OHHO日記

1999/11/21〜2001/10/13レイアウト更新〜 田熊孝浩

ポン!歌謡曲の雑誌「OHHO」オッホ・ネット版日記 【リンク・フリー】

2002年5月16日(木)
♪やっぱこれだね〜、ロッテさんのトッポ〜。


 まさかと思うけど。

 倉木麻衣さんのファンクラブさんのイベントでロッテさんが協賛してくれたり、ってことはないかな?
 会場の入場口で、トッポ(おいしいお菓子です)を渡されて、ぼくらがギターをかつぎながら

 ♪やっぱこれだね〜

 と歌い出すという場面は…

 考えられない。

 考えられない?

 わ。

 な。

 やっぱり。

   ●

 でも、もしかして、今はそんな計画は全然なくても、見返りを期待しない太っ腹なロッテさんなら、「こんなの届けますけど〜」ってことでいきなり会場に持ち込んだり。

 することはないわな。

 ないわな。

 あるとしたら、爽健美茶さんだったりするけど。

 それは去年の話だもんな。

 ないわな。

 ないよな。

   ●

 とひとり妄想に落下する深夜。
 

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2002年5月17日(金)
食うか食われるか。


 「食うか、食われるか」

 その結果が今週末にわかるであろう。

   ●

 いや、ちょっと違う。

 「食うか、食われるか」ではなく、「食ったか、また食ったか」ではないだろうか。

   ●

 本日買った本。

 『恐るべきさぬきうどん 麺地創造の巻』
  (麺通団さん著、新潮OH!文庫さん発行、税別600円)

 『恐るべきさぬきうどん 麺地巡礼の巻』
  (麺通団さん著、新潮OH!文庫さん発行、税別790円)

 『来た見た食ったさぬきうどん』
  (北野チッパーズUSAさん著、ナユタ出版会さん発行、税別1143円)

 『さぬきうどん全店制覇攻略本 2002年度版』
  (ホットカプセルさん発行、税別1400円)

 その前に月曜日には、

 『うまひゃひゃ さぬきうどん』
  (さとなおさん著、光文社知恵の森文庫さん、税別533円)

も買っているから、これで計5冊。

 「食うか食われるか」
 「食ったか、また食ったか」

 さぬきうどんツアーが、ついに明日に迫ってきた。

   ●

 
 「聖地巡礼」と呼んでいいだろう。

 こんなに奥が深いと思わなかった。
 いや、こんなに、うどんを食べたことを喜んで文章にしている人が多いとは思わなかった。

 「うどん」である。
 たかが「うどん」である。

 「名店ベスト100」というテレビ番組が2時間ぶち抜きで放送されたわけではない。
 まして、ラジオ番組のスペイン坂から倉木麻衣さんに「今日、ナカムラに食べに行ってきました。ネギも畑からとってきましたよ」と話してもらえたわけでもない。
 たまには、ウッチャンナンチャンの南原さんが、地元に帰ってうどんをうまそうに食べてた番組があったが、そんなことくらいでしかお目にかかれない、まだ全国的に話題沸騰中にはなっていない(と思う)さぬきうどんである。

 うまいのは知っていた。
 さぬきうどんが抜き差しならないほど、うどんの中のうどんということもわかっていた(きしめんさん、ごめんなさい)。

 しかし。しかしだ。

 カトキチさんのさぬきうどんとは比べ物にならないようなことを、みんな書いているのである。
 本場である。
 本場の味を知ったらどうなると思う?

 とみんなぼくに問うているのだ。
 そして本の中で語りかける著者さんたちの答えは一つ。

 あなたは来週も香川県に足を運んでいる

 まじか。
 まじですか?

 と、タメ口なのか敬語なのかよくわからない言葉まで出てしまう。
 さぬきうどんは、そんなにうまいのか。
 大阪で食べているうどんより、うまいというのか。

 確かにうまいと思う。
 確かにうまそうだ。
 確かにぼくにも食わせてくれ。

   ●

 今週の土曜、日曜と、車でさぬきうどん巡礼の旅に行ってまいります。

 さて、その後、ぼくの人生はどうなるのだろう。
 ヒットカウンターなんてそっちのけで、うどんカウンターなんてものを始めているのであろうか。
 「へい、いらっしゃい」。うどんカウンターなんて名前、立ち食いうどん屋さんのカウンターそのものではないか。

 でも、ここまで想像を膨らませていたら、期待はずれに終わるだろう。
 その方がいい、その方が身のためだ。

 毎週毎週、土日はさぬき行きとなった日にゃ、あーた。
 明石海峡大橋を渡るだけで往復1万円以上飛んでいくのだ。
 それだけのお金と時間をかけて食べるのが、一玉90円の山越さん(←お店の名前らしい)の冷たいさぬきうどんだとしたら、少しハカナイではないか。

 そんなことをするくらいなら、いっそ香川県に引っ越してしまおうと思ってしまうのではないか。

 そして引っ越した以上、さぬきうどんさんの麺打ち修行にいそしみ、いつかはうどん屋さんの亭主になっていたりするのではないか。

 などと妄想を膨らませしまう。

 土日。

 さぬきうどんツアー。

 ここのお店は押さえて、という情報があればご一報いただければ幸いです。
 

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2002年5月17日(金)-2
「スガザキ・アカネ」さん。


 まず、『チェッカーお試し掲示板』のタイキさんへ(2300番)。

 別に書き込みを控えることは必要ないのでは?
 それからぼくに謝っていただいているみたいですが、ぼくは「ん?なぜなの?どして?」という感じだったりします。
 ですので、今まで通り普通でどうぞ〜。

   ●

 FM802さんの久保田コージさんの番組で、スガザキ・アカネさんの曲がかかる。『ビギニング・ドリーム』。
 初めて聴いたのだけれど、どこかしら、大野愛果さんが作っていそうな曲に聴こえた。
 聴きあきたサビがなく、どこかしらオリエンタル。

 まだ、デビューしていなくて、CDも発売していないらしい。

 そんな人の曲がなんでFMでかかるの?と思うのだが、FM802さんは矢井田瞳さんもデビュー前そんな感じで取り上げていたっけ。

 花丸、要チェックしといた方がいいかな。
 

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2002年5月17日(金)-3
産経新聞さん連載終了。


 産経新聞さんの大阪版夕刊で連載されていた『立命館研究』が終了。

 おとついのことだったと思うが、興味深い記事を1カ月以上にわたって連載してくれた産経新聞さん、ありがとうございました。

   ●

 結局、「倉木麻衣」さんの名前が具体的に出てきたのは計2回ほど。
 そのうち1回は例え話だったので、正面から記事にされたのはあの1回だけだったみたい。

 全体の記事を思い出してみるに、産経新聞さんが立命館大学さんを記事にしようと思ったきっかけは、倉木さんのことではなかったよう。
 ラグビー部が同志社大学さんを破ったことがきっかけだったのだろうなぁ。
 あの「事件」がきっかけとなって、調べていくと、あれよあれよといっぱい出てきて、その一つに倉木さんの入学の件があった感じだ。

   ●

 その倉木さんが今年は高額納税者、全国の歌手部門で6位に登場したらしい。
 近畿だと1位だとか。

 すごいこっちゃ。ええこっちゃ。

 『京都新聞』さんのホームページ
 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002may/17/
 K20020517MKA1Z100000074.html


 もっといっぱい頑張っている人はたくさんいるだろうけど、倉木さんが歳を重ねて、このことを不意に思い出したら、胸を張ってほしいなと思う。

 そしてその時にちょこっとだけ、ぼくらが1枚1枚CDを買い、ひとりひとりラジオ局にリクエストして放送したことがあったなぁ、と頭の片隅で思い出してもらえたら嬉しいなぁ〜。

 ビーイングの長戸大幸さんも、近畿総合でベスト20入り。2億236万円で、滋賀県では2位だったみたい。
 めでたい、めでたい。

 『京都新聞』さんのホームページ
 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002may/16/
 W20020516MWA1O100000065.html


 で、倉木さんって、去年は京都だったと思うのだけど、今年はGIZAさんの本社がある大阪市で納税だったのですね。
 大阪市へ勤めているものとして、ぼくからもお礼申し上げます。

   ●

 倉木さんのファンクラブさんのイベントの抽選ハガキが会員のみんなのところに届いている。

 でも結果は第一希望でなかった人も結構いるみたい。

 ま、いろんなことがあるわなぁ。
 行けないのに、外れたくないから第二希望まで書いてしまったりとか、応募したあと用事ができたりとか。

 でも、会員のぼくらを全員招待しようと思ってくれたファンクラブさんに感謝。

 こういう形での募集は初めてだから、いろんな慣れないことは、ファンクラブさんだけじゃなく、ぼくらの中でも起こる。
 それは仕方がないので、次につなげたらいいじゃない。
 次は行けなかったら第二希望を書かないでおこうとか、いろいろぼくらも学習していく。

 だから、ファンクラブさんは今回のことではじっくり待って、すべてが終わってから、次はどうしようと考えていただきたいなぁと思う。

 今回のことであわてて何かすると、今何も言っていない人に不満が出てきそう。

 何か一言いいたいことがあるから、掲示板とかメールを送って気持ちを伝えようとする。
 満足してて何も言うことがない時は、わざわざ言葉を発したりしない。

 そのへんの静かな声を、どうかファンクラブさんや倉木さんは読み誤らないでほしいな。

 それは『Feel fine!』がヒットしたからと言って、次も同じ感じの曲を聴きたいとは、ぼくは思っていないように。

 『Feel fine!』は、この時期に、あの曲だったからいい。
 でも、その微妙なあやちは、仕事で音楽評を書いている評論家の人に「わかれ」と言っても、それは無理な話だろうなぁ。
 そこまで考えていたら、生活できないだろうしなぁ。
 

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2002年5月20日(月)
腹へったぁ〜。


 昨日、おとついと、朝からうどんを食べていたので、腹が減ってしょーがない。

 さぬきうどん、おそるべし。
 香川県さんはあなどれません。

 と、もう仕事の時間なので、さぬきうどんツアー第1弾記はまたいつか。

 その前に、倉木麻衣さんのファンクラブさんのイベント、会場ごとの掲示板を作らないと。

   ●

 さぬきうどんツアーのため、昨日とおとついは日記お休みしました。

   ●

 あ、しもた。
 倉木さんのファンクラブさんの会報、持ってきてない。
 会場ごとの掲示板が作れないよ〜。

 イベントの日程と会場、わかる人がいたら、『チェッカーお試し掲示板』で教えてくださーい。
 

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2002年5月20日(月)-2
「FCイベント友の会」アップ。


 ふー。

 ようやく掲示板を一つ追加。

 『2002「FCイベント」友の会』
 http://ohho.hotspace.jp/cgi-bin/c-board/c-board.cgi?
 cmd=;id=fc2tomo


 会場ごとで話をしたい時に使っていただければ。

   ●

 さぬきうどんツアー中にできなかったことをぼちぼちしないと。

 もうちょっと後で、と思っていたものが、わんさか溜まっている。

 待たせているみなさん、すみません(バックナンバーの申し込みをいただいた方は、本当に1年以上待ってもらっているかも…)。

 いそげ〜、いそげ〜。
 

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2002年5月21日(火)
さぬきショック。


 そういや、さぬきうどんツアーのことを全然この日記に書いていない。

 大量に書くことがあるからだろうか?
 「うどんカウンター」をほんとに作る気ではないのか?

 などという街の噂も、『チェッカーお試し掲示板』の彩の国、カヲルさんくらいが言ってくれただけ(2347番。彩の国、カヲルさん、ありがとうございます)。

 ぼくが寝ぼけて休んでいるだけだということが、すっかりみなさんに見抜かれているようだ。

   ●

 そんな折り、さぬきうどんツアーの写真ができあがってきた。

 今回のツアーで撮った写真は「写るんです」が1つと半分。だいたい30枚くらいだろうか。
 もちろんその写真にぼくが全部映っていなかったと思うのだが、「どれどれ」と30枚ほどの写真の束を手にした。

 1枚、2枚…。

 1枚ずつ見ていった。

 が、しかし、ん?

 映って…?

 あれ? おかしいなぁ。

 へ?

 まさか。

 げげー。

   ●

 なんと「写るんです」のカメラで撮った写真には、ぼくが1枚も写っていないのだ。

 なんたること。
 「写るんです」というカメラは、きちんと写してくれないのだろうか。
 やっぱり、カメラは一番レフに限るのか(タイキさん、おおきにです。「一番レフ」ではありませんでした〜)。

 それにしても、途中から今回のツアーのメインになったのは誰だったのか。
 大阪・梅田の旭屋書店さんでいったい何冊本を買ってきたと思っているのだ。
 そして、当日、さぬきの街を縦横無尽にストリームで走り回ったのは誰だったのか。

 そこのところをよーく考えてくださいよ、「写るんです」さん

 まったく。

 である。

   ●

 が、である。

 よーく見て下さいよ。であるらしい。

 だもんで、「よーく」見た。
 言われなくても「よーーーーく」見た。

 そうすると、何枚かの写真に妊婦さんが写っている。

 あれ?
 妊婦さんを写したかな?

 ある写真はカーキ色のトレーナーを着た妊婦さん。
 そしてある写真は灰色のTシャツを着た妊婦さん。
 それも、同じ服を着た写真が何枚もある。

 妊婦さん…。

 妊婦さん?

 妊婦さん…………。

   ●

 信じたくない事実に直面した時、人はどのような選択するのであろうか。

 さぬきうどんツアーの写真に写っていた妊婦さんは、心霊写真ということにしよう。

 どうして、「写るんです」はこうも正直に写してしまうのであろうか。

 富士フィルムさんのいじわる。
 

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2002年5月22日(水)
キューピー。


 『チェカーお試し掲示板』のyukiさん、こんばんは(2353番)。

 その通り。
 あの「妊婦」さんは、ぼくの幼少時代も、学生時代も、社会人時代もすべて知っている人です。

 でも、yukiさん。
 もしその人と町で会うことがあるとします。
 そして、その人が両手を下げて手首のところをクキッとまげていたとしても、マヨネーズのように声をかけないでください。

 いくら船に乗ろうとしていても、どうか宝船には乗せないでください。

 一緒にカラオケに行くことがあったとしても、『ロシアン・ルーレット』だけは歌わせないでください。

 以上、妊婦からのお願いでした。

   ●

 あと、fROm-Hellさん(2354番)、Dr.ジジさん(2355番)、ひびきさん(2356番)へ。

 「ごんぶと」さんもうまい。「どんべい」さんも確かにうまい。
 でも、2002年の5月、今食べるのなら、カトキチさんの「シコシコおいしいさぬきうどん」ではないかと、気体に腹をふくらませ思うのであります(←『恐るべきさぬきうどん』さんという本から拝借しました)。

 『カトキチ/シコシコおいしいさぬきうどん(冷凍2食入り)』
 のことが載っているページ(無断リンクすみません)
 http://kame.tadaima.com/sanukiudon/additional/katokichi.htm

   ●

 さぬきうどんツアーに行くとき、明石海峡大橋を渡ったところにある休憩所で、「ゆず唐辛子」をついに発見。

 「おまえはこんなところにいたのね」

と525円を出して購入。

 しかーし

 うどんには、あのさぬきうどんには「しょーが」なのである。
 「しょーがを入れずして、さぬきうどんは語れないのではないか」と、ぷくぷく七福神はしみじみ思うのである。

 一度、うどんを食べる時、しょーがを少量入れてみて下さい。

 しょーががからまったうどんを食す時、あなたのお口はデリシャス・ウェイ♪
 

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2002年5月23日(木)
最後の闘い。


 もう、食うか食われるかである(←この前のさぬきうどんツアーの時にも言った気がするが)。

 もしかしたら、やるかやられるかであるかもしれない。

 ぼくが勝つか、あいつが勝つか。
 究極的には「生死を賭けた」闘いになるかもしれん。

 ただ言えるのは、「これが最後の闘いとなるであろう」(たぶん)。

   ●

 「あいつ」とは、血糖値くんである。
 「あいつ」とは、ぷよぷよ脇腹である。
 「あいつ」とは、あばら骨からはみ出し、内蔵にからみついた脂肪ちゃんである。

 くっそ、あいつめ。

   ●

 だもんで、実は昨日からタクマ式ダイエットを始めたのである。
 もちろん、階段早上がりは1日に何回かきちんと忘れながら続けている。
 しかし、それだけでは、あの写真の現実を止めることはできない。
 余計に足にポヨンと肉がまとわりつくだけである。

   ●

 タクマ式ダイエットとはどういうものか、少し説明しよう。
 ちょっと危険なので、真似する方は人体実験が済んでからにしてほしいと思う。

 まず第一に、どういう発想で(こんな危険な)ダイエット方法を思いついたかということから説明しよう。

 (1)おばあちゃん

 おばあちゃんを思い浮かべてほしい。
 もちろん、アメリカのおばあちゃんではない。
 日本の、それも「教師」をしているおばあちゃんである。
 その人はどうだ? 太っているでしょうか?

 「太っていない」

 そう断じて太っていないと、ぼくにはイメージできる。

 (2)お茶席

 お茶の席を思い浮かべてほしい。
 抹茶の茶碗が、隣の人隣の人にまわされ続ける茶室。
 その中にいる人は太っているでしょうか?

 「太っていない」

 断じて太っていないと、ぼくにはイメージできる。

 そういうわけである。

   ●

 と言っても、さっぱりわからないと思う。
 確かに、ぼくも何のことを言っているのかわからない。

 ただ言えるのは、ぼくは「厳格な人」で「正座ができる人」は太っていないように思えたのだ。

 勘である。
 ここには統計なんてものは存在しない。
 「厳格な人」で「正座ができる人」は太っていない、ということに根拠なんてない。
 歴史は作るものではなく、作られるものなのだ。
 「あの時公表しておけばよかったのだ」と今ごろ後悔しても、あの時は後悔していなかったのだ(あなたは肉まん食べました?ぼくは一つ食べてました)。

 「厳格な人」で「正座ができる人」が太っていないとすると、その共通点はなんなのか?

 おのずと答えは出るだろう。
 それが恐るべきタクマ式ダイエット(危険)の方法である。

   ●

 「タクマ式ダイエットは一瞬の油断が命取り」

 このことは言っておかなくてはならない。
 だから「キ・ケ・ン」なのだ。

 ここまでもったいぶってきたが、これ以上中身のないことを書いていても、読んでくれる方も疲れると思うが、書いているぼくも疲れている。
 まるでそれは、「CDのローテーション発売日だから」という理由だけでCDを発売する歌手に似ている。
 歌うことがなければ歌うな、である。
 書くことがなければ書くな。

 であるから、一気に結論である。

 タクマ式ダイエットとは、「背筋伸ばしダイエット」だ。

   ●

 あまりにも唐突な解答で申し訳ない。

 「厳格な人」で「正座ができる人」は、背筋が伸びている。
 小太りな人はついついどこかにモタレたがるし、足も崩してしまう。

 あまりにも単純な発想で申し訳ない。

 しかし、ここはあえて火中の栗を拾うように言おうではないか。

 「心に固い決意を持ち、それを秒単位で確認し続ける行為」

 イコール、それがタクマ式ダイエットの本質である。

   ●

 ぼくの仕事はほとんどがデスクワークだ。
 ずっと前は営業担当だったので、印刷物を上げたり下げたりしていたのだが(おーい、誰か運んでくれ〜)、今はほとんどパソコン(マック)の前に座っている。
 正座ではない(気づけば、たまに正座になっていることもある。片足折り曲げの姿勢が結構お気に入りだったりするが)。

 正座ではなく、人間工学に乗っ取った方法でぼくは椅子に座っているのだが(だいだい)、どうもその椅子がここまでぷよぷよの身体にしたのではないかと疑いを持った(椅子さん、すまん)。

 ん?
 もしかして、ぼくは1日のうち半分以上は背もたれにもたれかかっているのではないか?
 思い出せ、そのもたれかかった姿勢。
 目を下に向け、お腹の周辺をのぞいて見る。
 うぐぐわぁー。

 お肉が波打っているではないか。

 「あー、こんなところにお肉のヨドミが…」

   ●

 背もたれのある椅子に座り続ける。
 そのことによって、ついつい背もたれにもたれてしまう。

 「リラックスしている」とも言えるが、それは「気を抜いている」とも言えるだろう。

 ダイエットを2002年のかなり高い目標にしながらも、この気の抜きよう。
 そら、脂肪くんたちもあきれてお腹に集中してくるわけだ。

   ●

 であるから、昨日からぼくの椅子には背もたれがない。
 以前は背もたれがついていたのだが、あまりにも背もたれしすぎて、背中の部分が折れてしまった椅子だ(こわかったぁ〜)。

 修理に出してもらえず、「テーブルの下に隠しておくのに便利」という理由だけで邪魔にならない場所に葬られていた椅子。
 いきなり脚光をあびた。いや浴びせた。

 「おまえが、オレの最後の闘いにお供してくれるお猿さんだ」

 文章の成りゆき上、キジは朝に呑む緑茶くん、イヌは昼に呑むウーロン茶くんとしておこう。

   ●

 そんなこんなで突如始まったタクマ式ダイエット。
 もう1日で猛烈な成果があがっている。

 というのも、脇腹のお肉がつかみにくいのである。

 もちろん、背筋を伸ばしていたら、脇腹の肉がつかみにくいのは誰もが同じだと思うのだが、背もたれがある椅子にもたれながら肉をつかむと「これでステーキが何枚作れるのだろう」だったのだ。
 そのことを振り返れば(奴がいる)、精神衛生上結構いい。
 ダイエットは、神経戦でもあるのだ。

 この1日でどれくらい効果があったのかは、体重計なるものや、体脂肪計なるものをチェックしていなかったので全くわからない。
 明日からつけたくないが、いや見たくないが、つけることにしようか(知りたくないなぁ、現実)。

   ●

 そうだ。
 このタクマ式ダイエット法がなぜ危険なのか書くのを忘れていた。

 それはホラ、想像してみて下さい。
 これまで座っていた椅子のこと。

 昨日から始めたこのダイエットで、背もたれがあると思って、何回後ろにずっこけかけたか。
 一瞬でも油断をすると床に後頭部直撃。
 まさに生死を賭けたダイエット法なのである(かなり危険だ)。

 と言っても、ただ背筋を伸ばすだけなんだけどね。

 (「背筋をずっと伸ばし続けるために、仕事中は背もたれのない椅子を使う」ってことだけで特許がとれたら、ボロい商売やろなぁ。そしてそれ用の「背もたれのないタクマ式ダイエット椅子、880円」なんて売出しをすれば、結構儲かるような気が…しませんねぇ、やっぱり)
 

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2002年5月24日(金)
歌詩に世相を取り入れよう。


 胸にグッとくる歌詩。

 その詩の中には、その時その瞬間にしか感じることができないフレーズが含まれていることが多い。
 時代をCTスキャンしているというか、もっと細かく写す機械でいえば、時代をMRIするというか。鋭いナイフで一瞬を切り取っている詩を、ぼくはリアルに感じる。
 おおまかに「〜だけ」とくくってしまっているものや、「まるで〜」と例えてしまっているものは、そこでため息が出てしまう。

 今の時代を切り取れ。
 そうすれば、今を感じることができる人は、何年、何十年経っても、2002年の雰囲気とともにその歌を思い出してくれる。

   ●

 などと、カッチョヨクいうのは簡単だが、思っていることを詩にはできても、歌詩にするには、もう一段階ハードルを越えないといけないのよね。

 でも、そこは倉木麻衣さんには頑張ってほしいと思うのだ。
 どこまでも、妥協することなく、丁寧にしつこくこだわってほしいと思うのだ。

   ●

 そんな中、「今」を感じる新聞記事があったので2002年の今残しておこう。

   ●

 『時給が下落 勤務増やす
   (『日本経済新聞』2002年5月20日(月)朝刊12版12面より)

 この記事は、不景気からか、学生のアルバイト時給が下がっているということを書いているものだ。

 〈アルバイト経験のある学生が受け取った時給の平均は福岡を除く三地域(田熊注・首都圏・関西圏・中部圏・福岡圏から福岡圏を除いた三地域のこと〉で下落。首都は九百四十六円(前年比十一円安)、関西は八百九十二円(同十一円安)、中部圏は八百六十円(同十二円安)に落ち込んだ。〉

とのこと。
 しかし、この記事でじっくり考えたいのは、時給が下がっていることではない。
 時給が下がっていることを補うために、学生諸君はアルバイト日数を増やしているらしいということだ。

 〈一方、一年間のアルバイト日数(アルバイト未経験者を含む平均)は、最も多い関西が九十九・三日と前年比七・三日増え、調査を始めた九四年以降最多を記録したほか、首都が八十六・六日(同一・八日増〉、福岡が七十七・五日(同四・一日増)。中部だけは九十一・三日と九・四日減った。〉

 中部圏は減っているが、他の地域は軒並み増えている。
 ここで何を感じるか。
 倉木さんは何を感じるだろうか?

 ぼくは単純に思う。

 「今のデフレ不景気は、恋人同士が会う機会を減らしているのだなぁ〜」

   ●

 『消える?夕立
   (『日本経済新聞』2002年5月21日(火)夕刊4版16面より)

 この記事は、東京都心部では夕立が少なくなっているというもの。

 〈東京都心部では夏の猛暑に一服の涼をもたらす夕立に代わり、昼下がりと真夜中の短時間の大雨が増えていることが気象庁の研究チームの調査で分かった。〉

という。
 そして、

〈専門家は都心のヒートアイランド化が一因ではないかと指摘している。〉

 ここで書かれている〈ヒートアイランド化〉というのはこういうものだ。

 〈▼ヒートアイランド現象 都市部で周辺地域より気温が上昇する現象で、同じ温度の地点を線を結んでつくる等温線を描くと、ちょうど島のように浮かび上がるため、こう呼ばれる。気象庁によると、一九〇〇年から百年で東京都心の年平均気温は約三・〇度上昇した。
 原因として、(1)道路の舗装やビルの増加でアスファルトやコンクリートの面積が増え、熱を蓄積しやすくなった(2)自動車や冷暖房で熱が放出される(3)緑地や土の地面、水辺が減り、水分の蒸発によって気化熱を奪われる機会が減った――などが挙げられている。〉

 さて、この記事を読んで倉木さんは何を感じるだろう。

 ぼくは単純に思う。

 「『授業が終わったあと、教室を出たときに突然の夕立。雨宿りしていたら、横から傘を貸してくれた…』。なんて出会いは少なくなるのだなぁ〜」

 それかはたまた、

 「夕立が上がったあと、空に描かれた虹。あの虹を一緒に見ることはあまりないのだなぁ〜」

   ●

 なんて、新聞記事には、リアルな出来事があふれているのである。

 そしてそんな新聞記事の中で、こんな記事を発見。

   ●

 『米で人気 パフィーのナゼ
   (『日本経済新聞』2002年5月22日(水)夕刊3版5面より)

 なんと、アメリカで今パパパ・パフィーさんがブレイク寸前だという。

 〈太平洋の東側で、女性二人組の日本人歌手パフィーが上昇気流に乗り始めた。米国のベスト盤発売、北米ツアー、アニメ番組の主役起用と元気さが目立つ。かつて「全米制覇」に挑んだ日本人歌手は厚い壁に跳ね返されてきた。なぜパフィーは人気なのか。米国の「Jポップ」事情を探った。〉

 と、日本経済新聞さんが取り上げているのである。
 パフィーさん、いつの間に?

 〈日本での成功をきっかけに「全米」に挑んだ日本人歌手は少なくない。ピンク・レディー、松田聖子、久保田利伸、ドリームズ・カム・トゥルーが話題となったが、いずれも商業的には失敗。「出せば三百万枚」といわれたドリカムも一九九八年の全米デビュー盤の売り上げは一万枚。松田、久保田両氏も五―七千枚がやっとだ。〉

 〈「可能性があるのはパフィー」。ソニーには二年前から確信があった。セクシー路線全盛の米国で二人が持つ「健康的イメージ」の新鮮さ。一昨年春以降、カレッジ・ラジオへの売り込みなど草の根作戦を続けてきた。〉

 〈「全米デビューと銘打ってそれを日本で利用するのは格好悪い」。二人の考えで、自力が付くまで国内で米国話は避け、金をかけた派手な宣伝も打たなかった。〉

という、という、という…。

 うーん、全然しらんかった。
 FM802さんで、最近あまり話を聞かないと思っていたら、アメリカで話を進めていたとは。
 やられた。

 仕方がない。
 この記事の中で、とても倉木さんたちに読んでほしいところがあったので、そこを最後に引用しておくことにするか。
 読んでほしいところはこちらです。

   ●

 〈完ぺきな英語を目指した先輩とは違い、歌は日本語が基本。「前は歌手を米国仕様に変えようとして本来の魅力まで削っていた」。松田、久保田両氏を手掛けたソニーにとってこれまで壁だった日本語を「武器」に変える初の実験である。〉

 そして、もう一つ。

 〈唯一、全米一位となった曲は故坂本九氏の「上を向いて歩こう」。〉

   ●

 倉木さんが、アメリカで本格的に勝負する時は、堂々と日本語でいってほしいと思うのだ。
 大野愛果さんの初CDの歌声は、スタジオ録音をすべてボツにし、自宅での録音を優先した時のように。

 発音とかが気になって、倉木さんのよさが削がれてしまうのだら、日本語で堂々と勝負してほしいと思うのだ。

 どーんとね。

 どーんと恥じることなく、日本語で勝負してほしいと思うのだ。

 

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2002年5月25日(土)
FCイベントの概要決定?


 あらら。

 倉木麻衣さんのFCイベントの概要が決定したことを、ヒットカウンターのある掲示板で教えてくれた人がいる(ありがとー)。

 で、書き込んでくれた内容によると…。

   ●

 と、その教えてくれたこと(ほんのさわりだけだけど)を書いたりすると、せっかく内緒にして、ぼくらファンを驚かそうとしてくれているファンクラブのスタッフのみなさんや倉木さん、そして関係者のみなさま方に申し訳ないので、その書き込みは各自探してもらうことにしましょうか。

 もしその書き込み通りの進行ならば、きっとぼくらファンは、驚いて、見直して、納得して、ファンと倉木さんたちとの絆は今以上のものになるのだろうなぁ〜。
 イベントに倉木さんが「くる」か「こないか」なんてことを想像してたことを、「正直スマンかった」と思うのだろうなぁ〜。

 で、一つだけ。
 その書き込んでくれて人のURLをたどっていくと次の場所にたどりつきました。
 ここのホームページって、倉木さんのセカンドライブを担当してくださったところみたいなのですね。

 『MSI-JAPAN』さん
 http://www.msi-japan.com/

 わわわ。
 大阪城ホールにぶら下げてあった、あのでかいスピーカーが写ってるぅ〜。

   ●

 『チェッカーお試し掲示板』のももじろうさん、どうもです(2374番)。

 〈アメリカで日本語の楽曲を出すのが本格的に勝負してる
 ことになるのでしょうか?
 アメリカで英語の楽曲を出すのが本格的な勝負なのでは
 ないのでしょうか?


とのことですが、別に日本語で本格的に勝負してもいいのでは?

 プロモーションビデオで攻めるのなら、英語の字幕をつければいいし。
 日本語の意味がわからん、というのなら、少しのサービスはすればいいとは思いますが、全面的に英語圏の人々に合わせるようなことをする必要はないと思います。

 わかりやすい例になるかどうかわかりませんが、ももじろうさんは、映画の洋画をどう思われますか?
 洋画が日本で公開されることは、ももじろうさんのお考えで言えば、「洋画は日本では本格的な勝負をしていない」となるのでしょうか?

 アメリカ映画でも、韓国映画でも、日本で公開する時は、「日本語吹き替え」という荒技があったりしますが、ほとんどは字幕スーパー。そして日本語吹き替えの時でも、映画で演じている役者さんが日本語の吹き替えをしているのではないと思うのですが。

 まず映画があって、その映画を外国で公開する時に字幕スーパーが必要になるのであって。

 とぼくは思っているので、ももじろうさんのおっしゃられる〈アメリカで英語の楽曲を出すのが本格的な勝負なのではないのでしょうか?〉というお考えは、本末転倒ではないかと思いました。

 別の言葉で置き換えれば、アメリカの役者さんたちが日本語を話している映画を作る。
 そのことをももじろうさんは〈本格的な勝負〉と思いこんでおられるのではないかと思いました。

 いい映画を作っていれば、そこには日本語も英語も関係ない。
 それは音楽でも同じだと思います。

 マイケル・ジャクソンさんが、いきなり全編日本語の楽曲を出して、本格的に日本で勝負を始めたらどう思われるでしょうか?

 「マイケル・ジャクソンさーん。くるならこい。堂々と、自分の得意とする英語の歌詩で攻めてこい。日本人に媚びるようなことなんかするな〜」

 なんて思いませんか?

 倉木さんが日本でまだ1曲も披露していないのなら話は別ですが、今までに「これもいい曲」「あれもいい曲」というのがいっぱいあります。ですから、その曲をそのままの形でアメリカに勝負すればいいのに、と思います。
 『This is your life』なんか、今の日本語の詩のままでも爆発的にヒットするのでは、と妄想していたりします。

 もし、アメリカで本格的に勝負をする時に、英語詩がなければならないと思うのなら、そんな勝負やめてしまえ。
 そこまで、アメリカ人は英語しかわからないバカと思っているのか。
 それとも、「今まで作ってきた音楽は二流でございました」と聴いていたぼくらに懺悔しているのか。

 なんて、そこまで食い込んで思います。

 今までの曲で十分満足してきたぼくは、そんなぼくと同じような感覚を持つ人は他にもいるのではないか、と思います。
 それは言葉を越えて、アメリカの国の中にも。

 音楽自体をアメリカ仕様に変える必要は全くない。
 もしアメリカで本格的に勝負をするのなら、その時に考えなければならないのは、宣伝方法。どのように広めていくか、その手段をどうするかだと思います。
 例えば、「字幕スーパーはアメリカの戸田奈津子さんにお願いしよう」とかいうことに力を注ぐべきだと思います(と言ってもぼくは戸田さんのことをほとんど知らなかったりするのですが。えーとここでは、「アメリカの戸田奈津子さん=アメリカ人の心に届く翻訳ができる人」っていう意味で使っています)。

 ということで、申し訳ないのですが、ももじろうさんと、ももじろうさんのご意見に賛成されたhashibaさん(2375番)のご意見には、ぼくは賛同できません。
 倉木さんが、アメリカで本格的に勝負する時は、自信をもって堂々と日本語でいってほしいと思います。
 

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2002年5月25日(土)-2
ひぇ〜〜〜。


 ひぇ〜〜〜。

 中国での倉木さんの人気がすごすぎる〜。

 どして、日本のヤフーさんより、中国のヤフーさんに載っているホームページの方が多いの〜〜〜。

 『YAHOO!雅虎中文』さんの「倉木麻衣」カテゴリのところ
 http://cn.yahoo.com/Regional/Countries_and_Regions/
 Japan/Entertainment/Music/Artists/Rock_and_Pop/
 Female_Singers/Kuraki__Mai/
 

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2002年5月25日(土)-3
書き忘れていた産経新聞さんの連載。


 この前まで連載されていた産経新聞さんの『立命館研究』。
 その中でもう一つ「倉木麻衣」さんの名前が出てきたところがあったので、残しておこう。

 あれはちょうど、立命館大学さんの入試改革のことを書いた回でした。

   ●

 〈多様な学生の受け入れを目的に進められた立命館の一連の入試改革。四教科型やセンター試験方式など実に十八タイプ(本年度)にのぼる一般入試や、AOなどの特別入試、さらに全国十数都市に拡大された地方試験など、先駆的な取り組みの一つ一つが「個性豊かな学生の獲得」を目に見える形で実現してきた。〉
   (『産経新聞』2002年5月7日(火)夕刊4版14面
    『立命館研究(24)』
    「個性」集めた多様な入試
    「せっかく大学に行くからにはいろんなことを学びたい」より)

 ということで、〈個性豊かな学生〉の例として、まず今春経営学部を卒業された淵高晴さんの話が出てくる。
 淵高さんは、在学中三年になったばかりの時に、インターネットを利用した市場調査会社「ネットバード」を設立。在学中に年間三千万円近くの利益を生みだしたという。
 その淵高さんは、入試改革で生まれた「後期分割方式」で入学。

 そして、その次に「文芸入試」で入学した人の例が取り上げられている。
 そこで倉木さんの名前が出てくる。

 〈昨夏、世界大会の団体部門で優勝したバトントワリング部の木村朱美(二〇)。歌手、倉木麻衣(一九)と同じく、昨年度の文芸入試で産業社会学部に入った木村が立命館を選んだのは、「課外活動にすごく力を入れている」という特色にひかれたからだ。今年は日本からたった三人というソロ部門の代表に選ばれ、八月にカナダで開かれる世界大会で上位を目指す。〉

 これだけだが、立命館大学さんにとっては、倉木さんがすべてではないことがわかる。
 倉木さんと同年入学の人の中に、木村さん以外にもすごい人がゴロゴロいるんだろうなぁ。
 

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2002年5月26日(日)
ふー、やれやれ。


 この1年。
 いや、2年?

 いったいなんなのだ。

 『OHHO・ダウンロード回数』
 http://hpcgi1.nifty.com/ohho/dlcounter/downview.cgi

 ふー。やれやれ。

 たった、3日で、『ヒットカウンターから花束を』が抜かれてしまった。

 『麻衣ちゃんうちわver100』、恐るべし。
 Shigeさん、恐るべし。
 

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2002年5月26日(日)-2
ショムニ・ショック。


 びっくりした。

 びっくりした。

 びっくりした。

 ショック。

 『ZAKZAK』さん
 http://www.zakzak.co.jp/top-xus/top2002052610.html

 関西テレビさんの『ショムニ』さんに出ていた伊藤俊人さんがなくなってしまった。

 あー、ショック。

 あんな色と味と雰囲気を出せる俳優さん、そんなにいないのに。

    ●

 『チェッカーお試し掲示板』のももじろうさんへ(2386番)。
 〈音楽と洋画(映画)は違いますよ。〉とのこと。
 ももじろうさんとぼくの考えも違いますね。
 

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2002年5月27日(月)
心配した〜。


 『チェッカーお試し掲示板』のももじろうさん、まいど(2394番)。

 〈つまり、OHHOさんは音楽と映画は同じものと
 考えているのでしょうか?


とのことですが、音楽も映画も、そして言ってしまえば、スポーツも同じだと思っていますよ〜。

 それから、

 〈それと以前から気になっていたことですが、OHHOさん
 個人の考えなのに「ぼくは」ではなく「ぼくら」と
 書くことがあるのは何故なのでしょうか?


のことですが、ぼくが思ったことはできるだけ「ぼく」で書こうと思っています。
 ですが、これはどこかで読んだ他の人の気持ちや思いの中にあったなぁ〜、と思い出したときは「ぼくら」と書くようにしています(でも、時々忘れてしまい、ずうずうしく「ぼく」と書いている時があると思いますが)。
 だから、ある時は「ぼく」であり、ある時は「ぼくら」や「みんな」であったりします。

   ●

 同じく『チェッカーお試し掲示板』のRed_Busさんへ(2392番)。
 ほんと、伊藤俊人さんのこと、残念に思います。
 でも、これは伊藤さんばかりでないですよ〜。
 突然、いきなり〈さようなら〉はなしですよ〜(2383番)。
 みんなRed_Busさんのことを心配してしまうんですからね〜。

 あ、いい例だ〜。

 もう一度、ももじろうさんへ。
 Red_Busさんへ宛てた最後の行で、

 「ぼくはRed_Busさんのことを心配してしまうんですからね〜

って書くと変に感じません?
 ぼくの考えだけど、ここで「ぼく」と書くと、ぼくだけが心配しているようになってしまうみたいで。

 そういうような感じで、ぼくの日記の中には、「ぼく」と「ぼくら」と「みんな」は、一緒くたになっていたりします。
 

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2002年5月28日(火)
人生変えちゃう夏かもね〜。


 5月18、19日と二日にわたったさぬきうどんツアーから人生観が少し変わった。

 どう変わったかというと、「うまいもんに、看板や立地は関係なし」である。

 今朝も会社へくる道を変え、裏道を通って、今まで気づかなかったうどん屋さんを探したのであった。

 さぬきうどんツアーで何があったのかは、またどこかにかーこお。

   ●

 『チェッカーお試し掲示板』のRed_Busさん、どうもです(2396番)。
 ひとまず上納品でよかったよかった。

 でも、いつなんどきまた情緒不安定になられるかわからないから、『チェッカーお試し掲示板』の掲示板タイトルを少しかえよ〜かなぁ〜。
 

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2002年5月28日(火)-2
松葉屋さん、チェックしました〜。


 『チェッカーお試し掲示板』のhashibaさん、どうもです(2407番)。
 松葉屋さんのお名前、手帳にチェックさせていただきました〜。

 それと2398番の中の〈OBPの一番後ろのテーブルに座っていたのがOHHO氏??〉のことですが、「違いま〜す」。

 あと、

 〈やっぱり、その国の言葉で歌わないと、ちゃんと伝わらないと思う。
その結果、某国に倉木麻衣さんのファンサイトが多く存在しているのでは?


のことですが、倉木さんの日本以外でのファンサイトさんは、デビューの年から結構あったりします。
 例えば、ヒットカウンターに残しているリンクのページでは、2000年6月7日に『Mai fan`s cafe』さん(たぶん韓国さんのファイサイトさん)を知った時に、すでに7つくらいのリンクを確認してたみたいです(ぼくも忘れてましたが)。
 中国さんのヤフーさんの中に「倉木麻衣」さんのカテゴリが作られていて、その中にあそこまでの数のファンサイトさんがあるとは思いませんでした〜(リンクが切れているところもありましたが)。
 でも、アメリカのヤフーさんでは、ファンサイトさんがなかなか見つけられなかったりするのですね。英語で歌っているのになぁ〜。

 これだけの理由しかありませんが、その国の言葉で歌うかどうかで、気持ちが伝わるかどうかは関係していないと思います。

 たとえ、その国の言葉で歌うことに意味がいくらかあるとしても、そこで重要なのは、歌手の発音のうまさではないように思います。
 それよりも、そこの国の人の心をとらえられるかどうかの鍵になるのは、歌の場合では訳詩が上手いかどうかではないでしょうか?

 倉木さんが頑張って英語の発音が抜群にうまくなり、全身全霊の祈りを込めて歌っても、その作品自体にひっかかるところがなければ、誰の心にも届かない気がします。

 倉木さんの歌の英語のところは、自分が一番感動する言葉に変換してぼくは聞いていたりします。
 でも、逆に日本語だと、その言葉の意味がストレートにわかってしまうので、のめり込めない時があります。

 それと同じように、日本人が英語で歌うと、歌っている日本人は一番感動的な解釈で歌っているのですが、聞いているアメリカの人は意味がストレートにわかり過ぎて興ざめしているのかもしれない。

 なんてことは今、書きながら考えました。

 で、倉木さんが本格的にアメリカで勝負する時に、それでも英語で歌うことにこだわるのなら、アメリカでナンバー1の詩人に訳詩の依頼をするべきではないか、とまで思ったりして。
 逆に、日本で勝負をしたいと思っている外国の歌手の人がいるならば、日本語詩は今なら江國香織さんに頼むべし、と思ったりして。

 と思っていても、ぼくとしては、絶対一番得意なことで勝負をすべきであると思います。

 詩の解釈は、聴く人がしてくれる。
 「日本語だとわからない」と思うのは、余計なお節介ではないかと思います。

   ●

 同じく『チェッカーお試し掲示板』のももじろうさんへ(2400番)。
 へ?
 音楽も映画もスポーツも同じではないですか?
 その作品や人物そのものに力量があれば、言葉なんて関係ないってことでは一緒では?
 

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2002年5月29日(水)
ももじろうさん、それはちょっと。


 『チェッカーお試し掲示板』のももじろうさん、どうも(2413番)。

 〈音楽、映画、スポーツを、言葉だけで考えても違いは
 色々ありますよ。例えば、
 映画は言葉が無くても成り立つし(映像だけでも)
 スポーツは言葉が無くても伝わる。だが、
 音楽は(歌は)言葉と深く関わってくる。
 本格的にアメリカで勝負する時に、言葉だけで
 捉えても、この三つには大きな違いがあると考えます。


とのことですが、ももじろうさんはわざと書かれているのかもしれませんが、この例えはちょっとこじつけ過ぎていると思いました。

 〈映画は言葉が無くても成り立つし(映像だけでも)〉ときて、〈スポーツは言葉が無くても伝わる〉とまではわかるのですが、その次になぜ〈音楽は(歌は)言葉と深く関わってくる〉になるのでしょうか?

 音楽も、言葉がなくてもいっぱい成り立ってますやん。

   ●

 なぜそこで〈音楽は(歌は)言葉と深く関わってくる〉となるのか、ぼくには全く理解できません。
 例えば、映画の話だと、黒澤明監督の映画は、無声映画だから海外で評価されたのでしょうか?

 言葉がなくても成り立つのは、映画でもスポーツでも音楽でも同じ。
 逆に、言葉がないと成り立たないのは、映画でもスポーツでも音楽でも同じだと思います(スポーツでも抗議する時に、共通の言葉がないと理解してもらえないことがあると思いますし)。

 それはそれぞれ、ある面では同じであって、ある面では違うところがあるということではないでしょうか?
 それをここの例えで、ももじろうさんは都合のいいように結びつけていると思いました。

 ぼくは、〈力量があれば〉という条件をつけて、その時は〈言葉なんて関係ないってことでは一緒〉と言っています。

 ですが、このももじろうさんの例えでは、一般論すぎて、どうにでも解釈できるように思います。

 ももじろうさんは、作品や人物に力量がある時は、どのようにお考えなのでしょうか?

   ●

 それから、

 〈力量があれば言葉なんて関係ないって言うのなら、別に
 英語で歌うことを否定しなくてもいいのでは?
 (アメリカで堂々と英語の歌を出す力量があれば)


とのことですが、このことは一番初めに書いてますやん。

 今回の話の元になっている2002年5月24日(金)の日記のところです。

   ●
 
 〈倉木さんが、アメリカで本格的に勝負する時は、堂々と日本語でいってほしいと思うのだ。
 大野愛果さんの初CDの歌声は、スタジオ録音をすべてボツにし、自宅での録音を優先した時のように。

 発音とかが気になって、倉木さんのよさが削がれてしまうのだら、日本語で堂々と勝負してほしいと思うのだ。

 どーんとね。

 どーんと恥じることなく、日本語で勝負してほしいと思うのだ。〉

   ●

 〈発音とかが気になって、倉木さんのよさが削がれてしまうのだら、日本語で堂々と勝負してほしいと思うのだ。〉と、なんで英語ではなく、日本語で勝負してほしいか、その理由を最初の最初に書いてますやん。

 「アメリカで勝負するときは、英語に限る」。
 それは偏見であり、勘違いだとぼくは思っています。
 それは、「スタジオで録音するものは自宅で録音するものより上」と考えている偏見と同じものだと思っています。

   ●

 と思ったら、キャー、ハズカシー。

 〈倉木さんのよさが削がれてしまうのだら〉って書いてるよー。

 ももじろうさん、ここで訂正させていただきます。

 〈倉木さんのよさが削がれてしまうのなら〉でした。

   ●

 で、いつも、ももじろうさんに質問されているので、今日は逆にここできちんと質問したいと思います。

 ももじろうさん、質問です。

 なぜアメリカでヒットした日本の歌は、具体的に言うと、ビルボードで1位になった曲は、坂本九さんの『SUKIYAKI』しかないのでしょうか?
 ピンクレディーさんから松田聖子さん、そしてドリームズ・カム・トゥルーさんまで挑戦して、ことごとくうまくいってないのはなぜなのでしょうか?

 坂本九さんの歌は英語ではなく日本語で1位になっています。
 ですが、他のみなさんの歌は英語です。

 参考にしていただけると思うホームページとして、次のところがありましたので、ここで紹介しておきます。

 『SIGHT GO 音楽夜話12』さん
 http://www1.ocn.ne.jp/~sightgo/newpage75.htm
 (坂本九さんの『上を向いて歩こう』が『SUKIYAKI』と改題され、ビルボード1位になるまでの過程を説明してくれているホームページです。SIGHT GO 音楽夜話12さん、勝手にリンクしてすみません)

   ●

 ももじろうさん、先に言っておきます。
 ぼくの答えは、「作品に力量があれば言葉なんて関係ない」です。
 そのことでしか、ぼくは説明ができません。

   ●

 で、ももじろうさんにも関係があるかもしれませんが、fROm-Hellさんへ(2411番)。

 fROm-Hellさんの

英語の歌を歌い上げるのだったら、アメリカの音楽を聴くだけではなくて、その土地に暮らし、自分の血や肉にしていかないと難しいと思うッス。

ということを読んで、そうだったのかと思いました。

 倉木さんのUS盤について、ビルボード誌のアジア担当の人がコメントしていたと思うのですが(担当違いましたっけ?)、その人は、「倉木さんもアメリカで生活して、ジャンクフードも食べて、アメリカ人と恋をして、それからアメリカで歌を出せば…」と言っていたような…。

 もしかして、あのコメントって、「US盤聞いたよ。英語で歌えるんだね。でも、ぼくらの心に届けようと思うのなら、アメリカで永住して歌わないとダメだよ」と言われていたのかなと思いました。
 「出稼ぎで、おいしいところだけもっていこうとしても無茶」と言われていたのかな?

 ということを考えると、その見えない壁を正面から堂々と破ることができる日本で唯一の歌謡曲歌手は、宇多田ヒカルさんではないかなと思いました。

 なんてことまで考えさせてくれておおきにです、fROm-Hellさん。

   ●

 話は全く変わりますが、クレイジー・ケン・バンドさん(?)が歌う『まっぴらロック』(?)という歌は、「こんな歌、2002年に聞いていいのか」と思うほど、ほのぼの面白い歌です。

   ●

 そうそう。
 宇多田ヒカルさんの『プレイ・ボール』をFM802さんで何回か聞いている。
 もう、設定がうまい!
 こういうふうに野球選手を散りばめられるのか〜、と宇多田さんの言葉の職人芸に感服。

 であるが、前奏だけ聞くと、「あれれ、今ごろ『Addicted To You』がかかるの?」と思ってしまいドキドキ(好きなのよね〜、『Addicted To You』も)。
 『プレイ・ボール』って、歌詩をしっかり読むと、『Addicted To You』とつながっていたりするのだろうか?

 なんかそこまで深読みしてしまう、『プレイ・ボール』なのである。

 とにかくシチュエーション抜群だと思う(←カタカナ表現に自信なし。田熊)。

 また、ちょっと聞こえる歌詩の中には、『Addicted To You』だけではなく『Letters』にもつながるものがあった。
 と思ってたら、アルバム『DEEP RIVER』の5曲目が『Letters』で、6曲目が『プレイ・ボール』ではないの。
 ううむ(これまたつながっているのだろうか?伏線だらけじゃ)。

 『プレイ・ボール』ってカタカナ表記も、大好きだった漫画『プレイ・ボール』(作・ちばあきおさん)とダブってとてもいい。
 主人公の「谷口くん」にどれだけ泣かされたことか。

 そういや、ぼくが小学生の時、卒業文集に「阪神タイガースに入ってプロ野球の選手になる!」と書いた記憶が…。

 おおおお…
 

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2002年5月30日(木)
ももじろうさーん、ももじろうさ〜ん。


 『チェッカーお試し掲示板』のももじろうさーん(2415番)。

 あのあのあの、です。

 〈「歌」は言葉が無ければ成り立たないでしょう?
 ぼくは、「音楽(歌は)」と書いています。
 「音楽」とは書いていませんよ。言葉について語って
 いるのだから当然「音楽」の中の「歌」についてです。


と書かれているのですが、あのあのあの、です。

 ここで、ももじろうさんが〈音楽(歌は)〉のことだけを言われていたのなら、ぼくも納得します。
 ですが、違いますやん。
 「映画」と「スポーツ」と比べて「音楽(歌は)」と言われていたのではないですか。

 〈音楽、映画、スポーツを、言葉だけで考えても違いは
 色々ありますよ。例えば、
 映画は言葉が無くても成り立つし(映像だけでも)
 スポーツは言葉が無くても伝わる。だが、
 音楽は(歌は)言葉と深く関わってくる。
 本格的にアメリカで勝負する時に、言葉だけで
 捉えても、この三つには大きな違いがあると考えます。


と、ももじろうさんは2413番に書かれています。

 ももじろうさんはここで、「映画」は映画全般の話として〈映画は言葉が無くても成り立つし(映像だけでも)〉といい、「スポーツ」もスポーツ全般の話として〈スポーツは言葉が無くても伝わる〉と書かれています。
 ですが、「音楽」になると、いきなり〈音楽は(歌は)〉と限定してしまいます。

 〈言葉と深く関わってくる〉のは〈音楽は(歌は)〉と言いたいためだと思うのですが、だったら映画は「映画(セリフのある映画は)」と限定したものがあるのではないでしょうか。
 セリフが入っている映画からセリフをなくしたら、それは「映画」ではないと思います。

 〈音楽は(歌は)〉と、例えば「映画(セリフのある映画は)」とは、言葉がなければ成り立たない点で、どこが違うのでしょうか?

 「映画」「スポーツ」「音楽」を比較して、ぼくはある点で一緒と言っています。
 ぼくが一緒と言っていることが間違っているのならわかるのですが、ぼくが言っていることとは違うところで、〈この三つには大きな違いがあると考えます〉と言われても、どうしたらいいのだろう、です。

 その上、ぼくは「映画」「スポーツ」「音楽」を比較しているのに、ももじろうさんは「映画」「スポーツ」「音楽は(歌は)」とすりかえられて比較されています。

 へんな話だと思います。

 映画のところでぼくが黒澤監督の映画を出したのは、「評価」についてこだわってほしいからではありません。
 「日本語」の映画なのに外国の人にも伝わっているという例として出しました。アメリカに本格的に勝負する時は言葉は関係ない、の一例です。
 何回も言いますが、ぼくは映画も音楽もスポーツもある点で一緒と考えています。

 それから、ももじろうさん、話は戻りますが、歌にも言葉がないものがありますよ。

 思いついたところを言うと、ブルガリア・ボイスと呼ばれる音楽や、日本では、さだまさしさんの『北の国から』のテーマソングとか。
 スキャットやハミングで成り立っている歌もあります。そして山口百恵さんの『美・サイテント』なんて、途中で歌を歌わず口パクになり、ここの「○○○」の歌詩はあなたが考えて、という歌もありましたやん。

 でも、それらの音楽を「歌」ではないとおっしゃるのなら、ぼくはこれ以上どう話を続けていったらいいかわかりません。

 ももじろうさん。
 ぼくはアメリカに日本語でも本格的に勝負できると考えています。
 ももじろうさんは、そうではないとおっしゃっるのでしたら、ぼくの返事は、2002年5月26日(日)-2の日記に書いた〈ももじろうさんとぼくの考えも違いますね〉です。

 それから、ももじろうさん。
 ぼくの意見について不明なことがあるから、ももじろうさんは質問されていると思っていました。
 ですが、ももじろうさんのご意見は初めからあったのではないですか?
 もしそうなら、ぼくに質問するのではなく、「田熊はこう思っているが、私の意見はこうだ」と最初から言えばいいのではないでしょうか?
 そうすれば、ぼくも「ももじろうさんのここの意見には賛成」と言えるのに。

 ももじろうさんは〈英語に限るなんて言ってません。どちらが本格的と思うか、について意見を述べています〉と書かれていますが、ももじろうさんは今回のことでは意見は述べられていないと思っていました。
 ぼくが理解できないだけかもしれませんが、〈どちらが本格的と思うか〉ということについて、ももじろうさんはどこで意見を書かれていたのでしょうか?
 疑問符「?」をつけて僕に質問されていたところが意見なのでしょうか?

 なんか、ももじろうさんは、ぼくを負かそう負かそうとされているというか、揚げ足を取ろうとされているというか、そんなふうに感じます。
 その上、質問に質問を重ねられるので、「ももじろうさんは結局何を言いたいのだろう?」状態にぼくは突入いたしました。

 ですが、もう一つご質問されていた坂本九さんの『SUKIYAKI』について、

 〈この作品に何の「力量」があったのか、まず教えて
 くれませんか?


とのことについてぼくの考えを書いておきます。

 と言っても、ちょっとしかないのですが、この曲がすごいと思うのは、メロディがシンプルで、口笛やハミングが似合うところだと思います。
 風呂に入っていても、街を歩いていても、洗濯物を干していても、ふと口ずさめる。
 歌を持って歩くことができるというか。
 CDプレーヤーの前だけで思い出すのじゃなく、生活に溶け込んでいるというか。
 そんなところがすごいなぁ〜、力量があるなぁ〜と思います。
 また、歌詞を思い出せなくても、メロディを「♪ふふふふーふふ」とハミングするだけで、他の人と一緒に歌うことができるのもすごいなぁ〜と思います。

 以上です、ももじろうさん。
 

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2002年5月31日(金)
W杯開幕と、もう一つのパンパカパーン。


 韓日のワールドカップサッカーが開幕。
 開幕戦でいきなり、フランスが負ける。

 しかし、大阪のある場所で、そんなことには関係ないように、一つの勝負の幕を開けた男がいた。

 88カ所探し。

 果たして、その行き着く先には何が待っているのか。
 それとも、答えのない国語の問題を始めてしまったのか。
 「答えはないのよ〜。みんなの意見を書いたらいいからね〜」
 という先生の言葉を信じ、書いた作文は落第点。

 まさか、答えがあったとは。

 いや、そんなことではない。
 今日、一つのドラマが、ここ日本でも始まった。

   ●

 最悪の時間だった。
 そうとしか言えない。

 なんと言っても、うちわであぶっていたのである。
 店の奥にあるテレビを見ていたのである。

 「あらら、閉店してるんだ」。
 そうぼくが思っても仕方がないだろう。

 しかし、今日は晩御飯はさぬきうどんと決めていた。
 きっぱりと、家で晩御飯は用意しなくていい、と言ってきたのだ。
 「ぜいたく〜」という声もあった。
 しかし、そんな声も乗り越えて、今日の晩御飯はさぬきうどんのはずだった。
 はずだった、はずだったのだ。なのになのに、ナイナイナイ、店があいてナーイ〜。

   ●

 目指すお店は『たかまつ』さんだった。
 堂々と「さぬきうどん」という看板に書かれていたし、そのうえ「チェーン店」とまで書かれていたのだ。
 これはどうころんでも「さぬきうどん」の店だろう。

 (つづく)
 

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