上海一族・日本の休日

8.夫婦の仲も泥仕合!

                                                      2008年5月
 或る日、平然とそんな冷たい言葉を投げかける女房の顔が、見るのも嫌になった。
私にはいずれこうなるんじゃないかとの確信があった。
長い時を経てグツグツ煮込んできた忍耐が、とうとう噴きこぼれるようにして溢れ出した。

 結婚して早や11年、女房はこの殆どの時間を、自分の好き勝手に使ってきたと言っても過言ではない。
最初の3年間は念願だったパソコンに没頭、分厚い手引書と格闘の毎日。
独身の時に、日本語学校を終えたあと、パソコン学校にも少し通ったが、その学校は学生ビザ取得のための隠れ蓑み的な営業が主体。旧式でろくなパソコンしか置いてなかった。
おざなりな教え方も、パソコン本体の性能が劣り満足に動かず、キーボードの叩き方だけだったというお粗末。
そんなんで退学はしたものの、チャンスがあれば本格的にやりたいという思いはずっと抱いていた。
それが結婚と同時に叶ったのだから、人間、強く思い続けることは大事だ!
キーの叩き方だけは最初から上手かった。しなやかな両手から繰り出される、目にも止まらぬ速さの指さばき。
私もご相伴にあずかって教えてもらったが、無骨で野太い指をくまなく駆使するのは至難の業。
途中で諦め、自己流の必殺人差し指二本で今日に至っている。
それでも、これだけ膨大な量の文が打てるのだから、パソコンは能書きより、まず使えることが重要だ。
女房は1日10時間以上を費やして、とうとうパソコンの基礎から上級コースまで独学でマスターした。
偉いっちゃぁ偉いが、やりすぎだ!

 それからのほぼ4年間は、英語にチャレンジ。
環境作りが大事だと、チンプンカンプンな英語を家で1日中流されて、俺の調子は乱れっ放し。
それだって金のかかる駅前留学なんかに行かれるよりはマシと、我慢したんだ!
少し出来るようになったら語学交流と称して、英語圏の金髪男と毎週のように喫茶店で特訓。
これだって普通の旦那なら、絶対に許さないぜ!私は本人を信じ、本人の将来のためと堪えた。
英語熱も、もうこれ以上の上達は難しいというところで、やっとペースは落ちたが、長い4年間だった。
 
 これで我が家にも平和が訪れるかと思っていたら、それもつかの間、今度は培ったパソコンと英語の技術を活かして、株を始めると言い出した。
最初は景気よくアメリカ株を直接インターネットで取引するとブチ上げたが、そうは甘くない。
株のかの字も知らない素人だったから、またまた一から株の勉強を始めた。
ひとたび勉強に打ち込み始めると、周りが見えなくなる癖が女房にはあって、その鬼気迫る勉強振りは毎日深夜に及んだ。
かの二宮金次郎だってこれを目の当たりにしたら、「参った!」と言ったかも知れないほどである。

向学心に燃えるのは大いに結構だが、そのうち体を壊すのではないかと随分心配したが、本人の集中力は凄まじく、ただひたすら黙々と打ち込んだ。
大嫌いだった経済の問題にも、金儲けのためには敢然と立ち向かっていった。
紆余曲折の末、発展著しい自国の中国株に落ち着いたが、大言壮語の予測とは大きく外れ、殆んどの株がいま塩漬け状態にあるのはご愛嬌だろうか。
株に打ち込んだ2年が過ぎ、自分の才能の限界を知った女房は、取り敢えず株取引の休止を宣言した。

「これを機会に、もう、いい加減にしたら?俺だって疲れちゃったよ」
「あんたは何もしていないじゃないの、何が疲れたの!」
「俺だって目には見えないけど、大分協力したぜ。もう諦めて普通の主婦でもいいじゃないか?」
「そんなのイヤよ、あなたのいなくなった将来を考えて、私だって仕事がしたいのよ!」
「それにいつまでもあなたに、ベッタリと寄生虫でいたくないの!私は自分で稼ぎたいのよ!」

あなたのいなくなった将来を考えて、なんて言っちゃぁいけないよ。
イヤでも歳の差を感じさせるし、それに私の死期が迫っているようで、何となく落ち着かない。
それにしても上海人の凄まじい拝金願望である。
江戸っ子の宵越しの金はもたねぇなんて言葉は決して通用しそうもない。
それに仕事といえるほど稼いじゃいないから、果たして仕事といえるかどうか?
亭主を犠牲にしたボランティアなら話は分かるが、それなら誰にも文句を言われない一人でやればいいんだ。



 思えばうつ病の兆候はこの頃から表れ始めていた。
我が家は、家庭内別居とまでは行かなくても、家庭内すれ違いの状況がすっかり定着してしまった。
女房は夜の方が落ち着くといって、毎日深夜までパソコンと向き合っている。
私はとっても付き合ってはいられず、長年の早寝早起きの習慣で、日付が変る前には寝てしまう。
だから結婚しての11年間、女房は朝のゴミ出しをしたことがない。夜が遅いのだから出来る訳がない。
収集日になると、決まって私がゴミ袋をぶら下げて出てくるのを見て、保守的な近所のおばちゃんたちは何と噂しているやら・・・・・・でも、もう慣れたから何を言われようと、気にはならないんですけどね。

 そんな女房は売買のコツに共通してしているところがあるからと、今度は為替売買に転じた。
やれやれ一難去ってまた一難、凝りぬ狸の皮算用。
泥縄式は毎度のこと、また一から為替の勉強が始まった。
夫婦の会話も為替の話一辺倒になり、レバレッジだとかロスカット、スワップなどの横文字が飛び交う。
そんな言葉なんて初めて聞く私にとって、レバーやロース肉を想像したり、スワップに至っては、あらぬ淫らなことを思い浮かべてニヤついている程度だから、これはあり難いお経も馬に聞かせるようなもの。
そんな人間に、危うい投資の話をしたって、糠に釘を打っているのと同じで、女房苛立ちばかりなり。
私は元々、賭け事的な臭いのするものは、競輪、競馬、オートレースはおろか、パチンコすらやらない。
石部金吉とまでは行かなくても、それなりに堅い生き方をしてきた人間である。
あろうことか、その女房の行き着いた先が、最近のブームに乗っかった投資とは、因果応報、見えぬ何かの報いなのかも知れない。

 振り返ると、うつ病傾向が出始めてきた頃と、私自身がお金に対する執着がなくなったきた頃と妙に符合する。
それは何事にも面倒臭くなってきたという、特有の症状の表れかも知れないが、自分でも驚くくらい性格が変った。
片や、拝金願望が日に日にエスカレートしていた時期だから、これはもう水と油くらい考え方に開きが出てきた。

病気前なら、そんな危うい投資など、絶対やらせなかったろう。
自分の金でやるならまだしも、私の金でやるのだから尚更である。
それをあっさりと許すくらいなのだから、やっぱりこれはおかしい。
歳とともに丸くなり、理解力が増しただけでは片付けられない、暗雲のようなものが立ち込めた。

 為替相場は24時間動いている。だからといって、四六時中グラフを見詰めていては、寝る間もない。
そこで相場が一番動く時間帯を分析した。相場は生き物だから100%という訳には行かないが、それでも随分時間の節約は出来るようになった。
これにヒントを得ると、世界の為替相場にも、ある一定の法則があるのではないかと閃いた。
こんなことを思い付く私は、ひょっとして為替の申し子ではないのか?なんて都合のいい解釈をし、いよいよ寝ても覚めても為替のことしか考えなくなった。もう家庭のつまらない雑事も、亭主すらも目に入らない。
事実上の生活破綻である。精神的に脆くなった亭主には支えなり助けが必要で、それなりのサインも送っているにも拘らず、まったくそれに気が付いてくれない女房が段々疎ましくなってきた。



 為替は土曜日曜は休みだ、そこで女房も家事労働、土日2日宣言を発令。
早くいえば、受け持ちの家事は土曜日曜にまとめてやるから、それ以外の日は為替に集中させてくれということだ。週に1回の介護支援じゃないんだから、そういう訳にいかんだろう。
女房の主たる家事は、洗濯と買い物と夕餉の支度。わざわざ支度と書いたのは、料理して食べるまでだからだ、片付けと食器洗いは私がやる。
元々料理といってもそれほど手の込んだものはやらず、テーブルに並べられた料理の大半は、スーパーで買ってきた調理済みおかずが多かった。
だから何も大見得きって、土日2日宣言などしなくても、実態はそう変らないのだ。
それまで気が向くとやっていた洗濯を、土日にやると決めただけだし、天気が悪ければ翌週に持ち越しとなる。
食事は自分だって食べなければならないのだから、土日だけという訳にはいかないのは、俺のせいじゃない。
だが、徐々に内容に変化が表れ始める。度々買い物に行かなくてもいいように、冷凍物が多くなった。
スーパーの4割引の日などに焼き飯やスパゲティ、コロッケから焼き茄子など大量に買い込んでくる。
私は貧乏人の出だから、とりあえずお腹一杯になればいいという傾向が強く、そう食には拘らない性質なのだが、毎度々冷凍物ではさすがにどうにかならんか!という顔になる。
そこでたまに、ほかほか弁当を挟んで、私の不平不満を封じる作戦も取り混ぜた。
いや、俺が言わんとするのは、もっと根本的な問題で、それはその場凌ぎのすり替えでしかない。

 その癖、毎日何が食べたい?と聞かれるのに腹が立つ。

「とんかつにしようか、たまにてんぷらがいいかな」
「だめだめ、あんたダイエットしているんでしょ、そんなの食べたら肥るよ」

結局、そこに話を持っていくのなら、端から聞かなきゃいいんだ!
それをもっともな話と、素直に納得してしまう私も私だ。人間、素直も時と場合による、むしろ素直にならなきゃいけないのは女房のほうだ!
亭主としての威厳、権利、面子はどこへ行ったんだ〜!
その昔、そんなのは上海じゃ流行らないと言われ、以来すっかり飼い慣らされてしまったようである。

 うつ病は悪化の一途をたどっていることを自分でも感じていた。
病院の帰りにスーパ-へ立ち寄り、刺身かなんかを選んでいる自分が、何だか可哀想に思えてくる。
このままでいいのか?なんか違うような気がする。
こっちがどんなに優しくしても、やっぱり20歳も離れたジジイには愛情がもてないのだろうか?
もしそうなら、このままお互いが我慢しながら生活を続けて行くことは不幸だし、後になって悔いが残る。
女房の心根が分からなくなった私は、一度腹を割って、お互いの気持ちを話し合ってみようと思った。

9章 父母の再来日危うし!へつづく

2008年6月1日更新 次回まで中国ランキングのクリックよろしく。

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