上海一族・日本の休日

2章 はじめての日本!

                                                  2007年12月
 来日早々、女房とスーパーに行った義父母は、その清潔さと商品の新鮮さ、店員や買い物客のマナーの良さに、やっぱり日本は先進国だと感心した。
だが、同時に恐ろしく値段の高いのには、開いた口が塞がらないほど驚いた。
お舅さんは土産話にと、パックにきれいに並べられた、そら豆の1個1個を数えた。
全部で20数個、まさにプラチナそら豆である。上海なら、ざる一杯買える値段だ。

(こりゃ、どっちが豊かか分からないな、こんな物価の国に住んでいる娘も婿も大変だな〜!)

来日後の第一印象はそう思ったそうである。それで先ほどのアメ横の話が繋がってくる。
お舅さんにしてみれば家計の軽減に一役買うつもりだったのだろう、今まで見たこともない細くて長くて、安いだけが取り柄のような魚を3匹買ってきた。

「便宜(安い)、ピエンィー(安い)」

お舅さんは誇らしげに今日の戦果を見せた。
自分たちも、長く世話になることについては気を遣っていると、分かって欲しかったのかも知れない。
もし、そうだとしたら、気持ちは有難いが、それとは別になにか不吉な予感がしなくもなかった。
いずれにしても、私の知らないところで物事が進んでいく恐怖!何をしでかすか分からない、お舅さんの破天荒な性格を考えると、心配は尽きない。
お姑さんのように大声で喋るのだけ注意してくれれば、あとは問題なしという人であれば、2ヶ月だって3ヶ月だって面倒見ちゃうのに、どうやら日本滞在期間は、お舅さんの動向一つに掛かっているようである。

 アメ横は確かに値段は安いが、私は威勢のいい店主が、すぐに値札の半値くらいにしてしまう気風の良さに、常々疑問を感じていた。
あんなに安くして商売がやっていかれるのかと?
最近になって水産関係の友人から、アメ横は普通の市場で売れ残ったものとか、質の悪いものが流れて行くから安く出来るんだと聞かされた。そうか、道理で・・・・・・・

 私も何度か体力増強をかねて、女房とママチャリで買いに行ったことがあるが、タラバ蟹の足に6000円の値札が付いているのに、即決で2500円にしてくれたり、大好きな明太子が2折で1000円だったりで、ずいぶん得をしたと、凱旋気分で帰ってきたことがある。
今日の夕食はタラバだぁ〜!とばかり、早速、食してみたが、ボイルされた蟹足はなんと身がスカスカで、断面を見ると足が太い割りには3分の1ほど隙間がある。これじゃ、タラバを食べているという感動はない
明太子に至っては、これでもか!というほど真っ赤な色をした人工着色丸出しの、見ただけで食欲がそがれるようなものだった。
それでも貧乏人の悲しさで、せっかく買ってきたのだからと1、2本食べてみたが、これが明太子とは思えない異質な味で、まさに安物買いの銭失い、結局は全部捨ててしまった経験がある。
勿論、女房だって苦い経験を、よもや忘れた訳ではなかったが、浅草帰りのついでに昔から有名な上野アメ横を両親に見せて上げたかっただけなのだから、責めてみても仕方ない。

 と、いうことで、その日我が家の晩餐には、得体の知れない怪しい魚のぶつ切り煮付けがメインで出てきた。
私も日本に戻ってきた以上、日本モードに切り替わっている。
料理は味も大事だが、見た目も上手に盛り付けなければ、食欲は湧いてこない。
それらをほとんど無視した煮魚が、テーブルの真ん中に載った・・・・・・上海での悪夢が現実になった。



 川魚がほとんどの上海じゃ、煮るしかないだろうが、日本じゃ海魚が中心である。
当家の亡き父母は東京生まれ、ちゃきちゃきの江戸っ子。甘ったるい煮魚なんて、おふくろもあまり作ってくれなかったから、私も食わず嫌いが講じて、いつしか煮魚が嫌いになってしまった。
魚といえば刺身か、塩振りの焼き魚しか思い浮かばず、煮魚なんて「そういえばあったな」って程度である。
もっとも幼い時分は、うちも貧乏だったから、焼き魚といってもシャケの切り身か、アジの開きが精々で、刺身なんて滅多に口に出来なかった。
子供の頃の食生活は大事だ。たまには旨いものを食べさせてやらないと、口が貧しくなってしまう。
要するに、旨い不味いは二の次で、取りあえず腹が一杯になればいいという感覚では、将来、世間に出て恥を掻くこともあるだろうし、生まれた子供にも自然に連鎖してしまう。
まぁ、私の場合、そのお蔭で現女房の作ったものでも、それほど苦労もせず耐えられた。
人間何が幸いするか分からないから、あながち絶対悪いと言い切れない部分もあるにはあるのだが・・・・・。

 結婚した当初、女房が料理する様子を、それとなく観察していると、致命的な欠陥に気が付いた。
作っている途中で味見をしないのである。調味料も具材もなんだって適当。
これが上海流だとかで大見得をきっていたが、不味いものは不味い。上海流なんて、ありゃ絶対嘘だ!
出来上がってみて、はじめて食べられるかどうかの判定では、話の外である。
少しは食べる方の身にもなって欲しいというもの、人間の舌なんてどこの国の人間だって大して変わらないから、アンタだってこれが本当に絶品料理とは思ってないでしょう。
ところが不味いという顔をしたり、箸が進まなかったりすると、「いいわ、二度と作らないから」なんて、すぐヘソを曲げてしまうのだから、おそれ入谷の鬼子母神。
そんなセリフで脅かされても、不味いものを美味しそうに食べたり、嫌いなものに率先して箸を伸ばすのは、これで中々難しい。
テレビの人気番組で、とんねるずの食わず嫌いというコーナーがあるが、あれを見ていると、当時のやるせない思いが今でも如実に甦ってくる。
結婚10年が過ぎても、いまだに煮魚料理なんて出来ない女房は、たまにスーパーでカレイとか鯖の煮付けを買ってくる程度で、煮魚中心の上海とは根本的に違うのだ。


 いかん!このままでは頬はこけ、栄養失調になっちまう。
ダイエットにはもってこいの環境にはなったが、空腹のイライラはその元凶であるお舅さんお姑さんに向けられ、強いては来日を強行した女房にも及びかねない。
これが原因で、円満だった家庭が、もし崩壊でもしたら洒落にも何もなりゃしない。これは早急に改善策を取らねばならないと、危機感を募らせた。
それにしても先立つものは金だ!なんとか義父母に倹約の心配なんかさせずに、日本食の美味しさを味わってもらえば、一挙両得、衝突は避けられる筈。
女房にしても、両親の東京案内などで、すでに散財しているから、あの性格からして、せめて食費は切り詰めようと気を遣っているのは、阿吽の呼吸で分かる。
きっと、こっちから声をかけてやれば、「そこまでしないでいい」とは言いつつ、渡りに船の心境だろう。
義理の親に至れり尽くせりの接待をして、感謝こそすれ、怒る女房など居やしない筈だ。

よしっ!金はこんな時に使ってこそ活きるもの。
いい思い出ができるよう、この際、清水の舞台から飛び降りたつもりで、私も一肌脱ごう!
義父母も、どうせ1回来日すれば気が済むんだろうから・・・・・・・・と、この時は思い込んでいた。



 7年前といえば、まだ義父母ともそれほど気心が知れた仲ではなく、必要以上の過剰接待など更々する気がなかったのだが、事ここに及んでは、ある程度の出費を覚悟しなければ、この場は切り抜けられそうにない。
とはいうものの、義父母が帰国するまで一体どのくらいの経費がかかるのか?・・・・・・
現在のように家計を女房が全管理していれば、何事も「適当にやればぁ」で逃げてしまうことも出来るが、この時はまだ不意の出費は私の管轄だったから、逃げたら最後、女房の奴、これ幸いにと大盤振る舞いへと突っ走ってしまう懸念もある。
そうなってはなお大変!そのブレーキ役としても、この際、私の存在価値を十分に発揮するのだ!

 まず手始めに、行き付けのスーパーでゴッソリとマグロの刺身を買ってきてやった。
アメ横で売ってた、あんな訳の解らない魚とは違うぞ!これこそ日本国民が愛してやまないマグロの中トロと赤身だ。中国人は生の魚は食べないなんて屁理屈言わずに食べてみんかい。
食卓の団欒は、いつもの明るさを失い、張り詰めた空気が漂った。
恐る恐る赤身の一切れを摘んだお舅さん、「何でこんなに赤いんだ?血抜きが悪かったのか?」なんて、シゲシゲと見詰め、エエ〜ィままよとばかりに口へ放り込んだ。
お姑さんは、お舅さんが食べて何でもなければ、おもむろに食べようとでも考えているのか、しっかり飲み下すまで喉元辺の動きを凝視していた。

「う、うまい!これはうまいね!」

私はニンマリほくそ笑んだ。旨いものに国境はない!国が違ったって旨いものは旨いのである。
連れ合いの偽りない驚嘆の感想を聞いて、お姑さんも安心したのか、やっと箸を伸ばした。
お姑さんは元来保守的で、一度インプットされてしまうと、その殻は中々突き破れない性質だから、お舅さんほどの感激コメントはなかったが、それでも満更でもないらしく、勧められなくても二の箸、三の箸が伸びた。
私は悦に入って、日本醤油にワサビを少々つけて食べると、尚、おいしいことも伝授した。

 二さく買ってきた刺身は瞬く間になくなってしまった。
もしや老夫婦の口に合わなければ、女房と二人ではとても食べ切れない。そこで小心者の取り越し苦労で、二さくの購入にとどめてしまったことが悔やまれた。
まっ、すぐに帰るわけじゃなし、次の機会に持ち越そう。

 刺身が食べられると解った私は、今度は二人を寿司屋に連れて行った。勿論、回転すしではあるが、私ら夫婦がよく行くその店はネタも新鮮で、最近改装した店内は和風のこだわりが随所に見られ、来日早々に二人が日本情緒を満喫するには打ってつけだと思った。

上海にも回転すし店はいくらでもあるが、粋に握るというよりも、何かいじくり回して作る店が多いようなのが現状。
日本のすしファンとしては、どうしても喜んで食べる気になれず、私はそういった店には入ったことがない。
第一、刺身を切るのに上海では洋包丁というのがいただけない。刺身はやはり刺身包丁でピシッと決めてもらわなければ旨さも伝わってこない。
お舅さんお姑さんにとっては、そんな店でも案外値段が高いから入ったことはないだろうが、日本に来た以上、これが本場だというところの差を、是非、肌で感じてもらいたかった。

プチッ、ウイ〜ンン(手押し式自動ドア)・・・・・・和風の格子引き戸が小気味よく開いた。

「らっしゃ〜い!」

江戸前すし店らしく、いなせな短髪にねじり鉢巻、白い上っ張り姿がよく似合うすし職人が、楕円形カウンターの中から威勢のいい声を掛けてくれた。
先客は10人にほどで、赤貝!とかハマチ!とかの注文する声が飛び交っている。
忙しそうにカウンターの上を回るすしも、「旨いぞ、美味しいぞ」と呼びかけているように活気で溢れていた。

「最初はやっぱりマグロがいいんじゃねえか?」

私は女房に先日好評だったマグロネタを勧めた。それから徐々にいろいろなものを食べてみれば、日本文化の大胆かつ繊細さが解ってくれるんじゃないかな。

「中トロ4枚!」
「あいよ、中のトロ4枚!」

受けた職人が復唱したかと思ったら、ほとんど間をおかず「ヘイ、おまち!」と注文の中トロ4皿が出てきた。
東京のすしはこれがいい、上海みたいにいじくり回していたら、ネタが腐ってしまいそうだ。
早速、皆で一皿ずつ分けて、私らはあんぐりと瞬く間に食べてしまった。
お舅さんたちはと見ると・・・・・・・アレッ!目の前の中トロを、じっと見詰めたままである。
女房に「遠慮するしないで」って盛んに通訳してもらうが、返事ばかりで一向に食べようとしなかった。

はて?不思議なことがあるもんだ。この前はあんなに旨い旨いと言っていた刺し身なのに。
これはおかしい、お腹の調子でも悪いんだろうか、女房に理由を聞いてくれるよう頼んだ。
小声ながら中国語のやり取りが、粋な江戸前すし店にそれとなく響く。

「あの人がさぁ、素手で握っているんだよ、衛生的でないね。そんなもの食べられないよ」

お舅さんは、カウンターの中で忙しそうに握りを繰り返す、すし職人を目で指してそう言った。
女房は振り向いて、今度は私にオウム返しのように、それを通訳した。なんか上海生活の延長のようだ。
ウゥ〜ン、そういえば上海の回転すし店じゃ、薄いビニール手袋して握っていたっけ。
だが、そいつは如何ともしがたい。日本じゃ、そんなことをするすし店があったとすれば、3日で潰れちまうだろうし、すしは素手で握ってこそすしなのである。

中国では偽物やコピー製品が氾濫している。
それに不衛生極まりない家内工業的工場で作られた食品も数多い。最近、世間を騒がせた毒入り餃子なんて、氷山の一角なんて思えるくらいだ。
野菜だって農薬まみれだから、盥(たらい)でジャブジャブ洗っている光景をよく目にするし、体に良くないってことは、上海庶民だってよく知っている筈だ。
そんな国に住む人から、いくら身内とはいえ、日本が衛生的でないなんて言われたかないねぇ。

3章 好きです、日本!へつづく

2008年4月21日 次回更新まで中国ランキングのクリックよろしく。

ホーム 戻る 次へ