上海一族・日本の休日

3章 好きです、日本!

                                                  2008年4月
 はからずも、素手ですしを握る現場を見せてしまった私は、それなら最初からテイクアウトにして、我が家で食したほうが良かったと後悔したが、見せてしまってからではもう遅い。
上海の老親は、刺身は食べられるが、すしは食べられないという珍妙奇天烈なことに相成ってしまった。
おそらく脳にインプットされた不衛生の疑念は、そう簡単には消えまい。
まぁ、お陰でたびたびすし店に連れて行かなくても良くなった訳だから、緊縮財政としては助かる結果となった。

 すしが駄目となれば焼肉だ!
上海でも5年ほど前に知人から、淮海路にある日式焼肉店を教えてもらってからは、不自由はなくなったが、それまでは方々にある韓国焼肉店を食べ歩きしたが、日本で食べ馴れた味とはまったく違い、大いに閉口した思いがある。
上海では月に1回くらいは、この日式焼肉店で上海一族とランチを楽しんでいる。
何といっても旨くて値段が安いのが魅力で、日本の焼肉店の2人前はありそうなカルビ肉と小鉢に生野菜サラダ、キムチにスープとご飯、それに食後のコーヒーまで付いて25元(375円)というのが、泣かせてくれる。
まぁ、上海は上海でいいところもあるが、やはり日本に来た以上、これぞ日式焼肉の真髄というのを堪能してもらいたい。私も人が好いというか、節約精神もコロッとを忘れて、意気揚々と全員を引き連れて乗り込んだ。

 我が家からも歩いて行ける焼肉店、もう15年来の馴染みの店である。
店舗の内装をやり変えたことがあるのか?と思えるくらい、店全体が油で煤けていて、なんとなく薄暗い。
正直に告白すると、ここのママさんが私の好みの美人で、その顔見たさに、長年、他店への心変わりもせず通った。これは私だけの秘密で、前妻や現妻も勿論知らない。
通ったといっても、1回の外食に1万円もかかっては、そうそう気安くは行かれない。年に3、4回が精々であったが、ここ3、4年は私が肉を控え、ダイエットしなきゃならならなくなった理由で、トンとご無沙汰していた。

入り口の大きな一枚ガラスのドアを押し開けた。中からは焼肉店特有の匂いが鼻を突く。

「いらっしゃ〜いませ!」

聞き覚えのある声が奥から響いた。
いそいそと愛想を振りまきながら、あの憧れのママさんが席に案内してくれた。
上得意客とはいえないまでも、古くからの客ということで、私の顔は覚えていてくれたのが嬉しい。
テーブルの上にメニューを置きながら、「お決まりになりましたら、お呼びください」といって、席を離れた。

(あれ〜っ、なんか違うぞ、あの人がママだっけ?)

近くでまじまじと見たママさんの横顔には、目尻といわず、口元といわず、はっきりとした皺が見て取れた。

しばらく来ない間に随分と老けてしまった。楚々とした物腰は昔のままだが、体全体から醸し出す雰囲気が、少々くたびれた感じがする。
皆に気付かれないよう、テーブルの下で指を折って数えてみた。
初めてこの店に来た時は、確か34、5才のまだ熟女になりきれない佇まいがあった美人だったが、あれから15年も経てば50歳である。
男は誰しも、憧れの人には歳を取って欲しくないという願望を持っているものだが、この日は現実の厳しさを、嫌というほど見せ付けられてしまった。
自分も同じように年取ったのだから仕方ないが、あぁ、時の流れは如何にも残酷といわざるを得ない!

 なんとなく甘酸っぱい話になったので、ついでに書き足しておきたいが、私にとって永遠の憧れの人は、45年前、まだテレビが白黒だった時代に記録的な視聴率を叩き出した「氷点」というドラマで、ヒロインを演じた内藤洋子である。
あまり好評だったので、かなり脚本を手直しして膨らませ、最終回を延ばしたという逸話があるくらいだ。
その後、黒澤映画の「赤ひげ」にも出演、青春映画にも何本か出て、まだ少女のうちに銀幕から引退してしまった。その引き際が、あまりにも強烈で謎めいていたため、私の心には一層鮮烈なイメージとして残った。

 少女から大人になって、結婚、出産、と普通の幸福を得て、アメリカで生活していることは大分前に聞いた。
娘が日本の芸能界で活躍していることも知っている。その顔に母親の面影を見付けることも出来るが、純真無垢という言葉がピッタリだった内藤洋子のそれとは違うので、それほど関心はない。
おそらく、もう還暦を迎えたであろうが、アメリカに住み、早く芸能界と縁を切ってくれたお陰で、私の心の中では今でも16歳のままなのである。
そんな憧れの女と相思相愛で暮らせたら、人生、金も要らなきゃ、名誉も要らぬと思うが、神様も案外と意地悪なところがあって、苦労させて人間を磨くため、そうはさせないのが世の常でもある。
人間、人生の最初から大当たりや幸福を与えてしまうと、苦労の花が開く頃には萎んでしまい、打たれ弱くなって、モノにならない恐れがあるからだ。

 一説には、生涯の伴侶は、むしろ一番気の合わない人と一緒にさせて、わざと様々な苦労をさせるという考えもある。辛い経験から、人間的優しさに目覚めさせ、人の痛みを感じられる人間が育つ確率は高い。
日本も中国も、貧乏だった頃は、親を大事にして、無理に背伸びしない生活を送ってきた。だが、豊かになってみると、昨今、目を覆うような悲惨な事件が毎日のように起きている。
親子の絆は他人よりも希薄になり、果ては親殺し、子殺し、誰か殺したかったなんて、訳の解らない理由で殺人が行われている。貧乏だった私の子供の頃は、殺人事件なんて滅多に起きなかった。
すでに豊かになった日本人も中国人も、もう物質的な繁栄を追い求めてはいけない。結局は、目先の豊かさがそういった人間を作りだしているのだから。
夫婦の絆も、その辺をお互いが分かっていれば、喧嘩も起きないし、相手を思いやる気持ちも出てこようってもんだが、これが何年経っても一方通行では、旦那も段々とめげてくる。
とくに日中国際結婚は、ここをうまく乗り切れれば、普通の夫婦になれるのだが、中々妙案はない。
もう、どうにもならぬと、諦めの境地で暮らす団塊の世代の方も多いんじゃないかな。まったく同情の極みだ。
ご多分に漏れず、私も言っちゃぁ悪いが、現上海女房は憧れの内藤洋子とは、まったくの対極にあるといって、決して決して過言ではない。




「さぁ、お舅さんもお姑さんも遠慮しないで、バンバン食べてね」

女房がすかさず通訳した言葉に何回も頷き、満面の笑みで応えた。
シゲシゲとメニューに見入っていたお舅さんは、「まかせるよ」と言いつつ、パタッとメニューを閉じた。
どうやら値段の高さに改めて驚き、頭の中で素早く暗算した結果、額面通り遠慮なく注文して婿に恥を掻かせては、この先、長丁場の滞在に支障が出ては大変と気を遣ったようだ。
人の財布を心配してくれなくても結構!痩せても枯れても五十男が、焼肉代で破産などしやしないって!

それにしても上海なら定食2人前食べても700円で済むところ、東京じゃ1人前のカルビ肉が1000円とは痛い。
しかも1人前が上海の半分しかない。いや、いかんいかん、ここで躊躇していては日本婿の面子にかかわる。

「決まったよ〜、カルビ10人前とロース3人前、え〜と、あとは牛タンとハツ、野菜焼きもいいねぇ」

キムチやサンチュの落としなく、ご飯代わりに全員のクッパも頼んだ。
女房の奴なんか、時ならぬ大盤振る舞いに、調子に乗って生肉ユッケまで頼みやがった。
仕方ねぇ、こんな時にいちいち金の計算をしていたら、頼めやしない。

 まもなく、萎れた憧れのマドンナが両手に大皿を抱えて、ドン・ドン・ドンとテーブルに並べた。まさに肉!肉!肉の饗宴である。
貧乏人にとって、これだけの肉を目の前にすると、「今、俺はすごい贅沢しているぞ!」という実感がこみ上げてくる。
覚悟を決めて散財するのも、やけっぱち気分で、たまにはいいものである。

「さぁ、食べましょ!」

中国人は魚でも肉でもナマには抵抗があるようで、こっちが黙っていると、火に炙られた肉が半分ほどに縮まるまでこんがりと焼いている。
焼肉なんてものは生焼けが旨いんで、焼き過ぎたら価値がないことを、女房から伝えるよう促した。
まずはお手本を見せるため、私がまだ生焼けの肉を、さりげなく取って、タレにつけて食べて見せた。
「ホホ〜ウ、それでいいのか?」それが日本焼肉の食べ方と納得すれば、お舅さんたちも話が早い。
肉をジャンジャン網に載せて、表と裏を少し焼いただけで、肉と競争するように口へ放りこむ。

「ちょ、ちょっと、早すぎるんじゃないかぁ、もう少し焼いたほうがいいと思うけどなぁ」

上海人の適応力というか順応力には、目を見張るものがある。
おまけに私ら一家はアルコールを飲まないから、間が取れない。
ただひたすら焼いては食べ、網に載せては焼く繰り返す。戦国絵巻の城攻めのように、一気に攻め落とすような勢いだった。
テーブル狭しと華やかに彩った肉や野菜の山も、瞬く間に全員で完食。
いや、私はもしや足らない時の追加を考えて、かなりセーブしていたから、大半は3人の胃袋に消えていった。

「いやぁ、食った、食った!俺はもう一杯だけど、お舅さんたちもっと食べられるなら追加頼もうか?」

内心はもっと食べる!なんて言われたらどうしようと思いつつ、女房に打診した。

「パ〜(お父さん)マ〜(お母さん)、もっと食べられる?遠慮しないでいいのよ」
「もう十分デス(これだけ日本語)。いや、遠慮なんかしてないよ」

という訳で、私を除く全員が満腹and大満足で、この日の晩餐はお開きとなった。
ちょっと幻滅を感じた昔のマドンナも、大売り上げにニコニコ顔でまた来てね。
気になる会計は、〆て2万円でスズメの涙のお釣りが少々、口直しにもらったミント味のガムがほろ苦い。
こんなことをしていたら、いよいよ破綻の日が現実味を帯びてくる。
顔で笑って心で泣いて、大物を気取る切なさ隠し、意気揚々のご帰還と相成った。

我が家に着いて、私はとっとと二階へ引き上げたが、女房は晩餐の余韻を楽しむように、しばらく親子水入らずでの談笑。今日は親子共々幸福を満喫したことだろう。

「どうだった、日本の焼肉は?」
「すごく旨い!旨かったよ。上海じゃ絶対食べられないね」

普段無口なお姑さんも、溢れる感動にどもりながら、「美味しかった」を連発した。

「だけど、ちょっと食べ足りなかったな。まだおなかが一杯じゃないんだ、何かなかったかなぁ」

よせやい!だから何べんも追加頼もうかって聞いたでしょ、お舅さん!
あそこまで接待したら、あと少し追加したってそんなに変わりゃしないんだよ。
とことん満足してくれなきゃ、こっちも困る、そうそう何回も連れて行けないんだからさ!



 旅行へは計3回連れて行った。日帰りバスツアーと激安1泊温泉バス旅行と超豪華温泉宿1泊旅行だ。
最後の超豪華温泉宿とは、この業界ではつとに有名な銀水荘で、庶民には中々敷居の高い宿である。
贔屓にしている旅行社から、たまたま安いパックツアーが出たので飛びついたのだ。
お舅さんお姑さんには、日本文化の伝統である温泉、そして名宿がもてなす究極の食とサービスを存分に味わってもらい、日本の素晴らしさを理解してもらうには、願ってもないチャンスだと思った。

 温泉宿百選かなんかのパンフレットは、大概、自分の足でそこまで行かなければならないのが普通だ。
車があれば、颯爽と風を切ってドライブしながら行くのも一興だが、当家では仕事をリタイヤして以来、使いもしない車の維持費が無駄だと、とっくに売っ払ってしまったので今は無い。
レンタカーという手もあるが、あまり運転が好きでない私が、行きも帰りも1人でやるとなると、二の足を踏む。
電車で行くにも、日本は交通費が異常に高いので、4人分の出費を考えると、つい断念してしまいたくなる。
思案していた矢先、なんと東京からの送迎バス付きで、しかも1人19800円の破格値を見つけたのだ!
天は我に見方せり!親孝行が動機だから、きっと神様仏様も助けてくれたんだろうと感謝した。
 
 当日も快晴、50人乗りの大型バスにツアー客は総勢30人、座席には余裕あり。
予め前方から順番に決められていた席は窮屈だと、お舅さんお姑さんはガイドの了解なしで、空いている後ろの席へさっさと移っていった。言葉が分からなくたって、全然、悪びれずに躊躇しない、見よ!中国人のこの図々しさ。

それでも大人しく2人用座席に1人で座っていれば、まだ可愛いところもあるが、そのうち、何とか寝られないものかと画策。真ん中の通路を遮断するように足を投げ出し、中国人お得意の傍若無人振りを発揮しだした
まったく黙っていたら何をやり出すか分からない要注意危険人物なのである。
身元引受人および引率者としては、他のツアー客の手前、恥ずかしい事この上ない。
すぐに女房を向かわせ、ここは「日本なんだから品よくしなさい!」とたしなめさせた。
お舅さんは「これだけ席が空いているんだからいいじゃないか」と納得がいかない様子。
あ〜ぁ、先が思いやられるわ!郷に入れば郷に従え、この諺は中国には無いのかい。

 御殿場のインターで、トイレ休憩。まだ雪を被った富士山がクッキリと見えた。

「お舅さん!ほらほら富士山だよ、これが有名な富士山!」

私もはしたない、どっちが御上りさんだか分からない大声出しちゃって。

「時間がないから早く、早く!写真撮るからね」

富士山をバックに、お姑さんは言われる位置でポーズをとったが、お舅さんは不承不承の顔色ありあり。
フ〜ン?これはもしかしたら1人で撮って欲しかったんじゃないかと直感した。
私とお舅さんとは5つしか違わない男同士、その気持ちは分からないでもない。
お舅さんはこの時59歳、、歳の割には精力的で、男の私が言うのも変だけどいい男である。
老年にしてこれなんだから、昔は輪を掛けて相当いい男だったことは想像できる。
それに引き換え、お姑さんは老けてしまった。三つ違いの56歳であるが、60歳くらいに見える。
二人で写真を撮ってしまうと、上海に帰って、知り合いに日本での土産話を語る折、きっと大っぴらには見せられない複雑な思いがあるんだろうと推察した。

4章 いい湯だな、日本!へつづく

2008年4月27日分 次回更新まで中国ランキングのクリックよろしく。

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