上海一族・日本の休日

11.上海一族の病気見舞い

                                                      2008年6月
 日がすっかり落ちた6時近くになっても全員帰る気配は毛ほどもない。
日本人は客が夕食時までいれば、無意識の内に何か作るか出前を取るか思案してしまう。
特に私たちの年代はそうだ。中国人から見れば、ただのお人好しに映るかも知れないが、自分のことより相手を思いやる、これこそ日本人が持つ本来の姿である。

「お舅さんたちが折角来てくれたんだから、何かご馳走してあげれば?」
「それじゃ、下のレストランでも行こうか、アンタも行く?」
「・・・・・・・・ウウン、行くよ」

本当は餐庁などへ行く気分じゃなかったが、私が行かなきゃ、またお舅さんたちが心配するのではないかと思い、気力を振り絞って行くことにした。
よく考えれば、病気見舞で来たのにあの大騒ぎである。私なんかが行かなくたって、別に何の心配もしないことは大いに推測されるところだ。あ〜私もよくよく先の見えない男である。

 私の住んでいるマンションのすぐ隣に、値段はリーズナブルで味もまぁまぁ、店内も割と清潔で広いときてる、まことにお手頃な中華餐庁がある。
店内を忙しく動き回っている小姐は、みんなほっぺを赤くしたような純情可憐な乙女たちで、まぁ早くいえば、昨日、田舎から出てきたようなお姐ちゃんたちなのである。
口数が少ない、少ないというより足らない、愛想がない、可愛らしくないの三無主義。それだけが唯一、店としての難点ともいえる。

テーブルにドサッとメニューが放られた。毎度のことだから、こっちも大して気にならないが、幼顔に似合わず大胆である。
注文が決まる間、注ぎ口が少し欠けた土瓶で、お茶をそれぞれの茶碗に無言で注ぐ。もう少し静かにやればいいものを、勢いあまって土瓶の底にへ滴ったお茶が、テーブルのあちこちに溜まりを作った。これもいつものこと。

 甥っ子も小学4年生になった、もう食べる方は一人前である。
女房は単品料理を4品選び、それとご飯を5杯注文した。もう以前のように食べきれないほどの注文は、どの中国人もしなくなった。見栄よりも実質を取るようになったのか、庶民は堅実な方向へと変っている。
奥の円卓では5〜6人の男が酒を酌み交わしながら、一段と大きな声で話し合っている。
むしろ怒鳴り合っているといった方が当たっているかも知れない。
中国では日本のように居酒屋みたいなのがなく、餐庁がその兼用を担っているので、まぁ仕方がないのだが。
なにしろ、聞こえてくる雰囲気では、今にも取っ組み合いの喧嘩が始まりそうなのだから穏やかではない。
中国に初めて来た日本人がこれを見たら、和気藹々の酒宴とは到底思えないだろう。
私だって大分慣れたとはいえ、内心では店の方で少し注意すればいいのにと思ってしまう。
ましてや今は病気のせいで、ちょっとしたことでもイラつく度合いが激しいから、私には最早食事をする気持ちなど、とうに消え失せてしまった。



食べることが大好きなお姑さんが、喜びの第一声。

「しばらく餐庁へ来なかったから、入り口がどこか忘れちゃったよ」

中国庶民は、よく銀行へ預金出来なくなったり、外食をやめて餐庁にしばらく行かなかったりすると、入り口を忘れたとか分からなくなったと冗談を飛ばす。
上海一族も私らが日本へ帰った半年間、外食はしなかったようで、お姑さんにすれば精一杯の冗談を言ったのだろう。いつもなら私も軽く笑って皆に合わせるのだが、今日は大騒ぎの連中の件もあって、虫の居所が悪い。
レストランの入り口を忘れたからって、俺の知ったことじゃない!
忘れない内に、自分たちの金で行けばいいんだ!と反発心が首を擡(もた)げる。
フーテンの寅さんじゃないが、それを言っちゃぁお終いである。

 半年振りに食べた餐庁の味はまた格別だったのだろう、ましてや自分が払う訳じゃないから尚更だ。
大満足の一族は腹を摩りながら店を出た。そのまま帰るのかと思いきや、また部屋までついてきた。
お舅さんお姑さんに、本当に病気を見舞う気持ちがあるのかどうか、甚だ疑問が生じてしまう。
ひとしきりの談笑、いつもながら私は蚊帳の外で、疎外感をタップリと味わう。
いま食事をしてきた店の支払いは私がしたんだ!お礼を言うとか、もう少し立てるとか出来ないのだろうか?
残念ながら一族にしてみれば、腹に入れてしまえばこっちのもの、切り替えは早い。
あ〜先が思いやられる、こんな調子じゃ、うつ病が好転するどころか、絶対に悪くなりそ〜だ!

 1時間ほど我が家のように寛いで、そろそろ回家(帰る)の雰囲気が濃厚になってきた。
食事から戻ると一目散にゲームを再開していた甥っ子を、「帰るぞ!」と大きな声で呼んだ。
よし!これで本決まりだ、やっと騒々しさから解放されるかと思ったら、思わず含み笑いがこぼれた。

「はい、さいなら、また来るからね」

来んでいい、来んでいい、しばらく来んでいい!しっかり日本語で言ってやった。
満面の笑みを湛えながら言ったから、恐らく分かりっこないだろう。
こういう時は、双方言葉を解さないのは真に都合がいい。
それにしても普通、病気見舞いに来て、病人を外に引っ張り出してまでご馳走になって帰るだろうか?

 2、3日して今度は義弟から、病気見舞いの差し入れがあった。
最初は5kgの中国米を一袋持ってきた。
まず第一に私は安い米は食べない。中国産は炊き上げた時の何ともいえない臭いが駄目なのだ。
日本の常識で考えると、病気見舞いはメロンとか果物を想像するが、あいつも金がないしな、まぁ気持ちだけはありがたく受け取って置くことにした。
それにしても、何で米なんか持ってきたんだろうと女房に尋ねると、義弟も最近は真面目になったらしく、本業である警備の仕事の合間にアルバイトをしているという話だった。
そのアルバイト先が超市(スーパー)なので、どうやらそこから、くすねて来たということはないにしても、格安で買ってきたのだろう。
因みに日本のスーパーで売っている秋田小町クラスが5kg1800円、こちらでは中国産秋田小町で30元(450円)、純中国米なら20元(300円)くらいである。これでも以前から比べれば、随分値上がりしたそうだ。

しばらくして2度目の病気見舞いが届いた。
今度はトイレットペーパーである。それも20個入りの徳用品だ。
いくら気安い身内とはいえ、よくこういう発想が出てくるなと感心した。


 お姑さんは昼間ちょくちょく遊びに来る。
お舅さんもアルバイトに行っているし、誰もいない家は詰まらないのだろう。
お姑さん個人は静かな人だから、私もそれほど身構えなくてもいいので、来ることにそれほどの抵抗はない。

「どうだい婿さんの調子は?少しはよくなったかい」
「うう〜ん、変らないよ、そんなにすぐよくなる病気でもないし」

母娘だけの会話だと、殆んどパソコン室にも寝室にも響いてこない。かなり気を遣っているのだろうか?

「ほんとに気の毒だねぇ、出来れば私が代わってやりたいくらいだよ」

ウウゥ、何と優しいことを言ってくれるんだお姑さん。婿とはいえ、国も違うし、歳も3つしか離れていない私に。
あとからそう言っていたと女房から聞いて、目頭を押さえるくらいにウルウルと感激した。
だが、その後がいけなかった!

「だって婿さんは金には困ってないんだろ?それならうつ病くらい交代してもいいね」

何てこと言うんだおっかさん!代わってやりたいってのは、立場ごと代わるってことかい!
うつ病と金を秤にかけりゃ、やっぱり重たい金の力、病気の心配より最後は金ってところか。
たかがうつ病、されどうつ病、うつ病は見た目よりずっと苦しいんだぜ、お姑さん。

 最後は甥っ子だ!右のイラストにそっくりな悪ガキである。
小学校に上がった当時は、育ての親同然の爺ちゃん婆ちゃんも、末は大学を出て良いポジションの仕事につけるよう、うるさく勉強を見てやった。
お舅さんがことあるごとに「勉強しろ!」と怒鳴るのは今も変わっていないが、問題はそれを教える人間がいないことである。
ただ闇雲に勉強しろというだけで、勉強が出来るようになった試しはない。

 中国の小学校のレベルが高いのは、教科書をパラパラとめくっただけでも分かる。加えて授業の進み方がハイペースなので、一旦遅れるとそのまま取り残されていってしまう可能性が高い。
だから、どこの親も落ちこぼれまいと、必死に子供を叱咤する。
「電動自転車騒動記」でお世話になった女房の友人である張さんの息子は、テストの結果が100点にあと2点足らなかったことで、泣き崩れたという。
中国の学力至上主義は日本の比ではない。

 甥っ子は小学2年生で、早々とこの競争から脱落した。
その最たる原因は、爺ちゃん婆ちゃんが小学2年生のレベルについて行かれず万歳したからである。
今ではテストの結果も20点30点台を低迷している。そう書いてしまうと爺ちゃん婆ちゃんが悪者になってしまうが、張さんのところの息子だって条件は同じなのだから、甥っ子の頭の出来が元々悪かったのかも知れない。
ところが、捨てる神あれば拾う神ありで、こいつは勉強は駄目だが、他には中々いいものを持っている。
まず弁が達者で機転が利く。それに経済観念もしっかりしているし、逆境にもめげない。
私は早くから一族に、甥っ子の大学入りなどは諦めて、老板(個人経営者)の道を歩ませた方がいいと言ってきた。私も商売を張ってきた経験上、この子には商才があることを見抜いたからだ。
「学歴なんか無くたって、孫が沢山稼いでくれて、小遣いでも貰った方がいいよ」と言ったら、さすがは計算高い上海人、お舅さんも多少理解を示すようにはなった。

或る日、遊んでばかりいる甥っ子に、お舅さんのカミナリが落ちた。
そりゃそうだ、商売の道に進むにしても、馬鹿ではなれないのだから、たまにはいい薬だ。

「一生懸命勉強して、大きくなったら叔父さんみたいに、いっぱい金を稼ぐんだ」

一生懸命勉強してまではいいが、後の方は事業に失敗して、あまり金には縁が無い。
私のはそれも運だから仕方がないが、甥っ子は大成功するかも知れないのだ。

「お爺ちゃん、ボクは大きくなってもそんなに沢山お金は要らないよ」
「なんでだ!」
「お金をいっぱい稼いだら、叔父さんみたいにうつ病になっちゃうからね」

普段から大人の話をよく耳にしているのだろう、まったく口の減らない奴である。
ヘイ、お後がよろしいようで・・・・・・・

※いよいよ上海一族の再来日です。費用が安い船旅を選ぶつもりです。
しばらくお休みをいただきますが、近いうちリアルタイムでHPにアップしていく所存でいます。
どうかそれまで皆さんもお元気で。

12章 波濤を越えて、いさ日本!へつづく

2008年6月20日更新 次回まで中国ランキングのクリックよろしく。

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