黒 部 紅 葉 狩 り 2 0 0 5
剱 沢 大 滝
2005年10月8〜10日
UFCフンドシチーム(かっきー、よっしー、魚ヤ、大ちゃん)
初日
2日目へ
かきさんとは○俗店で、偶然隣同士になり意気投合・・・なんて、語るも涙の淡く切ない転勤サラリーマンの週末。我々にはもう、愛情の無い業務用おっぱいしか与えられないのか。今日も、すってんてんになった財布を睨みながら池袋のパチ屋を出る。何度となく溜息をつき、大都会の狭き空を仰ぐと己が一掃惨めになる。それでも懲りずに、コーポレートカードを差し込み安易な借金を握ると、その一瞬で気分が晴れ、また浮世の闇に導かれてしまう。コージツでは店を出た後、何故か釣具店へ導かれる仕組みになっている。世間で言う抱き合わせの販売?しかし釣り師にとっては都合よろしかな。こうして全てが導かれるまま、束の間の快楽も僅か1時間で元の木阿弥。「まったく、どいつもこいつも・・・」公園で、野良猫に餌を与えるオバチャンを眺めながら、拾ったタバコに火を灯す。都会の隅で、刹那に導かれるままのだらしない自分。暗黒のフォースに吸い込まれ自殺するのは時間の問題だった。五感の闇に満たされぬ何かが足りない。そうだ「大滝へ行こう!」と、電話したのが、昨年の10月3連休前のこと。結局は、台風大雨で取り付けず、中ノ谷〜立山観光でお茶を濁す事となった。でも、それはそれで思いがけず良い旅だった。 成るのか反るのか、やってみなければ分からない冒険。振り返れば、私は黒部を歩くにしても、初めから困難なことは避け、己の出来る範囲の”無難な黒部”しか歩いて来なかった。気が付けば歳をとり、今それだけが後悔するのもとして残ってしまった。誰よりも力仕事に従事していた20代のころ。肩の筋肉がふくよかで、マラソン大会にも出場していたぐらいに馬力もあり、猿のように身軽だった我が身はもう戻らない。肉体の老化は、精神力さえも衰えさせてしまう。だが、かきさんが云う”挑む”という心構えは山男の真髄であるのは確か。これは多分、自身に対する戒めなのであろう。 ・・・なんて全部嘘!単なるアホですわ。でも、こんなアホと一緒に遡行してくれる関西人には、感謝するほか言葉はない。何より、彼らが居なければ私は黒部に行けないのだから。(これほんと) ![]() かっきー、よっしぃー、魚ヤさん。関西人の垢抜けた笑いが黒部に木霊する。黒部には関西人が似合うのだ。関西という文字をあちこちで見かける。私は、仙人から北の水平歩道こそ通い慣れるが、日電歩道はいつも縁遠い存在となっていた。多分、誰だってそうなのだろう。なにより、かっきーもよっしーも白竜峡や十字峡を見るのは初めてなのである。きっと感動するに違いない。いや、感動しない奴なんて居ない筈だ。雑誌や写真でしか見たことのない風景が目の前に現れるのだから。黒部の下の廊下は、それだけでも旅は成功したと言えるに十分な峡谷景があるのだ。これで、目標の焚火のテラスまで辿り着ければ言う事無いのだが、この雨ではおそらく無理であろう。まあーそれでも、紅葉の黒部を肴に昼真っから酒を煽って、一日だらりと過ごすのもよいだろう。かっきーもよっしーも今年はもう十分にやったのだから。彼らは、ツメてツメて稜線や頂から、いま歩いてきた谷底を見下ろしたのだ。彼らに比べて今年の私は最悪だった。一番行きたかった谷にはとうとう行けず終い。魚ヤさんも、仕事に追われて遠征少なく、今年の黒部行は餓鬼谷、黒部本谷〜源流とこれが3度目の事であった。 黒部再訪 寝不足というか、誰もが徹夜で扇沢に辿り着く。駐車場では、あっちの車もこっちの車も皆仮眠中である。これが立山黒部へのアプローチ。 6:30発の黒部ダム行きトローリーバスは、誰かさんが便所から出てこなかったので間に合わなかった。次の7時のやつに乗車。トンネルを抜けた黒部は、雲が分厚く今にも降り出しそうである。早速、十字峡に向け日電歩道を歩く。3連単、いや3連休初日の黒部は大勢の旅人で賑っている。私は、小用を足しをしている時間分、3人より出遅れたが、その距離をなかなか挽回できず必死に歩を進めた。かきさんらは「どけどけぇ〜」と、道頓堀の追い込み屋のよう肩で風を斬りながら疾走して行った。黒部が地元であるはずの私は「すみません、すみません・・・」と、背を小さく丸めて黒部を歩く。ところが、どれほど急いでも追い付く気配がなく「もしかして追い抜いたか?」と心配になり、すれ違う登山者に「3人組のヘルメット見ませんでしたか?」とか「たこ焼き臭い3人組追い越しませんでしたか?」などと、幾度となく確かめながら歩いた。まだ売る若き女性登山者は「ちょっと前、すっ飛んで行った3人なら見ましたよ」だって。ついでに世間話やメルアド交換も・・・。下の廊下で女子に迫るのは実に楽しい。ここなら襲っても逃げ場も無いし。 汗だくで辿り着いた内蔵助谷。彼らはそこで、涼しい顔をし鎮座していた。私は「ちみたち早えーよ、勘弁してくれー!」などと、文句を言いながら、内蔵助谷の水をごくごく飲んだ。よっしーは何か呟きながら丸山東壁を眺めている。その隙に私は一服入れる。かきさんは、あの壁が黒部の巨人だとか魔人だとか言っている。こっちは巨人や阪神どころではなく楽天だ。そして、汗も引かぬうちの出発となった。 下の廊下は、対岸に赤壁の菱を迎えると、素晴らしく垂直な峡壁に囲まれてしまう。その隙間を裂くように、鳴沢や新越滝が落ちている。新越滝の直瀑はいつ見ても魅了される。雨がだんだん酷くなり、かきさん以外は道中カッパを着込む。そして、別山沢を横切る。今年は別山沢の雪渓が消えていた。魚ヤさんは、別山沢左又に入る3人パーティと情報交換したそうだ。それを聞いた私は、こんな雨のなか別山沢を遡行する同類がいるのかと嬉しくなった。十字峡に辿り着いたのが12時前で、各自が適当にお腹を満たす。観光気分で、私以外は十字峡を見るのに下っていったが、私は木陰で安静に徹していた。足腰が草臥れて辛い。かきさん曰く、ケツの肉が足りないからだそうだ。 剱沢尾根を辿り、分岐を右支尾根に下る。途中、左側にフィックスが垂れ下がっていた。多分ここが下降点だろう。と思ったのも遅く、先頭のよっしーは尾根をかなり下っていた。ここで下降点についての意見が分かれたが、とりあえず下れるだけ下るという結論になった。何となくそれに続く。剱沢の川床が見えるまで下降すると、凄く古そうな紺色のザックがデポしてあった。既に地面と一体化している。多分、数十年前のザックであろう。中身も入っていそうだが、恐ろしくて触れれない。川床から切れている地点で尾根下降不能となり、強引でも左にトラバースしなくてはならなくなった。魚ヤさんが懸垂気味に左トラバースを行い、最終下降点に達した。その懸垂ロープは、真横にピーンと張られて固定され、後続3名はチロリアンブリッジをやる羽目に。エイトカンのまま樹林間を宙に舞うと、笑えるぐらい進まないし苦しい体勢になった。きっと他人が見たら、サーカスの練習か索道にでも見えるだろうか。いや、なんとなく誰にも見られたくない感じだった。次の懸垂で川床に下りる。 |
ずぶ濡れのUFCフンドシチーム
(剱沢入渓地点)


| 剱沢 雨の剱沢は、言いようの無い憂鬱さをかもし出している。遠目には、単なる磧にみえた川床だが、巨岩が犇きその隙間を青白い水が勢いづいて落ちている。一般に、剱沢の水は冷たいと語られる。だから、何として濡れたく無かったが、すぐに渡渉となる。ちょっと躊躇うが、既に全身雨浸しになっているせいだろうか、剱沢の流水は黒部の標準的な水温に感じた。不安を抱きながら遡行を続けると、剱沢平の広い堆積地(右岸)に辿り着いた。ここでようやく不安から開放される。14時、小さなテン場を設営し、薪を集めてからI滝までのフィックス工作に出かける。難関である岩間の滝は、今日中には終えていたい。 |

| フィックス工作へ 左にイタドリ台地、右にガレ沢(滝見沢)が合わさるところで、どうしても左岸に渡渉しなければならない。ここの渡渉はきつかった。この頃より雨脚が強くなる。左岸のガレ沢を超え、50mほど進むと圧縮壁に囲まれた岩間滝が見えた。I滝はその左曲した向こうにあるので、ここからは見えない。しかし、岩間の滝が見えたはいいが、その取り付きすら近づけない。水量が増し渡渉不能となったからだ。皆であっちこっちとルートを探すが、その間にもどんどん水嵩が高くなっている。今日はフィックス工作を諦め、テン場まで引き返す事にしよう。 |


| 増水 ところが、先ほど渡渉してきたガレ谷からイタドリ台地への渡渉ができなくなった。川の中が真っ白に泡立っている。「遅かったか!」私は頭が真っ白になった。我々が居るのは左岸で、テン場は右岸である。剱沢の流れとまともに戦う気なんて毛頭も無い。魚ヤさんに「どうする?」と問い掛ける。魚ヤさんは、「このまま左岸を下って、天場前の川幅の広いところから渡渉しよう。」と、大胆かつ的確な作戦を打ち出す。「そうだね。」迷っている暇はないので、そのまま壁伝いに下る。ところが、ここさえ超えればという所で、遂に白泡に塞がれてしまった。右にテン場が見えているのに。 白泡の壁は、うまくポケットを拾えば、水に浸からず抜けられそうである。まず先に、私が試すとする。んーやはりというか、当然のように途中で詰まった。魚ヤさんが必死に、右手をあっち、左手をこっち、足をそっち・・・とムーブを叫んでいる。気分は小山田大、足元は激流。これからの沢はボルダリングのムーブだよ!なんて自慢気に語っていた自分が、何一つの岩をも掴めない。クライミングのトレーニングを積む意味は、こんな瞬間にあるのだと痛感する。情けないが己の未熟を素直に認めて白泡に飛び込む。まさか剱沢で泳ぎが入るとは夢にも考えてなかった。結果的には全員泳いだ。泳いだあとは不思議と「楽しい!」という強気が芽生えた。そしてなんだか気持ちが明るくなった。泳ぎ終わった後は皆、自然と笑みがこぼれている。「な〜んだ!」どうやら我々は、今まで培ってきた遡行スタイルを忘れていたようだ。我々は剱沢という名に怯えていただけなのだ。いや、私だけがそうだったのかもしれない。いつものように、楽しく激流と戯れればそれで良かったのだ。その後、もう一箇所渡渉してテン場に辿り着く。増水したとは言え、8月と同等の水量と思われる。 |
未熟者は滑って落ちるしかない

泳ぐと案外楽しかったりする

かきさん(兎組)も楽しそう

| タープの下で、すぐに着替えて火を起こす。吹き込む雨の中、熱い焼酎を煽りカレーライスでお腹を満たす。タープが落ちないよう水溜まりには穴を空ける。風が不安定で煙の流れが定まらず、かきさんが場所替えする。それでも煙が目に染み何度も涙を流す。そんな感じのいつもの天場であった。その日は、よほど疲労していたのだろうか、日暮れと同時に会話も途絶え、皆すぐ横になった。全員が明日の好天を祈りながら。夜中、魚ヤさんは、寒さの余りに起き焚火で暖をとっていた。かきさんは、冬山訓練とばかりに薄いペラペラで寝入っている。同じころ私は、自分のオナラで自爆した。煽っても煽っても臭い。きっと、普段使わないシェラフカバーのせいだ。 |

