年齢差を考える

2章 上海嫁が来るぞ!

                                                       2006年5月
 女房との出会いは1章の「運命の出会い篇」に詳しく書いてあるので省略しますが、その時はすでに留学ビザが切れていて、オーバースティだった。
このまま日本に留まっていても、いつ捕まって強制送還されるか分からない身の上。
折角、同期の羨望を集めて、日本へやって来たというのに、何の成果もなくおめおめと帰るのは忍びない。
それに上海の両親だって口にはしないけど、苦労して黄金の国ジバングまで行かせたからには、少しは纏まったお金を期待しているかも知れない。
飛んで火にいる夏の虫、ちょうどそんな時に現れた私。タイミングが悪いところは、今に始まった訳ではない。
女房は違い過ぎる歳の差にしばらく迷った。だが、結婚しても自由にさせてくれるって言うし、生活も困ってなさそうだから、流れにまかせて乗ることにした。話が違えば、その時はその時で又考えればいい。

 
 私は私で、偏に女房の若さに目が眩んでいた。熟年離婚した不幸を何やかやと噂する周囲に対し、何としても災い転じて福となす逆転サプライズホームランをかっ飛ばしたかった。
良くも悪くも20歳も違う娘と再婚すれば、それまで嘲笑っていた男共も、感嘆の溜息で羨むに違いない。
たったこれだけの理由で再婚を決意したのだから、私も自業自得であります。
言っちゃぁ悪いが、女房は取り立てて好きなタイプでもなかったし、男っぽい性格も気になったが、このチャンスを逃しては今後若い娘と一緒になれる事など、夢の中でも無理だと必死に口説いた。
 
 かくて、お互いの利害が見事に噛み合い、目出度く婚約の運びと相成ったが、悲しいかな、浮かれている本人には、以後に待ち構えている苦難の道のりなど、まったく見えなかったのであります。

 突然、外国人と再婚すると言い出した息子に、年老いた母親は一瞬絶句。まさに青天の霹靂という顔をしてましたね。だけど、私だってもういい親父なんだし、反対したって駄目ですよ。
「あぁ、長生きなんてするんじゃなかった」って思ったがどうか?丸っきりの事後承諾ではあったが、少々投げやりでも一応認めてくれた。

「だけど、言葉が分からないのは困るねぇ、わたしゃ中国語なんて知らないからね」
「大丈夫だよ、日本語は大体なら通じるから」
「そうかい、それならいいけど。それに中華料理って脂っこいんだろ〜、わたしゃ苦手でねぇ」

それについては私にも秘策があった。再出発する以上、失敗は繰り返したくない。
一つ屋根の下で嫁と姑が仲良くしてもらいたいなどとは、もう望むまい。そんなのは嫁の我慢が当たり前だった時代の話で、女が強くなった現代じゃ通用しない。
ましてや今度は外国人である。どんな難題が巻き起こるか分かったもんじゃない。
離婚騒動を経験して以来、嫁姑の問題を回避するには、一緒に暮らさないのが一番いいと学習した。
それは分かっちゃいるが、うちは親父が早くに亡くなって以来、ずっと母親の面倒を見てきたので、今更そんな薄情な真似はできそうになかった。

「ねぇ、おふくろさん、新しい嫁さんと揉めても、今度はそうそうは味方してやれないよ。俺も何とかうまくやっていこうと思っているし、将来は面倒もみてもらわなきゃならないからね」

おふくろさんは息子に頼ることが出来たが、私は再婚する以上、今後息子を頼る訳にはいかない。
今までは割と早く後家さんになった母親を気の毒に思い、嫁姑の問題も6対4の割合で味方してきたが、それが前妻にはマザコンと映ったようで、長い間に修復不可能にまで拗れてしまった。
そこで台所、風呂、トイレを別々にした2世帯住宅の改造工事を提案した。
おふくろさんも嫁姑の諍いでは懲りていたので、「その方がいいね、私も気が楽だ」と素直に受け入れてくれた。
この提案はまさに的を射ていた。あとで分かったのだが、この時の女房はまったく料理など作れなかったので、危機一髪!私はホッと胸を撫で下ろした。
おふくろさんの、「これじゃ日干しになっちゃうよ〜」なんて文句を聞かずに済んだので助かった。



 日を置いてから、弟達も家に呼んでいっぺんに顔合わせする段取りをした。
弟達も一様にビックリしていた。外国人が親戚になる?なんて、どうもピンと来ない。
兄貴の嫁さんだから、本来は姉さんと呼ばなきゃいけないのだが、いかんせん若過ぎて言い難い。
そこは年の功とばかりに、しゃしゃり出てきたおふくろさん。
歳の割りに順応性が高いようで、外国人の嫁さんをすっかり面白がって、ついでに語呂や画数を計算した日本通称名も考えていた。

「そりゃいいや、で、なんて付けたの?・・・・・・うん、静子、あっそう、オーソドックスだね」
「よくないかい?」
「いや、いいんじゃない。名前は変に小難しいより、何たって呼び易いのが一番だよ」

静子という名前が特に呼び易いとも思えなかったが、おふくろさんの厚意を無下にしては可哀想。
いかん、いつもの悪い癖が出てしまった。やはりここはまず本人の意向を聞くのが順序だったかも。
女房は明らかに不満な顔をしていた。あとで聞いたら、中国人はみんなアメリカに憧れているから、リカとか、アンナとか、どうせ付けるならバタ臭い名前の方が好きだったとか
この日を境にして、本人の好みに関係なく、みんなから静ちゃん、静ちゃんと呼ばれるようになった。


 さて、籍を入れる前に上海の両親に挨拶だけはして置かなければならない。面倒臭かったが、私も古い人間だから、それは人間としての礼儀だと腹を決めた。(詳しくは上海初見参物語参照)
当時女房がオーバースティだったもので、言葉も何も分からない私が一人で行くのは大いに不安だった。
海外に出るのは初めてではなかったが、全部ツアー旅行だったんでね。
入出国の手続きなんかもやったことがないので、大変な難儀をした。

 上海では一族に予想外の歓迎を受け、大接待を受けました。
お土産のほかに、賓館その他の滞在費3日間分として15万円渡していたので、食事も観光も、結局は全部自分の金でしたけどね。
10年前の上海物価は、日本と10倍くらい違っていたから、3日分としては十分過ぎる金額だった。
少し多いんじゃないかと思ったが、女房が残ったら返してくれるというので、当時のレートで、切りよく1万元にしたのだと思う。

 高級賓館などと縁の無いお舅さんは、自分のマンションから一番近い3星とは銘打ってあるものの、名ばっかりのうらぶれた賓館に宿を取ってくた。
ロビーカウンター横に張り出されている料金表には1泊300元(当時レート3500円)と書いてあったが、恐らくそれ以下には値切っている筈だ。
食事も初めての中国という事で、大いなる期待をしていたのに、初日から庶民餐庁の洗礼を受けた。
時期はまだ9月初旬、茹だるような暑さだというのに、勿論、エアコンなんて気の利いたものは入っちゃいない。
厨房から流れくるニンニクやら油の入り混じった強烈な臭いの中、卒倒しそうになりながら「二度と来るか!」と思いつつ食べた記憶が鮮烈の残っている。
それがトラウマとなって、どうも本場の中国料理は未だに好きになれないのであります。

 悪戦苦闘!辞書を片手に身振り手振りの3日間だったが、お舅さんお姑さんからは歳の差を気にした言動もなく、本当に喜んでくれているようだった。
昨今、悪評高い法外な結納金の話も出なかったし、上海での披露宴なんて話題にも上らなかった。
もっとも私の主義として、現地見合いならともかく、曲がりなりにも日本で知り合った恋愛だから、たとえ言われたとしても払う気などありませんでしたけどね。
上海での披露宴にしたって、一遍は挨拶に行かなきゃ格好がつかないと思った程度だから、日を改めた披露宴なんて論外で、もう二度と行くことはないだろうと当時は思っていました。

 やがて帰国を迎えた日、言葉はまるで通じなかったが、心と心の通じ合い。型通りの挨拶を終えて、さて、滞在費のお釣りはいつくれるのかと思ったが、その気配はない。
私もまた身振り手振りで説明するのも難儀なので、「まぁいいや」と思い、そのまま帰って来てしまった。
その話を聞いた女房が、私が止めるのも聞かず、すぐさま電話を取り、

「お釣りはどうしたのョ。みんな使うわけ無いでしょ!」
「少し残っているけどね・・・・・」

今思えば、残りの7000元くらいが結納金代わりになったのかとも思うが、お舅さんは果たしてそれで得心してくれたんだろうか?



 日本での結婚式ですが、私は二度目でもあり、いい歳して今更結婚式でもないだろうと、その気はまったくなかった。
第一、式を挙げるとなれば、成人して独立している息子にも知らせない訳にはいかない。再婚するのを事前に話して、ごちゃごちゃ言われるのも嫌だったし、子供を独立させた以上、後は私の人生ですからね。
そういう訳で、まったく内緒にして事を運んでいたという裏事情もありました。
女房もそんなところにお金を使うのは勿体無いと、早くも今日に至る倹約魂の片鱗を覗かせている。
幸先のいい意見の一致をみたので、夫婦して役所に出向き、入籍の届出を済ませておしまいにした。

 でも、さすがにこれだけでスタートするのは侘しさが募る。
何か区切りになるものが欲しいと考えた末、写真館でキチッとした記念写真を撮ることにした。衣装代も含めて一式10万円だったが、これすら女房は勿体無いと言い張りましてね、変わった奴です。
これは上海の両親対策も兼ねていて、結婚式も挙げられないほど貧乏なのかと心配されても困るので、娘のウェディングドレス姿を見せて安心させてやりたかったのです。

「はい、ご主人様、奥様の肩に手を添えて、もう少し優しく見詰めてくださ〜い」

こういう写真って、すごく恥ずかしいもんです。どう撮ったって、親子ほど歳が違うのは歴然としている。
写真館の店主だって、あれこれポーズの注文つけながらも、きっと笑いを堪えているんじゃないかってね。
そう気を回し始めたら、もういけません。余計に鼻の下を長くしたような優しい目なんて出来ませんよ。

 馬子にも衣装とはよく言ったもので、女房は綺麗でしたね。ウエディングドレスも良かったけど、衣装換えしたカクテルドレス姿も一段と艶(あで)やかで、思わず惚れ直しました。
女房は今より痩せていましたからね、衣装がウエスト辺りで余っちゃう。くびれラインがはっきり出るように、それを寄せて集めて背中でピン止めしたんですが、着付け係も羨ましがっていました。
私は予算の関係でタキシード1回のみ衣装換えはなし。それはいいんだけど、生憎と私の肥満体に合う衣装が限られていて、女房のように選べる自由がない。
「はい、旦那さんはこれ着てください」ってね、なんとも愛想ないお仕着せだった。

 撮影を終えて、店主から何部作るか聞かれた。一式なので、確か豪華な台紙に収まった写真も入っている筈?と思ったが、それは私らが保存する一組だけ。あとは追加として頼まなきゃならない。
値段を聞いてみたら、これが凄く高い。女房は上海に送る分は豪華な台紙付きじゃなくてもいいと言う。
それじゃ自分で焼き増しすればいいと思ったが、写真館って撮ったネガをくれないんですね。
女房は「私たちが写ったネガなのに何でくれないんだ」と噛み付いたが、セコイやり方とはいえ、システムがそうなっているのでは仕方ない。
現像仕立ての仮写真から、気に入ったのを何枚か選び、普通の焼き増し写真の何倍も払って頼んだ。
女房は最後まで、これは不当だとブツブツ言っていましたよ。
写真館の店主も焦ったと思います、お目出度い写真でこんなに文句を言う客は珍しいってね。

 それでも後日受け取った写真が、思いの外素晴らしい出来だったので、私としては十分納得した。
さすがプロの撮った写真は違うと思いましたね。
早速、上海に送ってやりました。私もこれで少しは責任を果たせた気がしました。
この写真は今でも李家のリビングテーブルに飾られています。
テーブル台と同じ大きさのガラスの間に挟まれた数々の写真は、上海一族の歴史を物語っている。
特別在留許可も下り、初めて二人で里帰りした日。私はこのテーブル一面に貼られた写真を見つけて、珍しそうに1枚1枚見ていった。女房の子供の頃や、セピア色になった義父母の新婚写真もあった。
おっ!この前送った女房のカクテルドレスの写真もあるぞ。
よし、よし、これがあるなら、タキシード姿で一緒に撮った私の写真もある筈と探しましたよ・・・・・ところが、これがまったくない!ただの1枚もなかった。
もう少し若かったら剥(むく)れるところだろうが、そっとその場を離れて何も言わなかった。
お舅さん、お姑さんと歳が近いだけに、その気持ちは分らなくもなかったからだ。
余りに歳の違い過ぎる婿さんだから、堂々と周囲に公表できない恥ずかしさが尾を引いていたのだろう。
それは同時に自分に対する恥ずかしさでもあって、なんだか孤立した寂しい気持ちになった。
親とすれば諸手を上げて喜んでいた訳でなかったのを初めて知り、今まで肩身の狭い思いを掛けてきたことに、ただひたすらの申し訳なさが込み上げてきた。

 日本では昔から嫁取りとは、本人たちの気持ちもさることながら、家同士の付き合いでもあると言われている。それは国が違っても同じことで、当事者だけが幸せになれば、それで良いというものでもない。
うちの場合、ひょっとして裸の王様のように浮かれていたは、私だけだったのかも知れない。
たとえ自分たちは気に染まなくても、文句一つ言わず同意してくれた義父母に、感謝しなければ罰が当たりそうである。言うだけじゃなくって、なにか報いなきゃいけないと常々思ってはいるのだが、これが人間のずるいところなんだろう、その内、その内と先延ばしにしている自分が時々情けなくなる。

3章 オーバースティへつづく

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