上海一族・日本の休日

23章 未練タップリ、旅立ちぬ!

                                                        2008年8月
 病院の受付で、保険はなく、外国人で自費診療であることを告げた。
白衣を着た受け付け事務員は、自費診療など滅多にないらしく、ちょっと慌てた風であった。

「ちょっとお待ちください」

と言って、奥の上司になにやら相談していたが、まもなく戻ってくると「分かりました」といって、診察までに書き込んでおくよう、1枚の問診票を渡された。

「ねぇねぇ、これはどういう風に書けばいいの?」
「どうせ1回だけで次は来ないんだから、そんなの適当に書いておけばいいんだよ」
「じゃぁ、家系の死因なんかいいわ、でもこれはちゃんと書かないと」
「お母さん、お腹痛いのは下痢してるからなの?それとも便秘なの?」
「どっちも・・・・・・」
「どっちもって、両方いっぺんに来る訳ないでしょ」
「ワタシにも分からないんだよ〜〜」

やがて名前が呼ばれて、内科の診察室に母娘で入って行った。
お舅さんは好奇心にまた火が点いたのか、病院のあちこちを徘徊している。

 医者の診断は軽い胃腸炎ということだった。
重病でなくてホッとしたが、お姑さんは納得がいかない。
腸炎なら何度か患ったことがあるが、その時の痛みとは明らかに違う。
でも日本のお医者さんがそういうなら、薬を飲んでもう少し様子を見ることにした。少なくも自国の医者より、信用出来そうな気がしたからだ。

薬をもらって会計してみると、思いの外、安くて6000円でお釣りがきた。
家に帰ると、お舅さんはさっき「病院代は出す」といった手前、その6000円を女房に持たせてよこした。
ここでもらっては、その先が想像できる。
上海に帰って、日本の病院は高かったが俺が払ったと吹聴して歩くに違いない。ひいてはそれを聞いた人が、婿に招待された日本で、何もかもお舅さんが出したように勘違いされても困る。
前回の「お腹一杯食べさせてもらえなかった」の二の舞はごめんだ。

「それ、お舅さんに返してよ。大して掛からなかったんだから、よかったじゃない」

それじゃぁ領収書があるから、中国で医療費の申請をして、もし1年後に下りたら返すということで落着した。
 
 お姑さんはそれから2、3日真面目に薬を飲み、お粥を啜って頑張った。
夕食の食卓は一人欠けたことで何となく寂しくなり、3人とも話もせず黙々と食べることが多くなった。
何事もちょっとタイミングがズレるが、それが面白いところでもあるお姑さんに、一日も早く戻ってもらうことを願ったが、事態は好転せず、段々、息も絶え絶えに寝ていることが多くなってしまった。
その姿を見ると、亡くなったおふくろを思い出した。
まさか「私の部屋を勝手に使うな〜!」と悪さをした訳ではないだろうが、急に具合が悪くなるなんて、よほど今年は長期の旅行など行っちゃいけない年回りだったのだろうか、ふとそんな気がした。

つづく

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「これは旅行キャンセルした方がいいぞ、例え治ったって、旅行先でガバガバ食べたら、また戻っちゃうよ」

二度目の予約をした蔵王温泉旅行まで、あと1週間と迫っている。
女房も真面目な顔になり、「そうねぇ」と一言いって、階下へ相談しに行った。

「お母さん、この調子じゃ、旅行は無理だから、キャンセルするけどいいね」
「まだ1週間以上あるんだろ〜、大丈夫、治るよ」
「治ったとしても、旅行に行って色々食べたら、また具合悪くなっちゃうよ」

温泉を最大の楽しみにやって来たお姑さんは、日本訪問はこれが最後だと思えばこそ、何としても行きたかったが、娘のいうように無理かも知れないという思いもあって、心の中で複雑に交錯した。

「じゃ、そうするからね、いいね」

女房が立ち上がって部屋を出ようとした時、お姑さんが最後の執念を見せた。
這いずるように右手を伸ばして、娘を呼び止め、

「ちょ、ちょっと待って!いまプゥ〜と一発出たから、スッキリしたよ。大丈夫かも知れない」

温泉、温泉、日本の温泉は最高だ・・・・お姑さん、涙の露天風呂

牛しゃぶは夢と儚く消え去れり・・・・お舅さん、一生の不覚じゃ!

「納得したぁ?その方がいいよ。ギリギリなってやっぱり行かれませんじゃ、丸損だしな」

私は早速旅行社へ、キャンセルの電話を入れた。

「それは残念です〜、今からですと20%のキャンセル料が掛かりますが、よろしいでしょうか?」

よろしくはないが仕方がない。何にもしないうちに4人で12000円の出費となってしまった。
それはいいとして、問題はこれからのことだ。このまま薬を飲んでいて治る可能性は少ないような気がする。
最悪の場合、両親だけ先に帰国ということになるが、往復分を買った船では無理だろう。
こんなことになるなら、船で行きたいか飛行機にするかなどとお伺いを立てずに、飛行機の往復を買えばよかったと後悔にも似た思いが過ぎったが、よもやこんな事態になるなんて、想像もしなかったのだから仕方がない。
まぁ、最後の土壇場で、奇跡的な回復ということだって無きにしも非ずだから、もう2、3日様子を見ることにした。

 翌日になって、2、3日の結果を待たず、事態は急展開をみせた。
女房が朝になって様子を見に行ったところ、

「悪いけど、上海に今すぐでも、今日でも帰りたいよ〜」

お姑さんは横になったまま、悲痛な顔でそう言った。お舅さんは傍で腕組みをして考え込んでいる。
お舅さんが帰りたくないのは見え見えで、何とか予定通り8月末に帰れる手立てはないかと思いを巡らせていた。

「飛行機代も高いし、ワタシ一人で帰れるから、お父さんは残ってもいいよ」

こっちが何も言わずとも、もう飛行機で帰ると決めている。一人で帰るというのは、うちの不意の出費を考えてなのか、お舅さんの楽しみを奪いたくないからそう言ったのかは分からない。
いずれにしても、お姑さんの若い時ならいざ知らず、もう長い間人に頼って生きてきた人生を考えると、とても一人などでは帰せない、帰せっこないのだ。

つづく

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 上海へ帰るとなれば、俄かに女房が忙しくなった。
インターネットで探し捲くるが、自家用飛行機じゃないんだから、今日の今日は無理である。
早くても明日、それも出来るだけ早い便を探した。
何軒か旅行社を当たってみたら、チケットはあることはあったが、急ぎは高い。
午後の一番便で片道で1人75000円、私らでもこんな高いのには乗ったことがない。
夕方の便なら65000円というのがあったが、お姑さんに聞いてみたら、早い方がいいと言うので、やむなく75000円便で予約した。瞬時に1万元が吹っ飛んだ計算である。
1万元といえば上海家族が4ヶ月くらい暮らせる金額だ。
気安く早い方がいいなんて言ってくれるけど、分かってるのかいな?

 お舅さんはガックリして力なくキャリーケースに荷物を詰めていた。
新幹線に乗っての温泉行きも、東京の夜景見物も、阿波踊りパレードも、手の届くところまできていながら夢と儚く消え去った。刺身だってもっと食べたかったし、まだ食べたことのない日本食を味わっても見たかった。
未練は尽きない、今回はまったくツイていないと憤懣やる方なしである。
私にすれば、「だから言ったでしょう、今回は私の体調も悪いから見合わせてくれって」と言いたくもなる。
それを強引に推し進めたお舅さんにも、自業自得、責任の一端があるのだ。

 最後の晩の夕食は寂しいものだった。
心の準備の間もない、いきなりの帰国であるから、みんなまだ実感として受け止められないのだ。
今回もバタバタと引っ掻き回された挙句、風と共に去っていく印象は拭えなかった。
力なく項垂れているお舅さん。日本人なら普通、「元気になったら、また来てくださいね」とか社交辞令で言うところだが、お舅さんは真に受けるので言わない、絶対に言わない。

 ピンポ〜ンと玄関チャイムが鳴った。
実弟が仕事帰りに、急遽、帰ることになったお舅さんたちにお別れの挨拶に来てくれたのだ。
しかも夜のこととて、あちこち探し回ったというケーキまで買ってきてくれた。
今までだって何回も食材を差し入れしてもらったのに、私の面子を立て過ぎるほど立ててくれて感謝に堪えない。
仕事帰りなので、挨拶もそこそこに帰って行ったが、やはり持つべきは親身になってくれる身内である。

 翌日は午前10時に家を出ることになった。
お姑さんも今日中に上海へ着けると思うと安心したのか、お腹の膨満感も薄らいだようだ。
お舅さんも日本滞在の未練に諦めがついたようで、晴れ晴れとした顔をしていた。

「私もこういうことになって残念ですが、しょうがありませんね。くれぐれもお姑さん、お大事に」

と、お別れの挨拶をした。お舅さんは自分たちの不幸を嘆く言葉は出ても、私らに世話になったとか、散財かけて申し訳なかったとかの言葉はなかった。
面と向かって礼を言うなど面子がない、はたまた婿が接待するのは当然、殊更に礼など不要だと思っているんじゃないかと勘繰りたくもなった。どうも日本人としては礼儀知らずのようでしっくりとこない。

女房が成田まで付き添って行く。3人が玄関を出て、お互いが手を振り振り、最後の別れを惜しんだ?
私は「もう、日本に来るのもこれが最後だぜ〜」と小さな声でつぶやいた。

24章 見栄張るな、日本自慢!へつづく

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