99/11/21(日)〜12/31(金)

OHHO日記
インターネット編
1999/11/21〜 田熊孝浩
ようこそ。あなたはこのページを訪ねてくださった
人目の方です。

1999年11月21日(日)
 ホームページの制作を練習中です。うまく作れるかどうか。なんとかしたいと思っています。
 きっかけは、今日、奈良市の押熊にあるブックバーンという本屋さんで「Hello!ホームページ」を買ったこと。
 今までなんとなく、ホームページを作りたいという衝動にかられ、ジオシティーズさんなんかに掲示板を作っていたのですが、自分の気に入った雰囲気にはできなかったので、作りっぱなしでほっていました。
 しかし、この本にはホームページの作成ソフトもあるし、無料でアップロードもできるし、しかもそのアップロードの方法も書いてあるので、「これなら、僕にもできる」と思いました。
 まあ、なんにしても、ここが僕のインターネットへの第一歩。なんとか続けていきないなぁ。
 以上、「OHHO日記」(OHHOはオッホ、と読みます)の第一日目でした。

1999年11月22日(月)
 やっぱ、インターネットはすごい。きのう奈良の家で作ったホームページを、今大阪の会社でダウンロードしている。すごい、便利だ。
 しかし、OHHOの新しい号はまだまだできず。

1999年11月23日(火)
 このHelloというページ。なんだかすごい。ホームページをつくるのが簡単すぎる。僕でもできる。これも、雑誌があるからできるのだろう。それを見ながら下地を作っておけばいいもんね。インターネットの普及がどんどん進んでも印刷物はなくならないのだろう、かなぁ。と印刷屋に勤めている僕は不安ながら思った。

1999年11月23日(火)-2
 今、読売テレビの『おしゃれカンケイ』をビデオで見た。松田聖子さんがゲストの分だ。
 びっくりした。
 松本隆さんの詩で新曲を出したこと(『悲しみのボート』)。作曲家の大村雅朗さんがなくなっていたこと。
 知らんかった。

 この前、古本屋さんのブックオフに行った時、松田聖子さんの曲がかかっていた。「新曲か、また松田聖子の作詩なんやろな」と、「松田聖子の詩でよかったのは、『あなたに逢いたくて』しかなかったな」と、そんなことを少し思い、今かかっている曲もそんな感じ何やろ、松田聖子の作詩なんやろ、あぁ、松本隆の詩の時はよかったよな。
 そう思っていたところだった。

 これは買わなあかん。絶対買わなあかん。いやそれよりも前に聴かなあかん。きちんと聴かなあかんと思います。

 OHHO編集部で出した『松田聖子が好きだった』の、これはきっと続きなんだと思った。

1999年11月23日(火)-3
 関西テレビの『OUT〜妻たちの反乱』を見ている。
 冒頭で、松田聖子さんの『悲しみのボート』が流れた。
 主題歌になっていたのか。これまた、知らんかった。

 しかし、こういうふうに全然世間の曲のことなんか知らなくても、毎日規則正しく生きていける。歌がなかったらあかん、テレビドラマを見ないと死ぬんじゃないか、そう思っていた頃はなんだったのか。

 知らなければ知らないなりに毎日が過ごせるけれど、知ってしまえば、なんとかせねば、なんとかせねば、という気持ちが起こってくる。
 いつか、このページにリンクをはり、OHHO編集部の本『松田聖子が好きだった』を紹介できるようになりたいなぁ。

1999年11月27日(土)
 ようやく、OHHO編集部のバックナンバーをインターネットにアップロードできました。上の「書籍バックナンバー」からいっていただくことができます。
 あとは、いろんな検索をしていただけるところに、紹介してもらえるように登録をしないと。

1999年11月28日(日)
 いろんなインターネットの検索ページにOHHOのトップページを登録。  
 ヤフーが面倒な登録方法だったが、その他は簡単簡単。自分のURLとメールアドレスを入力するだけでいい。
 でもそういうところは、その検索エンジンがロボット型というもの(?)で、ものすごい数でヒットしてまうのだろうなぁ。

 こうして、インターネットというものにだんだん慣れてくるといろいろとわかってきて面白い。
 例えば、このページをたった今、helloさんからniftyさんに移したのだが、ちょっと前まで、僕はそんなことを言われたって何のこっちゃわからなかった。けど、試してみると、helloさんのURLから入る時と、niftyさんのURLから入る時は、見え方が違うのですね。
 それはどこが違うかというと、helloさんから入ると、上のバナー広告はずっと表示されてて、niftyさんから入るとそれは表示されない。helloさんに出している掲示板(OHHO用)の変更をするときはバナーがあった方が便利ということもあるが、ちょっと開くまでに時間がかかるような気がする。
 一回試して見てください。niftyさんのトップページは、バックの色をオレンジ色に変えています。
 
niftyさんのURL http://homepage1.nifty.com/ohho/
 
(最初に開くのをこっちにしてみると違いがわかりかも…)

1999年11月28日(日)-2
 ヤフーで石野真子さんのページを探していたら、真子ワンダフルアベニューというページがありました。
 なんか、静かに読んでしまいました。なんか、よかったなぁ、という気持ちになりました。
 僕はついていたのか、ちょうど、この11月22日に石野真子さんから書き込みがあったそうです。
 なんか、ほんま、よかったなぁ、と思いました。

1999年11月28日(日)-3
 朝日放送のテレビ番組『ジャングル』を見た。
 ストリートミュージシャンの特集をしていた。
 僕が住む奈良の高の原という駅にも“ストリートミュージシャン”がいる。
 最近は僕の帰りが遅くなってしまって、あんまり会わないのだが、金曜の夜に駅前の時計のある広場でやっていた。
 駅に「今日はライブがあります」というような手書きのポスターも出ていた。歌っている曲は聞いたことがない曲だったのでたぶんオリジナルみたい。名前は確か「ダニ」と書いていたような気がする。
 あ、こりゃゆずになれるぞ、というくらい、オリジナルの曲は感じのいい曲だったので、また、聴きたいな、と思う。
 もうちょっと遅い時間にも路上ライブを開いてくれへんかなぁ。

1999年12月4日(土)
 aikoさんはよいなぁ。
 新曲の『かぶとむし』もよいし、その前の『花火』もよかった。
 「な〜きむし〜だし〜」
という、フレーズのあった歌もよかったなぁ。なんか、しみじみとほのぼのくる。

 aikoさんを知ったのは、FM802が会社で流れているからだ。
 昨日は、
宇多田ヒカルさんの『ボヘミアン トレビアン』(?)を聞いた。
先週の『ボヘミアン トレビアン』(?)では、お母さんである藤圭子さんは、宇多田ヒカルさんの名前を「いちご」とつけようと思っていたという。
 なな、なんと「いちご」とは、もしかしたら漢字で書くと、「苺」ではないか、「マイ」ではないか、と一人興奮した午後4時過ぎ。

 まぁ、それはおいといて、宇多田ヒカルさんも天才だが、aikoさんも結構すごいのである。
 大阪市北区の印刷屋
タップハウスに年賀状の印刷を注文してもらいたいものである。

1999年12月5日(日)
 そうそう、この人もすごくいい。
 ラジオDJの谷口キヨコさん。
 ほんま、この人のラジオ番組を聞いたときは、やられたと思いました。
 その番組は、京都の
αステーションの土曜日2時くらいからしている歌謡曲の順位を発表するもの(『J-AC TOP40』。
 もう、言いたい放題なのだ。
 それも、曲がかかるアーチストに対してのイヤミやチクリとしたことを、キヨコさん(以下キヨピー)なりに、ズバズバ、ズケズケ言う。まるで、それは灰谷幸さんみたいなのである。しかも、それがキヨピーの人柄か、「もろイヤミ」に聞こえない。そのへんがうまい、というより、この人はどういう環境で育ったのだろうと考えさせられる。お父ちゃん、お母ちゃんに会いたいものだ。
 今でも土曜日のお昼はαステーションに出ているし(金曜日の夜にも出ている)、FM大阪では月曜と火曜のお昼にしている『JAC851』にも出ている。ずっと前には、漫才師のオセロと一緒にテレビにも出ていた。そうだ、朝日新聞の夕刊に2週間に1回くらいエッセイも書いている。ラジオ大阪のお昼の番組にもずっと前に出ていたっけ。
 声だけ聞くと関西弁の「松田聖子」なので、さぞやそのお顔は…、と想像してしまうのだが、テレビで動いている姿は「岡本真夜」と言われている。
 早く全国区にならないかなぁ。そうなれば、きっとキヨピーは世界を変えてくれると思う。

1999年12月8日(水)
 ようやく、この曲は誰が歌っているのかわかった。

 FM802でCMが流れているんだけど、誰の曲か、いつも聞き逃していた。
 しかし、曲のフレーズはずっと耳について離れない。
 今日は、FM802で全曲かかった。
 しかし、歌手名を聞き逃してしまった。
 歌っているのは、「17歳」ということだけは聞けた。しかし、歌手名は、「ちわきまゆみ」と聞こえた。
 ん?「ちわきまゆみ?」ずっと前にいた人か?そんなはずは…。
 と思っていたら、またFM802で、その曲のことが話題になった。
 「あの曲を歌っている人は誰ですか?」と問い合わせがあったのだ。
 オレと一緒や、とみんな思うことは一緒と納得。

 で、しっかり聴きました。
 「くらきまい」。
 そして、歌っている歌は、「らぶ・でい・あふたー・とぅもろー」。
 なんか、ひらがなばかりなのだが、声でしかわからなかったので、そう書く。

 ほんま、こういう時、インターネットって、便利やと思いました。
 さっそく、ヤフーで「CD 倉木」と打ったら見つけました。
 その名前が載っていたホームページは、
 
http://www.hakucho.club.ne.jp/newrelease/single.htm
 で、新譜のCDを販売しているページみたいでした。
 そこには、こういう解説が添えられていました。

 99/12/08/倉木麻衣/「Love, Day After Tomorrow」
 要注目!メジャー・デビュー・シングル!1999.10月アメリカBip!レコードより16歳で全米デビュー。待望の日本でニュー!
 \1260/GZCA-1014

 ありゃりゃ、こりゃ、宇多田ヒカルさんだ、という感じですが、絶対いいのだ。

1999年12月9日(木)
 作家の山川健一さんの本に『マッキントッシュ・ハイ』がある。
 その本を読んでいたら、次のようなところを見つけた。

 「いや、経済基盤だけの問題ではなく、CD-ROMに限らず多くのデジタル・ゲームが使用している音楽はループと呼ばれる、始まりはあるが終わりはない、何小節かが繰り返し演奏されるパターン・ミュージックであるが、これが耳に慣れてくると、まともな音楽の起承転結がうっとうしくなってきたりするから怖い。」(『マッキントッシュ・ハイ』山川健一著・幻冬舎文庫・533円+税)

 今まで、小室哲哉さんの曲は、何であんなにもてるのかと思っていたが、謎が解けた。繰り返しのゲーム音楽なんですね。

1999年12月9日(木)-2
 なんでや。倉木麻衣さんのホームページがなんでないのだ。
 FM大阪のオクロック・ミュージックに、
『Love, Day After Tomorrow』はなっていたのですね。

1999年12月10日(金)
 倉木麻衣さんに関するホームページを見つけた。
 倉木さんはもう「MAI・K」という名前でアメリカデビューを10月に果たしていたそうな。毎日放送のテレビ番組『CDTV』にも出ていたそうな。
 そんな情報は次のホームページに載っていました。

 う〜ん、倉木さんは自分で作曲はしていないのか。

http://home3.highway.ne.jp/kazu25/sv/mai_k.html
http://www.bipbipbip.com/bip_artists/maik.html
http://www.tcup1.com/158/sweety.html


以下は、上記、ホームページに載っていた記事です。

「デビューシングル
「Love,Day After Tomorrow」(GZCA-1014/GIZA studio)
(作詞:倉木麻衣/作曲:大野愛果)で GIZA studio より12月8日リリース!
カップリング曲は「Everything's All Right」(作詞:倉木麻衣/作曲:北浦正尚)


YOKO Black.Stone のカヴァー「Baby I Like」で10月全米先行デビューを果たした若干16歳の歌姫“MAI.K”こと倉木麻衣が GIZA studio より待望の日本デビューが決定!

この10月、「Baby I Like」を米 Bip!Recordsよりリリースし全米デビュー。Mark Kamins氏、ペリーガイヤー氏、ミゲルペソア氏といった大物著名アーティスト達のバックアップも奏功し発売1ヶ月前から予約5000枚を記録。今後は全英語詞によるアルバムのリリースも予定とのこと!

デビュー曲である 「Love,Day After Tomorrow」はもちろん本人による自作詞。 飾ることなく等身大の詞世界と伸びやかなヴォーカル、R&Bや POPS といったサウンドの枠を超えた自由で瑞々しい感性を有した若き超大型新人です!! 」

とのこと。
 明日、CD屋さんで買ってこうようっと。

1999年12月10日(金)-2
 午後11時、会社の帰りにたまらなくなり、倉木麻衣さんの『Love,Day After Tomorrow』を買う。地下鉄天神橋筋六丁目駅を上がったところにあるTSUTAYAで。12月8日発売。発売日からこんなすぐに新譜を買ったのは何年ぶりか。

1999年12月11日(土)
 また、たまらなくなり、MAI・Kさん(倉木麻衣さん)の『Baby I Like』を買う。難波の南街劇場の地下にある『DISK・PIER』で。右の奥の壁のところに、チラシとともに置いてあった。5枚ほどあっただろうか。「稀少」ということをどこかのホームページで書いてあったのだが…。アメリカでのデビュー盤だから、輸入盤だろうか。『DISK・PIER』では、1枚1200円と、日本のデビュー盤の『Love,Day After Tomorrow』と同じ値段だった。
 しかし、昨日買った『Love,Day After Tomorrow』もまだ聴かず。
 先に歌詩を読もうかどうしようか、ということで悩む。

1999年12月12日(日)
 倉木麻衣さんの『Love,Day After Tomorrow』をCDウォークマンで聴く。
 4曲入っている。
 1.『Love, Day After Tomorrow』
 2.『Ererything's All Right』
 3.『Ererything's All Right 〜Remix〜』
 4.『Love, Day After Tomorrow 〜Instrumental〜』

 『Love, Day After Tomorrow』がグッとくるのは、歌詩に日本語が交じっているからだろうか。
 一回聴いただけでは、なんと言っているのかぼんやりとしかわからないが、「Love, Day After Tomorrow〜」のサビがすごすぎる。
 グッと我慢して涙をこらえてしまうようなメロディだ。  

 3日ぐらい前に「倉木麻衣」とインターネットのヤフーなどの検索エンジンで調べたら、多いところで、12件がリストアップされた。
 けど、こうCDデビューまでしてて、「まだ、12件かいな」という印象。
 ほんま、誰か専門のホームページを作ってくれないか。

 アメリカデビュー盤の『Baby I Like』も聴く。
 英語で歌っているんだなぁ。どこかに書いてあったが、この曲はカバー曲らしい。
 まぁ、それにしても、この「アメリカ先行デビュー」というのは、出所や雰囲気が宇多田ヒカルさんにあまりにも似ているものだから、「ハク」をつけ、「話題」にしてもらうためのものだろう。日本で有名になるための、「アメリカデビュー」という感じがする。

 『Baby I Like』には歌詩カードが入っていない。輸入盤とはこういうものだろうか。

 宇多田ヒカルさんが曲を出さないときは倉木麻衣さんがいるぞ、という段階でしか、今はないんだろうなぁ。

 なんと『Baby I Like』の3曲目の『's All Right』にはラップのフレーズが入っている。しかもそれが日本語。これは本気で「アメリカで成功するため」の「アメリカデビュー」とちゃうな。

1999年12月15日(水)
 昨日の夜に、倉木麻衣さんのことが書いてある掲示板に書き込む。
 「誰か倉木さんのホームページを作ってくれないかな」
 倉木麻衣ヒットカウンターというページを作ってほしいな。
 ここにいけば、何でもわかるというページを。

1999年12月16日(木)
 いきなり、このページのカウンターの人数が一日で5人も増えた。
 これも倉木麻衣さんのことが書いてある掲示板に書きこまさせてもらえたからだろうか。
 朝のFM802でもかかっていたので、今日はいい一日だった。

1999年12月18日(土)
 大阪の電気屋街・日本橋へ行った。
 ホームページのHTMLデザイン辞典を買うつもりだったが、結局、英字フォントの本と、HTMLの裏ワザの本を買う。
 帰り、その日本橋界隈を、地下鉄恵比寿町駅から日本橋駅方向へ地上を歩いていると、倉木麻衣さんの大きめのポスターに目が止まった。
 場所は、ソフトのヤマギワ。2階の道路に面したウィンドウのところ。
 『Love, Day After Tomorrow』の告知用の大きなポスターというか、パネルというか。

 そういえば、『Love, Day After Tomorrow』にCDに入っていたアンケート用紙の宛先は大阪の心斎橋だった。

 〒542-0086
 大阪市中央区西心斎橋2-1-3 御堂筋ダイヤモンドビル10F
 GIZA studio / GIZA,INC.
 アンケート受付係行

となっていた。GIZAさんの拠点は大阪なの?だから、ヤマギワさんに営業に行って、ポスターを貼ってもらっているのだろうか?
 そんなことを考えていると、倉木麻衣さんの出身はどこだろうと思った。

1999年12月21日(火)
 昨日も今日もFM802で、倉木麻衣さんの『Love, Day After Tomorrow』がかかる。なんだか、FM大阪のオクロックミュージックになったために、12月のヘビーローテーションにできなかったのかな、と勘ぐりたくなるくらい、ヘビーローテーション並にかかっているように思う。
 しかし、曲がかかる時の説明に「17歳」だの「アメリカデビュー」だの、そんなどうでもいい言葉で飾られている。僕が頭から離れなかったのは、メロディと声と歌い方と、そんなことがよかったからだ。倉木さんの顔や姿や性格を越えて、この『Love, Day After Tomorrow』はいい曲やな、と思う。

1999年12月22日(水)
 今日もまたFM802で、倉木麻衣さんの『Love, Day After Tomorrow』がかかる。

1999年12月23日(木)
 休日出勤で会社にいった帰り、近鉄鶴橋駅前にある高坂書店で『文芸春秋』を買う。
 なんか読みたいものがあったのに何だったのだろうと思っていたら、高坂書店で思い出した。それが『文芸春秋』だった。
 この『文芸春秋』の新春特別号には宇多田ヒカルさんの対談が載っている。題名は『もうひとりの私』、対談の相手はダニエル・キイスさん。
 以前、宇多田さんはラジオ番組で面白い対談をした、という話をしていた。それがこの対談のことだったのだ、と新聞広告を見た時に思っていた。
 読んでみたら、面白い面白い。ダニエル・キイスさんの『24人のビリー・ミリガン』を読みたいと思った。
 宇多田さんが「今死んだら『伝説』になる」というようなことを考えていることを初めて知った。
 また、デビュー曲から3曲はつながっているということも、ちゃんと書いていた。
 ほんま、僕に英語力があったら、生でこの対談を聞きたかったなぁ。

1999年12月25日(金)
 『24人のビリー・ミリガン・上』(早川書房発行、ダニエル・キイス文庫4、800円+税)を買う。
 まったくもって、
宇多田ヒカルさんの載った『文芸春秋』の影響。同じ文庫シリーズの『アルジャーノンに花束を』には、あの『文芸春秋』の対談が帯になっていた。早川書房さんの素早い対応に、読んだことのある『アルジャーノンに花束を』を買いそうになってしまった。

1999年12月27日(月)
 池ヤンから「DM届いた」メールが来る。
 池ヤンとは本名を出してしまうが、池田裕彦さんのことで、有限会社オッホを一緒に設立した人である。
 「OHHOホームページ開設、おめでとう!」
のメッセージに泣いた泣いた。

 池ヤンは、OHHOのオバンである。と言っても、ぬかるみの世界を知らない人はなんと発音するのでしょうか。
 とにかく池ヤンのイラストは、株式会社タップハウスでは、「僕(田熊)のイラストをやめて、早く池ヤンのイラストに戻せ」とうるさく言う人がいるほど、イラストがうまいのである。今は本物のデザイナーになっていて、年賀状もちょっとイカしていたりするのである。
 まぁ、そんなことはさておいて、今日はいい日だなぁ、と池ヤンからメールをもらったことで思ったのであった。

1999年12月31日(金)
 1999年最後の今日は驚く手紙が来た。

 と言っても、印刷をしたものなのだが、その差出人は「U3 music * Fes inc.」。
 ということは、と言っても誰かわからずに封を切ったのだが、その中に入っていた1枚のメッセージカードには「宇多田ヒカル」の文字が。
 なななんと、宇多田ヒカルさんの事務所からだったののだ。

 それもこれも、こういうホームページを作っているから、なんてことはなく、前に、
宇多田ヒカルさんのホームページからメールを送っていた返事、というか、「メールは届いているぜ」のメッセージカードだった。

 「*メッセージしかと頂戴しました*
   ありがとう!!
   MeRRY X'mas
   & A Happy
   New YeaR!!
   (+2000年問題安全祈願)
   おいしい一年に
   しましょう。
   ガブッと。
   ○○Love○○
         チュ
    HIKaRU
    宇多田ヒカル」

 筆で書いているからか、もうヘタクソで、気持ち悪いと感じるようなイラストもあり、「なんじゃこりゃ」というものだ。
 だけど、これを、たった1通メールを出しただけの僕にも送ってくるということは、何百万という人にも送っているのだろう。ほんま、金が余っているんだなぁ、とも思う。だけど、僕がDMを200人の人に出した時のことを考えると、そんなことだけじゃないと思う。
 この宇多田ヒカルさんから手紙をもらって、「うれしい」と思う人はほんの少ししかいないだろう。労力と経費の割に合わない行為だと思う。
 だけど、宇多田ヒカルさんは、そんなアホなことをした。僕は単純に「メッセージを受け取ったよ」、そのことだけを宇多田さんは言いたかったんだな、伝えたかったんだな、と思っている。

 そういや、去年の最後辺りに、僕のしていることで「誠意がない」と怒られたことがある。その時は誠意というものが何かわかっているような気持ちで、「そんなことはない」と言い返したが、1999年は、本当の誠意はどういうものだろうと、探り探りした1年だった。

 1999年の最後の日に、ああ、これが宇多田ヒカルさんの「誠意」なんだな、と感じた。何だか、それで、とてもこの1年はいい1年だったな、と思う。

 みなさん、来年もどうぞよろしくお願いいたします。