『正しい日本語』についてこう考える!(1)

(10) 私が考える正しい日本語の基準は、
「日本語を母語とする人たちが使う日本語」であるかどうかということです。
この「使う言葉」というところには誤用も含めて
正しい日本語であるということを意味しています。
なぜ誤用まで正しい日本語に含めるかと いうと、
誤用が言語を進化させていくと考えるからです。
樹さんのHPに書かれてい た「早く来すぎた。」の例のように
どんどん言葉がスリムになっていくことに本当に 賛成します。
言い易い表現が生き残るという言語進化を考えると、
このような誤用は 新しい日本語の予備軍であるので、
正しい日本語と認めなくてはいけません。

若者達の言葉の中には大人たちによって誤用とみなされるものもありますが、
このよ うな若者語もまた言語を進化させていくものとして考えます。
ここでは「盛る」「汚 す」という二つの若者語をあげたいと思います。
この二つの意味を聞いた時にとても 感心しました。
だれが始めに使い始めたのかということも気になりますが、
やはり言語は進化し続けているんだなと感じました。
「盛る」とは「プリクラで本当の自分以上に可愛く撮れている」という意味だそうです。
実際の自分の顔に「可愛さを盛っ た」ということから来ているのだと思います。
メタファーだと思います。
「汚す」と いうのは美容師たちの間で使われている言葉らしく
「髪の毛にワックスをつけてセッ トする」という意味だそうです。
たしかにワックスをつけると髪は汚れます。
「汚れ る→セットされる」という「プロセス」で「結果」を表しているんだと思います。
これはメトニミーだと思います。この二つはほんの一例に過ぎません。
このような若者達の無意識の言葉遊びも、
年配の方々に嫌われる傾向にはありますが、
確実に日本語 を進化させているのではないでしょうか。
日本語を進化させている以上、
若者語も正 しい日本語と認める必要があるはずです。

ただひとつ付け加えなくてはいけないのは、
「伝われば正しい日本語である」という のには異論があるということです。
私はよく外国人の日本語を耳にしますが、
不自然 な表現も含めて大体すべて理解することが出来るからです。
これはもちろん彼らの日本語がすばらしいということもあるんですが、
日本語話者が予想しながら聞いている から
理解できるんだと感じることが結構あります。
こういうことが言いたいんだなと いう予想する力は
NativeSpeakerは断然高いはずです。
実際私がアメリ カ人に英語を話す時、
変な言い方をしてしまったが通じたかなと心配になることがあ るのですが、
通じていることが多くびっくりします。
びっくりというよりむしろ彼ら の予想する力に感謝してしまいます。

私の持つ「正しい日本語の基準」はおそらく低いと思います。
様々な表現に対して寛 容的です。
しかし「通じる言葉」と「日本語を母語とする人たちが使う日本語」との線引きは
非常に重要であると考え、
「日本語を母語とする人たちが使う日本語」が正 しい日本語であると考えます。

(9) 外来語に頼らない、外来語を必要以上に使わない、
これが正しい日本語だと思います。

(8) 私は日本語教師ではありません。
よくわからないのですが、正しい日本語なんてないような気がします。
もし、あるとすれば日本語検定試験で正解になるものが、
正しい日本語に一番近いような気がします。

学校文法は、小中学校の授業で○×をつける基準になるものであって、
私たちが日常使っている日本語とは別物のように思います。

(7) 私は、美智子皇后と中山内閣参与が話しておられる日本語が、
正しく美しい日本語だという気がします。

(6) 私もよく、色々なところで、「正しい?日本語」って何だろう、
と疑問に 思うことがあります。
妻とショーもないアクセントの違いで大喧嘩に なったこともあります。
私は正直に言って「真に正しい日本語」なんか無いと思っています。
言葉は人間がコミュニケーションするためのツールであり、
コミュニケー ションが「それなりに」出来れば必要十分でしょう。
勿論コミュニケーション には、公的なものや、
個人的なものなど様々な状況がありますから、
ある程度の公のコンセンサスは必要でしょうが、
ツールとしての言葉は 生き物の様に刻一刻と変わり続けているはずですから。

今、「正しい」とされている言葉の中には、数十年前、数百年前には、
ほとんどの人が眉をひそめるような表現だったものも少なからず 有りますよね。

とは言っても、私も田舎(大分県)出身なので
言葉のアクセントなどに自信が持てないときが有りますし、
世間一般に広く「正しい」として使われ ているであろう言葉を出来るだけ習得して、
余計な神経を使わなくて済む ようになりたいです。

(5) 本当に、「正しい」ってどういうことなのでしょうか。
「普通、そうじゃないよね。」と耳にすることがありますが、
「普通」 とは何をもって「普通」と言っているのか・・・と思うことがよくあります。
私が、その人の『普通』に同意できれば、何も感じませんが、
同意できない と、心の中で
「それは『あなたの中の普通』です。」と思うことがあります。
「正しいか否か」についても、
このようなことが言えるのではないか と思うこともあります。
文章も難しいですね。
文字だけでは、いくら心をこめても、
書き手と読み手の解釈の違いで、真意が全く伝わらないこともありますし。

(4) 私が考える『正しい日本語』とは、
『筆者/話者の微妙な心境や意図が伝えられ、
かつ簡潔で分かりやす日本語』ということになります。

(3) 日本語の問題集のかっこのなかに
適当な単語や助詞を入れる問題がありますが、
初級の場合文法で説明できる問題ばかりだと思います。
だから、その答えが正しい日本語だと言えます。
でも、「に住む」が正解でも実際は「で住む」も
使いますから、答えは一つではないときもあります。
便宜上、文法で正しい日本語を定義している感じがします。

突き詰めて行くと、文法よりも感覚のほうが重要な気がします。
正しいかどうかわからないけど、皆使ってるという感じです。
文法上、正しくてもそれがあまり使われない表現なら、
正しいとは言いきれないと思います。

何が正しいか?と定義するよりも、
どんな表現をよく使うかということの方が大事かなと思います。

(2) 最近、マスコミなどが「日本語が乱れている」と言っているのをよく耳にします。
これを聞いて疑問に思うのが、
まさに「じゃあ正しい日本語って何?」ということです。

乱れていると言われた単語の有名所(?)である「全然」、
少し前までは否定的な意味で使われていましたが、
現在は肯定・強調の意味でも使われています。
ところがこの「全然」という言葉、
もっと昔は肯定・・・だったかな・・・の意味で使われていたのです。
確か夏目漱石だったと思いますが、
違っていたとしても有名な昔の作家さんです。

言葉というものは流動的なものです。常に変化し続けているものなのです。
「全然」はその良い例でしょう。

日本語が乱れている、と言う人は(偏見的ではありますが)変化を嫌い、
時代の流れについていけない人なのではないでしょうか。
その多くは年配の方が多い気がします。
「最近の若いやつは」なども良い例に、年をとるにつれて、
自分より若い者たちに「時代」を奪われることを恐れての
心理的行動だと考えています。
言語学者の方は別で、
たとえ高齢であっても日本語の乱れなど気にもしないどころか、
むしろ、この変化自体が良いサンプルになったり、
言語の保存作業に追われることになるでしょう。

つまり、「日本語の乱れ」とは(これを−イメージと受け取る場合)
言語に対しての認識の違いから生み出された誤解なのではないでしょうか。
言葉は常に変化し続けている、と考えていれば、
乱れているとは絶対に言われないはずです。

正しい日本語の定義、と書かれていましたが、
私としては「定義不可能」だと考えています。

(1) 正しい日本語とは何かと改めて考えてみると、
やはり学生時代の試験で正解になったものが正しい日本語なのでしょう。
高校入試とか、大学入試とかーーーー。
文部省が決めた基準があって、
それが正しいかどうかの判断の基になるんじゃないですか。
でも本当にそうなんだろうかと今、考えがぐらついてきました。


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