上海一族・日本の休日

7.10年目の再来日!

                                                      2008年5月
 2008年5月中旬、今年はちょっと遅めの上海入り。
それにはちょっとした訳があって、夏休みに日本へ9年ぶりに来ることになったお舅さん、お姑さんのビザの許可待ちだったためだ。
申請書類は落としがないよう気を付けたつもりだが、大使館側から追加書類の要請があるやも知れない。
私たちが上海に出発した後では、もう後の祭り。お舅さんたちが9年も待った日本の休日はフイになってしまう。
私にとっては願ってもないことだが、これは相当恨まれることは目に見えている。
それを考えると、ちと辛い気がしないこともないが、日頃、金の掛からない世話になっていて、そんな義理り欠くことは寝覚めが悪い。
そこで、女房とも相談した結果、確実に許可が下りるまで待とうということになったのである。

 あぁ、9年前の悪夢がまざまざと甦ってくる。
私はここ数年体調もすぐれないし、第一、先立つお金にも余裕がなく、あくまで気乗りがしないのだ。
だが、まだ一縷の希望がない訳ではない。
それは提出した書類の中の納税証明書、そこの年収を示す所得欄に打たれた数字が、かなり低いのである。
昨今、日本の中小企業の低迷は回復の兆しが見えず、その煽りが回りまわって、私にも影響した結果である。
ある経済評論家が、日本も年収300万円時代に突入する!なんて本まで出したが、恥ずかしながら私のはそれよりもかなり低く、いわば派遣労働者並であった。

果たして上海大使館の査証審査官が、どう思うか?
この程度の所得で中国義父母の接待が出来るのかと、疑問に感じるのは当然だろう。結果、申請却下の断が下されれば、日本行きはアウトである。

何の因縁か、初来日の時もそうだった。
9年前といえば日本もバブルが弾け、私は事業を縮小撤退した時期で、会社の借金の整理などしたら、社長だった私の年収は100万円を切っていた。
まだ新婚間もなかった上海嫁は、私が廃業の残務整理でウンウンうなっている時もお構いなし。

「結婚したら、親を日本へ呼ぶのは当たり前だよ。早くしないと両親もメンツが立たないって困っているよ」

国が違うと、こうも違う!中国人に山之内一豊の妻になってくれというのは無理だと承知だが、せめて苦しんでいる私の足を引っ張るな!
前年は所得が低いから、申請してもダメだというのも聞かず、女房も上海のお舅さんも、パスポートを準備しちゃったから、出すだけ出してみようと半ば強引に提出した。
結果は案の定、驚くにも当たらない却下、アウトだった。

両親を日本にも呼べない20歳違いの無能亭主との烙印を押されてしまった私は、翌年に一念発起。
不死鳥のように甦って所得基準を軽くクリア、上海父母を日本人亭主のメンツと意地で呼び寄せたのだ。
まぁ、あとになって、廃業とともに一度捨てた面子と意地など、再び覚醒させることはなかったと、さめざめ後悔したのだが・・・・・・・



 却下の目もあるかと、半分期待を寄せながら、中学生の入試合格発表のような心境で待つこと2週間。
普通なら1週間も掛からないで結果が出るところだが、ちょうど5月の連休にぶつかり、ジリジリと待った。
中国も5月の連休がすっかり定着して、この時期、杭州や蘇州など近場の観光地は凄い混雑だったようだ。
日本のように海外へ飛び立つ組はまだ少ないが、いずれ中国も近い将来そうなるのかも知れない。

 連休が終わった翌日、昼間の中途半端な時間に、お舅さんから電話があった。
私は何となくではあるが、これはセーフだったなという勘が働いた。
電話を切った女房が、思ったとおり査証が無事下りたことを告げた。
こういうことは、そう無事じゃなくてもいいんだけどな〜。
少なからず却下を期待していた私は、最後の審判で懲役20年くらいの判決を受けたような気分であった。
だが露骨に顔へ出せば女房の立場がない、無理に笑って誤魔化したが、その笑いは随分とニヒルだった。

 もう泣いても笑っても賽は投げられた。
男なら潔く覚悟を決めようと、気持ちを奮い立たせる傍から、ヘナヘナと足元から力が抜けてきそうだ。
それは尋常でない心配事があるからに他ならない。
金の心配ではない、私の病気の心配である。

私の病気は、昨今、時代の最先端を行く「うつ病」なのだ。
私にとって時代の波に唯一乗り遅れなかったのが、うつ病では自慢にもならないが、人間を長くやっていると色々なことが起こる。
この病気は長引くのが特徴で、もう2年も患っているが完治の気配はない。
進化しすぎた情報化時代の産物という人もいるし、乾ききった人間関係に原因があるという人もいる。
きっと現代病の一種だろうとは思うが、私はそれほど人間関係にも揉まれなかったし、パソコンだって上手く使えないが、そういう人間も罹患する。
それとも上海嫁と結婚して以来の心労が祟ったか?案外、こっちの方が当たっているのかもである。

 その昔、芥川龍之介は「ただ、ぼんやりした不安」という言葉を残して、若くして自殺した。私はうつ病ではなかったのかと思っている。
最近では俳優の竹脇無我や高島忠夫なんかも、うつ病を公表した。
どちらも10年選手であるが、以前から比べればよくなったというものの、まだ芸能界には復帰できていない。
どくとるマンボウで有名な北杜夫は、うつ病でも珍しい躁うつ病だったそうで、躁状態からそろそろ「うつ病」に変ることが自身で分かると、一日中布団を被って起きてこなかったとか。
私のはそれほど重症ではなく、日常生活もごく普通に送れる。
ただそれにも波があって、時折、なんの前触れもなく襲ってくる原因のない不安感に閉口している。
それが始まると、落ち着きを失い、殆ど何も手につかない。
HPの長期に渡る突然の更新中止など、読者の反応がなくなってきたことにも一因しているが、それよりも大きな理由にうつ病があったことは否めない。

 私も昔は商売を張っていた以上、かなり打たれ強かったが、この病気を患ってからは打たれ弱くなった。
些細な問題でも、果敢に処理することが出来なくなり、逃げて済むなら逃げてしまいたい衝動に駆られる。
その葛藤で、更に落ち込むことになってしまい、しばらくは立ち直れない。
うつ病に頑張れ、頑張れは禁物、励ましては却って病状を悪化させてしまうことは、世間でも大分知られてきた。3チャンネルの教育テレビでも、うつ病のことをよく放送しているから、社会での認知度も上がった。
ほんとにメディアの力は凄いと思ってしまう。
結局、うつ病は脳の神経伝達物質の供給バランスに問題があって、うまく行かなくなると症状が表れる。
今は多種類の抗うつ薬があるので、決して治らない病気ではないと言われているが、完全な元の状態に戻るにはかなりの時間が掛かりそうだ。



 鉄人は名前の通り、鋼のような肉体でいつも元気一杯溌剌として、女房や上海一族と戦って行くのが当HPのコンセプトであり、皆さんの中にはそれによって溜飲を下げている方もいらっしゃるでしょう。
ほんとは嘘でもそのスタイルを通そうと思っていましたが、書いているうちに何だかこんな展開になってきました。鉄人だって、病気もするし、調子の悪い時もある。
いつも元気印という訳には行きません、それがまた人生でしょう。
夢と期待を託してくれていた方には(いないか?)、ほんとにごめんなさい。
それに嘘を書けばどこかでボロが出ますしね、真実一路、このまま書き進めていこうと思っています。
くれぐれも弱くなった鉄人に、愛想を尽かしませんようお頼みます。

 かの渥美清も、晩年にフーテンの寅さんについて、こう吐露しています。
癌の末期を迎え、もう立っているのもしんどい状態で、ロケ先である小島を訪ねた折、港には歓迎の横断幕、島民は「寅さん、寅さん」と大声で叫び、手に手に色紙を持ってサインを貰おうと寄ってくる。
両肩にダブルの背広を引っ掛けたスクリーンのままの寅さんは、一言も発せず車に乗り込むと、そのまま走り去っていった。
・・・・・・・・年長の島民がポツリとつぶやく、

「寅さんって、意外と愛想ないねぇ」

この時は口を利くのも辛く、トレードマークの使い古した皮のトランクさえも重くて持てないため、紙製に変えたほどだった。
以前の寅さんだったら、お世話になる島民の人々と握手を交わし、求められるままサインもしただろうが、その体力はもうなかった。
最後の48作目は、もう無理だと感じていたが、渥美清を今日まで育ててくれたファンへの恩返しのつもりで引き受けたものの、それも撮影半ばで限界に達していた。

「寅さんはいつも元気で、みんなに手を振ってなきゃいけないんだよ、ご苦労さんな話だね〜」
「子供たちが、スーパーマンに飛べ〜!飛べ〜!ったって、飛べないもんね。あれは映画なんだから・・・・」

俺はもうすぐ死ぬんだ!と思いっきり叫びたかったのかも知れないし、虚像と実像の世界に疲れていたのかも知れない渥美清の終焉の言葉だった。



 お蔭さまで現在は症状も安定している。
積極的に外へ買い物にも行かれるし、精力的にHPの更新もこなせている。
これがひとたび症状が表れ始めると、座ったイスから立ち上がるのも億劫になり、HPの更新をしたくても一行たりとも文が浮かんでこない。
集中力がなくなり、何事もすぐに飽きてしまう。テレビを見ていても、しょっちゅうチャンネルを変え始めると、「あぁ、また調子が悪くなったな」と自分でも予感出来るようになった。
そうなると段々気力が失せ、何もする気が起きなくなってきて、人と話すのさえ面倒臭くなってくる。
注意力も散漫になるから、車やバイクの運転も怖くて出来なくなるし、一日中部屋から出ず、見えない不安に対する恐怖と苛立ちの中で過ごすことになる。

勿論、隠し通せることじゃないから、女房にも一部始終を話した。
精神的にも弱くなった老人と思われたくなかったので、ほんとはあまり言いたくはなかったが、病院へ行くことを決意した以上、黙っていてもいずれ知れる。
こんな風に、20歳の年齢差からくるプレッシャーを、いつも意識しているのは私だけなのだろうか?

弱味を見せると、そこへ鋭く切り込んでくる女房の性格は、一緒に暮らした11年の中で熟知している。
相手をやり込めて優位に立とうとする癖が、果たして病気は別物と考えてくれるだろうか?
だが私の危惧は見事に的中、現実のものとなって跳ね返ってきた。

 うちの女房は鈍感なのか、元々博愛精神に欠けるのか、私の見た目が普通人と変らないから、バンバンと励ます。まったくうつ病を理解していない。
本人は気を遣っているつもりなのだろうが、それでは治るものも治らない。
下手すると激励が高じて叱正に及ぶに至っては、最早これまでである。

「あんたの意志が弱いから、そんな病気に負けるんだ!」
「あんたは、何でも病気にかこつけて逃げてしまう、そんなんじゃ、これからどうやって生きていくんだ!」
「あんたは、何か一つくらい病気の友達が欲しいんだ、ほんとはそんなに悪くないはずだよ」

これ、女房の口癖というか、いじめともとれる3パターン。
何となく女房の本性を見た気がした。この病気に罹る前、何度か聞いたことがある。

「将来、俺が動けなくなって、寝たきりになったとしたら、ど〜お、あんた面倒看てくれる?」
「あなたには随分良くしてもらったから、大丈夫、私は面倒看るつもりだよ」

う〜ん、あくまで“つもり”である。いつどこでひっくり返るか分からない、微妙な言い回しだった。
現実に病気になって対応がこの調子じゃ、寝たきりになったら、どんな目に遭うか分かりゃしない。
やはり最後に頼れるのは自分だけということか、人生の行き着いた先は老人ホームとは、ちと悲しくもある。
うつ病が出た時は悲観的にもなるので、ついついそんなことを考えてしまう。

8章 夫婦の仲も泥仕合!へつづく

2008年5月26日 次回更新まで中国ランキングのクリックよろしく。

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