたいようだ。
今は5年間の入国拒否だが、当時、審査官の言った通り1年間だったとしても、必ず戻って来られるなんて保証はどこにもない。そんなきな臭い言回しの結果は素人でも予測できた。
現在日本に居ること自体が、すなわち切り札を持っている訳で、オーバースティ以外の罪を犯していなければ、正式に日本人と結婚した以上、無理やり引き離すなんて出来ない筈だ。
そんな手にまんまと乗って帰ってしまうなんてことは、みすみす強力な切り札をドブに捨てるようなものである。
それに問題がもう一つ、夫婦なんてものは1年も別々に暮らしていたら、自然と心が離れていってしまうのは、名作“戦争と平和”のナターシャなんかをみても分かる。
狡猾な入国管理局は、その辺りもしっかり計算に入れているようだった。



私たちは当時、こういった件の情報を得られる手段は何も持ち合わせていなかった。
私らのようなケースは、普通、司法書士に頼むらしいが、それが分かったのはずっと後からだったし、インターネットを通じて、同じ問題に悩む者が集まるメーリングリストの存在も知らなかった。
自分たちでの力で乗り越えるしかないと思っていたので、せっせと入国管理局にいわれた書類を集めた。
10年前の話だから、今は提出書類も随分変わったと思うが、それでも結構面倒だった。
その中には当然のように納税証明書とか就業証明書の提出、果ては財産の明細や身元保証書なんて訳の分からないものまであって、マジで困った。この時は、何たって無い無い尽くしだったからだ。
バブルの煽りを受けて傾いた会社の休業届けを出したばかり、細々と個人経営に切り替えようとしていた矢先だったから、財産だって大きな顔して書けるほど持っちゃいない。

 ここで焦って下手な事をしたら、下りる許可も下りなくなると、無い頭をキリキリ絞った。
窮すれば通ず!パッと閃く前頭葉!そうだ、今なら間に合うかもしれない。
最新の納税証明書発行は例年6月である。その時はまだ4月、いま納税証明書を取れば、前々年分のしか出ない事を思い出した。それならばまだ会社もあったし、所得もそこそこ恥ずかしくないくらいはあった。
就業証明書だって、代表者だった会社の登記簿謄本で代えられる。
財産明細はない袖は振れないので仕方がないが、身元保証書は長年地域活動に活躍している信用できる人物とか、適当に自分でタイプして知人に判子を押してもらった。
急げや急げとばかりに書類を集め、出頭から半月ほどで「在留特別許可」の申請をした。

 さぁ、いつ呼び出しが掛かってもいいように、手薬煉引いて待っていたが、まったく音沙汰がない。2ヶ月ほどして業を煮やした女房が、どうなっているのか聞いて見ろと盛んにせっつく。
担当審査官の気分を害してはまずいと思いながら、恐る恐る電話してみた。

「いま審査中です。終わりましたら、こちらから連絡します」

ピシャッといわれた。取り付く島が無いとはこのことである。
感情を極力抑えた声だったので、最初は録音テープを流しているのかと勘違いしたくらいだった。きっと毎日私と同じような問い合わせが多いのだろう。

 それから1ヶ月、また1ヶ月と何の連絡も無いまま、無意味な月日が経っていった。
勿論、その間も何回か審査状況を電話で問い合わせたが、返ってくる言葉はいつも同じだった。
初めて入国管理局に出頭した日、審査官の言った言葉が女房の頭を過ぎる。やはり一度上海に帰った方が、結果的には“在留許可”も早いんじゃないかと気持ちは揺れ動いた。
それにビザが切れて以来、もう3年も郷里へ帰っていない。上海も随分変わったというし、父母や友達の顔も目に浮かぶ。なんとなく一人取り残されたような寂しさが胸を突き抜けた。
そう思うと、ますますホームシックが募り、もう矢も盾もたまらないほど帰りたくなった。
こうなるともう手が付けられない。帰る!帰るの一点張りで、「虎の子の切り札を捨てるのは勿体無い」と説得しても、てんで聞く耳を持たなかった。

 女房の固い決意に私も諦めた。審査官の思う壺に嵌ってしまった悔しさが込み上げてくる。
本気で荷物の整理を始めた時・・・・・・入国管理局から再出頭の通知が届いた。
当たって砕けろ!と恐る恐る入国管理局に出向いた日から、ちょうど半年が経過していた。



「これからは毎月決められた日に出頭して、ここに判をもらってください」

担当審査官にそう言われて、1枚の紙切れを渡された。もうこの前のような質問攻めはなかった。
紙切れにはカレンダーのように月数が打ってあり、判子を押す升目が並んでいる。
勘定してみたら12個あったので、この先、1年通えということなのか?と思った。
これは考えていたより長期戦で、この期に及んでも諦めさせようとする、入国管理局との根競べのような気がした。恐らくこの期間でも脱落する人がかなりいるのだろう。

 それから毎月、毎月、雨にもマケズ、風にもマケズ通いましたよ。判子押してもらうだけだから女房一人でも良かったのだが、ここが誠意の見せ所と思って、私も一緒に毎回送って行った。
このシステムは刑期半ばで仮釈放になった人が、毎月保護司のところまで出向いて近況報告するのと似ていて、オーバースティも同列の犯罪であるいう姿勢は変わらない。
1年というのは短いようで、思ったより長かった。その間にも抜き打ちで電話を掛けてきて、「奥さんと代ってくれ」という。本当に一緒に暮らしているかの確認である。
判子も10個になった或る日、2人組の中年調査官が自宅を訪れた。突然だから、こっちもビックリした。

「ありのままの生活実態を見に来ましたから、お構いなく」

こっちは苛められているような立場だから、お構いなんてしませんよ。
買い物に出ていた女房を、急遽、携帯電話で呼び戻したが、その間も調査官は同居事実の匂いを嗅ぎ分けるように、家のあちこちを見て回る。

「その引き出しを開けてもらえませんか?」

さすがに勝手に開けることは出来ないらしく、私に向かって半ば強制的に命じた。
家事嫌いの女房である。きちんと畳んでない下着が、これでもかというほどグチャグチャに押し込まれていた。

「すいませんねぇ、見苦しいところをお見せして・・・・・」
「いいんです、いいんです、それを見に来たんですから」

ちょっとムッときましたね、あんた変態かって言ってやりたかったですよ。
慌てて帰ってきた女房が持つビニ袋の中身をジロリ、本当に買い物をしてきたのかを疑う。

「わかりました、突然に伺って申し訳ありませんでした」

調査官が腰を上げて帰ろうとした玄関先で、2世帯住宅の1階に住んでいる、我がおふくろさんが出てきた。
事情は話してあったので、気を利かしたつもりの援護射撃を繰り出した。

「いらっしゃいませ、同居している母でございます。息子がいつもお世話になっています」
「あぁ、お母さんですか、どうもお邪魔しました」
「ええ、嫁はとっても好くしてくれますよ、はい、お蔭さまで仲良くさせてもらっています」

おふくろさん!そんなこと聞いていないって!第一、この調査官とは今日初めて会ったんだし、いつも世話に何かなってやしない!仲良くしているのだって、この人たちのお蔭じゃないのに、なにペコペコしてるんだ!
昔の人間はお上には弱い、寧ろ引き裂こうとしているのが分かっていない。



 11個目の判子をもらいに行った時、ちょっと話があるからと夫婦一緒に別室へ連れて行かれた。
審査は終了したので、来月の出頭日には保証金に該当する10万円を持ってくるように言われた。
これは正式に「在留特別許可」が交付された時に返還するとも付け加えた。
長い間、待ち焦がれていた瞬間だった。今日もしかしたらと予想はしてきたが、それが今まさに現実となった。
やったぁ!二人で手を取り合って叫びたかったが、取り敢えず審査官に何度も頭を下げてお礼を述べた。
ここまで来れば、よもや引っくり返るようなことはないと思ったが、もうこんな経験は御免なんでね、最後が肝心だと思って気が抜けなかった。
帰りの車中は感動と興奮の坩堝で、女房はうっすらと涙さえ浮かべていた。
思い起こせば50歳近くになって再婚を決意したものの、正直、この女房とまた夫婦の歴史を作っていかなきゃならないのかと思ったら、気の重さが先に立ったが、心配御無用、1年半でかなり力強い歴史が出来た。
今日はみんなでお祝いしよう!おふくろさん、遠慮しないで好きなだけ食べなよ・・・・・回転寿司だけどね。

それから3回ほど在留ビザの更新をして、永住ビザを申請。これも半年で無事下りた。
あとは帰化するかどうかだが、1年の半分も日本にいない現状では、門前払いされるのが目に見えているので、今はほぼ諦めている。

4章 家計簿ってなに?へつづく

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