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2000/6/30

OHHO日記
インターネット編
1999/11/21〜 田熊孝浩
ようこそ。あなたはこのページを訪ねてくださった
人目の方です。

2000年6月2日(金)
 今週は、毎日のようにある人の病院へ見舞いに行っていた。
 一昨日は、行った時間が9時をまわっていたので、病院の中に入るにはインターホンで開けてもらわなければならなかったので、入らなかった。
 でも昨日はその反省を生かし、早く行けたので、中に入れた。
 その病院は最近建て替えられた。今じゃ、すごい最先端の病院のようになっている。しかし、見舞い相手のその人が前に入院していた時は、狭い病院で、付き添い用のボンボンベットを広げると、看護婦さんが入るスペースはなくなるぐらいだった。
 見舞いの帰り、その病院を見上げた。ほんと、立派な建物になったもんだ。前の時は、そうや、あの人と一緒に手術が終わるのを待っていたなぁ、とか、あの人はあの時会社を休んでいたのだなぁ、とか、何だかいろんなことを思い出して、動くことができなくなった。

 結局、今、病院に入院している人は、まだ入院できるくらい元気で、僕と一緒にその人の手術を待っていた人は、もう会えない人になってしまった。
 不思議やなぁ、と思う。

 でも、インターネットの掲示板では、簡単に「死ね」だとか、言葉を変えて「氏ね」だと書かれている。
 なんかほんま、平和な世の中やなぁ。

 そんなことを昨日、毎日放送の『ニュース23』の介護保険の特集を見てて思っていた。

2000年6月3日(土)
 大阪・地下鉄天神橋筋六丁目駅の上にある『TSUTAYA』さんで、倉木さんの中古CDを発見。
 『Secret of my heart』が19枚(各500円)、『Stay by my side』が4枚(各400円)。
 新品が買えない人はまず中古でもいいかな。中古を買ったら、次に出た新曲はすぐに買いたくなるもんね。
 で、そこで売られていたのは、すべてレンタルくずれのものでした。

 そうそう、『週刊アサヒ芸能』のことを書いておかなければ。
 と思ったのが手元にない。ので、かいつまんで。
 ほんま、こんなええかげんなことでも一つの記事になるのか、って感じ。
 内容は、「倉木さんが紅白に出る!?」というもの。で、その根拠は、っていうと、宇多田ヒカルさんが出なかった紅白に倉木さんは出るのだろう、というむちゃくちゃな噂話である。で、倉木さんの事務所の方もちゃんと“テレビ出演は高校を卒業するまでしない”と言っている(そのようなコメントも載っている)のに、アサヒ芸能さんのこの記事は、わざわざそのコメントの最後に「…」をつけて、含みを持たせようとしている。
 ほんなアホな。「…」は余計。一度たりとも、倉木さんの関係者の方は、卒業までテレビに出るとは言っていない。
 ほんまにもう。『アサヒ芸能』さん、いくら「倉木麻衣」という名前を書けば売れるかしれないけど、ここまで根も葉もない噂の記事は、倉木さん関係では初めて見ました。金かえせ〜。

 それにしても、本当に何度でも言うが、倉木さんは、売れていなかった時から、ずっとテレビやラジオに生で出演するっていうことはしていなかったのだ。
 それは隠していたからだ。でもそれは、「イメージ戦略」ではなく、テレビに出ると学業に支障が出るからだ。「イメージ戦略」なら、本人が出た記者会見くらい開くだろう。角川事務所さんが昔していた方法と同じということで、「イメージ戦略」という人がいると思うのだが、角川事務所さんはしっかりと会見を開いていたと思う。
 でも、倉木さんは日本デビューをしても、雑誌にさえ取り上げられなかった。それは、隠していたからではなく、雑誌社さんが無視をしたのだ。
 倉木さんが日本デビューをし、曲の紹介をしてくれた『remix』さんの記事を、倉木さんのオフィシャルページは紹介していた時がある。けど、倉木さんのオフィシャルページが『remix』さんを紹介しなければならないくらい、本当に、その頃はそういうところでしか「発売になった」ということさえ紹介してくれなかったのだ。
 だから、ってこともあると思う。知ってもらうためには、自分たちの力で告知をしなければならなかった。だから、GIZAさんはTVCMをバンバン打ったのだろう。
 でも、そうしてTVCMをバンバン打っているのは、倉木さんだけではない。
 ほんま、毎日よくテレビを見ていればわかるが、他の歌手の人も結構打っている。そこで、他の歌手の人TVCMが印象に残らず、倉木さんばかり印象に残るのは、倉木さんのTVCMが優れたものだからだ。見る人の記憶に残るTVCMを倉木さんのスタッフの人は作っている。

 それから、そのTVCMが「白とばし」ということでイチャモンをつける人がいる。しかし、それは、墨で描かれた山水画に「何で色がついていないねん」と文句を言っているのと同じ。山水画に色がついていないのは、それが山水画だからだ。というか、それはそれで一つの作品だ。
 倉木さんのTVCMやプロモーションビデオ、それはそれ自体で一つの作品だ。僕はその作品たちは、僕らの心に届くかどうかで判断すると、ものすごく優れている作品たちだと思う。僕らはその作品たちを支持する。

 ああ、何だか話がそれてしまったが、『アサヒ芸能』さんは買うべきではない。立ち読みをする必要もない。

 また、倉木さんは紅白に出る必要はない。「テレビに出ろ」という声に揺れずに、学業優先を、僕は大学に入っても貫いてほしいと思う。テレビに、一生出なくても、OKですよ、倉木さん、そしてスタッフのみなさん。

2000年6月5日(月)
 風邪ひいた。
 昨日は、過去ログの整理をしようと思っていたのに、全然できなかった。寝ても寝ても、ゴンゴンとせきが出て、おぬし、なかなかやるな状態だった。
 うーん、中途半端に両腕を布団から出して寝ていたのが悪かったのか。
 でも、今までお風呂に入ると次の日にはシャッキと直っていたのに、ここ3日間も続いているとはしつこいやつよ。

 と、書き始めた午後7時。
 いい調子やないの、風邪直ったんちゃう、という感じだ。
 ラッキー。

 それにしてもさっき『倉木麻衣さんへの掲示板』を見ると、あすかさんの悲しい書き込みがあった。いつかあすかさんにわかってもらえるのかなぁ。いつか戻ってきてもらえるのかなぁ。

 僕としては、3回目の「倉木麻衣」さんの書き込みを信じている。
 「倉木麻衣」さんは、たぶん、僕なみに古くから『倉木麻衣ヒットカウンター』を知っている人ではないか、と思っている。そして、『倉木麻衣さんへの掲示板』もできた当時から知っていたのではないか、とも思っている。
 でないと、「涙が止まらなく」なるような経験はしていないのじゃないか、な。

 ようやく、別冊OHHOの編集に再びとりかかれてる。しかし、OHHOのバックナンバーを申し込んでくれた人に1カ月以上、本を送れていない。うーん、なんたるちあ。すみません。

 で、別冊OHHOは『倉木麻衣ヒットカウンター』の最初の3カ月をまとめたものなのだが、もうそこであかん。もう心が揺れてしまうのね。
 『倉木麻衣ヒットカウンター』ができて3カ月というのは、『倉木麻衣さんへの掲示板』ができて1カ月も経っていない時だ。もうそこから、今のような、生きているような掲示板になっていた。というか、その初めの1カ月で、今のような生き物のような掲示板の方向が決まったんだと思う。
 うーん、ほんま、同時進行で、『倉木麻衣さんへの掲示板』と歩いていくって言うのは、力がいる。ほんといると思う。先月の5月なんて、ノイローゼになりかけたもんね。
 いや違うな。先月は、『倉木麻衣さんへの掲示板』以外でもいろいろあり、全身銃弾だらけになってしまっていたのだ。そういや、なんか、「田熊」という名前で書き込みをしている人が未だにいるし、あのあのあの状態はまだ続いているなぁ。

 土曜日にNHKで17歳の犯罪をからめた特集をしていた。そこで、インターネットのホームページの2ちゃんねるのことが出ていた。
 それを見て思ったのは、2ちゃんねるも、救いの一面があるんだってこと。っていうか、全部「救い」の掲示板なのかもしれない。
 すごくえぐい書き込みがあるけど、それは、何かを求めているからかもしれない。『倉木麻衣さんへの掲示板』とは向いている方向が違うけど、なぜ、あの2ちゃんねるさんが、『倉木麻衣さんへの掲示板』のリンクを続けるのか、それは『倉木麻衣さんへの掲示板』がネタになることを提供している掲示板ではなく、2ちゃんねるさんと同じことをしている掲示板だからじゃないか。そんなふうに思った。

 僕は、モノを言うことを押さえつけられると、人は悪い方へ向かっていくと考えている。いつからなんやろ、そう考えるようになったのは。うーん、わからないなぁ、忘れてしもた。
 言うことを言わないようにされると、どんどん溜まっていく。それは、自分で自分の言葉を規制してても同じで、自分の言いたいことを押さえつけていっても、一生押さえ続けることはできない。いつか爆発する。僕はもう何回爆発したことか。
 そうか、そういや、幼稚園のころから、机をひっくり返していたような記憶がある。
 うーん。根が深いなぁ。

 話がどんどんそれていくので、今日はおひらき。

2000年6月6日(火)
 今日は、新曲の『NEVER GONNA GIVE YOU UP』(やっぱり間違っていた。のでこれはもう訂正したものなのだ)の先行発売日。『倉木麻衣さんへの掲示板』を見るとみんな買ってる買ってる、聴いてる聴いてる。早い、早すぎる。
 で、今、会社でこの日記を書き込み中。
 帰りに買いにCD販売店に寄れるか。でも、予約したのは奈良だしなぁ。2枚買ってしまうことになるのか。ま、ええか。

 で、今日は『倉木麻衣さんへの掲示板』で、ある人の書き込みを次のページに回したかったので、滅茶苦茶いっぱい書き込んでしまった。けど、ああ、アキーさん、上にきてしもたがな。ま、ええか。
 それにしても、倉木さんのプライベートの書き込みは難しい。特に「初めまして」の人の時は無茶苦茶難しい。

 「倉木麻衣」さんの3回目の書き込みの直前の同じようなことがあった。
 僕は、ある人の書き込みをどうするべきか悩んでいた。倉木さんのプライベートなことが書き込まれていたからだ。でも、「初めまして」の人だったので、ちょっとだけ書き込んだあと、まだどうしようか悩んでいた。で、「やっぱ消そ」と思って、もう一度画面の「更新」をした。そうすると、「倉木麻衣」さんが書き込んでいた。
 僕は、削除せずにすんだ、というか、なんか「倉木麻衣」さんに助けてもらったなぁ、って、思った。

 それとは、関係なしに、本当に、悪意のない書き込みの時は迷う。今は、「すぐ削除するのではなく、ちゃんと理由を説明した方がよい」と言ってくれた方があったので、その方針をとっている。
 でも、今以上に具体的になると、「初めまして」の人でも削除してしまうのだろうなぁ。つらいなぁ。

2000年6月7日(水)
 『倉木麻衣さんへの掲示板』で宮3さんに教えてもらいました。
 昨日の、日記で間違いがあったので、直しておきます。倉木麻衣さんの新曲のタイトルです。

× 『You gonna give you up』
    ↓
○ 『NEVER GONNA GIVE YOU UP』

です。

 それにしても、というか、このCDの盤はきれいだ。透けるような青色。CDが入っている袋についているタイトルの紙というか樹脂も、透明の青色。ほんま、デザインしている人はうまいなぁ。

 で、曲は、昨日会社帰りに買ってしまった。
 FMラジオで聴くのと違って、断然いいじゃありませんか。「いけいけ、アメリカへいけーっ!」と応援したくなる。英語が多いため、詩を読んですぐに感動するというのは少ないけど、「いけーいけー」とか「いけるぞぉー」という感じ。
 2曲目も続けて聴くと、じんわりと泣けてくる。これは何なのだろう。
 倉木さんはこの1、2曲を続けて聴いてほしいと言っていると、確か『JUNON』さんで読んだ。2曲続けて聴くと、ほんとじんわりとくる。

 「空」が見えるような詩を書いてほしい、とずっと思っていた。だからとても嬉しい。
 空が見えた。「空」というか、僕にはある風景が浮かんできた。
 倉木さんはボストンのことを思って書いたようだが(これもたぶん『JUNON』さんで読んだ)、僕は、大阪の布施を思い出した。
 近鉄奈良線で、西大寺駅(奈良)から鶴橋駅(大阪)へ向かう時、快速急行は布施駅(大阪)を通り過ぎる。その布施駅のプラットホームを通り過ぎたあと、ふわーと遠くまで見渡せるようになるのだが、その風景を思い出した。ちょっと曇ってたりするんだけど、高い建物があんまりなくて、金剛山まで見渡せそうな感じ。ああ、そういや、ここの映画館に行ったな、とか、戎神社もあったな、とか、よく歩いていたなぁ、とか、そんなことを思いだしそうな感じ。ちょっと高いところから街並みを見渡せる感じ。

 倉木さん、ありがとう。

 あと、僕が倉木さんの詩に期待するのは、どこかへ行きたくなるような詩を書いてくれないかな、ということ。
 それは具体的に、神戸とか、塩屋とか、ラクビー場とか、なんか、具体的にこの曲を聴くとどこかへ行きたくなるような。今でも、ボストンに行きたいなぁ、ってことは思ったりするんだけど、もっと身近なところで、すぐにでも行けるような、地名まではいかなくても、そんなフレーズが入っている詩を聴いてみたいなぁ。

2000年6月8日(木)
 2ちゃんねるの「田熊」さんはなんか頑張ってはるようで(僕は一度も書き込んだことはないのですね)。
 でも、もう2ちゃんねるさんを見るのは疲れたので、もう今日から当分見ないことにします。
 さぁ、それよりも、過去ログ整理、そして、別冊OHHOを作らないとな。
 目標は、アルバム発売日である。
 うーん、会社の仕事もたまっている。どうする?

2000年6月9日(金)
  体全体の力が抜けた。

 昨日、もう2ちゃんねるさんは「当分見ない」と書いたのだが、その最後に見た時、「田熊の画像アップ希望」とかいうような書き込みを読んだ。
 あのねぇ、僕は、まだろくにホームページの作り方を知らないのですよ。写真をアップロードしたことなんて1回もないのですよ。と、教えてあげたくなったのだが、待てよ待てよ。
 もしかして、僕の写真を誰かが持ってて、それをアップロードされるってこともあり得る。そうなると困ってしまうなぁ。

 そこで何が困ってしまうかというと、僕の写真を持っている人っていうのは、僕の知り合いの人だろう。そうすると、僕の知り合いの人は、僕に内緒で写真をアップロードしたってことになる。となると、僕とその人との関係はどうなるのだ。悪くなるに違いない。でも、その人が誰かわからない時はどうなるのだ? うーんと、そうなると、その写真を撮られた場面を考えて、そこに参加していた人全員を疑わなければならない。困った困った。
 と、そこまで一人で想像して困っていたのだ。

 と思っていたところだった。
 今日、ある写真週刊誌を買った。
 泣いた。全身の力が抜けた。
 いったい誰が?

 最低最悪、いったい誰を信じたらいいのだろう。
 事務所が許可をしなくても、記事は印刷できる、週刊誌にできる。
 しかし、その記事を悪く書かれるのではなく、少しでもましに書いてもらうためには、事務所はある程度の情報提供をするだろう。協力をする。だから事務所のコメントは入っていて当然。しかし、事務所のコメントが入っていないと、もっと逆の視点から書かれた、本当に最低最悪の記事になっていただろう。文章なんてどうにでも書くことができる。それはプロであればあるほど簡単に逆の言葉で彩ることができる。

 記事は好意的。しかし、載せている写真は、最低最悪。
 「友達にまで迷惑をかけてしまって」と倉木さんは思っていることだろう。
 写真を提供した友達に「なんてことをするの」と怒るよりも、そんなことをさせてしまった倉木さん自身を責めているのではないか。
 倉木さんがデビューをしなければ、友達のところには写真週刊誌の記者は行かなかった。写真週刊誌の記者を友達のところに行かせたのは倉木さん自身。だったら、デビューをした自分が悪い。そう責めているのではないか。

 僕でさえ、くたくたになる。
 この記事を見て、当事者の倉木さんではないのにぐったりとなった。
 当事者の倉木さんはどうか。今の気持ちはどうなのか。

 もし、それでも笑っているのなら、それは優しすぎるからだろう。周りの人に心配をかけたくないからだろう。
 僕なら、「最近ノイローゼ気味です」と会社の人に簡単に言えるのだが、倉木さんは自分の影響力の大きさを知ってしまったので、何も言えなくなっているのではないか。
 ここからは、『倉木麻衣さんへの掲示板』に書き込んでくれた「倉木麻衣」さんが、本当の倉木麻衣さんだとして書く。

 倉木さんは逃げ場を『倉木麻衣さんへの掲示板』のみんなに求めた。けど、そこでは拒否された。倉木さんのプライベートなことは倉木さん自身が判断することなのに、僕は、これは倉木さんが言っていいこと、これは言ってはいけないこと、という線を引いた。「次からハンドルネームを変えてほしい」と言った僕は、僕自身の中で、倉木さんを縛った。
 倉木さんは、自分の管理はしなくてはいけないけど、全部が全部言われるままにはできないと書いていた(と思う)。それは倉木さんも「一人の女の子」だからと。
 倉木さんは、「悩みを言ってもいいですか」と書いていた。
 なのに、僕はハンドルネームを変えてほしい、と書いた。

 めちゃくちゃ矛盾している。僕も、「自分の管理をしなさい」と言っているスタッフの人たちと同じだった。

  ●

 一つだけ最低最悪な写真週刊誌の記事の中に希望があった。
 最後の方に書かれていた関係者の人のコメント。

〈(前略)麻衣チャンの現在の一番の大親友は、「小学生時代に、ケンカをして、1年間口をきかなかった友達」(関係者)なんだとか。〉

 倉木さんに大親友がいるっていうこと。今もいるっていうこと。
 そして、『倉木麻衣さんへの掲示板』にも、元同級生という方が「連絡をとってみようかな」というようなことを書いてくれていたこと。
 倉木さんには力になってくれる友達がいる。
 どうか、倉木さん、その人たちを信じて、と祈る気持ちでいっぱいだ。
 悩みはきっとその友達が聞いてくれるよ、って。
 そして、僕らとしては、現在の一番の大親友が「マイマイマイ」さんだったらいいなぁ、と。とてもうれしくうれしく、なるなぁって。(ま、そんなことはないだろうけどね。マイマイマイさんアメリカだもんね。あっ、また名前を出してしまった。マイマイマイさん、すみません。でも、どうしてるの?頑張ってる?)

 倉木さん、つらいことが結構続いているけど、何とか乗り切りましょ。
 みんなで乗り切っていきましょう。
 僕を含めてみんなは、倉木さんの本当の「友達」にはなれないけど。
 みんな、倉木さんの痛みはわかっていると思う。
 だから、みんなと一緒に、何とか今を、乗り越えていこ。

2000年6月11日(日)
 昨夜、毎日テレビの『ブロードキャスター』で倉木麻衣さんのことが取り上げられた。
 ようやく、というか、今するか、という複雑な感じだった。「小柳ゆき&倉木麻衣」というのが新聞のテレビ欄に載っていたタイトルだった。
 うまく言葉を文章にかえられたかわからないが、その時の模様を文字に起こした。見れなかった人になにか参考になれば。

  ●

『ブロードキャスター』毎日テレビ(TBS系)
2000年6月10日(土)午後10時〜11時24分放送
「小柳ゆき&倉木麻衣」

 司会者・福留功男さんの前振りから始まる。

 福留功男さん「…シンシア(南沙織さんのこと。直前に南沙織さんと小柳ルミ子さんの話題があった)たぶん、16歳か17歳でデビューだったような気がするんですが、次の話題は17歳と18歳の歌姫が大ブレークをしております。お父さん是非この歌覚えて下さい」

 (小柳ゆきさんの5月24日発売のCDの話題になるので省略。)

 ナレーター・磯部弘さんの声「一方、デビュー曲でいきなり137万枚を売り上げた『Love, Day After Tomorrow』。歌っているのは小柳より1つ年下、17歳の倉木麻衣。」

 (『Love, Day After Tomorrow』のPVがバックで流れる。)

「人気アニメ『名探偵コナン』のエンディングテーマを歌う彼女。今週までの3枚のCDで、のべ21週連続ベストテン入りという輝かしい記録を更新中。そして今週4枚目となる新曲が発売された。」

 (タワーレコード渋谷店で、『NEVER GONNA GIVE YOU UP』が陳列されている平台が映り、『NEVER GONNA GIVE YOU UP』のPVに切り替わる。)

「これで来週のベストテン入りも間違いなし。この調子でいけば、B.B.クイーンズの22週を抜くのは確実。竜鉄也とプリンセスプリンセスの27週に肩を並べるのも夢ではない。」
「小柳ゆきと倉木麻衣。R&B、リズム・アンド・ブルースを熱唱するこの二人の少女、ただものではない。」

 音楽プロデューサー・酒井政利さん「新しい歌姫たちという感じでしたよね。倉木麻衣の方は、若い人に受ける本当のポップスですね。小柳ゆきは洋楽風なんだけど、中をよー???(←聞き取れず。田熊)かえた歌謡曲なんですね。この面白味だと思います。」

 ナレーター・磯部弘さんの声「まだデビューして半年の倉木麻衣。実は日本デビューの2カ月前、『Baby I Like』という曲で全米デビューを果たしている。このCD、日本にも逆輸入されたのだが、今となっては入手するのはかなり困難な状況。自らも作詩も手がける彼女はまだ高校3年生。学業優先ということで、テレビ出演は全くなし。わかっているプロフィールもごくわずかで、その姿は謎に包まれている。」

 (バックに『Baby I Like』のPVや、CD盤が映る)

 (街でクレープを食べている茶髪の女子高校生(らしき人)にマイクを向けている画面にかわる)

 女子高生らしき人「高校生とか、それぐらいしかわかんないよね。」
 (「他は?」とマイクを向けている人の声)
 隣にいたもう一人の女子高生(らしき人)「知らない」
 また別の女子高生らしき人「わからない」
 二人連れの女子高生らしき人「謎だよね。」「よくわからないよね。」
 別の2人組の女の人(女子高生かどうかはわからず)左側の人「歌っている時以外のところが知りたい。」
 別の女の人「それだからいいみたいな(画面に映っていない右の方から「それがいいんだよね」という声)。よくわからないからいいみたいな。」

 酒井政利さん「アメリカでのデビューとか、高校生だとか、学校をまず優先しているとか、テレビには出ない。そういうところは、もうすべて宇多田路線を行っていると思うんですね、演出上。それは確かに彼女をミステリアスに見せてると思うんですね。でも、ま、それだけの力を持っているから、また評判にもなってるんだと思うんですね。」

 (画面は小柳ゆきさんに切り替わる。小柳さんの話題のため、省略)

 ナレーター・磯部弘さんの声「一方、倉木麻衣についても、デビュー前から必ず売れると信じて疑わない男がいた。茨城に本社を置く、レコードショップの商品統括部のマネージャー・阿曽さん。」

 (『Wonder Goo』牛久店の外観が映り、店内の倉木さんのCDが壁一面に並べられている前に、阿曽さんの姿が映る。)

 ワンダーコーポレーション商品統括マネージャー・阿曽雅道さん「純粋に、素晴らしい曲だな、と感動したのが一番最初のきっかけですよね。」

 ナレーター・磯部弘さんの声「阿曽さんは、会社の反対を押し切り、当時まだ無名だった倉木麻衣のデビューCDを全国シェアの10%を仕入れたという。」

 阿曽さんにインタビューしている人の声「メーカーさんとか、どういうふうにおっしゃられてましたか。」

 阿曽雅道さん「かなりーびっくりされてましたよね。ただただ驚かれてたと思います。逆にわたしくの方からメーカーさんに「これは間違いなく売れる。大丈夫だから。」いうふうになんか説得する場面もあったと思います。」

 (『Stay by my side』のPVが流れる。)

 ナレーター・磯部弘さんの声「その後、出す曲が必ずヒットする倉木麻衣。テレビで見ない彼女がなぜここまでヒットしたのか。その秘密はFM放送局が握っている。」

 (FM放送局のスタジオが映る。J-WAVE「GROOVE LINE」の秀嶋史香さん、ピストン西沢さんの姿が映る。)

 秀嶋さん「とにかく聴きたい、っていうリクエストが、毎日、何枚も何枚もきます。」
 ピストン西沢さん「FMラジオっていうところで、非常にねプロモーションを受けて、それでオンエアをして、一般的に知名度も上がったと思うんですけど。FMの場合はラジオ媒体なんで、当然顔見えないじゃないですか。だから楽曲の良さだけでね、勝負する媒体なんですよ。」

 (『Secret of my heart』のPVが流れる。)

 ナレーター・磯部弘さんの声「現在はアルバムのレコーディング中で、休みは全くないという倉木麻衣。彼女の姿をテレビで見るのは卒業まで待つしかないようだ。」

 (小柳ゆきさんの『愛情』のPVに替わり、小柳さん関係のナレーションになるので省略。)

 ナレーター・磯部弘さんの声「これからの二人が楽しみだ。」

 (その後、司会者の福留さんたちの画面に替わる。福留さんから「倉木さんもね、テレビの画面に出てきはじめたら大変なことになりますよ。」などのちょっとしたコメントが入るが、CMになり終了。)

  ●

 全体を見終わっても、倉木さんに関しての直接の関係者は一人も出てこず(GIZAさん、えらい!)。そのため、倉木さんは、本当に、草の根的に浮かび上がってきた人だという印象があった。
 また、『Love, Day After Tomorrow』が発売になっていたとき、一時、『Love, Day After Tomorrow』がCD販売店で品切れになっているということが、いろんな倉木さんに関するホームページで書かれていた。もしかして、その理由は、ワンダーコーポレーション商品統括マネージャー・阿曽雅道さんのところが買い取っていたからだったのかな、とチラリと思う。
 そういえば、阿曽さんの『Wonder Goo』さんは、倉木さんの『Love, Day After Tomorrow』を日本で一番販売したお店、ということで、『倉木麻衣さんを応援しているお店』に誰かが書いてくれていた。そら、当時とは言え、全体の10分の1も注文を出していたとは、ほんと、すごいお店、というか、すごい人だと思いました(詳しくは『倉木麻衣ヒットカウンター』内の『倉木麻衣さんを応援しているお店』のところを参照)。

 そんな人たちに支えられて、僕らは、ほんと、倉木さんに会えたんだなぁ、と感謝感謝でした。

2000年6月11日(日)-2
 2、3日前に気づいたことがある。
 それは、倉木さんの曲がなんで、僕らをひきつけるのかということ。というか、何で何回聴いても飽きないのかということ。
 それは、メロディやアレンジに余計なところがないからだ。と思った。
 余計なところがない。無駄な繰り返しがない。間延びしているところがない。
 そのことを、今日もらってきた『Music Freak MAGAZINE』6月号を読んではっきりした。
 倉木さんの曲は、短期間に何曲も発売されているが、そのどれもが練りに練られたものなのだ。
 『Love, Day After Tomorrow』も原曲は「もっとR&B濃いコンセプト」で作業を続けられたという。しかし、「歌入れ作業もすべて終った後、再びループに手が加えられており」とのこと。このことは他の曲でも同じ。
 どの歌手でもその程度のことは同じだと思うのだが、倉木さんも、矢継ぎ早にCDを発売していても同じように手を抜いたものではない、ということだ。

 それにしても、「ループ」って何なのでしょう。と音楽のことがわからない僕は「繰り返しのところ」って勝手に解釈しているけど、いいのかな。

 そうそう、だから、倉木さんのシングルの1、2曲目は無駄なところがない曲になっている。けど、3曲目は、それ以外のところもあるということで、無駄なところもいれたリミックスバージョンにしているのかな、とそんなことも思ったのであった。

2000年6月13日(火)
 今日は大量の荷物発送で、夕方にくたくたとなり、晩飯を何人かで食べにいくことになる。
 入ったお店は、大阪・天神橋筋六丁目にある『スエヒロ』という洋食屋さん。みんなB定食を頼むが、そこで出てきたヒレ肉のうまいことってったらなんの。
 ごちそうさまでした、社長さま。

 で、今日しようと思っていた『倉木麻衣さんへの掲示板』の過去ログの整理は全然できず。

 帰りに、今週もまた『週刊アサヒ芸能』を買った(6月22日号)。
 前回は「金かえせ」状態だったので、今回は、路上の地べたで新聞紙をひいて販売しているおじさんから買った。定価税込み300円のところ100円。おじさんありがとう。

 で、内容は、

〈あの倉木麻衣が「モー娘テスト」に落選したって!〉

というもの。最近『倉木麻衣さんへの掲示板』で話題になっていた話ですよね。
 ほんま、そんなこと言ったら、僕は大学受験の時、1年目は受けた全部の大学に落ち、その次の年もことごとく不合格になった。また、就職試験の時は1社しか受からず、えっ、そんな僕はいったいどうなるのだ、と主張したい。
 あんたら、みんな、ストレートな人生なのか。

 ま、それも記事が事実に基づいてたらの話だが、今の倉木麻衣さんは今の倉木麻衣さんなので、そんなことはどうだっていいのだ。

 それよりも、僕は、『NEVER GONNA GIVE YOU UP』のマキシシングルに入っている2曲目『Trying To Find My Way』の詩のことで気づいたことがある。
 これは、倉木さんの作詩能力の新しい道を切り開く第一弾ではないか。
 というのも、こういう歌詩が出てくるからだ。

 「高すぎる空
  広すぎる景色とともに
  まわり始める音を聞いたから」

 (ひらがなと漢字の混ぜ方は、歌詩カードがないため、田熊が勝手につけています)

 これはどういうことだろう。
 僕は、この曲を聴く前に、「次の新曲の1、2曲目はボストンへの想いを綴ったもの」、ということをどこかで読んでいたので、「そうか、ボストンは高い空、広い景色なんだな」とだけ思っていた。そして、「まわり始める音」というのも、「そうか、朝起きた時に、街が動きだす音、車のタイヤの音を聞いたんだな」と思っていた。
 しかし、待てよ。である。

 この「まわり始める音」っていうのは、倉木さんがレコーディングしていた時に聞こえていたテープの音のことではないか、と思った。
 そこで、僕は自分が意味を間違って聴いていたのではないか、と反省をした。反省をすると、その直前の歌詩の意味がわからなくなった。
 「高すぎる空」、である。「広すぎる景色」である。
 「高い空」ではない。「広い景色」ではない。「高すぎる」「広すぎる」、そこには「すぎる」という言葉があり、倉木さんの主張が盛り込まれていたのである。
 「高すぎる」とは、「広すぎる」とはどういうことだろう。
 それは、自分(倉木さん)にとっては、「高すぎる」「広すぎる」ということではないか。しかし、それは「高すぎた」でもないし、「広すぎた」でもない。「高すぎる」し「広すぎる」、しかし、そこには、今は「高すぎる」だけであり、今は「広すぎる」だけである、という意志が感じとられた。
 そしてそこには、いつか、「高すぎる」「広すぎる」と思わなくなる日がくる、とか、そんな日を迎えたい、というような、そんな意志があるのではないか、と思った。
 僕はボストンへの想いを綴った詩ということで、どこかに、後ろ向きなイメージを抱いていた。昔(と言っても1年ほど前)はよかったのに、とか、そんなイメージだ。
 しかし、そう思っていた僕は間違っていた。倉木さんは、ボストンへの想いを綴った歌の中でさえ、前を向いていたのではないか。

 今日は、『倉木麻衣さんへの掲示板』で、「倉木麻衣」さんからのメッセージを、クリオネさんが解読してくれた日であった。

 なんか、今日もいい一日だったなぁ。
 

2000年6月14日(水)
 今日は、『倉木さんに関するホームページ』に3つのホームページを追加。

 さぁ、今から1時間だけでも、『倉木麻衣さんへの掲示板』の過去ログ整理をしようか。 

2000年6月15日(木)
 今日も、ちょっとだけ『倉木麻衣さんへの掲示板』をアップロードする。
 が、ほんと、1カ月前から、すごい書き込みの量になってたんやね。
 整理中はほとんど中を読まずに順番を並べ替えているので、なんとも言いようがないが、いつか落ち着いたら親記事の順に読んでいったら、見方が変わるかもわからない。
 と、言っても、最近このページを知った人は、そういう順で読んでいってくれてるんだろうなぁ。ずっと見てくれてる人とは見方は違うかもしれないけど、過去ログは、作っておいてよかったなぁ、と思う。初めて見つけてくれた人でも、前を知りたいと思えば、知ってもらうことができるもんね。それを言葉だけで説明しようとすると、「いろんなことがあったんよ」とそれだけで言えてしまうが、過去ログがあると、そのいろんなことの中身をわかってもらえるし、ああ、作っておいてよかった、と思いました。

 で、今日は『倉木麻衣さんへの掲示板』に書き込んでいる時に、アキーさんやEAGLEさんとニアミス状態になっていたみたい。
 そうか、そうやから、みんな、「チャットはないの?」と聞いてくれるんやろな。その時見ている人に話しかけて、すぐ返事がくると嬉しいやろなぁ。
 けど、そこに同時にいてる人と話をチラリとするのはいいけど、ずーっとし続けるのは、他の人が入ってこられないようになるからなぁ。
 うーん、「チャット」を設置するのは、今のところ難しいなぁ。 

2000年6月16日(金)
 今日もまた、ちょっとだけ『倉木麻衣さんへの掲示板』の過去ログを整理でき、アップロードする。

 あれから、1カ月たった。
 ナオチューさんが掲示板で書いてくれていたが、本当に、5月は無茶苦茶いろんなことがあった。
 そして、今日整理してアップしたところは、一番、僕の心が揺れたところだった。

 あれからほんと1カ月がたち、僕は時々こう考えるようになった。
 僕らは、ほんとに、倉木さんのことを考えて書いているかな。
 僕らは「歌」を通じた倉木さんの「友達」として書き込んでいるかな。

 「友達」ならどうするかな、どんな書き方になるかな。そんなことをたまに考える。
 倉木さんの本当の友達が、ある掲示板に書き込んでくれたことがあった。
 その時、その人は、こう書いていたように思う。
 「倉木さんとは、歌の話はしない」。

 僕はその書き込みを読んで、そうなんだ、と思った。本当の友達は、そうなんだろうなぁ、と思った。
 僕らは「歌」で倉木さんを知った。僕らは倉木さんと「歌」の話はできる。だけど、逆に、倉木さんの「プライベート」の話はしない。そんな関係なんだろう。

 倉木さんの書く詩。
 「気持ちをストレートに書こうとしている」。確か、ファンクラブのホームページにそう書いてあったように思う。
 だったら、倉木さんには、素敵なプライベート生活を送っていただかないと。気持ちをストレートに書いても、僕らが何かを感じることができる「詩」。そんな詩っていうのは、倉木さんの今後の経験にかかっていると思う。
 倉木さんのこれからに素敵なことがいっぱいいっぱいありますように。本当に、強くそう思う。

 今日、ファンクラブのホームページで倉木さんのメッセージ(#1)を見ることができた。
 今後、ファンクラブだけではなく、GIZAさんのページでも6月16日以降に見ることができるようにするという。ほんといいことやなぁ、と思った。「OK」ですよ、倉木さん。

 「歌」だけではなく、いい「人」のファンになったのかな。

2000年6月17日(土)
 ほんと、毎日いろんなことがある。

 今日、掲示板を見ていると『倉木麻衣さんのこの曲を聴いて下さい(別名「すきすき掲示板」』で、ヴァレさんが一人、何か言っているではないですか。
 「どこいったの? OHHOさん 昨日までの、書き込みがないッスよ。どうしちゃったの?。」
 と書いてあったので、ん?なんて見てみると、げっー、ないやんけ、ほんまに。
 ヴァレさんの書き込みが3番になってて、ファイルを見るとほんまに、「1k」しかなく、飛んでしまったことがわかる。とほほ。
 みんな、ごめんよぉ〜。

 で、夜に、たまたま残していたログをつなぎ合わせて、もう一度アップロード。でも、約2日分の書き込みが全く消えてしまった。
 ほんと、みんな、ごめんよぉ〜。

 で、きのうは、6月16日。
 倉木麻衣さんの『Diary』がGIZAさんのオフィシャルホームページで公開された。
 何か、「すきすき掲示板」は落ちてしまったけど、倉木さんの『Diary』はアップしてて、落ちてしまったことより、アップしたことの方が嬉しくて、ほんと嬉しくて、よかったなぁ、と思った。

 これで、ようやく、一つ終わったな、と思った。そして、新しいところに僕らは行くんだ、と思った。
 「倉木麻衣」さんの書き込みがあって、この『倉木麻衣ヒットカウンター』内に、「倉木麻衣」さんだけが書き込める掲示板を作ろうかと思った時があった。けど、「倉木麻衣」さんをそこに閉じこめるのではなく、僕らは、僕らの掲示板で会いたいと思った。でも、何とか、倉木さんの声をみんなに伝える方法はないか、後は、ファンクラブのページだけだなと思っていたら、ファンクラブのページでもやってくれるし、みんなが見れるGIZAさんのページでもしてくれた。
 なんかさぁ、今日はいい一日です、倉木さん。

 後は、みんなからメールが行くといいね。手紙でもいいね。
 「読みました」「見ました」って言うのは、やっぱり直接聞く方がいいね(と僕は、もうメールを送ったのだ)。
 そして、そんなみんなからきたメールや手紙に答えていったりしたら楽しくなるだろうなぁ。なんか、「倉木麻衣放送局」の誕生の日やね。

 しかも今回の『Diary』は、神秘的な隠し事で包むのではなく、的確に、モーニング娘。さんのオーディションは受けていないと噂を否定し、帰国子女とも違うとはっきり書いてくれていた。正直でいいなぁ、と思って読んでいました。やっぱり、GIZAさんは、独立している会社だなぁ、とか、倉木さんはその会社の人なのだなぁ、とか、そんな関係ないことまで思ってしまいました。
 『Diary』だからって、毎日じゃなくていい。気が向いたり、ちょっと時間がある時でいいから、これからもみんなに話をしてくれればなぁ、と思っています。
 (でも、みんなを心配させないようにと、今回のように、気をつかい続けていると、だんだんしんどくなるよ。正直じゃなくなってしまうよ。たまには愚痴を言いに、いろんなところへ遊びにおいでよ)。

  ●

 そうそう、これは、前にも書いたかもしれないけど、ブームっていうのは、一人(+特定のスタッフさん)だけで作れるかもしれないけど、それをブームだけじゃなく、ずっと続けていくためには、多くの人が一緒に出ていかないといけないという固定観念が、僕の中にある。
 倉木さんの場合は、一緒に出ていく人が宇多田ヒカルさんや浜崎あゆみさんではない、という気がしている。
 倉木さんと一緒に出ていくのは、シルバーさんであったり、マイマイマイさんであったり、一般東京都民さんや、ヴァレさんであったり、関係者さんや、業界人さんや、黒の風鈴♪さんであったりするのではないだろうか(みなさん、勝手にお名前を出してすみません)。
 倉木さんは「歌」を歌っているけれども、倉木さんから派生する何かが、いろんな人に影響を与え、大きく何かを、大きく全てを変えていくのではないか、という気がしている。
 いろんなところで、倉木さん出身の人が活躍しだすような気がする。
 そんなことを思うのは、みんなが倉木さんと同じ時を過ごしているからかもしれない。
 「歌」がいい、初めは、僕はそこからスタートしたけれど、それだけじゃない何かが、みんなの中に動き出しているのではないか、という気がして仕方がない。

 「有名になったあなたはどちらの出身ですか?」

 と聞かれたら、なぜか「倉木麻衣さんです」というような、心というか、ハートというか、精神というか、何か、そんなものを変えていく。そして倉木さんによって変えられた人は、生まれはここ(倉木さん)と言ってしまうような、そんな気がとてもしている。
 いろんな見えないところで、みんなが倉木さんをサポートしているけど、もうそろそろ「サポート」という段階を超えていくのではないだろうか。
 「サポート」ではなく、一緒に歩いていく、というか、後を追っていく、というか。
 そして一緒に倉木さんと駆け出す人が、なんか、全てを変えていくような気がしてならない。

 ああ、そんなことも思って、でも『すきすき掲示板』が落ちて。でも、『Diary』は始まって。忙しい毎日やなぁ。

2000年6月18日(日)
 倉木麻衣さんや、GIZAさんのスタッフの方たちに道を間違ってほしくないので、わかっておられると思いますが、一度書いておきます。

 今日、『NEVER GONNA GIVE YOU UP』のアナログ盤を受け取りました。ありがとうございます。実は、昨日届いていたのですが、不在だったため、受け取るのは今日になりました。
 受け取ったアナログ盤が入っていたダンボールを見ると、佐川急便さんの「土曜配達指定」の文字が。ということは、全国一斉に、申し込んだ人の元へ土曜日に届けられたのですね。土曜に届かせて、日曜に聴いてもらいたい、その気持ちを読み取りましたよ。倉木さんのファンクラブ『Mai-K.net』さん、ありがとうございます。
 初めに予定していた発売日が「6月21日以降」とファンクラブのお知らせには書いていたのに、6月17日(土)に届くようにしていただいたこと、発送の手続作業でずっと徹夜だったのではないかとお察しいたします。ほんと、ありがとうございます。

 そんなファンクラブを作って下さった、倉木さんが所属しているCD会社さんであるGIZAさんは、「ビーイング」さん系列の会社ではあっても、僕は独立している会社だと思っています。
 それは、いろんなところで、なにか「人間味」を感じることを聞くからです。どうかその「人間味」というか「サービス」を間違ってほしくないので、先に言っておきます。

 僕は倉木さんのCDが好きです。
 それは、歌が好き、曲が好き、というのもありますが、それと併せて「余計なものがついてないから好き」だったりします。
 それは具体的にどういうことかというと、「『おまけ』がついていないから好きだ」ということです。
 『secret of my heart』では、タイアップのからみもあってか、一枚のカードが入っていました。が、CDにつける「おまけ」はどうか、あのカードを最後にしていただきたいと思っています。
 もし、「ファンサービス」というものを考えてられるのでしたら、それはファンクラブの『Mai-K.net』さんでしていただきたいと思います。
 一般に市販されるCDには「おまけ」はいりません。というか、「おまけ」をつけると、僕は買わなくなっていくでしょう。「おまけ」に頼るような歌手に、どうか倉木さん、ならないで下さい。
 今までのCDの全体の統一感を考えた色、デザイン、シールの材質、シンプルさ、などをもっともっと突き詰めていって下さい。今の方針、CDを作るときの姿勢を、どうかこのまま忘れないで、ブレないで、しっかりと守っていって下さい。今の方針を僕は支持します。
 「おまけ」がなくても、僕らは曲がよければCDを買います。「おまけ」にかけるお金があれば、もっと違うところに使って下さい。

 と、書きましたが、ファーストアルバムには「おまけがつかない」ということを、『倉木麻衣さんへの掲示板』でいろんな方が教えてくれています。僕はほっとしました。どうか、そのまま、今後CDの売上が下がるときがあったとしても、「おまけ」に走るような歌手にならないで下さい。お願いします。

 それにしても、倉木さんの夢、「20世紀中に作りたい」といっていたファーストアルバムの発売まであと1週間とちょっと。
 「多すぎる売上」とか「1位」とかは、いつもあんまり考えていないけど、今度は、『Stay by my side』みたいにプレゼントをしたい。みんなが「待ってたよ」ということをわかってもらうために、発売日に買いに行こ。そして、そういう人がいっぱい集まれば、倉木さんにプレゼントできるかもしれない。『Stay by my side』で僕らができたプレゼントを、今度はファーストアルバムでプレゼントしたい。
 倉木さんにプレゼントするのは、もちろん、「初登場1位」。もし、「1位」が取れたなら、倉木さんがおばあちゃんになった時、「あっ、あの時」って思い出してもらえるかもしれないもんね。
 『倉木麻衣さんへの掲示板』を読まれているみなさん、書き込んでくれている人も、読んでくれているだけの人も、前に書き込んでくれたことがある人も、みなさん、もう気持ちは一つだと思いますが、発売日(またはフライング発売日)に倉木さんのファーストアルバムを買いましょ。発売日にCDを買って「初登場1位」を倉木さんにプレゼントしてあげようではないですか。

2000年6月19日(月)
 GIZAさんのオフィシャルホームページに倉木麻衣さんの『Diary』の2回目がアップロードされる。

 「わかってくれるよね」

と倉木さんが『Secret of my heart』で歌ってくれたこと。
 僕らと倉木さんをつなぐ糸はそれしかない。「信じる」って、そのことしかない。

2000年6月20日(火)
 あー、聞き逃した。

 というのも、いつも新聞を見るのが夜の12時過ぎだからいけない。
 昨日、会社から帰ってきて、朝日新聞のラジオ番組欄に載っている「キュー」に「『ショムニ』のこと載ってたよ」と聞いた。で、そのページ12面を見ると、まず目についたのが、『ショムニ』ではなく、fm osakaさんの『庄司悟の朝練5』さんであった。そこには、なななんと、「倉木麻衣特集」と載っているではないか。あー、聞き逃した(と言っても、朝、新聞を見てても、もう終わってたわな)。
 で、その『庄司悟の朝練5』さんを他の新聞さんではなんと書いてあるかなと、産経新聞を見ると『庄司悟の朝練5』と番組名だけあって、「倉木麻衣特集」の「倉」の字さえない。新聞によって、番組欄の字数が違うから、こういうことが起こるのだな。

 そういや、その前の日曜日(6月18日)のラジオ欄を見てもそうだった。
 朝日新聞では、FM802のお昼の12時からしている『OSAKAホット100(「おおさか・ほっと・はんどれっと」とDJのヒロ寺平(ヒロティー)さんは言っているような)』の内容を、「ボン・ジョビ3週目のNo.1なるか、ゆずが追走、福山は復活を狙う!スピッツ、倉木麻衣の新曲は?」と書いてある。
 おー、倉木さんの曲がかかるのか。と思って、産経新聞を見ると、「ボン・ジョビ3週目のNo.1なるか?ゆずが追走、福山は復活を狙う・スピッツ、倉木“麻衣ちゃん”の新曲は何位に?」となっている。

 「、」→「?」
 「!」→「・」
 「倉木麻衣の新曲は?」→「倉木“麻衣ちゃん”の新曲は何位に?」

と3カ所も違いがある。
 で、1つ目、2つ目は置いておくとして、3つ目に注目である。
 もちろんそこは倉木さんのことが書いてあるところであるからして、元々注目するところなのだけど、その3つ目の意味は重大である。というのも、これはマスコミのポリシーが問われることだからである。

  「倉木麻衣の新曲は?」が、「倉木“麻衣ちゃん”の新曲は何位に?」。

 言っていることは一緒。よりわかりやすく言ったかな。
 それだけじゃなーい!

 私はここで断固言いたい。どうしても言いたい。朝日新聞さんより、産経新聞さんの方が字数がたくさんはいる。
 いやいや、違う。そんなことを私は言いたいのではない。
 私が言いたいのは、大阪を代表すると言ってもいい(FM大阪さんももちろんそうですよ)FM802さんは、倉木さんのことを「麻衣ちゃん」で呼ぶぞ、と宣言したのである。しかも、それは大朝日新聞を差し置いて、産経新聞で高らかに宣言したのである。

 えらい、FM802さん。あなたたちは、「麻衣ちゃん」と呼んでくれるのですね。だったら、私は、今まで通り「倉木さん」と呼ばしてもらいましょう。
 ま、そんなことはさておいて、今「産経新聞で高らかに宣言した」と書いたけれども、それは間違いであった。
 会社で他の新聞を見てみると、読売新聞さんでも、毎日新聞さんでも、高らかに宣言していたのですね。ああ。(ということは、朝日新聞さんだけなぜ?という謎を残して今日の日記は終わるのであった)。

2000年6月20日(火)-2
 残念なことがあった。
 というか、後で知ったのが残念というか、知り方がこういう知り方になるのは仕方ないのかな、という知り方なので難しいところだ。

 というのも、これまた、新聞ネタである。
 その記事の題名を書くと悲しくなるが、書いてみる。

 〈「浅草岳の男」も犠牲〉

である。この日曜日に起きた新潟の雪崩の2次災害の記事である。産経新聞の6月19日(月)朝刊の27面(15版)に載っていたものだ。

 〈「逃げろ。雪崩が―」。叫び声はヘリコプターの爆音にかき消された。〉

で始まるこの記事に泣いた。
 この記事は、雪崩の2次災害で死亡した浅井乙一さんに関するものだった。
 記事によると、浅井さんは、「浅草岳のふもとにある『音松旅館』の経営者」で、「行方不明者の捜索では案内役を務め遭難救助活動には欠かせない存在」だったという。
 その日は、捜索に出る前に「いつになく不安気に『あの場所は雪崩の危険個所だ。気をつけなくては』と何度も繰り返した」という。
 それでも浅井さんは、捜索に出かけ、帰らぬ人になった。

 〈午前八時、別の捜索隊から無線で「不明者を発見」との一報が浅井さんらの捜索隊に入った。ヘリが現場に近づいた瞬間、浅井さんは山の変化を察知した。「逃げろ…」。浅井さんが危険を大声で知らせたそのとき、「巨大な雪の塊が山頂から跳ねるように」(地元消防団員)浅井さんらを巻き込んだ。〉

 果たして、僕らは、この浅井さんのように、倉木さんたちを守れるだろうか。「何か危険だ」と思った時でも、惜しまずに動くことができるだろうか。上から雪崩がくるというときに、自分が巻き込まれるかもわからないのに、危険を知らせるためだけに、その雪の塊の下に入っていけるだろうか。

 〈現場にいた地元消防団員は「叫ぶよりも体が先に動いたのでは。皆を救おうと必死だったに違いない」。〉

 亡くなられた浅井乙一さんは73歳。
 その年齢になるまで、僕は浅井さんに少しでも近づけるだろうか。

2000年6月21日(水)
 もう一つ掲示板をアップロード。アルバムが出た時に『倉木麻衣さんへの掲示板』がパンクしてしまわないように、ということも考えたが、うまくいくかなぁ。それにしても、僕の書き文字&イラストは下手すぎる。ああ、アキーさんのお絵かき掲示板に書き込んではる方に頼むべきだったかなぁ。

 それにしても、ほんま、雨が続くよ。
 おとついの夜は、ああ、お月さんがまん丸や、と思って陸橋を渡っていたのだが、昨日は雲に隠れていたし、今日もそうかな。
 けど、雨がやんだら、お月さんの隣には虹がかかっていたりするのだろうか。と倉木さんのC/Wを思い出しながら、家へ帰ろうっと。

2000年6月22日(木)
 この前の日曜日、図書館に連れていかれた。
 「何か借りるから」ということだったが、僕も一緒に借りてもらった。
 借りた本は、2冊。1冊は『地球の歩き方』で、もう1冊は山田久美さんの本。
 「山田久美さん」と言っても、僕は山田さんには申し訳ないのだが、山田さんのお名前ではなく、書かれたタイトルに引かれて借りた。そのタイトルは『ボストンに恋して(私が見たほんとうのアメリカ)』である。
 となると、もう1冊の『地球の歩き方』はどこの歩き方かというと、これまた「ボストン」の歩き方なのですね。

 まあね。
 ボストンのことを知ると、『NEVER GONNA GIVE YOU UP』や、そのマキシシングルの2曲目の『Trying To Find My Way』をもっとわかるような気がするしね。
 あと、倉木麻衣さんのファーストアルバム『delicious way』をもっともっと身近なものとして聴けるかな、と思った。ボストンの空気って、どんなだろう、ってことだ。

 「(前略)このアルバムタイトル“delicious way”の意味なんですけど、おいしそうな道!(^-^)ではありません。おおげさな表現になってしまいますが、考え方なんです。私達には、いっぱいいろんな道があって、それはいつもいいことばかりじゃない。大変な時や、つらかったり苦しい時もある。でも、そんな時も自分の気持ち次第でポジティブになれると思う。それってdelicious=happy だと思うんです。deliciousって、“おいしい”っていう意味だけど、いろんなおいしさがあるでしょ?甘い、甘酸っぱい、辛いetc... テイストの好みだってみんな違うよね。いろんな事があっても自分なりに頑張れば、それぞれにきっと素敵な明日がくるって事を信じてつけました。(後略)」

 と倉木さんは、GIZAさんのオフィシャルホームページのDiaryで書いてくれています(#1 2000.6.16)。
 『delicious way』って、「考え方」なんですね。
 でも、僕は「delicious way」って単語がどうして浮かんできんだろうと思った。僕にとっては思いもよらない単語の組み合わせだったからだ。何か不思議な気がした。
 「delicious way」と打ち込んでで、ヤフーさんやグーさんで検索をかけた。しかし、めぼしいものは1件もヒットせず。「delicious way」っていうのは、まだホームページではあまり見つからない単語の組み合わせなんですね。
 でも、倉木さんは「delicious」と「way」をくっつけた。それが「delicious=happy」という考え方を意味していたとしても、その「delicious」がなぜ「way」とくっつくのか。僕は頭の中に浮かんできた謎を解きたいと思った。
 一つ考えているのは、ボストンのどこかに、おいしいものがいっぱいの通りがあるのじゃないかということ。「この道はおいしいものばかりあるね」なんてことが、「delicious way」の発想の元になっているんじゃないだろうか。だったら、その道はどこなのだろう。

 まず、そこを知りたいと思った。

 で、もう一つ。話は変わって、今度は倉木さんの曲のタイトルの不思議について。
 倉木さんがこの6月28日に発売するアルバムタイトルは『delicious way』。で、収録曲の1曲目は『Delicious Way』。アルバムは全部小文字で、シングルは大文字が混じっている。
 倉木さんの曲は、今まで発売されたマキシシングルでもいろんなパターンがある。

 『Love, Day After Tomorrow』
 『Stay by my side』
 『Secret of my heart』
 『NEVER GONNA GIVE YOU UP』

 『Love, Day After Tomorrow』は各単語に大文字が混じり、『Stay by my side』と『Secret of my heart』は頭の単語の先頭だけ大文字、『NEVER GONNA GIVE YOU UP』は全部大文字。
 僕が思うには、『Love, Day After Tomorrow』は、「それぞれの単語が独立してますよ。ですから、文法上おかしいのはわざとしていますよ」と言っている気がする(「Day After Tomorrow」が「あさって」というのなら、本当は前に「The」がいる、という話が最近『倉木麻衣さんへの掲示板』で話題になっていました)。
 で、『Stay by my side』と『Secret of my heart』は、「これは一つ続きの文章ですよ。問いかけです、気持ちですよ」という感じ。
 最新曲の『NEVER GONNA GIVE YOU UP』は、全部大文字で「堅い、強い」イメージ。この詩に含まれている意味が「堅くて強いもの」ということも一つ、そして、『倉木麻衣さんへの掲示板』で、みなさんが訳詩をしてくれた時に見えてきた「男の人から送ったメッセージソング」だということ。この詩は、今までの3曲とは違い、作詩に倉木さんと「M.Africk」さんの名前がある。もしかしたら、この曲の作詩のメインは「M.Africk」さんではないかということ。そのことを今までに入っていた英語の小文字を全く省くことで、匂わせたのかな。

 と勝手な推測はおいといて。
 倉木さんのアルバムは『delicious way』で、収録曲は『Delicious Way』の話である。
 僕は、全く英語が苦手なんで、ほとんどイメージでしか言えないんだけど、小文字ばっかりっていうのは結構好きだったりする。
 というのは、小文字ばっかりだと、まだイメージがついていない気がするのですね。「どうぞ、みなさんで、全部大文字にでも、頭だけ大文字にでも好きなようにして下さい」。そう言っている感じがする。
 で、何の名前でもそうだけど、全部小文字にするっていうのは、結構勇気がいる。「なんかへん」という英語に対しての固定観念がむくむくと頭を持ち上げてきて。これはほんと、僕の頭の中だけかもしれないけど。僕の中では、英語をほとんど知らないから、逆に、その字の形の「大文字」と「小文字」っていうのは、何かそこに意味があるな、と一直線で思ってしまうのですね。
 うーん、まるで人類で初めて文字を書いた人のような気分。英文字を今でも「象形文字」としてしか見れないのは、とほほやなぁ。

 ま、そんなことですが、『delicious way』と『Delicious Way』は、偶然ではない、印刷ミスではない、ということを言いたかったのでした。
 そこには、きっと何か意味がある。その意味は、GIZAさんや倉木さんが僕らに送ったメッセージだと思うのです。

 さぁ、では、『ボストンに恋して』から読み始めることにしようっと。

 あっ、忘れてた。
 別冊OHHOの『倉木麻衣ヒットカウンター3カ月の記録』は完璧に6月中にはできないようになってしまいました。
 原稿を送ってくださったり、秘密の掲示板に書き込んで下さったみなさん、本当にすみません。

2000年6月23日(金)
 おそろしい話だ。

 僕は今まで知らなかった。
 というのも、昨日書いた本を読んでいるだ。今読んでいるのは、山田久美さんが書かれた『ボストンに恋して』(主婦と生活社・1991年4月8日発行・本体1262円)。
 その中で、『第二章・ボストン今昔』があるのだが、そこの『メイフラワー号と港町プリマス』を読むとこんなことが書いてある。

 〈一六二〇年十二月十六日。わずか百三十人余りを乗せたこの小さな帆船が、大西洋の荒波を越え、遂にここプリマスに錨を下ろしたのは、本国イングランドのプリマスを出帆して以来、実に三か月と十日後のことであった。
 彼らは、上陸に先立ち一枚の紙のまわりに集まった。神の名において、共同の秩序と安全を保つため、政治団体を組織し、公正かつ平等な法を作り、これを遵守することを誓い合うためである。これがアメリカン・デモクラシィの始まりとされる、世に名高いメイフラワー誓約書である。〉

 なるほど。
 「メイフラワー誓約書」は何?と思ってしまうが、この際、そんな話はどうでもいいだろう。とにかく、ボストンは、何か「アメリカン・デモクラシィ」の発祥の地であるらしいのだ。
 また、「感謝祭」の話も出てくる。アメリカにあるらしい(ほんま、何もしらないのです)「感謝祭」も、このあたりで催された三日三晩も続いた饗宴を元にしているらしい。「感謝祭」というより、「サンクスギビングデー」というと、僕もどこかで聞いたことがあるぞ、と脳の端っこの方がかゆくなる。

 とりあえず、今までに、81ページまできた。と言っても、まだ4分の1だな。
 ボストンって、近くにハーバード大学とかいろんな学校があるのですね。それから、「ボストンマラソン」もここだったのですね(確か瀬古さんが走ったような記憶が…)。

 〈ヨーロッパ的町並みには情緒があり、自然美にも恵まれている…〉

という表現もあり、ほんとなんか落ち着いた感じできれいなんだろうなぁ。

 まぁ、その本は読み続けるとして、明日は毎日テレビで『CDTV』の放送の日だ。倉木さんの『Diary』には、「プロモーション・ビデオの撮影とはまた別の雰囲気で少し緊張しました。」とあるので、僕にとっては初顔合わせになるのかな。
 初顔合わせと言っても、それで僕の中ではどうなるものでもないと思うのだが、それよりも、また一段と人気に拍車がかかるのではないかと、ちょっと心配している。
 シルバーさんや、アメリカのサイバーサウンドの方たちが教えてくれているように、倉木さんは実際の姿を知ると、もっと気になって仕方がない人が増えるのではないだろうか。
 僕は本当にこのままテレビには出てこない方がいいと思うのだけど、倉木さんはなぜかとてもファン思いだからなぁ。
 うーん、なぜか、複雑。

 そうそう、僕としての倉木さんの将来についての理想は、スタッフの人も含めて、みんなが食べていけるだけのCDが売れ続ければいいなぁ、ということ。多すぎるのもその対応に大変だし、少ないとCDが出せなくなる。
 で、僕らがCDを買って、その何万分の1でも力になれたらいいなと思う。
 しかし、マキシシングル1枚で1,000円ちょっとだから、1万枚くらいじゃ少ないのだろうなぁ。どれくらいで、落ち着いて活動が続けられるようになるのだろう?

2000年6月24日(土)
 ふー、あっという間に、土曜日だ。毎日テレビの『CDTV』の日だ。

 昨夜、倉木さんのファンクラブさんからメールが来ていた。今日のテレビ初出演のことも書かれていた。GIZAさんの小冊子といい、ファンクラブさんのメールといい、アルバムの発売に合わせたのだろうけど、ようやく、準備が整ったということなのだろうか。
 ゆっくりでいいから、続くといいなぁ。

 で、アルバムの発売はこの6月28日。
 で、同じ日に、東京の新宿シアターアプルというところでは、アプリコットさんという劇団の舞台が始まる。
 「アプリコット」さんと言っても、なんのことかわからないかもしれないけど、前「惑星ピスタチオ」さんという名前の劇団で、関西で人気のある(とてもある)劇団なのだ。
 僕は、よく(たまに?)見に行く劇団は3つあって、その一つが、前・惑星ピスタチオさんの「アプリコット」さんだ(あと2つは、「ランニングシアター・ダッシュ」さんに「世界一団」さんである。いずれも関西出身の劇団である)。
 アプリコットさんは、東京で6月28日(水)から7月4日(火)まで公演をし、関西では7月20日(祝)から7月28日(火)まで、神戸にある新神戸オリエンタル劇場で舞台をする。
 アプリコットさんの劇は激しい。発想がややこしそうに見えて面白い。
 とにかく、関西の若手劇団のお兄さん格で、いろんな劇団が「目指せ、アプリコットさん」というような劇団だ。
 と、書いたのは宣伝をするためである。
 実は、僕はアプリコットさんの何人かの方と知り合いなのだ。どうしても、今回の劇はヒットしてもらいたいのだ。いや、ヒットしてもらわないと困るのだ。
 で、もう一度書いておこう。

 劇団アプリコット(前・惑星ピスタチオ)
 『熱湯!!飛龍小学校☆パワード』
 6月28日(水)〜7月4日(火)東京・新宿シアターアプル
  全席指定 S席5000円
 7月20日(祝)〜7月28日(火)神戸・新神戸オリエンタル劇場
  全席指定 S席5000円(1階・2階席)/A席3500円(3階席)

 詳しくは、有限会社アプリコットさんに電話で問い合わせてほしいのだが、その電話番号は、そうやそうや、アプリコットさんのホームページに書いてあると思うので、そちらの方を参考にして下さい。
 URLはこちらです。
 http://www.appricot.com/

 (そうそう、アプリコットさんのページにある「ENTERTAINMENT」の「漫画◆『YA! MANGA GALLERY』」さんのページが面白いのですね。他のページも楽しい、嬉しいところばかりです。)

 と、アプリコットさんの『熱湯!!飛龍小学校☆パワード』の舞台の宣伝も済んだし、そしたら、家に帰って、『CDTV』を見る用意をしようか。あー、その前に、印刷物の刷り取りを渡しにいかないと。
 あー、今週は過去ログの整理は何もできなかった。
 明日も、会社に出てこなあかん気がする。
 あー、誰か、印刷物が好きな営業希望の人はおれへんのか。営業の経験とか全くなくてもいいのだよ。仕事をお探し中の大阪近辺に住んでいらっしゃる方、メールちょうだーい。

 あ、そうそうあと一つ。
 最近、『倉木麻衣さんへの掲示板』で、いろんなところで聞いた倉木さんの話したことや文章を載せて下さっている方が増えてきた。
 今日もセシル・ローズさんが『Bay FMでのメッセージ』を載せてくれている。
 何か、とても嬉しい。聞けない人、見れない人、読めない人、そんな人のことを考えてくれているようで、本当に嬉しい。
 倉木さんやGIZAさんは、「困ったもんだ」と思われているかもしれないな、とチラッと思う。そう思われていたら、「ごめんなさい」ですが、どうか見逃してくれたらなぁ、と思っています。黙って見ていてくれたらいいなぁ、と思っています。GIZAさん、倉木さん、お願いします。
 そして、『倉木麻衣さんへの掲示板』のみんな、ありがとうです。
 そして、今まで見逃してくれているGIZAさん、倉木さん、FMの方、関係者各位の皆々様、その他大勢の方々、どうもありがとうございます。

2000年6月24日(土)-2
 倉木麻衣さんへ。

 倉木さん、ずっと前に、『倉木麻衣さんへの掲示板』に書いたことがあるんですけど、太田朋(おおた・とも)さんという、詩と文を書かれる方の公式ホームページができていたので、お知らせします。よろしければ、一度見ていただければと思います。
 落ち込んだ時とか、いらいらする時とか、何か、少し力になってくれると思います。
 URLはこちらです。

 『しあわせの種』(太田朋さん公式ホームページ)
 http://www10.u-page.so-net.ne.jp/jk9/ha-tane/

 もう2186人の方が訪問されていました。

2000年6月25日(日)
 倉木麻衣さんの未来に幸せあれ。

 (今、午前2時10分。CDTVでの初出演を見たよ。倉木さん)

2000年6月25日(日)-2
 さぁ、今日は日曜日、外も晴れてててて、ないな。
 うーん、くもりですね。雨が降るかもですね。
 でも、倉木さんが、「雨」の日も好んでいるということで、「ま、いいか」という気分になる。これって何だか、マラソンの有森さんに教えてもらったことのようだ。

 1カ月くらい前に産経新聞に載っていた有森さんのインタビューのこと。有森さんは、監督の小出さんにこんなことを教わったそうな。
 “つらいとき、苦しいときがあったら、その出来事の言葉の前に「せっかく」と言う言葉をつけてみなさい”と。

 例えば、今日は仕事が忙しくていやな気分の時は、「せっかく仕事が忙しいんだから」となるし、試験に落ちてしまった時は、「せっかく試験に落ちたのだから」となる。何か「せっかく」と言う言葉をつけると、その後に「だから頑張ろう」という気になるのですね。

 そんなことを思って、今日はくもりだとすると、「せっかく今日はくもりなんだから」となって、何かしなくちゃな、と思う。せっかくもらった「今日のくもりの日」、この日を大切にしなきゃ、と思う。
 ん? ということは、もしかしたら、倉木さんの詩には、「せっかく」の文字がどこかに隠されているのかもしれない。倉木さんの詩の曲を聴くと、前向きになるもんね。ずっと泣いているだかりじゃないもんね。泣いていても未来に希望があるもんね。「たとえ涙がこぼれても 思わぬ所に芽がでるよ」(太田朋さんの詩より)だもんね。

 だから、今日は「せっかく」くもりの日だから、すそ直しをしてもらったスーツを取りに行こう。クリーニングに出していたスーツも引き取りに行こう。そして、今ここにあるスーツはクリーニングに出しに行こう。
 そうだ、選挙にも行こう。
 あ、そうだ、『OHHO』のバックナンバーを申し込んでもらっている人に2カ月も送るのが遅れている。うぁー、ごめんなさい。実家の大阪・八尾にもバックナンバーを取りに行かないといけないか。
 あー、過去ログの整理もあった。しもた、会社のしかかりの仕事もある。
 どうしたらいいのだ。「せっかく」のくもりの日にすることがいっぱいあるのを思い出してしまった。
 そうだ。「せっかく」のくもりの日にすることがいっぱいあるのを思い出してしまったのだから、頑張らないとな。
 とりあえず、今晩のご飯はカレーにしよう。

2000年6月25日(日)-3
 今、『CDTV』さんのビデオを見返した。
 倉木さんのテレビ初出演のコメントも大切に聞いたけれど、それよりも、そのあとの収録曲をちょっとずつ流してもらったところを聞いたら、うわぁー、と頭の中がぐるぐるまわった。ものすごい感情の洪水である。ほんと、この半年ぐらいでいろんなことがあった。ものすごい。僕がこれまで経験したことのない出来事ばかりがあった(初めて軽いノイローゼにもなったもんな)。
 僕の場合、倉木さんとつながっているものには、CDとラジオ、そしてインターネットがある。その中でも、このインターネットというのは、何で、こんなにも身近に感じるのか、「つながっている」ように感じるのか。
 アルバムが発売され、1曲1曲聴けるようになると、どうなるのだろう。ただでさえ、ダイジェスト版の『CDTV』さんを見返しただけで感情の洪水が起こったのに、通して聴いて耐えられるだろうか。

2000年6月25日(日)-4
 倉木さんと一緒に進んでいこう。
 そして、倉木さんにおんぶにだっこされるのではなく、僕らが倉木さんを引っ張っていけるように、頑張ろう。

2000年6月25日(日)-5
 倉木麻衣さんがテレビ出演した番組が放送されて16時間ぐらいがたった。
 クリーニングを引き取りに行った帰りに、奈良の押熊(おしくま)にあるCD販売店・ブックバーンさんに寄った。入ってすぐのところに、バーンと倉木さんのアルバムの告知ポスターがあり、奥のCDが置いてあるところにも、ドンとでかいアルバム用のパネルがあった。
 大阪・天六にあるTSUTAYAさんもそうだったが、今の時期、CD販売店では、倉木さんのアルバムが一押しになっているようだ。奈良の高の原にあるスーパー・近商(サンタウン)の2階に6月28日(!)にオープンするCD販売店があるが(ミヤコさんです)、その店内はまだオープン工事中なのに、倉木さんのアルバムの大きい垂れ幕だけは表に見えるようにしている。ほんと、倉木さんはここまで大きくなったのだなぁ。

 で、きのうの(というか今朝の)『CDTV』さんのことである。
 ほんま、むちゃくちゃ緊張していたなぁ。というか、そら緊張するわなぁ。
 というのも、僕と池ヤンは1回だけ『OHHO』の編集者として、テレビに出たことがある。もうほとんど10年前の話。
 テレビ出演の話は『OHHO』を読んでくれていた京都の放送局の方から連絡があったことから始まる。その人の話では、お昼の番組で歌謡曲について話をしてほしいということだった。で、その歌謡曲のメインは松田聖子さんということで、僕と池ヤンと二人で出演することになった。
 京都にあるその放送局は小さく、スタジオも小さかった。
 とうとうテレビに出るのか、っていうよりも、これが放送局というものか、と感心していた。
 しかし、出演する番組はお昼の生放送だったので、僕らは、司会者さんが話している隣にいきなり座って話をふられるというものだった。
 CMの最中にたぶん司会者さんの隣にすわったと思うのだが、もうそこから意識がない。「あがりますよね」とか言われたと思うのだが、もう何が何だが覚えていない。途中で、「でもなぜ松田聖子さんなんですか?」と聞かれたと思うのだが、僕はただ「松田聖子さんだからです」と回答になってないことを言っていたと思う。その後は池ヤンが必死でフォローしてくれていたように思う。
 ほんま、なにも覚えていない。帰りがけに、出演料として、一人5000円か8000円くらいいただき、これはすごい時給のアルバイトだと感心した記憶はあるが、オレは負けた、テレビに負けた、という思いがいっぱいだった。
 で、そんな出演した番組をクラブの後輩が見ていたりするのよね。
 次の日、クラブ(『OHHO』はクラブではないので、また別のものです)の部室に行ったら、「きのう起きてテレビをつけたら出てるんやもん、びっくりしたっちゃ」(←山口出身の後輩です)と言われた。僕は「何でそんなお昼に起きるんだ。そしてなぜテレビを見るのだ。よりによって、なぜ、その番組をつける。講義はどうしたのだ。学生の本分はなんだ。そんな生活態度でいいのか。いつもいつもそんなことをしているから…」、と完全にテレビ出演を見られたことに逆切れした。
 あー、ほんま、テレビ出演した記憶を消したいわ。

 もしかしたら、倉木さんも、そんな気がちょっとあるのではないか。結構あがってたもんな。明日学校に行って、友達に「見たよ」なんて言われると、逆切れしてしまうかもしれない、ってことはないか。ま、それにしても、見た僕らが「かわいい、かわいい」と今日や明日くらいまではいいとしても、ずっと言い続けるのもなんだな。特に「上がっているところがかわいい」なんて言われ続けると、どこかに隠れたくなってしまうのではないか。

 で、倉木さんは、なぜテレビ出演をしたかというと、アルバムの宣伝をするためではなかったと思う。まして、テレビに顔を出すっていうことは、それだけでいろんな人に顔を知られてしまうので、これからたいへんなことになる、ということもわかっていたと思う。だったら、自分を売り込むためかというと、それも全く的外れだろう。「自分を売り込むため」なら、『Love, Day After Tomorrow』が売れてなかった頃に出ているだろう。「なんでテレビに出ない」という質問を今も繰り返すアンチファンの方がまだいるみたいだが、倉木さんは今まで、たいそうなテレビ番組で出たことはないのだ。それは、『Love, Day After Tomorrow』の売上が発売直後に下がった時でも出たことはないのだ。ていうのは、「売上優先」ではなく、「学業優先」だからだ。
 なぜ、深夜のテレビ番組を選んだのか。なぜ『CDTV』さんだったのか。なぜ地方の一番組ではなかったのか。
 ぜーんぶ、『倉木麻衣さんへの掲示板』を見ている人ならわかると思う。
 『CDTV』さんなら、全国の見たい人が見ることができるからだ(厳密に言うと、『CDTV』さんも全国すべての都道府県で見れるかどうか、調べていないのでわからないが)。
 そのために、GIZAさんのオフィシャルホームページの『Diary』を作り、みんなに「出るよ」と呼び掛けてくれたのではないか。そして、届いていない人もいるようだけど、ファンクラブの人も「出ます」というニュースを送ってくれたのではないか。全国の見たい人に見てほしい、そんな精一杯の気持ちが込められていたのではないか。

 ほんと、倉木さん、おつかれさまでした。

 たいへんなのは、明日からだ(もしかしたらもう始まっているかも知れないけど)。
 でも、倉木さんの周りにはいいスタッフの人や、いい友達、そしていい近所の人たちがいると信じているので、安心(としておこう)。
 午前2時のテレビ出演なら、僕の後輩のように「たまたま起きてテレビをつけたら」という人はいないと思うので、なんとか乗り切ってくれるかなぁ。

 そんなちょっと危険なことも考えた上で、倉木さんはテレビに出た(と思う)。そして、倉木さんがテレビに出たということのメッセージは、僕らに対しての「ありがとう」の気持ちだったのではないか。
 そんな倉木さんに、僕らが接する態度は、昨日と変わりなく今日を、明日を迎えることだと思う。
 そして、早いところでは、あさっての火曜日、倉木さんの夢であるアルバムを手にできる。
 倉木さんは「ありがとう」の気持ちを、言葉を変えてテレビ出演してくれた。今度は、僕らが「ありがとう」の気持ちを、言葉を変えて伝える番なんだろう。

2000年6月26日(月)
 何か『倉木麻衣さんへの掲示板』を見ると、今日の『HAY!!HAY!!HAY!!』で、ダウンタウンの浜田さんが、倉木麻衣さんのことを「パクリ」と言ったような。
 うーん、見ていないけど、浜ちゃん、うまいこと宣伝してくれるなぁ、って感じだ。
 もう「パクリ」ってのは、100万回言われているもんね。で、今日言ってくれたということは、逆にプッシュしてくれたんとちゃう? と見てないから勝手なことを書くのである。
 で、宇多田ヒカルさんはナイスフォローだったという人もいれば、そうじゃないととる人もいる。
 けど、宇多田さんは、この『倉木麻衣ヒットカウンター』を知っているもんね。味方だもんね(と思っている)。
 というのも、僕にはハンドルネームが「倉木麻衣」さんと同じように、信じている人がもう一人いるからだ。
 宇多田さんはいい人、「友達」じゃなくても、「友達」と言ってくれる人です。
 ということを、『倉木麻衣さんのこの曲を聴いて下さい』の過去ログを読んだ人なら、ぬぬぬ、と感じてくれるかもしれない。本当に、あの時はありがとうございました、宇多田さんのファンの皆様、そして、宇多田ヒカルさん。

 さぁ、明日はフライング発売日。もうアルバムを置いているお店もある、と掲示板で読んだが、僕の予約している店は明日だろう。
 ま、今から帰りに寄ってみるか。

 そうそう、倉木さん、宇多田さんに会うことあったら、いろんなホームページの話をしてみて下さい。どこかで話が合うかもしれません。

2000年6月27日(火)
 見つけられてしもた。

 ×『HAY!!HAY!!HAY!!』
    ↓
 ○『HEY!!HEY!!HEY!!』

だったのですね。みなさん、おおきにです。

 それにしても、英字はあかん。ほんま高校生の時、学年で3人が最低ラインを引いてて、そのラインから外れるとダメだ、と言われてたもんな。その3人の一人だったもんな。
 それもこれも、中学1年の時から始まる。
 初っぱなのテストで80点か、90点だったと思う。そしたら、英語の先生に怒られた。「みんなは100点を取ってます」って。なんかそこからどんどん英語は苦手の道に進んでいったような気がする。やっぱ、しょうむないことでも、「ほめる」ってこと、大事やね。

 で、ナオチューさんが『倉木麻衣さんへの掲示板』に書いていることと関係があるかもしれないけど。
 社会人になって初めて入った会社、結構時間にきっちりしているかな、と思って入った会社だった。空いた時間に、『OHHO』を作りたかった。けど、やっぱり、そこは会社だから残業とか会議とか結構あって、ずっと愚痴ばっかりいってた。その時って、愚痴を言うのは、ただうなずいて欲しかっただけなんだよね。アドバイスもいらないし、気持ちをわかってもらおうなんて思わない。逆に、ちょっと言われたことで、「何でそういうことを言うねん」って逆切れしてたもんね。
 でも、転職をして、環境が変わったらガラッと変わった。前の会社より、残業は5倍ほどあるんだけど、愚痴は全くなくなった。人間こんだけ変わるか、と思った。
 だから、環境を変えれば、ガラリと変わるかな。

 それにしても、ほんま、まだ聴けないぞ。
 ああ、ほんと雨の中だ。

 そうそう、今朝の「倉木麻衣」さんは、前の「倉木麻衣」さんとはIPアドレスは全く違ったのだけど、もしかしたら…。ってのが、今も残っている。
 初めて書き込まれた掲示板だったら、絶対!と思うIPアドレスだったもんな(友達なのかな?)。
 けど、倉木さん、もし本当の倉木さんでも、もし今度書かれる時があれば、ハンドルネームは変えて下さいよ。僕らからのお願いです。
 
 うわーぁ。
 なんじゃこりゃ。
 今、帰りがけにアルバムを聴こうと思ったら、CDケースが割れてるやんけ。
 おー。

2000年6月28日(水)
 宇多田ヒカルさんは、でかいと思った。宇多田さんのオフィシャルページの日記を拝見して。
 ですが、宇多田さん、本人でない場合は、遠慮なく「本人ではないので、削除してほしい」と宇多田さんご自身でなくてもいいですので、返事をいただければ、と思います。今、宇多田さんが守らないといけないのは、宇多田さんを応援してくれている、信じているファンの方だと思います。
 (この文を、メールで、もう一度お送りします)

2000年6月30日(金)
 昨日、日記を書けなかった。
 と思ったら、とほほ、『倉木麻衣さんへの掲示板』がお掃除されてしまっていた。なんて、なんて、なんてことに。
 心配だったから、家に帰ってすぐに掲示板を見たのだが、入れたと思ったら、なぜかいっぱい「大日本帝国…」さんがいて、あれれと思って次のページにうつろうと思ったら、マックが止まってしまった。「家のマックはこれだからいかん。だから家で過去ログの整理ができないのだ」と思いながら再起動すると、ありゃりゃ、全部ないやん。みんな「どうなってるの?」状態になってた。
 ほんま、なんたるちあ。

 それにしても、今日の掲示板を見ると、その前からへんな現象があったという。そういえば、「名無しさん」というハンドルネームがでかいフォントになってたな、と思ったが、そのあたりから兆候はあったんやな。
 で、当然のごとくIPアドレスを調べても、「ノットファウンド」と出るし、ああ、やられた。

 で、今日は、夜の仕事をおいといて(明日に延ばして)、掲示板にレスしまくった。きっとまたすぐにやられるような気がするからだ。その時に、みんなの書き込みがいっぱいあって、それが全部消されると申し訳ないもんね。

  ●

 「Hikaru+」さんの書き込みの件で、抗議のメールを何通がいただいた。
 しかし、その内容が両極端。
 一方は「ニセモノと思われるので削除してほしい」というもの。もう一方は「本物かもしれないのに、何でニセモノだと決めつけ、追いつめるようなことを書くのか」というもの。
 僕はどうすりゃいいの、ということになるのだけど、今のところ「Hikaru+」さんに本当のことを書いてもらうしかないと思っている。それが、「自分ではない」とわかりながら、そのことを日記に書かなかった宇多田ヒカルさんに応えることになると思う。
 (でも、99%宇多田さん本人ではないと僕は思っているが、あと1%は、その書き込みの送信ボタンを押したところを僕が見ていないということだ。これはほんと、「倉木麻衣」さんの件でもそう。IPアドレスが一緒とか、IPアドレスがGIZAさんものであっても(そんなことは今までないが)、書き込んだのが本人かどうかなんてわからない。やっぱりそれは、送った人しかわからない。でも、その人に実際会って聞いたとしても、それが、本当のことを言くれるかどうかなんてわからない。だからそれは、最終的には、信じるしかない。それは、僕たちの心の問題になってくる。)

 だけど、「Hikaru+」さんにもう一度書いて、と書いた書き込みまで消されてしまった。もう一度書くと、本当に「Hikaru+」さんを追い込んでしまうことになってしまう。僕にとって「お掃除」されて一番痛かったのは、そのことかなぁ。
 「Hikaru+」さん、ここを読んでてくれへんかな。
 そして、どうか、宇多田さんを助けて上げて下さい。

 というようなことを、実は今日、宇多田さんのファンサイトの掲示板さんに書き込もうかと思った。
 で、掲示板のところまで言ったのだけど、もうその話は「昔の話」というような書き込みも見られたので、書き込むのをやめた。なんか、蒸し返すだけだもんね。
 もし、宇多田さんのファンページを作っておられる方で、「蒸し返さない」と判断される方は、ここの日記のところを勝手に転載していただいて結構ですよ。
 宇多田さんは、僕らが考えている以上にすごい人です。自分のことをなげうってでも、ひとりの「Hikaru+」さんの気持ちを考えようとするのだから。
 ほんと宇多田さん、あなたも優しすぎます。
 辛いことをいっぱい経験しているからなんだろうなぁ。

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 そうそう、アキーさんやゆーさくさんには内緒だけど、『倉木麻衣ヒットカウンター』のトップページのリンクを切った。被害がそこに及んでしまうと、なんのためにリンクしていただいたか、わからなくなるもんね。
 アキーさんやゆーさくさんには、このまま内緒にして落ち着いたら、こっそりと元に戻すことにしよう。