上海一族・日本の休日

17章 夢にまで見た東京生活

                                                        2008年8月
 難波から発着する夜行バス便は非常に少ない。大概、集合場所に指定されたところには、路肩駐車でも2〜3台は止まっているもんだが、見事にポツンと1台きりだった。
やや小振りなバスである。いやいや贅沢は言うまい、時間に間に合って、これに乗りさえすれば明日には東京へ着く。キャリーケースなどを、バスの横腹にポッカリ空いた荷物置き場に預けて乗り込んだ。
席順は予め決められていて、入口のステップのところに貼り出されていた。
私らの席はちょうど中ほど、それにしてもやけに通路が狭い。おっとぉ!辿り着いた我が席はもっと狭かった。
私が肥っているから文句を言っているのではない、本当に身動きも侭ならないくらいに狭いのだ。
今時、中国だってこんなバスは珍しい。上海の観光バスなんか、もっと豪華で気が利いている。

「これで東京まで行くのはちょっと辛いぜ、あんたがあんまりケチるからだよ」
「違うよ、難波から出るバスはこれしかなかったんだよ」

事前に上海からインターネットで予約した女房を責めたが、倹約したのではなく本当になかったようだった。
お舅さんたちも後の席で呻いている。中国仕込みで大概のことには驚かないのに、さすがこれには参ったよう。
バスは9時の定刻に発車した。これから大阪梅田、京都と客を拾って行くらしい。
なんだ、さっき大変な思いをして電車を乗り継いで来たところじゃないか!忌々しい、今度は逆走か!

「お客様にご協力をお願い致します、このバスは観光バスではありません。バス内での飲食は固く固く、固く!お断りいたします」

夜行バス2人制の車掌の方がそうアナウンスした。固くってところを3回も言わなくたって分かるよ。
大阪〜東京間1人3000円と、極限まで経費を切り詰めた結果だろう。
客の方はそれでも有難いと思っている人だっているかも知れないが、飲まず食わず、身動きならず、これで10時間の長期拘束は拷問にも等しい。
調子が出てきた車掌は更に続けた。

「このバスは東京に着きましたら、すぐ大阪に行かれるお客様が乗って来られますので、くれぐれも汚さぬよう、ゴミ等の持ち帰りにご協力ください」

決められた休憩時間内に戻らなければ、置いて行ってしまうとも言った。
言い方は慇懃だが、言っていることはかなり厳しく、一方的に会社の都合を押し付けているようにも取れた。
価格競争が激しくなってくると、ギスギスして旅そのものも楽しくなくなってくるようなデフレスパイラル。

文と写真は関係ありません

 大阪梅田のバスターミナルに着くと、お舅さんが「トイレ、トイレ」と大慌てで下りて行った。
まだお腹の調子が悪いのか?2回ほどインターチェンジで休憩があるものの、途中でどうにもならなくなったらお手上げだ。
連られたようにお姑さんも足を縺れさせながら出て行った。
奥さん!寝ている場合じゃないぞ!こりゃ、大変なことになったぜ。

「大丈夫、大丈夫です」

戻ってきたお舅さんに声を掛けたが、心配させない気配りなのか、どうも本当のところは言ってくれなかったようだ。

 バスは東京に向かって、夜の高速道路をひた走る。寝るに寝られない窮屈さで、時折、お姑さんが唸る。
こっちは気が気じゃない、待ったなしの腹痛だったらどうしようと思うと、とても寝られるどころじゃなかった。



 心配でまんじりともせず朝を迎えた。走行中に、なんとか最悪の事態は避けられた。
午前7時、新宿の朝は清々しかったが、私らはヘロヘロである。
僅かに女房だけが、あの身動きならぬ状態でも器用に寝入っていた。まったく順応性が高いというか、図々しいというか、親が難儀をしているというのによく寝られたものだ。

 JRと地下鉄を乗り継ぎ、小1時間で我が家に着いた。
今回は2ヶ月ぶりだが閉めっ切りなので、この暑さに蒸れて饐えた臭いが家中に充満していた。
実弟が時々見回りに来てくれてはいるが、窓を開けて換気まではやってくれない。いや、開けたくとも開けられないというのが実際のところなのである。

 心配性の私は出発する直前に、窓という窓に厚いベニヤ板を内側からビス止めにしてくるからだ。
留守中に窓を破られて、不審者、浮浪者に家を占拠されないための配慮である。
1軒家は窓が多い、そのすべてを塞ぐだけでも重労働だから、ペース配分をよく考えないと、出発前に全エネルギーを使い果たしてしまうことになってしまう。
加えて水道局、ガス会社の連絡も忘れてはならない。長期留守のための休止届けの電話を入れておくだけで、留守をしている半年分の基本料金が免除されるからだ。
電気と電話だけは交渉したが駄目だった。
電気はまったく使わなければ、自動的に基本料金が半分になる制度があり、休止は受け付けてくれない。
電話は無理やり止めると、帰って来た時に電話番号を変える羽目になってしまうので、これも断念。
あとは新聞を止めてもらうこと、これを忘れると玄関中新聞の山になってしまう。
おう、それと大物を忘れていたNHKへの連絡だ。
いつからいつまで留守にすると連絡を入れれば、その間の受信料は引き落とされない。
家は衛星契約だから半年留守にすると13000円が浮く。
最初だけその証拠の提示を求められるが、私はパスポートの出入国コピーを送った。

 最大の難題は冷蔵庫である。
電気のブレーカーを落としていくから、冷蔵庫内のものはすべて処分していかなければならない。これが一番大変!
出発10日くらい前から着陸態勢に入り、もう買い物は極力しない。
冷蔵庫内の整理をかねて、残り物で食事の献立を組み立てる。
そういっても女房はそれほど器用じゃないから、人には言えないような貧しい内容のものが食卓に並ぶ。
予定より2日ほど早く冷蔵庫の整理が付いたりすると、あとは弁当で凌ぐ。
このような並々ならぬ努力をして、毎回上海に出かけて行くのだ。
いや、まだあった、外にある水道の元栓をしっかり閉める。
これをいい加減にしたお蔭で3年前、酷い目に遭った。

 圧力の掛かった水が出口を求めて、パッキンが弱くなっていた水栓目掛けての波状攻撃。
普通なら水栓の下には流しや洗面台があるもので、漏水したとしても噴出すほど出なければ被害はない筈。
ところが運に見放された時はこんなもの、トイレのロータンクに入る手前の配管から漏った。
ポタリポタリの漏水でも馬鹿にならない。誰もいないのだから10日間そのまんま。
2階の洗面所に溢れた水は階下を直撃、水の重みで天井板は弓なりに撓り、支えきれない部分は落下した。
定期見回りに行った弟はそれを見て茫然自失、一体何が起きたのか分からなかった。
急遽、連絡を受けて東京に戻った私、これまた開いた口が塞がらない。
泣きが入ったが泣いていても仕方がない。結局、元通りにするまで1ヶ月も掛かってしまい、大変な散財をしてしまった。
そのお蔭で、お舅さんたちはこれから1ヵ月半、改装したばかりの綺麗なところで暮らせるのだから、ツイてるといえばツイている。

 1年の半分を海外生活、きっと羨んでいる御仁もいらっしゃるだろうが、二重生活とは見た目よりかなり厳しく辛いものなのでありまする。



 とにかく家中真っ暗なので、雨戸のあるところは雨戸を開け、ベニヤ打ちのところはインパクトドライバーという業務用の電動ドライバーで、ダッダッダッと威勢よく外し始めた。
家中の換気扇をぶん回して空気の入れ換え、我が家は私が煙草を吸うので、あちこちにやたら付いている。
旅の疲れも見せず、お舅さんたちも率先して掃除を始めた。
リビングの床、和室の畳み拭き、浴室からトイレまで、今日から自分たちが使うところだから念入りにやった。
唯一、私がお舅さんを見直した部分である。これがあご足付きで、その上お客様然としていたら、1週間で帰しちまうところだ。

 それが終わったら民族の大移動、いや鍋釜皿の大移動が始まった。
普段私らは2階をメインに暮らしているので、台所用品は全部2階にある。それをみんな下ろし始めたのだ。
恐らく日本へ来る前に女房と話が出来ていたようで、今回は1階の台所でお舅さんが腕を振るう算段のようだ。
10年前の訪日経験は未だに活きていた。
前回は女房が全般を仕切ったので、お舅さんたちは好きな時に好きな物が腹一杯食べられなかったという不満が残った。
その思いは上海へ帰ってからも続き、お舅さんは誰彼なく吹聴して回る日本自慢話の中に、一緒くたに盛り込んで笑いを取ることを繰り返した。
まだ息子が離婚する前で、仲の悪い嫁さんと同居していた時だ。それを聞いていた嫁は、毎度の口喧嘩が始まった折、鬼の首でも取ったようにこう言い放った。

「そんなに日本が良いなら、ず〜と行っていればいいじゃないか!お腹一杯食べさせてもくれない娘のところが、そんなにいいのか!」

この1件で義父母と嫁の間の亀裂は修復不可能にまで広がり、まもなく嫁は出て行った。

私らからすれば、そんなひもじい思いをさせたつもりは毛頭なかったが、まぁ、今回は本人たちのやり易いように配慮した。

 昼近くになってガス屋が元栓を開けに来た。
電気はブレーカーを上げればOKだし、水も自分で元栓を開ければ使えたが、ガスだけは専門職にチェックしてもらわなければならない。
家に着くなり、すぐに連絡を入れておいたので、午前中に来てくれた。

さあ、基本的ライフラインは使えるようになった。
汗みどろで気持ちが悪いといっていたお姑さんにシャワーを勧めた。
一家の主を蔑ろにしている訳ではないが、大阪フェリー乗り場で預けたお舅さんの荷物がまだ届いていないので、着替えもないから仕方ない。

女房の奴が大事を取って、到着時間を夕方にしてしまったのだからなす術がない。大事を取るといっても、そりゃ取り過ぎだ。
みんなシャワーを浴びてサッパリしたのに、一人だけそのままというのも可哀想なので、私のTシャツと買い置きしてあった新品パンツを寄付した。2Lサイズのデカパンだが、間に合わせだから我慢してもらう。

 ちょうど昼になったが、米は無し、食材は無しの無々尽くし。
すぐに思い浮かぶのが女房お得意の弁当である。自転車でひとっ走り買いに出かけた女房。
我が家に到着最初の食事は、しゃけ弁当になった。
お舅さんたちは「おいしい、うまい」とベタ褒めだったが、やはり東京のお行儀がいい弁当一つでは足りなそう。
しかし、京都でのとんかつ定食といい、大阪のピラフといい、今回も食事ではろくな目に遭わないような予感がしてきた。

18章 勝手知りたる他国の日本!へつづく

2008年9月9日更新 次回まで中国ランキングのクリックよろしく。

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