OHHO日記

1999/11/21〜2001/10/13レイアウト更新〜 田熊孝浩

ポン!歌謡曲の雑誌「OHHO」オッホ・ネット版日記 【リンク・フリー】

2003年12月2日(火)
どこまで戻りゃあいいんだぁ。


 いったい全体、どこまで戻りゃあいいのよ、『チェッカーお試し掲示板』。
 お昼や晩は、『倉木麻衣さんへの掲示板』を止めたり隠したりしてるうちに、今日もまたどんどん進んでいるやないの。

 ふー。やれやれ。

   ●

 で、『チェッカーお試し掲示板』のH.Sasamotoさん、どうもです(21659番)。

 〈言いたかったこととしては、BBSで「よそで削除対象になるああいうことやこういうことは管理人では削除しません」っていう一文があったほうがいいのではないかと思ったのです。その一言があることでこのサイトを訪れる人もちょっと覚悟してからBBSを開くんじゃないかと。

 えーと、そういう一文をつけ足すことは全然考えていなかったりします。
 そういうことを書くと逆に縛られて不自由になってしまいそうなことと、『倉木麻衣さんへの掲示板』は今でも倉木麻衣さんや倉木さんのスタッフさんに向けての掲示板だということが理由でしょうか。
 同じことを書いていても、その時の状況で「そろそろ、いきすぎ」と思った時には隠したりしますし。
 それから、倉木さんたちには、ファンの仲がいいところも、ケンカをしているところも、謝っているところも、全部見てほしいなと、今も思っています。
 いろんな姿を見てもらって、今の状況はどうなのか、ファンのみんなはほんとはどう思っているのかをできるだけ多く知ってもらった上で、今後のいろんな判断をしていってほしい、という感じでしょうか。

 ですので、『倉木麻衣さんへの掲示板』を初めて読まれてびっくりする人もいらっしゃると思いますが、それはそれで仕方がないと思っています。
 そのことで、ぼくのことを憎んで恨んで、いろんなところで悪口を書く人もいるみたいですけど、それもまた仕方がないと思っています。

   ●

 同じく、ピエールさん、どうもです(21662番)。
 紅葉は山の上の方にかたまって見ることができました。
 でも、ほんとなら、去年の今ごろは山全体が色づいてたと思うんですけどねぇ。
 

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2003年12月3日(水)-1
書かない新聞。


 知らなかったこと。

 〈イラクでは、断食月のラマダンが始まったばかりの十月二十七日から、NHKの朝の連続テレビ小説「おしん」が放送されている。平成四年に放映したエジプト国営放送に強力を依頼し、テープをダビング。ヨルダン経由で輸送したものだ。
 この放送の仕掛け人が在英国大使館の奥克彦参事官(四五)だった。


 〈外務省のホームページ(HP)に奥さんが連載していた「イラク便り」によると、二人は学校を視察して日本ができる効果的な支援の内容を検討したり、小麦など「基礎食料品」の値段が高騰しないよう配給システムを維持するなど多忙な日々を送っていた。

 〈奥さんと井ノ上さんはORHA(田熊注・米国防省の組織で、イラク復興支援の行政・民主部門を担う復興人道支援機構)の本部のあったチグリス川流域にあるサダム・フセイン宮殿内に米軍関係者らと住んでいた。奥さんによると、建物だけでも「赤坂の迎賓館の三倍」近いが、水も電気もなく、腐臭が強く砂埃(ぼこり)がひどかった。

 〈二人の警備が万全でなかったことが論議を呼んでいる。奥さんの同期入省の山田彰・経済協力局無償資金協力課長(四五)は「奥さんは『防弾チョッキを着ることは、イラク人にすれば自分たちを信用していないと見えるだろうから着ない』と話していた」という。〉。
   (以上すべて『産経新聞』2003年12月2日(火)朝刊14版1面
    『殉職 日本人外交官 奥参事官
     イラクのテロと戦い「何をためらう」
     自衛隊「やることがあるじゃないか」より)

 外務省の人たちって、庭付きの大きな家に住んで、いいものだけを食べて、ワーワーと夜毎パーティーをしているものだばかり思っていました。
 衆議院議員だった鈴木宗男さんと共につかまった佐藤優さんといい、今回の奥克彦さんと井ノ上正盛さんといい、事件になったり亡くなったりしないと現場の人たちの功績はわからない。そう、再び思いました。
 でも、亡くなった今でも、生前イラクでどういう活動をしていたのかを、ほんの数行しか伝えようとしない新聞もあるですね。

 〈今日は、夕方、在イラク日本大使館の臨時代理大使を務める上村公使と私とで、バグダッド国際空港でのデ・メロ国連事務総長特別代表のお別れ式に列席しました。

 国連旗に覆われたデ・メロ特別代表の棺がブラジル空軍機に運び込まれ、午後6時前、バグダッド空港を飛び立っていきました。国連の幹部とはいえ、最後に帰還するのは母国です。デ・メロ特別代表の故国、ブラジルの空軍機が凛々しく遺体を迎え入れて、「これから故国へ帰ろうよ」と語っているようでした。ブラジルという国家のけじめを見せてくれたように思えました。

   (『イラク便り〜デ・メロ国連事務総長特別代表の帰還〜』
    2003年8月22日 在英国大使館 奥参事官より)

 『イラク便り〜デ・メロ国連事務総長特別代表の帰還〜』
 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/20030822.html

 奥さんと井ノ上さんのご遺体は、イラクのバグダット国際空港から米軍機でクウェートに向かったのですね。
 お二人だけではなく、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

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2003年12月3日(水)-2
男はブラウン・2。


 
切って切って切りまくってやる

 違う違う。

 切られて切られて切られまくってる。

 何の因果か、月曜日。
 朝、顔を洗ってヒゲをそろうとしたら、マイ・ブラウン(電気ひげ剃り)が「ブーン」。
 異音を発している。
 ハテ?どうしたものかを見てみると、肌に当てる網目の歯のところがボッコリ。

 
へこんでるよ〜

 朝の忙しい時に、「それはないよ」と誰にともなく言いながら、急きょカミソリ刃に切り替える。
 その二枚刃、切れる切れる。
 おかげで、その日は、顔中血だらけで会社へ行ったのでした。

 

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2003年12月3日(水)-3
就職合宿。


 大学生の就職率が低い。
 というのは、もうずっと前からのことなんだけど(1990年くらいに80%を超えたあと、ずっと下降傾向。今春は55%どまり=文部科学省調べ)。
 でも、そんな中でも、苦戦していると言われる女子学生の就職率がずば抜けて高いところがある。

 
その就職内定率はなんと93.9%

 ひえ〜、って感じだけど、その驚異的な数字を出している大学が、なんとあの立命館大学さんだという。

 〈立命館大学はこれまでも就職指導には定評があるが、最近特に際立っているのが女子学生の就職内定率の高さ。昨年の内定率は93.7%と、ここ数年では最高を記録した。
   (『日本経済新聞』2003年12月1日(月)夕刊13面
    『かんさい21 大学が動く
     立命大、就職戦線を快走 女子合宿 徹夜の指導
     OGら親身に 男子禁制貫く』より)

 と、ほんとすごいらしい。
 で、その就職内定率が高い秘密は、「就職合宿」を開いているからだという。

 〈「就職には自分が人生をどんな方向で、どんな風に生きるかを考えることが大切。自己分析を通じて自分を棚卸し(市場評価)してください」――。女性カウンセラーの声が部屋中に響く。
 十一月二十二日。立命館大の「びわこ・くさつキャンパス」(滋賀県草津市)のセミナーハウスで今年三回目の就職合宿が始まった。
 就職合宿は他大学では就職部にあたるキャリアセンターが主催し、就職活動を間近に迎えた三年生を対象に開く一泊二日の研修プログラムだ。
 最大の特徴は、寝食を共にしながら研修を受ける点、それも参加者を女子学生だけに限定している点だ。講師はもちろん、運営も女性スタッフが担当、男性職員は一切関与しないこだわりよう。「男子禁制」を徹底して貫いている。


 とのこと。
 具体的にどんなことをしているかというと。

 〈今年は会場の都合で回数が六回に減ったが、例年は十回程度、秋から冬にかけて実施してきた。一回の定員は約六十人。「計算上は、立命館の女子学生の約一割が参加している」(浜田さん)=田熊注・キャリアセンターの職員で合宿を担当している浜田玲子さんのこと〉

 〈プログラムは朝から晩まで分刻み。夜には宿題が出され、「ジュニアアドバイザー(JA)」と呼ばれる前年に合宿に参加し内定をもらった四年生OGによる指導の下、翌朝九時までに仕上げなければならない。
 「グループごとに徹夜で作業に取り組むのが合宿の見せ場」。JAとして今年の合宿に参加した文学部四年の山尾朋子さん(22)はこう話す。
 十一月の合宿に初参加した産業社会学部三年の日尾沙織さん(21)のグループも「完全徹夜」にはならなかったが、午前三時まで起きていたという。「しんどい面があったのは事実。でも同じ立場の仲間と出会えたし、漠然とした不安感がかなり払しょくできた。後輩にもぜひ参加を勧めたい」(日尾さん)


 う〜ん、やはり夜を一緒に過ごすと、親近感が増すのか。
 終電がなくなったから、仕方なしに鴨川で過ごしたとしても、それは同じなんだろうなぁ。

 と、昔のことは横においといて。
 こういう立命館大学さんの方法を他の大学はどう思っているかというと。

 〈関西学院大学就職部長の久保田祥二氏は「いい試みだと思うが、スタッフが三十人近くいる立命館さんならではのところもある。うちの場合は職員が九人しかいないので、正直とてもそこまでは手が回らない」とため息をつく。

 スタッフ数が、関学さんの3倍も違うとは。
 就職率が高くなると、大学への入学希望者がさらに増える。
 そういうボディーブローのような効果もあることを立命館大学さんはわかってるんだな。
 ほんと、倉木麻衣さんはいい大学に入ったものだ。

   ●

 はて?
 そういや、倉木さんは就職、どうするのであろうか?
 GIZAさんの社員になるのかな? それとも個人事業主? はたまた…?

 倉木さん、就職活動をするなら、就職合宿に参加?
 「就職活動のため」というよりも、友だちとより親しくなれそうで、そんな機会を作ってくれているところがいいですね。

 

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2003年12月4日(木)
thankful。


 
わー

 今日は10分ほど早く会社に来たら、倉木麻衣さんの『Love, Day After Tomorrow』がちょうどかかったところだった(FM802さんで)。

 ありがとー、ヒロTさーん、FM802さーん。

 来てそうそう、紙屋さんの納品を手伝ったのがよかったのか。
 今日もいい日になりそうだ。

 と思ったら最後が尻切れトンボで終わってしまったけど、『thankful』をFM802さんにリクエストしたことは言うまでもない。

   ●

 『チェッカーお試し掲示板』のKさん、はじめまして(21786番)。
 これからどうぞよろしくお願いします。
 (あれ?「K」さんって、『倉木麻衣さんへの掲示板』に数年前から書き込んでくださっているKさんではないですよね?)

 

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2003年12月5日(金)
ほとぼり。


 自分の意見があったとしても、
 そのことを口にすることで
 誰かが悪者になってしまう。
 そう思ったら、なかなか口に出せない。

 結果的に、自分の意見にはフタをしてみる。
 時間にまかせてみる。

 落ち着いたら忘れたかのように続けてみる。
 続けることで何かが変わってくるかもしんない。

 

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2003年12月5日(金)-2
ヒロTさんは確かに「マイッちゃん!」。


 『チェッカーお試し掲示板』のKさん、どうもです(21898番)。
 〈昔、ヒロTさんが、麻衣ちゃんのことでえらい騒いでいつも『麻衣ちゃん』と言ってましたが、最近まったくいいません。確かラジオ初出演後ぐらいからだと思いますが?なんでかな?
 今日の曲紹介時には、きっと普通に言ってたんだろうな〜。

のことですが、昨日のヒロTさんは、駆け足で跳び箱を飛ぶように「クラキ
マイッちゃん」(←「マイッ」のところ強調)と呼んでくれてました。

 ずっと前のように「
マイッ!ッッッッッちゃん」とまでは呼びませんでしたが、いやいや今も、ヒロTさんは倉木さんに対して「愛」をもって接してくれているのだな、と感じました。
 ただ、最近は、ヒロTさんが何回もかけたくなる倉木さんの曲がないから、「
マイッ!ッッッッッちゃん」とぼくらが聞く機会がないのかなと思っていたりします。

 

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2003年12月8日(月)
ねぇ、くるみ。


 (ハッ)

 いつの間にか気がつけば月曜日。
 昨日はこたつで眠ってしまったため、午前3時頃にパタッと起きて入浴。予感通り二度寝をしてしまい、朝は遅刻寸前。
 おかげで、FM802のヒロTさんの番組にリクエストできなかった。

   ●

 いろんな人にメールや掲示板でお願いされていたみたいだけど、ちょっと時期を逃してしまったので、何もせずにそっとこのままでいかせてくださーい。

   ●

 で、昨日は奈良の大仏マラソン(見学)。
 一昨日は、けいはんなプラザで音楽鑑賞(見学)。
 我ながら有意義な休日ではないか。

   ●

 まず一昨日のけいはんなプラザでの音楽鑑賞のこと。
 チケットが当たった。
 行った理由はそれだけだったのだけど、行われた場所のけいはんなプラザ(関西文化学術研究都市にある)のホールは、とってもきれい。
 家から車ですぐ行けるところに、こんなきれいなホールがあったのか。
 けいはんなプラザさんには今まで数回行ったことはあったけど、いつも輸入品バザーとか、刑務所の作品展だったものなぁ。

 で、そこで行われた音楽鑑賞は、「ピアノデュオコンサート」。
 副題として「〜クラシックがかたいと思っているあなたに聴いてもらいたい〜」。
 そのまんまぼくに言われているタイトル。

 内容もその通り。
 舞台にはピアノが2台置かれていて、曲の始まる前に、演奏する曲の説明をしてくれる。
 『剣の舞』はこの曲だけが有名だけど、ほんとは連続した曲の一つであるとか、『夕焼け小焼け』のピアノアレンジには最初不協和音があるけど、それはアレンジした人のイメージは戦争中に疎開する時に見た夕焼けだったとか。

 へー。
 ふーん。

 と、これまた感心しきり。

 しかしそこはそれ。
 クラシックと言われても知らない曲は全く知らないので、約半分は爆睡。
 でも、最後の『威風堂々』では目がパチリ。
 曲が始まった途端。

 
これだー

 それは、小学生時代にテレビで車のCMを観て以来、ずっと気になっていた曲だった。
 「あんな勇壮で壮大な曲はない」
 と、ずっと探していたのだけど、どこかでかかったと思うと曲名がわからず、今の今まで作曲した人はチャイコフスキーさんだと思っていた。
 『威風堂々』。
 エルガーさんの行進曲だったのですね。

 そうそう、この「ピアノデュオコンサート」は、同女(同志社女子大学)さん関係の人たちが開催していたものだったみたい。

   ●

 で、昨日は、「大仏マラソン」。

 「大仏」とつけば、奈良。
 奈良の大仏がある東大寺近くの奈良公園を起点に、東大寺の周囲をぐるっと回ってくるミニマラソン大会だった。

 開始前に奈良公園に行くとすごい人。
 しかも、「大仏マラソン」は最後に「全国大会」とついているではないか。
 奈良テレビのカメラはあるわ、全国各地から集まった人はテントをあちこち立ててるわ、大仏さんのお面をかぶった集団はいるわ、「♪た〜なかの〜、かき〜のは〜ず〜し〜」の音楽はずっとなっているわ。
 非常に楽しいマラソン大会なのでした。
 (参加者数5000人ほどだったとか)

 それにしても寒い寒い。
 ボーと見て応援しているだけだから、冷える冷える。
 身を縮めているだけでくたくたになった、冬を感じた一日でした。

   ●

 そんなことで、今日は12月8日。
 倉木麻衣さんのデビュー4周年記念日やったんやね。
 おめでとー、倉木さん。

 そういや、4年前のこの日は、初めて『Love, Day After Tomorrow』を歌っている人が「くらきまい」さんだとわかった日なのだった。
 FM802さんでは、その前から、すっごくかかっていたのよね。
 GIZAさんはラジオCMもいっぱい打ってたなぁ。
 でも、ヘビーローテーションにはならなかったのだよなぁ。

 なんてことを思い出す4年後の今日。
 まさかここまで、倉木さんの歌が、ぼくをひきつけ続けるとは思わなかった。

   ●

 そんな中、一昨日の音楽鑑賞の後、たまらなくなってCDを1枚買う。
 ミスター・チルドレンさんの『掌/くるみ』。

 いつものだったら買わないと思うのだけど、ABCテレビさんの『おはよう朝日です』で、見ちゃったのよね。『くるみ』のプロモーションビデオの1番を。
 それからもう気になって気になって。

 インターネットで調べてみると、そのシングルCDにはプロモーションビデオが入っているという。
 でも、ここで1000円(税別)を出費してしまうと、今月は後に控えているからと、CDショップで何回ジャケットを手にとっては棚に戻したことか。

 結局、同女さんに後押しされる形で、ゲットゲット。

   ●

 そっと泣かせていただきました、『くるみ』のプロモーションビデオ。
 こんなプロモーションビデオを作ったらあかんと思う。
 ラジオで曲を聴いてるだけなら通り過ぎれたのに、しっかりつかまってしまった。
 曲だけではない、もう一つの物語を作って、会わせて1000円で売ったらあかんと思う。
 罪作りなヒト。

 でも、よく考えると、プロモーションビデオが2本入っているから、インストルメンタルが入ってないのね。

 そっか。

 それは、
「『くるみ』のプロモーションビデオのように歌いなさい」ってことだったのね。
 

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2003年12月9日(火)
「イミテイション・ゴールド」でも全く不満はない。


 なぜならば、NHK紅白歌合戦(紅白)は国民のお祭りだから。

 毎年、ぼくは紅白を見ている。
 かなり紅白を楽しみにしているファンである。
 だから紅白の中で、どの歌手が何の曲を歌うのかは関係なかったりする。

 一曲一曲聴きながら、

「今年もここまでよく頑張った。
 来年、いい年になりますように」

と、年越しそばを食べながら思うのが紅白。

 だから、歌った曲の宣伝になるとか、今までの活動がどうとかいうのは関係なく(結果的になるかしれないけど)、みんなに希望を与えるような、そんな番組になるように、今年の紅白に出場する倉木さんには頑張ってほしいなと思う。

 当日のために、精一杯練習をして、本番で一生懸命歌ってくれれば何の不満があろうか。
 音程がはずれたとしても、言葉に詰まったとしても、歌詩を間違えたとしても、そんなことは関係ない。
 歌い終わったあとで、視聴率がどうの、あの場面はどうの、そんな話も出てくるとは思うが、それも関係ない。

 倉木さんが心を込めて、気持ちを込めて、2003年を歌い収めてくれればそれでいい。それほど嬉しいことはない。

 歌う曲が、『イミテイション・ゴールド』でもいいじゃない。
 倉木さんが今まで歌ったことのない童謡『赤とんぼ』でも構わない。

 倉木さんたちが紅白に出ると決めた以上、「ファンのために」という気持ちを持ってくれていても、それはひとまず横においといて、国民みんなのために、ファンだけじゃなく、みんなが喜ぶ歌を歌ってほしいと思う。

 ファンのためには、ライブ会場で歌ってくれればいいんだからね。

   ●

 そういうことも思いながら。

 もう一つは、与えられたことを精一杯頑張ることが、ここまでくどいてくれたNHKの人に対するお礼の気持ちにもなるんじゃないかとも思うのだな。
 「紅白出場」の第一報を聞いて思ったことの一つに、「よくぞNHKさん、くどき落とした」もあったもんな。

 ほんとNHKさん、頑張らはったんやろな。
 ここまで信用を勝ち取るの、たいへんやったやろな。

 そんな、倉木さんを見込んでくれたNHKの人のためにも、倉木さんにはぼくらの代表としても頑張ってほしいと思う。

 倉木さん、応援していますよ。
 

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2003年12月9日(火)-2
忘れもの忘れもの。


 『チェッカーお試し掲示板』のFP@Hiro-Tさん、どうもです(21971番)。
 14日大阪ドームのチケットは僕ではない人を誘ってあげてくださーい。
 FP@Hiro-Tさん、誘って下さり、どうもありがとうございました〜。

   ●

 同じく、ポン太さん、どうもです(21979番)。
 仕事三昧の日々は一息つきました?
 教会って、最近は誰かの結婚式の時に入った「なんちゃって教会」くらいしか行ったことがありません。
 本物の教会と言えば、高校のクラスで文化祭用に映画を撮った時、その映画に声を吹き込むために使わせてもらった教会くらいしか知らないような。
 そういえば、倉木麻衣さんの『always』や『Stay by my side』のプロモーションビデオは教会が舞台でしたねぇ。

   ●

 もう一度戻って、FP@Hiro-Tさん(21997番)。
 麻衣ピヨさん、お元気そうでなによりなによりです。
 麻衣ピヨさんが教えてくれた

「こんな薄い壁なんかじゃさえぎれぬ想いが
 今にも君に見抜かれてしまいそう」とか

「強く強く抱きしめられたとき
 君の体温なのか私の体温なのか
 だんだんわからなくなっていた」

   (『倉木麻衣さんへの掲示板』69462番麻衣ピヨさんの書き込みより)

というのは、ものすごいフレーズだと思いました。
 このフレーズを考えた人はただものではない、と言い切ってしまうくらいです。
 このフレーズがメロディに乗っている曲を聴きたいなぁ。

   ●

 同じく、ボーンキングさん、どうもです(22005番)。
 う、朝6時49分の書き込みだ。すごい。
 朝に余裕があるって、すごすぎる〜。

   ●

 同じく、彩の国、カヲルさん、どうもです(22113番)。
 危うく気づかないところでした。彩の国、カヲルさん、おおきにでした。
 茹でピーナッツさんもおおきにです〜。

   ●

 同じく、タイキさん、どうもです(22145番)。
 紅白の中継というか、どこで歌うのかはどこでもOKです。
 NHKホールでも、京都でも、アラスカでも。
 でも、金閣寺だったら、なんかちょーだい。

   ●

 同じく、うぃんさん、どうもです(22149番)。
 えーと、倉木さんたちが紅白に出ると決めて、それをNHKさんと約束できて、そして倉木さんたちの希望をNHKさんに伝えることができているのなら、あとはNHKさんにお任せ〜、という感じでしょうか。
 紅白という日本一の音楽イベントの中で、倉木さんができることを精一杯してほしいなぁと思います。
 でも、それを「NHKさんにお任せ〜」ということができないならば、最初に出るということを決めたこと自体が間違い。
 出ると決めた以上、つべこべ言わずに、今年の紅白歌合戦が成功するように、倉木さんには私心を捨ててほしいと思います(つべこべ言おうとしているのなら、の話ですが)。
 歌いたい曲があったとしても、ファンの人たちに届けたい曲があったとしても、そこは心を鬼にして、NHKさんの要請に従ってほしいと思います。
 『イミテイション・ゴールド』OK、『赤とんぼ』OKです。
 NHKさんの紅白歌合戦を、自分を売り込むだけの場や、次の活動につなぐ場にはしてほしくはありません。

 「ここでこういう曲がほしい」とかいう筋書きがNHKさんにあると思うんですよね。
 その中で、倉木さんが一つの歯車になって、他の歌手の人も歯車になって、いろんな歯車が組み合わさって、最後には今までに聴いたことのないような鐘の音をみんなで鳴らしてほしいと思います。
 もちろん、紅組勝利の結果で。

 ということで、うぃんさん。
 ぼくは、紅白での選曲がNHKさんの方で決められたのなら、何の曲でもいいです。
 そして、その曲の中で倉木さんが最善をつくしてくれれば、もうそれで十分です。

   ●

 あっと、見逃すところだった。
 同じく、いつも見てます@ぷゆゆーさん、どうもです(22132番)。
 ぼくも『掌』の方が聴いていると最後に熱くなります。
 でも、いつも見てます@ぷゆゆーさん、ぼくのことを「管理人」とは呼ばないで〜。
 次からは「田熊」か「オッホ」でお願いします〜。

   ●

 さてと。
 倉木さんが紅白に出るなら、腹筋を復活させるか。
 まずは息を切らずに10回できるようになるとするか。
 

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2003年12月10日(水)
紅白出演後に起こるコミュニケーションの断絶。


 『ティッピィング・ポイント』を読んでいて、「これだ」と思うところがあった(『ティッピィング・ポイント』マルコム・グラッドウェル著・飛鳥新社発行)。
 それは、倉木麻衣さんが歌うことをやめることにつながることだった。

   ●

 『ティッピィング・ポイント』とは、この前の日記にも書いたが、「いかにして『小さな変化』が『大きな変化』を生み出すか」(本のサブタイトルより)について書かれている。
 例えば、「ハッシュ・パピー」というゴム靴がなぜアメリカで急に人気が出たのかとか、ニューヨークでなぜ劇的に犯罪率が減少したのかなどが書かれている(らしい)。

 (らしい)というくらい、ぼくはまだ、40ページほどしか読んでいない。全部で310ページもある本なので、まだ1割を超えた程度だ。
 しかし、♪ジャジャン〜、とぼくの心のギターをかき鳴らす場面が飛び込んできた。
 ひびきさんに教えていただいた『サヨナライツカ』(辻仁成さん著)で、恋愛物語モードにどっぷりつかっていたぼくは、両頬を叩かれたような感じだった。

 これはまさに、紅白出演後にコミュニケーション崩壊である。
 倉木さんが歌を歌うことをやめるかもしれない「ティッピング・ポイント」がそこには書かれていた。

   ●

 具体的にどんなことが書いてあったのか。一部を引用してみよう。
 そんなたいした話ではない。
 どこにでもあるような、ただの一つの心理実験の話である。

 〈ニューヨーク市の二人の心理学者――コロンビア大学のビブ・ラターンとニューヨーク大学のジョン・ダーリー――は、「傍観者問題」と称するテーマで一連の研究を発表した。その研究のなかで、彼らは一種類もしくは二種類の危機的場面を様々な状況で設定し、誰が救出にやってくるかを観察している。その結果、救出行動の予兆となるもっとも大きな要素は、なんと、その事件にどれだけ目撃者がいるかにかかわっていることが判明したのだ。
   (『ティッピィング・ポイント』42ページより)

 いきなり実験の話になったので何のことかわからないと思う。
 まず、なぜ実験の話がこの本に出てきたのかということを、ぼくが勝手に意訳して説明してみる。

   ●

 それは1964年にニューヨーク市で起こった事件のこと。
 女性が刺殺されたという。
 その女性はある人に恨みを持たれ、30分間に三度にわたって路上で襲撃された。そして殺されたという。
 殺されるまでの30分の間に、窓からその状況を目撃した人がいた。
 その数、38人。
 しかし、38人のうち誰一人として、警察には通報しなかった。

   ●

 そして、この実験の話が出てくる。
 ニューヨーク市の二人の心理学者が「傍観者問題」について調べた実験である。
 「傍観者」、つまりなぜ38人もの人が、女性が襲われているのを知りながら、警察に通報しなかったのか。
 この実験はその理由を知るものでもあった。
 実験の話を続ける。

   ●

 〈たとえばある実験で、ラターンとダーリーは、癲癇(てんかん)の発作を学生に演じさせる。隣の部屋でその発作の様子を一人で聞いている場合には、八五%の確率で学生の救出に向かう。だが、被験者がこの発作を聞いているのが自分のほかに四人いるということを知っている場合には、三一%しか学生を救出しようとしないのだ。

 〈もう一つの実験ではドアの隙間(すきま)から煙が忍び込んでくるのを目撃させる。部屋に一人でいる場合には七五%がそれを通報するが、グループでいる場合には三八%しか通報しない。

 〈つまり、集団でいると責任感が薄れるのである。

   ●

 ニューヨーク市の女性が刺殺された時、38人もの目撃者がいながら、誰も警察に通報しなかった理由を、本の作者はこう語る。

 〈彼らは誰かが助けを呼ぶだろうと考える。あるいは、誰も行動を起こしていないのだから、一見すると問題が起こっているようだが――この場合、癲癇の発作のような声であり、ドアから忍び込んでくる煙――、実際はたいした問題ではないのだろうと考える。
 キティ・ジェノヴィーズ
(田熊注・刺殺された女性の名前)の場合、ラターンやダーリーのような社会心理学者によれば、教訓は三八人もの人が悲鳴を聞いていたにもかかわらず通報しなかったということにあるのではなく、三八人もの人が聞いていたからこそ、誰も通報しなかったということにあるという。皮肉なことだが、彼女がたった一人しか目撃者のいないうら寂れた通りで襲われていれば、助かっていたかもしれない。

   ●

 この実験を読んでぼくは思った。

 実は今朝、近鉄西大寺駅の階段を上がる時に、不意に倉木麻衣さんの顔が浮かんだ。
 倉木さんは笑顔で手を振っていた。
 それは、ぼくには12月31日に行われるNHK紅白歌合戦が終了する間際に倉木さんの顔をアップでとらえたもののように思えた。
 「これはデジャヴュかもしれない」
と喜んだ。
 しかし、その後、近鉄奈良線の中で、この実験のところを読んだのである。
 それはまるで、紅白出演後の光景を見ているようだった。

 「紅白出演後」?
 ぼくが、なぜそう思ったのか。
 その理由を続ける。

   ●

 よくも悪くも、NHKの紅白歌合戦は、倉木さんの歌手生活史上、考えられないほどの人が倉木さんの歌を聴く場となる。
 それはファーストアルバム『デリシャス・ウェイ』を買ってくれた人の数倍、もしかすると数十倍の数となる。

 もう一度いうが、よくも悪くも、それだけの人が見る。
 ということは、紅白出演が成功に終わったとしても、失敗に終わったとしても、それだけの人が見たという記憶はぼくらの頭の中に残る。
 紅白の目撃者は多数。
 ニューヨークであった事件の38人よりも数えられないほど多数。

   ●

 予測する。

 紅白出演前、出演直後、倉木さんのファンのぼくらは熱くなるだろう。
 12月31日はオーバーヒートナイトになるのは目に見えている。
 ぼくは風呂に入らずに1月1日を迎えるかもしれない。
 「今年の汚れ今年のうちに」
 とはいかないかもしれない。
 そんなことになると、テレビCMで歌っている森尾由美さんはどう思うのだろう。
 「全然私のことを聞いてくれてないのね」
 そう言うかもしれない。
 だったら、早めに風呂に入ればいいではないか。午後5時に入ってもいいではないか。
 しかし待てよ。
 そんなに早く入ってしまうとどうなるだろう。
 大掃除でお風呂を掃除した後にすぐ入ることになるのではないか。
 カビキラーのニオイが充満した浴室。
 窒息するのではないか。
 …。

   ●

 と、たまには昔の『OHHO』本誌で書いていたような話のそれ方をしてみる。

   ●

 話を元に戻そう。
 12月31日は、ぼくら倉木さんのファンは熱狂の渦の中に入る。
 祭りの中に飛び込むのである。

 ヒットカウンターの書き込みも、Mai-K.netさんから倉木さん宛に送るメールも、今まででは考えられない数のメッセージが投げられるに違いない。
 12月31日は、初ライブの時よりも、千葉ファイナルライブの時よりも、ものすごいことになる。
 なぜなら、全国でほとんどみんな同時に体験する初の大イベントだからだ。

 その後どうなるか。
 日が変わり、1月1日になる。
 ファンのぼくらには、紅白での倉木さんの姿が目の奥に残るだろう。
 そして失敗するようなことがあれば、批判する人が増えるかもしれない。
 しばらくは、紅白の話題でもちきりになるだろう。

 しかし、もうしばらく経つとぼくらの中に何が残るだろうか。
 残るのは、「みんなと一緒に見た」という記憶ではないだろう。

   ●

 紅白のあと、ファンは増える。
 失敗しようが成功しようが、そんなことは関係ない。
 今まで倉木さんを知らない人が見る。
 そのうちの1%でも倉木さんのことを気に入ってくれる人たちがいれば、どうなるか。
 その数は何万人、もしかすると何十万人になる(単純に計算すると)。

   ●

 しかし、それは、倉木さんを今まで知らなかった人たちの話。
 今まで倉木さんを応援し続けた人はどう思うか。
 どういう変化が心の中に起こるか。

 そこで思い出すのは、「みんなと一緒に見た」という記憶。
 ニューヨーク市での「傍観者」の実験。

 「みんなと一緒に見た」という記憶から生まれるのは、「自分一人ではない」ということ。

 つまり、「自分が応援しなくても、他の人が応援してくれる」という思考が生まれる。

   ●

 ようやく、今日の日記のタイトルに追いついた。

 倉木さんが紅白に出場した後に起こるのは、ファンの人たちとのコミュニケーションの衰退である。そしてその後の断絶である。

 「自分が倉木さんにメッセージを送らなければ」
 「何か今一言伝えなければ」

 そんな、今まで倉木さんのファンであるぼくらが持っていた使命感に似た行動が減っていく。

 「誰かが言ってくれるだろう
 「後で言ってもいいか

 そういう思考がどんどん大きくなってくる。
 それはあの頃と同じである。
 爽健美茶さんのCMに出ると発表した時、シーブリーズさん主催のホットロッドビーチパーティが開かれた時、そして、倉木さんがみんなに会うために全国を回ってフェアリー・テール・ツアーを敢行してくれた時。

 「倉木さんには、こんなにいっぱいファンがいる。
  私が応援しなくても、誰かが応援してくれる

 その思考が、倉木さんに送るメッセージを少なくさせていく。

   ●

 それは別に他の人ならそうたいした問題にはならないだろう。
 自分が大きくなるため、自分の力を試したいために歌手になった人なら、別にファンからのメッセージがあろうがなかろうが関係ない。
 自分は自分。ファンはファン。
 そういった割り切りができる。

 しかし、倉木さんの場合どうだろうか?

 誰のために歌っているのか。
 誰に伝えたいために歌っているのか。

 それはもう言うまでもないだろう。

   ●

 紅白出場の後、ファンから倉木さんへ送るメッセージは減る。
 それも紅白前の反動がきたように急激に減る。
 まるで、それは、ファンのぼくらが、倉木さんとのコミュニケーションを必要としていないと思いこませるくらいまで減るだろう。

 どうかそこで、倉木さんには勘違いしないでもらいたい。

 それは、ぼくらファンが倉木さんとのコミュニケーションを望んでいないからではない。
 「みんなが見た」、その記憶が残るからなんだということを。

   ●

 しかし、実際のところ、どうなるかはわからない。
 ただ言えるのは、12月31日、今まで応援してきて人の心の中に、何かの変化があるということ。
 12月31日を境に、何かが変わっていくということ。

 そこまで続いていた、ファンのぼくらと倉木さんとのコミュニケーションが断絶するかどうか。
 それはわからない。
 けど、「みんなが見た」ということで、今まで応援していたファンのぼくらが送るメッセージは減ることだろう(新しいファンの人のメッセージは増えるかもしれないが)。

 そしてそのことを事前に倉木さんに知ってもらっていれば、倉木さんは紅白以降、悲嘆にくれることはないだろう。

    ●

 などという勝手な妄想から、今日の日記は書かせていただきました。

 12月31日に何かは変わるかもしれないけど、1月1日以降も倉木さんが変わらなければ、何も変わらない方に傾いていく。

 12月31日がコミュニケーション断絶へのティッピング・ポイントとなるのなら。
 1月1日以降も倉木さんが変わらなければ、1月1日は「何も変わらない」というティッピング・ポイントの日になる。

 そういうことを期待して。
 

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2003年12月11日(木)
コウシケッショウ。


 「コウシケッショウ」

 それは魔法の言葉。

 ♪コウシケッショ〜
  コウシケッショ〜
  オナカが出てるよ
  コウシケッショ〜

   ●

 まずは腹筋続けます。
 一昨日は10回、昨日は15回。今日もできれば三日坊主さ。
 三日坊主が2回続けば六日坊主?

 寝る前の腹筋と共に、会社で少しの待ち時間があれば、ぴょんぴょん運動。
 確か『チェッカーお試し掲示板』でうっきょんさんが「縄跳びは効果的」と教えてくれていたもんな(うっきょんさん、人違いだったらごめんよ〜)。
 でも、縄を持ち歩くわけにはいかないし。
 縄があるつもりで、ぴょんぴょん飛ぶのだ。
 そしたら、

 「お、跳んでるよ、跳んでるよ」

と、会社の同僚は突っ込んでくれるのね。

   ●

 ぴょんぴょん運動。
 それは別名「FF運動」とも言うのであった。

 ※「FF運動」=「『Feel fine!』のプロモーションビデオのように、体をぴょんぴょん上下に跳ぶ運動」のこと。
 

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2003年12月13日(土)
思いっきり笑った。


 昨日は鹿児島の焼酎を飲んでいて、日記はおやすみ。

 う〜ん、もっとフルーティーで、まろやかなものだと思ったのだけど。
 「ロック」で頼んだのがいけなかったのかな?

   ●

 思いっきり笑わせていただきました。
 まさかあの「格闘」のあと、「RPG」がくるとは。

 アハハじゃなく、ガハハです。

 『倉木麻衣さんと歩く蒼い詩人たちの会』
 
http://hpcgi1.nifty.com/ohho/sizin/cbbs.cgi

 うぃんさんの636番『四周年記念(格闘)』のあと、637番『四周年記念(RPG)』を読んで。
 うぃんさん、楽しませてくれてありがとー。
 

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2003年12月14日(日)
こだわり。


 (彩の国、カヲルさん、black catさん、おおきにです。数字と曜日、直しときました〜)

 〈それから40年。いつしか、人さし指と中指は第一関節から親指の方に曲がった。「粉全体に塩水が行き渡るようにする」という練り。手作業を貫いた。最も力を込めてきた2本の指を見つめ、「自然となったんで、痛くもない」。きつい仕事で機械化した店が大半だが、売り込みに首をタテに振らなかった。人の手とは違った麺になる、というのが息子夫婦にも語り継いだ信念だ。
   (『朝日新聞』2003年12月8日(月)夕刊3版3面
    『おばあちゃんのうどん 讃岐から(中)
     指に宿る面の心 理想求め40年、今も店の味支え』より)

 そんな信念を持っている人は、香川県の人。
 讃岐地方・香川県の中でも(たぶん)最も山奥、徳島県との県境に近いところにあるうどん屋さん「谷川米穀店」の谷川豊子さん(82歳)のこと。
 なぜ店の名前が谷川さんの「米穀店」かというと、

 〈歴史的な異常気象がこの道に入るきっかけだった。63年4月中旬から降り始めた長雨。57日間にわたって晴れず、小麦などの農作物は壊滅的な打撃を受けた。夫に先立たれ、精米、製粉、製麦業を営みながら、3人の子どもや義母と暮らしていた。「これじゃ、とても生活していけん」。外国産の小麦粉を買い、うどんを作る製麺業に転じることになった。

という。今でも店の外には「米」の看板が掛かっている。
 谷川米穀店さんは麺通団が選んだ「S級」の店の1つ、名店である。

 〈加熱するうどんブームで首都圏から客が訪れることも珍しくなくなった。甘い誘いも増えた。
 「支店を出しませんか」
 「通信販売はどうですか」
 迷わず、断った。この店で昼の2時間に食べてもらうために編み出してきた製法、と考えている。


 谷川米穀店さんは午前11時から午後1時までの2時間しか店は開いていない。
 並んでいる最後尾の人に「ここまで」というような看板を持ってもらうという話を聞いたような気もする。
 2時間の間に、店の前の坂道を越え、橋を渡り、川向こうから店を見るところまで行列が続く。
 原因は、支店も出さないというこだわりがあったからこそ。
 こだわりを持ち続けたからこそ。
 だったのか。

   ●

 「倉木麻衣」さんにもこだわりがある。
 アナログ盤。
 アナログ盤とはレコードのこと。

 『Winter Bells』の頃くらいまでは、そのアナログ盤にシングルでは聴けない音源を入れ、クラブなどで演奏しているDJの人に配っていた(ように思う)。

 「音楽にこだわっているんだな」

 そう思った。
 音の違いのわかるDJの人に聴いてもらうくらい、倉木さんたちは作っている音楽に自信を持っているんだな。そう思った。
 アナログ盤のジャケットには、倉木さんの顔写真はなかった。
 「倉木麻衣」や「Mai Kuraki」の名前はなく、誰だかわからない「MK」名義のアナログ盤もあった。

 最近では、アナログ盤の製作・配布をしているという話を耳にしない。
 かわりに「倉木麻衣」さんという女の子のキャラクターグッズが増えた。
 コンサートごとに新しいキャラクターグッズが増えていく。

   ●

 大好きだった『HIP POP』という番組が終わった。
 『アメロク』のマスターだったUJさんを見かけなくなった。
 アナログ盤の配付先であったクラブ全体が低迷しているのだろうか?
 アナログ盤を作って売り込んでも、仕方がないということだろうか?

 クラブにかわる「音楽の違いのわかるところ」は、2003年の現在は存在しないのか。
 「カフェ」はどうなのだろうか?
 そこに「カフェ向きの音楽」ではなく、こだわりのあるカフェを経営する人にもうなってもらえる音楽を聴いてもらう。

 アナログ盤ではなくCD-ROMでもいい。
 そこに聴いてほしい音源を入れる。
 その「販促物」を持って1軒1軒回る。
 地味すぎる作業だけど、そういう地味なことを「倉木麻衣」さんグループは、デビュー前後にしていたのではないのだろうか。

   ●

 〈(前略)トヨタにしろセイコーエプソンにしろ強さを発揮している企業は、いずれも外部からは見えない「本質的な何か」を持っている。(中略)
 この「本質的な何か」は、経営理念はもちろん経営戦略、技術やノウハウなど知的財産、組織風土、リーダーシップと意思決定力、従業員の能力・士気・行動力といった、企業内部の「見えない歯車」だ。
   (『日刊工業新聞』2003年12月12日(金)
    『社説 現場主義こそ競争力の原点』より)

 〈トヨタ経営の根幹にあるのは「現場・現地」主義の思想だ。物事を判断するときは、現地に行き、現物を見てから判断するのが原則だ。

 この社説は、ちょっとトヨタ自動車さんのことをほめすぎだと思う。
 しかし、ここで書かれている〈「見えない歯車」〉とは、一人一人の人のクラブ回りやカフェ回り、そしてFMラジオ局回りのことに置き換えることはできないだろうか。
 そんな地道な作業のことを言っているのではないだろうか。

 営業担当の人にとっては、現場はCDを販売してくれるCDショップさんや卸屋さん、そしてマスコミさんや有線さんなんかだと思う。
 しかし、制作担当の人にとっての現場は、CDショップさんではない。

   ●

 来年1月からの関西テレビさんの「月9」(=げっく・月曜午後9時からのドラマ番組)は、木村拓哉さんや坂口憲二さん、竹内結子さんたちが出演する。
 豪華なキャスト。
 でも、ぼくはそのことよりも、プロデューサーに大多亮さんが戻ってきたことを知り、「見たい」と思った。

 大多亮さんとは、『東京ラブストーリー』や『101回目のプロポーズ』を作った人。
 ドラマには音楽が重要。
 そのことをしっかりわかった上で選曲。
 しかもその音楽を入れるタイミングに、こだわりを持ち、こだわりまくった人。

   ●

 テレビドラマ界は今、ヒット作を作った人を現場に戻すことをしているらしい。
 フジテレビさんの大多亮さんは、編成制作局次長から8年半ぶりに現場にチーフプロデューサーとして復帰。
 TBSテレビさんでは、冬彦さんで有名な『ずっとあなたが好きだった』を手掛けた貴島誠一郎さんが編成部の管理部門から、TBSテレビさんが作った番組制作会社の常務兼エグゼクティブプロデューサーとなり、5年ぶりに制作現場に復帰。
 日本テレビさんでは、『星の金貨』を手掛けた梅原幹さんを編成部企画担当副部長からチーフ・プロデューサーとして復帰。
 (すべて『日本経済新聞』2003年12月11日(木)夕刊1版5面の記事を参照)

 みんな、現場復帰。原点回帰。
 そして低迷するドラマを盛り上げようと、再び切磋琢磨を始める。

   ●

 「現場復帰」と言えば、ウルフルズさんのベース担当のジョン・B・チョッパーさんもそう。
 今年、4年ぶりにウルフルズさんに復帰。

 ウルフルズさんは、ジョン・B・チョッパーさんが復帰して『ええねん』を発表。
 とうとう今日は、FM802さんのランキング番組『OSAKAN HOT 100』で、今までの邦楽連続1位記録を塗り替えるかどうかというところまできた。

 〈新アルバム「ええねん」には吹っ切れたような弾けた演奏と歌が詰まっている。「きったないスタジオを借りて演奏したころを思い出した。皆で汗かいて演奏しただけ。ものすごい原点回帰」とトータスが言えば、ケイスケも「四人でバーンと音を出した瞬間、これでいいと思った」。
   (『日本経済新聞』2003年12月11日(木)夕刊11面
    『やっぱ4人がええねん
     ベースが復帰、新作を出した ウルフルズ』より)

 〈コミカルに、時に大まじめにロックやソウルを歌い、「ガッツだぜ!」などのヒットも飛ばした。だが、三人になってから「ふざけ方も泣かせ方も優等生になっていた」とトータス。「頭を使えばある程度のものは作れるようになった。でも会議で作る音楽はもうつまらん」と感じていた。

 〈「コードも凝らない単純な曲で、僕がバーッと歌えばいい。それがウルフルズなんやと気付いた」

 と、ボーカルのトータス松本さんは言う。

   ●

 「倉木麻衣」さんの原点はどこか?

 名前もなく、話し声も聴いたことがなく。
 プロモーションビデオ以外の動く姿も見たことがなく。
 もちろん「かわいい」なんて言われることもなく。

 それでも、「倉木麻衣」さんは「倉木麻衣」さんだった。
 それが倉木さんの「らしさ」(ではないのか)。

   ●

 あの頃と、今のぼくの気持ちは同じ。

 「アナログ盤」は、今はたまたま出ていないだけだ。

 そう今も、思っている。

 

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