上海一族・日本の休日

10.夫婦の絆よ、再び・・・・・

                                                      2008年6月
 女房の頭の中では、瞬間的に損得勘定が働いたのかも知れない。売り言葉に買い言葉はなかった。
昨今、日本の労働者の3分の1が低賃金で何の保証もない派遣労働者である現状を考えても、上海の低所得層が物価高に喘いでいる様子などが、一瞬、脳裏を過ぎったに違いない。
もうすぐ四十路を迎える私にとって、自立するのはかなりの困難が予想されるし、またその自信もない。
確かに私にも行き過ぎたところがあった。決して亭主を蔑(ないがし)ろにしてきたつもりはないが、足らなかったと言われればその通りかも知れない。

「あなたが行かないって言うなら、これからの行動を見てみるよ。変らなければ、本当にもう駄目だな」

こうして一時休戦で、この日の戦いには幕を下ろしたが、私はそれほどの期待はしていなかった。
人間の性格なんて中々変らないもの、喉もと過ぎれば熱さを忘れ、ほとぼりが冷めた頃は元の木阿弥。
そうなったらこっちも報復に打って出てやる。お舅さんたちの再来日は、何が何でも断固拒否を貫く!

 ところが予想に反して、女房の激変振りには目を見張るものがあった。
朝食は元々食べないが、お昼は例えラーメンやうどんであっても、率先して作ってくれるようになった。
夕食は相変わらずスーパーで出来合いの惣菜を買って来るものの、自分でも必ず1〜2品は、美味い不味いは別にしても作るようになった。
食卓は見違えるほど華やかになり、私がひそかに描いてきた普通の家庭の暮らしに限りなく近づいてきた。どうやら女房の反省は本物らしい。

どういう風の吹き回しか?頼みもしないのに病院へも付いてくるようになった。
付き添いが必要なほど年寄りでもないし、重病患者でもないから、何となく気恥ずかしくもあるが、その反面、女房の変貌振りが嬉しくもある。
帰りには二人でスーパーへ寄って、夕食用の刺身かなんかを選ぶ。
つい1週間ほど前、一人で選んでいた時の侘しさや情けなさは微塵もない。
同じ行動でも、夫婦一緒なら他愛のない買い物ですら、こんなに楽しいのだから、やっぱり夫婦は仲良くしなきゃいけない。
私のうつ病も、こういう条件が整ってこそ、治ってくるというものである。

しばらくして、この改心が本物かどうか、もう一つ試してみることにした。

「家の周りの雑草が大分伸びてきたから、今度一緒に草むしりしような」
「・・・・・・ウン」

嫌だとはっきり断れば角が立つから、その場をかわす生返事は相変わらずだった。
結婚して11年、女房は家の周りの草むしりはおろか、掃き掃除ですらやったことがない。
家の中の掃除だって私任せで過ごしてきた11年なんだから、手が土塗れになる草むしりなんて土台無理な話。
そう言っては見たものの、大した期待は持っていなかったが、翌週、為替が休みの土曜日に、

「今日は天気もいいからクサムシやろう」
「クサムシ?なにそれ?」
「アナタがこの前言ったでしょ、家の周りのクサムシだよ、クサムシ!」
「おう、おう、草むしりのことか、いいねぇ、やろう、やろう」

軍手を渡し大き目のビール袋を持たせて、毟った草はその中に入れるよう要領を説明した。
家の左右だから距離は同じ、よ〜い、ドンで始めたが、私が半分も行かないうちに、「終わったよ」とやって来た。確かに手に持つビニール袋には、毟った雑草がギュウギュウに入っている。

「へ〜、随分早いね、もう終わったの」
「アンタ遅いね、まだ半分も残っているよ」

どれどれ、どんな出来具合かと見に行った・・・・・・・・う〜ん、まぁ、こんなもんだろう。
女房は地表に出ている草の葉だけを、手早く毟って行ったに過ぎず、根っこはそのままだから早かったのだ。
私は几帳面にも、なるべく根っこまで引き抜いて行くから、時間の差は歴然だった。
それでも、夫婦で初めてやった草むしりである。温かいものが全身に込み上げてくる喜びは大きかった。



 女房の改心が付け焼刃でないことが確認できた以上、意地を張っているのも大人げない。
今回は東京で半年も暮らしたので、生活リズムはすっかり東京モードに慣れてしまっている。
それをまた上海に移動することで環境が変り、少なからずうつ病が悪化することを心配したが、女房が改心したお蔭で病状も持ち直してきたから、思い切って上海に飛ぶことにした。
ここで7章の冒頭に戻ることになる。長い経過説明だった。

 上海に戻るにあたって、私の病気のことはインターネット電話を通じて、上海一族には逐一報告されていた。
感情の病気だから、むやみに励ましたりしないこと、本人に気を遣わせないこと、周りで騒がないことなど、注意事項も合わせて女房が伝えていた。
それよりも何よりも、私にとって一番の妙薬は、義理の親に今年の再来日を延期してもらうことだが、残念ながらそれとこれとは別物、そこまでは考えが及ばないようだった。

中国ではまだうつ病の認知度は低く、精神病の一種と思っている人が多い。すなわち、それには人格破壊が進んだ廃人同様のイメージが付きまとう訳で、一族も最初は婿が大変な病気になったと慌てたようだ。
だが女房の説明で、普段は殆んど普通と変らないが、時々不安や落ち込み、気力の減退が激しく襲ってきて、人と話をするのさえ辛くなる旨を話した。
お舅さんも義弟もインターネットで調べ、それなりの理解に努めたが、この病気は本人でないと中々分かり辛いのが難点で、お舅さんなど、「悪くなると自殺してしまうそうだ」程度の理解にとどまった。

 上海へは相変わらず安い便が優先なので、夜の9時半に到着した。
入国手続き等々で今回は1時間近く掛かり、やっと出口にでてきたら、今度はいつものバス停がとんでもない遠くへ移動していた。
そんな訳で、わが街へ着いた時はPM11時を回っていたが、バス停にはお舅さんと義弟が辛抱強く待っていてくれた。
早くも上海一族の温かさに触れ、疲れも吹っ飛ぶ思いがした。

マンションに着くと、いつもより念入りに掃除されているのがすぐに分かった。私の病気に気を遣ったのか、夏の日本行きへのお礼のつもりだったのかは定かでないが、どっちにしても嬉しい心遣いである。

毎度同じようなお土産を渡して、改めて再会の挨拶。
「思ったより元気そうなので安心した」とか、「顔色もいいし、いつもの婿さんと変らない」など当たり障りのない会話で、場はいまひとつ盛り上がらない。
やっぱり私のうつ病に対して、どう対応したらいいか、経験がない分、戸惑っているようだ。
そんなに気にしなくても大丈夫!と言ってやりたかったが、言ったら最後、極端に気を遣わなくなるのはいつものこと、ここで病気療養中を強くアピールして置かなければ、後々難渋するのは目に見えている。
私は駄目押しにと、病人らしく俯き加減にコンコンと力なく空咳なんかしちゃって、馬鹿だねぇ。
咳とうつ病は関係ないのにさ・・・・・・でも、案外効果があったようで、見かねたお舅さんが、

「今日は疲れただろうから、シャワーを浴びて早く寝たほうがいい」

そう言うと、義弟を促し、そそくさと引き上げていった。
まぁ、第一段階としては、こんなもんでしょう。演技は下手だったが、このくらいの予防線を張って置かないと、一族は遠慮ってものを知らないからな。
それにしても、心配してくれる身内が上海に居るってことは、嬉しい限りである。
あ〜、やっぱり上海にきてよかった!何とか病気も好転しそうである・・・・・・・この時は、心底そう思った。



 翌日になって、改めてお舅さんとお姑さんがやって来た。
一応私の病気見舞いと称しているが、半年振りの娘に会いたかったのは見え見えである。
私は弱弱しく挨拶だけ済ませると、少し横になるといって、寝室に引き上げた。
そう具合は悪くなかったが、何としても最初が肝心である。夏の再来日のことがあるから、ここは十分に私の病気を理解してもらわねば、滞在日数40日間の長丁場は乗り切れない。
そんな深い思惑をよそにリビングでは、私が消えたことをいいことに、話し声のトーンが一段と高くなった。
普段でさえ中国人の声は大きいのに、時折、ガハハハといった一際大きいお舅さんの笑い声が聞こえる。
これじゃ、病気見舞いにも何もならんじゃないの!私の心配がまず一つ当たった。

元気がないのは、あくまでお舅さんたちを牽制した演技である。
とは言っても、うつ病が治った訳ではない状況には変わりなく、あの甲高い笑い声が頭に響いて、段々とイライラしてきた。私はトイレに行く風を装って、何がそんなに面白いのか様子を見に行くことにした。
ガチャ!と錠が開いたのと同時に、キィ〜とドア蝶番の油が切れてる音が微かにした。
すると、どうだ!それまで喧しかった一族の団欒が、ピタッと止んだ。
続いて、まるで怖いものでも見るような目で、みんなが一斉に私を見た。なっ、何んなんだよ!

「どうしたの?眠れないの?」・・・・・・女房が声を掛けてきた。
「いや、トイレ」

ただならぬ静寂、用を済ます間も、ひそひそ話さえ聞こえてこない。いくら気を遣っているといっても、これでは村八分だ。
逆に疎外されているようで、気分はまったくブルーに変調。
さっきまで牽制を含んだ余裕があったが、もうマジで具合が悪くなってきた。
こんな調子で、日本での接待が無事に出来るのだろうか?
女房は「なるようになるさ」なんて気楽なことを言っているが、とてもそんな簡単に済みそうもない。
上海なら、どっちにしたって時間になれば「さいなら」と帰っていくが、東京じゃ同じ屋根の下で40日間も一緒に暮らさなきゃならない。
一番心配なのは、お舅さんたちを嫌な気分にさせるのを通り越して、喧嘩にならないかということだ。
そんなことは限りなくゼロに近いとは認識していても、病気のせいで不安はなお消し去れない。
もしそうなったら、病気だからと割り引いてくれても、お舅さんたちにも面子があるから、即、引き上げるだろう。
11年も掛けて築き上げてきた家族の絆も、もしかしたら水泡に帰すかも知れない。
あ〜〜、また不安が黒雲のように湧き上がってくる。

 トイレから出た私は寝室には戻らず、パソコン室で気を紛らわすことにした。
リビングと隣り合わせの部屋だから、さっきほどの嬌声は聞こえなくなった。
一応、気を遣って話している様子が手に取るように分る。最初からこうしてくれれば何の問題もなかったのに。
夕方になって甥っ子が来た。勉強は不得意だが、誰に似たのか口は達者な奴である。
来るとすぐに女房のパソコンでゲームを始める。家では爺ちゃんも婆ちゃんも、顔を見れば勉強、勉強といって、ゲームなどやらせてくれないのだそうだ。
ゲームはもっぱら戦車が大砲を打ち鳴らす戦争ゲームや、頭の芯に響きそうなエンジン音で爆走するカーレースゲームで、バッギューン、ダッダッダッ、ブォォォ〜ンとけたたましい。
音量を絞ってはいるものの、こいつが始まると私は即座に居場所を失ってしまう。

11章 上海一族の病気見舞い・・・・へつづく

2008年6月14日更新 次回まで中国ランキングのクリックよろしく。

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