年齢差を考える

1章 お父さんですか?
                                                        2006年5月
 最近、女房との年齢差ハンデが、この先行きどんな展開になっていくのか時折考えることがある。
今これをお読みの方には、日中国際結婚なら20歳、30歳の年齢差は当たり前という鼻息の荒いお方も結構いらっしゃるだろうが、先行きを考えると、そういい事ばっかりでは決してない。

 私は団塊世代のロートル組、上海妻と再婚して早10年近くになる。
20歳違いの年齢差は、当初こそ私の周囲に対し大いに面子を立てたが、10年の歳月は何とも残酷である。
情けない事に、最近はイスから立ち上がるにも「ドッコイショ」から「イテッ、イテッ!」に変わってきた。
ところが相方は人間として一番盛りの30代、具合の悪い箇所なんかどっこもない元気溌剌の絶好調。
私だって同じ頃は寝ないで遊んだって、仕事はちゃんとこなせたものだが。

子供が居ないので、女房には自由にさせていたせいか、気分は今でも二十歳代。
買ってくる服は、未だにどれもド派手なものばかり。オイオイ、へそが見えてるじゃないか!
まぁ、それは個人の好き好きだから尊重して目を瞑ろう。だが、俺にまで強制するのはやめてくれないか。

「アンタもねぇ、ジジ臭くしないでこのくらいの着なさいョ」

見れば目の覚めるようなスカイブルーの柄物シャツと、折り目のないヨレヨレの木綿ズボン。
駄目押しに白のTシャツは中に着るのだという。
これじゃその辺の高校生と一緒だョ。俺たちの世代は、こういうのをカッコいいとは到底言わない。単にだらしないだけと教育されている。

「ほら〜、Tシャツはズボンの中に入れないで外に出す、出す!」

これじゃぁ、ただでさえ出不精の私なのに、金輪際出掛けたくなくなっちまう。
下町近所の目が怖い、気の毒に頭の病気に罹ったか、はたまた鬼の霍乱か。

 いつも元気な女房が、何故かこのところ胃の調子が悪い。
また半年滞在の上海入りも控えているし、今日はこれから病院へ行くという。
どこが具合悪くても、まずは点滴して様子を見る悠長な中国の病院。
やはり診察や薬は日本の病院の方が信用出来るらしい。
来日して15年、日本語には困らない女房も、相手が医者となればちょっと勝手が違う。
症状を的確に伝えようとするあまり、反ってしどろもどろになるらしい。
それに中国人と分かると、ぞんざいに扱われるみたいだと疑心暗鬼になっている。

「医者がそんな態度を取るのか!ヨシ!俺も一緒に行って監視してやる」

 日頃の運動不足解消を兼ね、自転車に打ち跨って颯爽とお出掛け。
掛かり付けの総合病院まで、ざっと20分の小サイクリング。
前ボタンを留めないスカイブルーの柄シャツが、初夏の風に翻り、後姿だけ見れば如何にも似合いのカップルである。
女房のは普通のママチャリだが、私のはマイレージを貯めてもらった景品の折り畳み式スモールタイヤの自転車。
女房が1回漕ぐところ、こっちは2回漕がねばならない。
長い坂など、「こりゃとても駄目!」と男としての意地も面子も投げ捨てて完全ギブアップ。
スイスイ上って行く女房の後塵を拝し、私はもう偉そうなことは言えないと悟った。

息も絶え絶えにやっと病院到着。荒い息遣いに、しばらく口も利けない。
相変わらず混雑している待合ロビー、診察券を受付に出して待つこと30分。
看護師さんがドア越しに名前を呼んだ。

「あの〜私も診察室に同席してもいいですか」
「え・・・・と、お父さんですか?」

ムムッ!おぬしその目は節穴かぁ、伊達にこんな派手な格好して来たんじゃないぞ!私だって恥ずかしいんだ!その辺察してよね。

「いえ、まぁその〜・・・・・」
「あっ、ご主人さんですね、失礼しました。どうぞいいですョ」

結婚した当初から買い物に行っても、「お父さんに買ってもらえば〜」とか、「優しいお父さんですねぇ」とかよく言われた。優しくて悪かったな!と思わず言ってやりたい衝動に駆られたことも幾度か。
だが長い月日が流れた今、それほどのショックはない。
もう間違いなく、見せ掛けでは誤魔化せない歳になってしまったのだから仕方がない。



 女房が親しくしている友人にも、27歳違いのハンデを乗り越えて結婚した人がいる。
うちより上を行くこの大幅年齢差夫婦には、来年小学校へ上がる一粒種の男の子がいる。
初婚だった日本人旦那は、生まれた子供を溺愛し、よく乳母車を押して散歩に出た。
どこへ行っても「可愛いお孫さんですね〜」と言われたが意に介さず、むしろ、それが誇らしくもあった。
その旦那は今年還暦を迎えた。
ありったけの愛情を注いで育て、息子も母親より優しい父親によく懐(なつ)いていたのに、幼稚園へ通うようになった息子は最近父親を遠ざけるようになった。
幼稚園の送り迎えも嫌がるようになり、父親は戸惑った。
大多数の園児からみれば、異質とも思える年老いた父親のことを囃し立てられでもしたのだろうか?
それを幼心に恥ずかしいと感じて、無意識に隠したいと思ったかは分からないが、もし当たっているとしたら、まったく子供の世界は容赦がない。
薄々それと気が付いた若い母親は、ならば私の出番と子供の為に帰化を決意するも、長く日本で生活した割りには今もって日本語が怪しい。
本人が完璧だ!と自負するほど上手くはなく、園児保護者の間でも浮いた存在であった。
大なり小なり国際結婚には差別と困難がついて回るだろうが、夫婦手を取り合ってなんとか乗り越えてもらいたいものだし、ましてや子供にはめげずに育って欲しいと願わずにはいられない。

 そういえばウチの女房も、いま困っていることがある。
小学校に上がったばかりの隣家の娘だ。目のクリクリッとした人見知りのしない可愛い子なのだが、ヤケに口が達者なのに閉口している。
女房が買い物に出る夕方、その子がどういう訳かいつも家の前で遊んでいる。
女房の顔を見るなり、その人懐っこい顔を輝かせて、子供とは思えない声で叫ぶ。

「あっ!中国人のおばちゃんだぁ」

隣家の親が、日頃何かと私らを噂しているだろう事が窺われる。
子供は正直だ。
勿論、そんな程度でめげる女房ではないが、毎度「おばちゃん!」といわれる事にはかなり抵抗があるようだ。

女房と10年を暮らしてみて、私の心情にも変化が現れてきた。
もしや私の一方的な心得違いの所為で、女房の人生を台無しにさせたのではないのかと思うことがある。
ちょっと体調を崩した時なんか、特にそんな思いが脳裏を過ぎる。
「コイツは俺がいなくなった後、20年も30年も一人でも生きるんか」ってね。子供も居ないし、寂しいやっちゃ、と思うと可哀想になってきます。
勿論、独り身を通すとは限らないが、恐らくその頃は50歳前後だろうから、再婚しようと思っても難しそうだ。
本当は歳相応の相手と一緒になった方が幸せだったんじゃないかと・・・・・そんな負い目が我侭を増長させてしまったのかも知れません。



 私も最初からこんな寛大な考えを持っていた訳ではありません。
当初はこんな若い娘が嫁に来るなんてどうも話がうますぎる。騙されているじゃないかと、預金通帳を隠したり、大して有りもしない財産の全貌を明かさなかったりで、随分と警戒したものでした。
そういった信用していない気持ちは、黙っていても相手に伝わります。その時期の夫婦仲は、どうもギクシャクして上手くいきませんでした。
加えて独身の時と同じ自由な振る舞い、嫌いなことは絶対にやらない主義と態度。
何せ暮らし始めた初日の昼時、「さぁお昼にしようか」といったら、鳩が豆鉄砲食らっ た顔で(あれっ?私が作るの?)と思ったというから、もうこれは筋金入りです。
中国では普通嫁さんも働いているから、まぁ女房にしたらそれほど驚く話じゃなかったのでしょう。
ここからが文化摩擦との戦いの始まりでした。
夜を徹しての話し合いを幾度と重ねましたが、速射砲のように捲くし立てる中国人妻に、口ではとても勝てるもんじゃありません。あとはガラガラと音を立てるように譲歩、譲歩の連続で、今日に至っています。
そのうち「コイツは不得意が多いが、そんなに悪い奴じゃない」と分かって、警戒網を解いてから本当の意味で女房も落ち着いてきました。
当時のことをお互い笑いながら話す機会があると、女房もこっちを必死に査定していたらしく、別れるなら次が間に合うよう若い内にと考えていたそうです。

 中国人妻を娶って10年経った今思うことは、やはり国際結婚は甘くありませんでした。
でも、ひと度理解し合えてうまく回りだせば、面白い事も多いし実りも大きい。
相手を思いやる気持ちを常に持っていれば、夫婦の絆も自然に太くなってくるもんです。
国際結婚は一見華やかにも見えますが、その実、お互いの心情を理解し合えるまでに相当の時間が掛かります。立ちはだかる文化・言葉・環境のハードルは思ったより高いんです。
更に生活を継続していくとなると、幾多の難題も乗り越えねばなりません。
私も贅沢を言わず、歳相応の日本人と再婚していたら、もっと楽だったかも知れませんが、どうせなら第二の人生はまったく違う道を歩みたいと自ら選んだ訳ですから仕方ありません。

 結婚当初は、そりゃ目が点になるほどのカルチャーショックでした。
黙ってりゃいつまでも寝ているので、朝食なんて作ってくれる気配もなきゃ、一緒に食べたこともない。
夜は夜で勘を頼りに作った、とても人間が食べる代物でないのが出てくる。
今まで料理や掃除は殆ど親まかせで、やった事などついぞないと言われては、もう二の句が継げませんでした。
こんな調子だから、私が仕事をしていれば当然言いたくないことも言うようになってくる。
私ら団塊の世代は亭主が外で苦労しているんだから、その女房なら陰に日向に協力するのが当たり前という感覚が強いですからね。
この感覚は中国人妻には通じません。「なんで私まで〜・・・・」という顔をしている。

 正直、結婚3ヶ月でこれは離婚已む無しと思いましたね。
だが、「ざま〜みろ!あんな若いかあちゃんもらったって上手くいく筈ないんだ」という周囲の声が聞こえてきそう。それに又離婚となるとかなりのエネルギーがいるし、前妻との破局だって私が家庭を顧みないモーレツ仕事人間だったのが原因だから、二度の過ちを犯すのはどうしても避けたかった。
よくよく話し合ってみると、女房も「このままでイイとは思っていない」との弁。
私の方も、すっかりプロポーズ時の初心を忘れていたと深く反省。
相手の欠点をあげつらったり、差したりしても、ますます険悪になるだけで、何の解決にもならないことが身に沁みました。
女房が朝いつまでも寝ていることで幸せを感じているならそれもよし、まともな料理が作れないなら外に旨い物を食べに行けばいい。掃除が苦手なら、私が掃除機の柄を握ればいいんだ!
ヨシッ!すべて受け入れてやると腹を括ったら、気持ちも吹っ切れました。

 ここが一つの山場でしたね。ここを乗り越えたら急速に女房も変わってきました。
料理もパソコンを見ながら、かなりのものを作るようになったし、朝も前ほど遅くなく 自発的に起きてきます。
まぁ、長い目でその努力はかってあげたい。
確かに家事は不得意だけれど、他の得意な面で私も大いに助けてもらっています。
女にしては機械モノに強く、取り分けパソコンはかなり詳しい。それこそ一から教えてもらい、こうしてHPを作れるようになって私の世界も広がった。
何とか英語が操れる女房のお蔭で、私の昔からの夢でもあった外国旅行も、味気ないツアー旅行でなく個人で周ってくることも出来たし、今では息もピッタリ合った迷コンビになりました。

 正直、この幸せ掴むも逃すも、本当に紙一重でした。
私が通り一遍の世間常識に囚われ過ぎたり、自分を省みず相手ばかり責めることしか出来なければ、スルリと指の間から零れてしまっただろうからです
喧嘩の原因は自分にもあるかも?と謙虚にならなければ、本当の原因なんて中々見えてこないものです。
人間と人間の絆や信頼は、真にお互いを思いやる事ができなければ分からない、もっと深いところにあるような気がするんです。

2章 上海嫁が来るぞ!へつづく

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