上海一族・日本の休日

5章 食は日本にあり!

                                                      2008年4月
「お舅さん、風呂は外にもあるんだよ」

私は窓のガラス越しに見える外の露天風呂を指差した。一緒に行こうというゼスチャー、まったく疲れるわい。

「走?、走?(行こう、行こう)」

私の知ってる中国語は、単語としても短いものばかり。
記憶力が減退しているから、ちょっと長いと覚えきれない。
アルミの引き戸を開け、外に出てみると、日はすっかり沈んで、水平線の果てが幾分ぼんやりと明るい。
夕方のひんやりした空気が心地よかったが、まったく無防備な態勢が何とも心許なく、急いで露天風呂に入る。
お舅さんが何か独り言のように呟いた。私に話しかけたのかも知れないが、どっちにしても言っていることが解らなきゃ、自分には関係ないと思ってしまうところが悲しい。

 露天風呂のあとは、サウナを楽しみ、体を流した。
これは上海も日本も同じ、ただ自分の体を洗えばいいのだからだから、難しいことはない。
ちょっと違うといえば、腰掛けに座って洗うということか。
上海じゃシャワーが主流なので、勝手が違うかも知れないが、この方が楽だし、調子がいいと思うよ。
あぁ、シャンプーとリンスとボディシャンプーは、これね。
みんなタダだから、バンバン使って!遠慮しなくていいよ。

「☆○◇●◎◆▽」

えっ、ほんとかって、疑り深いね。
もし請求されたら、俺が払うから、心配しなくて大丈夫!身振り手振りを駆使しての説明には、イライラしてくる。

 なんとか洗い終わって、広い湯にゆったりと入り直した。
正面の壁に掛かった時計を見ると、入ってからすでに50分が経過していた。長湯をしたといっても、案外、時間の経つのは早い。

「お舅さん、そろそろ出ましょう」

そう言って壁時計を指差し、シャワーで最後に体を洗い流し、先に出口に向かった。
お舅さんも分かったらしく、同じ手順を踏んで、あとに続いてきた。

上がり端にあるタオル置き場で、今度はフカフカに膨らんだ大きいタオルを取る。
お舅さんにも1枚取るよう目と指で指示した。1枚取って体を拭きながら、お舅さんはタオル横にあった簡易髭剃りの山に目が吸い寄せられた。

「(こんなに沢山あるんだ、無料なんだし、少しくらい持っていっても分かるまい)」

婿は汗を拭きながら鼻歌を歌っている。今がチャンスだ!見つかったら、あいつはうるさいからな、また何だかんだ説教されてもかなわん、などと色々な計算が頭を駆け巡った。
意を決し、辺りに人がいないことを確かめるや否や、目にも留まらぬ速さで5、6本抜き取ってバスタオルの中に隠し、何食わぬ顔でロッカーの前に戻って来た。

 私はもう着替えは済んでいたので、お舅さんが浴衣を着るのを手伝い、最後の仕上げに化粧ルームへ向かう。ドライヤーで髪を乾かし、ここにあるヘアリキッドやローションも無料だから、つけるといいよ、と軽く説明。
こうやってやるんだとばかりに、私がお手本を見せた。
お舅さんも、だいぶ日本の温泉宿のシステムが理解できてきたようで、今度は何も聞かずに整髪料を取った。
おうおう、お舅さん!いくらタダだからって、そりゃつけ過ぎだよ。
そんなにつけたら匂いがきつくて、また頭洗わなきゃならないぜ、自分でも気持ち悪いっしょ。



 案の定、女房たちは先に出て待っていた。
私らも無料のレモン水を、グィ〜と一気飲みして、赤布の縁台に腰掛け一休み。

「お姑さん、どうだった?日本の温泉は?」
「広いんで驚いたよ、あんな一杯のお湯も見たことがないね」

間に座った女房は、文字通り機械のように、右から左、左から右へと通訳した。

「お舅さんは?」
「お金があるってことはいいねぇ、こんな天国みたいなところだって、何遍でも来られるからね」

上海人らしく常にお金が絡むようだが、それがお舅さんの偽らざる心境なのかも知れない。
私らだって、こんな高級温泉宿には、そうそう来れるものではないが、きっと信じてはくれないだろう。
信じてくれたからといって、この先の滞在期間、散財かけまいと遠慮してくれるようなタマではないから同じか!

お舅さんは日本式温泉が甚く気に入った様子で、このあとも食事が終わって1回、朝にも1回、一人で行った。
これにはちょいと裏があって、「今日はお疲れさんでした」さて就寝という時に、女房が素っ頓狂な声を上げた。

「ねぇねぇ、あんた見てよ、お父さんがこんなに髭剃り持ってきちゃったよ。いいの?」

お舅さんは気まずそうに私の顔を見たが、一方では戦利品の自慢をしたくてしょうがない、ノー天気な一面も見せている。女房がバッグから10本ほどの簡易髭剃りを取り出して私に見せた。

「なんだ、そのくらい」

と、言いつつ、私は自分のバッグから30本くらい束になった髭剃りを、鷲掴みにして見せてやった。

「ええ〜ぇ、あんたまで持ってきたの」

女房は半ば呆れ顔で、お舅さんと私の顔を交互に見た。お姑さんも事情が飲み込めたようで笑っている。
無料のものなら、少しくらい持ってきてもいいだろうと思うのは、中国も日本も同じ。
むしろ日中貧乏人の哀しい性なんでしょう。
慌てたのはお舅さん!婿に見つかっては大変と、遠慮がちに2回に分けて持ってきたのが、たったの10本。
婿は1回の入浴で30本とは間尺に合わない。それならそれで言ってくれればと悔やむことシキリ。
悔しさが収まらぬお舅さんは、翌日寝起き一番に簡易髭剃り奪取をかねて朝風呂へと向かったが、その時はもう片付けられていて、影も形もなかったとか。



 さぁ、本日のメーンイベント!夕食の宴の時間と相成った。
これだけサービスが徹底した名宿だから、食べる方もかなりの期待が持てそうである。
部屋食ではないので、居住まいを正してレストランまで出向く。といっても、わざわざ着替えたのではなく、浴衣の着崩れを直した程度で、その上に羽織を着ただけの温泉客モード。
食事が旅行の何よりも楽しみだと公言して憚らないお舅さんとお姑さんも、想像力を逞しくして、果たしてどんなものが出てくるか?日本食を堪能しようと静かな闘志を漲らせていた。

 エレベーターで最上階にあるレストランへ。
入り口からボーイさんが我々の席まで案内してくれた。私だってこんな丁寧なサービスは初めての体験。
なんか恐縮しちゃって、こんな格好で来ちゃまずかったのか?周りをさりげなく見たら、結構、浴衣姿の人がいたので、ちょっと安堵した。
全体照明はかなり落とし、各テーブルだけ程よい明かりが当たるようになっている。
広いレストランに各テーブルが浮き出ているようで、美しくも心憎い演出に感激してしまった。
温泉宿には付き物の、ワイワイ、ガヤガヤと宴会ムードで食事をする雰囲気ではない。
 
 少し緊張気味に座って料理を待つ。
どうも上品な場所は性に合わないというか、落ち着かなくていけない。

まもなく料理が次々と運ばれてきた。
小鉢にしても椀物にしても、それぞれの位置がキッチリと決まっているようで、配膳係りは寸分の狂いもなくキチッと置いていく。

私たち一家は全員下戸なので、一杯飲みながら優雅に待つということが出来ない。

一つずつ違った料理がテーブルに並べられる度に、目を皿のようにして感嘆のうめきを小さく漏らしたり、驚いたりと忙しい。
お舅さんお姑さんが一番感心したのは、料理が盛られた器の形や色がそれぞれに違い、しかも美しい。
料理の数々は、どれも一種芸術的ともいえるセンスで、品よく少な目に盛られていて、これから食するのが躊躇われるほど見事な出来栄えであった。

「やっぱり、先進国日本は違うなぁ」

お舅さんは思わず呟いた。欠けた皿や茶碗を平気で出す上海とはえらい違いである。
料理もお皿からはみ出るほどのてんこ盛り!中国人庶民には、まだまだ質より量が歓迎される。
店側もお客にゃケチと思われたくないから、野菜炒めの汁なんかテーブルに零れるほど盛ってくる。
そこには美的感覚の入り込む余地などこれっぽっちもなく、ただ遮二無二に食らうだけの対象でしかない。
もっとも、それは私たちが上海で高級な餐庁へ行ったことがないという証でもあり、出すものさえ出せば、そんなことは決してないとは思うのだが、これも貧乏人がゆえにモノを知らない悲しさだろう。

 一通り出揃ったと思われるところで、一斉に食べ始めた。
初老夫婦にとっては、どれもが初めて口にするものばかりで、一口食べてはその味を確かめるように頷いたり、顔を綻ばせたりで、日本料理を満喫しているように見える。
それでこそ、高級旅館へ連れてきた甲斐があったというもの。
お舅さんお姑さんが満足してくれた顔を見るのは、勿論、嬉しいのだが、それはどちらかというと招聘人としての責任を果たせたとの思いが強い。
親孝行の片棒を担いだ私としては、女房の底抜けに喜んでいる姿が、何よりのご褒美だという気がした。

 料理が美味いと会話も弾む。静かなラウンジ風レストランに、ちょっと大きめな声の中国語が飛び交う。
主催者である私は話の輪に入れず、一人黙々と料理を食べる。フン、これじゃ、上海とちっとも変わらん!
最初に並べられた料理でお終いかと思っていたら、頃合を見計らって、次々と新たな料理が運ばれてきた。
温かい料理は温かい内にという、客のペースに合わせた心配りが嬉しい。
仕上げの口直しにと、さっぱりした抹茶のアイスクリームをいただく。まことに至れり尽くせりの夕食であった。

お舅さんたちにすれば、最初で最後、一生一度の豪華晩餐であったろう。(そう信じきっていた)
ちょっと早いが冥土の土産も出来たのと違うかな。
もうこれっきり、日本へ1回呼べば婿としての役目は済んだ!と思っていたら然に非ず、あれから8年経ってまた来たいんだとさ。
何やかやと理由をつけて渋る私、もう1回くらいは仕方ないと女房。
うまくビザが下りれば、今夏、再度上海一族がやって来る。これも運命とあきらめましょか。
その時は、また随時報告することといたしましょう。

そうそう、今回銀水荘での豪華1泊旅行のあとに、15000円くらいの安いパック旅行に、父母娘の3人で行かせたんですが、モロ不評!
新潟の山の奥地にある温泉宿、周囲は崖と鬱そう茂った樹木ばかりで、見るところはなし。
山の幸、海の幸の食べ放題バイキングの味も、銀水荘と比べれば、天と地ほどの違いあり。
駄目ですねぇ、人間は最初に贅沢させると、それが一種の基準になっちまう。
この山の温泉地だけ連れてきていたら、それなりによかったという声が聞けたと思うんですがねぇ。

6章 稼がせてよ、日本!へつづく

2008年5月9日分 次回更新まで中国ランキングのクリックよろしく。

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