2008年7月
今年の上海は梅雨らしい長雨が続いたが、7月に入ってからは日増しに夏らしくなってきた。
カッと照りつける日差しも眩しいくらいになって、上海特有の纏わり付くような暑さには閉口するものの、誰しも気分は段々と開放的になってくる。だが、今年の私は今ひとつ乗り切れない。
うつ病の方はこのところ安定しているから、そのせいでないことは自分が一番よく分かっている。
今更、くどくど言っても始まらないが、義父母の再来日出発の日が近づくに連れ、外の晴れ渡った青空とは対照的に、不安と苛立ちが綯い交ぜになって鬱々たる気分になってくる。
何でそこまで嫌うのだろうか?つらつら考えてみた。その辺が明らかになれば、少しは悩みも吹っ切れる。
確かに上海滞在中は、何かあればお舅さんの世話にはなっている。その御礼と考えれば納得もいくし、再来日中は精一杯の接待を心掛ければいいのだから事は簡単なのだが・・・・・
だが、私たちには金がないから、あご足付きは勿論、出来れば小遣いもお願いという態度が許せない。
金がなければ無理して再び日本へなど行くことはない。身の丈にあった暮らしをしていればいいのである。
上海人は見栄っ張りだから、分不相応に高価な物をたまに買っているのを私は知っている。それなのに肝心な時に金が無いでは通らないだろう。
貧乏人だから金が無いといえば、免罪符のように何でも解決すると思ったら大間違いである。
物価の高い日本に帰れば、私たちだって貧乏人の仲間入りだ。
中国の貧乏人が日本の貧乏人に負担を掛けて、それで気が咎めないのだろうか!そんなことは関係ない、私らは義理でも親なんだから日本に招待するのは当たり前と、変な勘違いしているところが最大に嫌なのだ。
10年前に遡る初来日の時もそうだった。
勝手知りたる他人の我が家式に、図々しくて遠慮というものがまったく無かった。
中国の国民性といってしまえばそれまでだが、散々引っ掻き回された挙句、立つ鳥がタップリ跡を濁すようにして帰って行った。
10年も経って記憶も大分朧気にはなっているが、もう二度と日本へ呼ぶまいと心に誓ったくらいだから、相当ショックだったのだろう。嫌だった思い出が、大波小波となって押し寄せてくる。
そう考えるとやはりここは、たとえ可愛い女房に泣き付かれても、再来日は毅然とした態度で断固拒否の姿勢を貫くべきだったのかも知れない。

上海の乗船タラップ・・・・荷物を持って狭い階段を上るのが一苦労! |

変貌する上海浦東地区・・・・一番高いのが上海環球金融中心ビル |
「集合は船着場ね、私たちはタクシーで行くけど、お父さんたちはどうする?」
よしっ!よく言ってくれた。初っ端からタクシーのお迎えじゃ、忌々しいと思っていたところだ。
7月半ばになって上海も夏本番、茹だるような暑さの中、重いスーツケースを引っ張って行くのはご免蒙りたい。
船での帰国を選んだ理由は、お舅さんたちが船旅の経験がないので、是非やってみたいと言ったのが決め手だった。調べてみると、上海からの3ヶ月オープン航空チケットの値段と大差なかったので、私は飛行機の方がよかったのだが、ここは接待する側が譲歩した。
「私らは電車で行くよ」
ほらね、タクシーに便乗して行くなら大歓迎だが、自分の金で行くとなると、すぐさま変えるところが心憎い。
当日は朝から暑かった。午前11時の出航だが、その2時間前に入らなければならない規則なので、私らは余裕を持って午前8時にマンション前からタクシーに乗った。
順調なら船着場まで20分くらいで行ける距離なのに、走り始めた途端から大渋滞に巻き込まれた。
8時といえば朝のラッシュの時間帯、もうにっちもさっちも動かない。
タクシーの運ちゃんは、「これじゃ、1時間掛かっても着かないよ〜」と人事みたいに言う。
女房は焦る、ならば是非もない!「近くの地下鉄の駅で降ろしてちょうだい!」
お舅さんに1本取られた格好になった。そこまで先見の明があったとは思えないのだが・・・・・・
タクシーを降りると、女房は地下鉄の階段を脱兎の如く駆け下りて行った。
私は大きなスーツケースを運んでいるのだから、そんな訳には行かない。半ばケースを引き摺るようにして下りていったが、その緩慢な動きには「行きたくない」という心の内面が如実に表れていた。
地下通路も構内も蒸し風呂のように暑く、瞬時に汗が吹き出てきた。まだ上海の我が街から一歩も出ていないというのに、Tシャツは汗でベッタリと体に張り付いて気持ちが悪い。
道路が渋滞なら、当然、地下鉄だってラッシュアワーの時間帯だ。ホームは人で埋まっていて、電車が到着するもすでにすし詰め状態で、押しても押しても一人分の隙間さえ空かない。
私はサラリーマンをやったことがないから、東京の生活でも満員電車には殆ど乗ったことがなく、こんな場合ただただ圧倒されるだけで、どうしたらいいのかも分からない体たらく。
女房はさすが中国人、恥も外聞もない闘争心で何とか潜り込んだが、私はスーツケースもあるし、とても無理と判断。
「イェラン!だめだめ、とても乗れやしないよ〜!」
電車の乗降口にへばり付いていた最後尾の人は、いきなり日本語の叫びにも似た声がしたので振り向く。
その悲痛な声に女房も慌てた。押し合い圧し合いの中、ドアを背にして乗ってしまったから、辛うじて首だけ捻ってチラッとこっちを見た。
ここで離れ離れになっては万事休す。私一人で埠頭まで来られないのは火を見るより明らかである。
弱り目に祟り目、そこへ無情にも発車のベルがけたたましく鳴った!
えぇ〜い迷っている暇はないと、渾身の力で人を押し退け、這いずるように出てきた。
「いやいや、上海のラッシュもすごいね」
「それどころじゃないよ、これじゃ9時までに行けそうもないよ」
女房はそう言うと携帯を取り出し、もう船着場についているであろうお舅さんに連絡を取った。
話の内容では、お舅さんたちは船着場の近くまできているらしいのだが、国際フェリー乗り場の場所が分からなくて探しているようだった。おっ、こいつは下手すると全員乗り遅れか?
私にとっちゃ、行きたくないのだから願ってもないハプニング。
サヨウナラ、サヨウナラと埠頭で手を振る別れの出船、そんな絵柄もまたいいかも知れない。
まぁ期待したところで、そんなことには絶対ならないだろう。2時間前の手続きは飛行機と同じで、ギリギリ1時間前だって間に合えば乗せてくれるのだから。

豪華客船とは程遠い1階客室の甲板・・・・安いんだから納得 |

大海原を眺めての船内食堂・・・・値段は安いのだが客は少なかった |
国際フェリー乗り場は本当に分かり辛い。最寄りの地下鉄駅から乗ったタクシーの運ちゃんも、番地を頼りに近くまで来たものの、看板も出ていないので1回は通り過ぎてしまい、グルグル回ってようやくたどり着いた。
私らが船旅をしたのは2年前なのに、周囲の建物や景観がすっかり変わっていて、大いに手間取ってしまった。
入り口に立っていた警備員が、ここで間違いないというので、それに従うように地下通路へ下りて行った。
そうそう、このひんやりした空気、朧げながらその雰囲気を思い出してきた。うん、ここで間違いない。
坂になった地下通路を下り切ると、飾り気のない大きな待合所になっていて、待機用のベンチがズラッと並んでいる。そこの中ほどにお舅さんたちが、私らが来るのを今か今かと気を揉みながら待っていた。
1ヵ月半の旅行だというのに、2人とも小型のキャリーケースしか持っておらず、随分軽量の旅立ちである。
おそらく1台の方は食料で満載だろうから、実質1台分の中に着替えなどが2人分入っているのだろう。
改札を待っている乗客の数はそれほど多くはなく、これなら1回目の船旅のように、4人室を2人で使わせてくれるかも知れない期待が高まった。
いくら気心が知れているとはいえ、これから2日間、四六時中一緒というのも骨が折れる話だからだ。
9時半を過ぎて改札が始まった。乗船チケットを見せて中に入ると、まず荷物検査。それから出国の手続きを行って、パスすれば晴れてあとは乗船待ちとなる。
地下倉庫みたいな味気ない空間も、鉄柵の仕切りひとつ隔ててもう出国扱いなのか、小さいながら免税店もあった。ちょっと覗いてみたが、高級洋酒とタバコがメインで、他にめぼしいものはなかった。
おっ!係員が乗客を2列に並ばせ始めたぞ。いよいよ乗船のようだが、すぐ乗れる訳ではなく、一旦外に出てバスに乗り換え、埠頭に停泊している蘇州号まで行くのである。
暗い地下から外に出ると、眩しいくらいに夏の日差しが照り付けていた。
国際フェリーの出口からバスで3、4分の距離にある埠頭には、白い船体の蘇州号がすでに横付けされている。
スーツケースや荷物を抱えて、狭い仮設タラップを上るのだが、これが大変。息切れがひどい私など、前回も上りきった途端に息を喘がせて倒れ込みそうになった。
再びの試練だが、覚悟を決めてスーツケースの取っ手を掴もうとしたら、お舅さんが自分のキャリーケースと交換してくれた。ありがたい、中国倹約旅行のシステムが日本行きでも活きていた。
お舅さんのと私のじゃ、重さは半分くらい。これなら楽勝と先頭立って上っていったが、やっぱり上りきったらハァハァと過呼吸状態。反省猿のように片手をデッキの手摺に預け、苦しさが収まるのを待った。
お舅さんといえば、私のスーツケースとお姑さんのキャリーケースを両手に持ち、一気に上がってきた。
御歳66歳になるというのにこのバイタリティだ。ひ弱な私など、もう羨望の眼差しで尊敬してしまう。
船内に入り受付カウンターで鍵をもらう。鍵はひとつだったから、2人1室の期待は儚く消えてしまった。
女房があとで交渉してみる言っていたが、おそらく1回入室してしまえば、おいそれとしかも無料でなんか代えてはくれないだろう。
お舅さんはまったく落ち着かない人だ。荷物を置いたら、早速、船内探訪に出掛けてしまった。
あとに残った血液A型の3人組は、ひとまずゆっくり休憩。左右に設えられた上下2段のベッドは、毎度中国旅行の硬臥席よろしく、暗黙の内に下段が私ら、上段にお舅さんたちが寝ることに決まった。
予定通り、11時をちょっと回ったところで、ゆっくり舟が動き出した。
黄浦江を大きくUターンした蘇州号は、舳先を河口に向け、大海を目指して進んで行く。
懐かしき外灘の風景が段々遠くなって行くと、故郷を離れるような郷愁感が込み上げてきた。
人は住んでいる場所以外に、気に入った他所を見付けると、それが日本であっても外国であっても第ニの故郷なんてことをよく言うが、私の場合はすでに逆転していて、上海が第一の故郷のような錯覚に囚われている。
言ってる本人は至極真面目なのだが、言葉も喋れないで第一も第二もないだろうという声が、無きにしも非ずではあるが気にしない。

黄浦江を一路河口へ・・・・南浦大橋を今回は船で抜ける |

屋上デッキから遠ざかる外灘を望む・・・・う〜ん、煙突?が邪魔! |
外灘が遠くなったら諦めがついたか、早速、昼食を広げる。
私らが持ってきた食料は、即席ラーメン4個とおにぎり4個、それとポテトチップが2袋である。
私が今朝握ってきたおにぎりが今日の昼食、傷みやすいのでこれから先に食べる。
明日からの朝食は、期待出来るほどではないにしろ一応船側で用意してくれるから、昼と夜は即席ラーメンで凌ぐつもりでいる。動かないから腹も減らないし、前回の経験を活かした。
こう書くと、いかにも中国貧乏旅行の延長のようだが、女房がその予定で即席ラーメンを持ってきた以上、それを片付けてしまわないことには、嵩張って荷物が減らないからだ。
昼食の匂いを嗅ぎつけたのか、お舅さんが帰ってきた。
三度三度キチンと食べないと生きている気がしないというお舅さんだ、何があっても食事だけは欠かさない。
おもむろにチャックを開けたキャリーケースの中身は、私の想像をはるかに超えていた。
まずテーブルの上に、ビニール袋に入ったご飯が2つデンと載った。それにお粥の缶詰が4個、即席ラーメン4個、パン2袋、鴨肉の甘辛煮大1袋、中国製の旨くないビスケット等お菓子類多数。
おっと、それにウーロン茶とコーラのペットボトルの大きい奴を2本持ってきた。
これ全部老夫婦2人で食べるつもりなのだろうか?それとも気を遣って私らの分まで持ってきたのだだろうか?
お舅さんは死ぬのを一番怖がっているが、歳を取ってもこれだけの食欲があれば、大丈夫、当分死ぬなんてことはなさそうだ。
船は河口を抜けて外洋に出たが、海の色は相変わらず茶色で、中国から離れたという気がしない。
紺碧の海域に入るまで、まだしばらく時間が掛かりそうだった。
| 2008年7月30日更新 次回まで中国ランキングのクリックよろしく。 |
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