高速バスで冷夏の那須

2.雨が冷たい!傘がないの巻

 最近なぜか早起きで困る。年を取ると早起きになるというのは本当だった。
残り人生が見えて来ると、眠っている時間が惜しくて早く起きてしまうという説もある。
私の場合も多分にそれが作用しているのか、最近やたら睡眠時間が短くなった。
若い頃から睡眠時間は長い方ではなかったが、それでも6〜7時間は寝ていた。それが最近は5時間も経つとパチッと目が覚めてしまう。目覚まし時計など殆ど要らない。
時々、余命幾許(いくばく)もない前兆かと、一抹の寂しさを感じたりもするが、まぁ、心配するくらいならタバコでも止めて、積極的に健康と取り組んだ方が賢明だとも言える。
(そのタバコが簡単に止められない。これだけは人に負けた事がない・・・・・意思の弱さが悲しい)

一方、我が奥方、こいつは良く寝る。寝る子は育つというが、もうそんな歳でもないだろう。
結婚時の宣言で、中国人は睡眠時間10時間と豪語されたが、その根拠がどこから来たのか今もって分からない。それは6年の月日が経っても変わることなく、いまだにキッチリと守られている。
睡眠時間が足らないと、化粧のノリが悪いとか、肌が荒れるとかいうが、元々自慢出来るほど綺麗な肌ではナイ。面と向かっては口が裂けても言えないが、密かに腹の中ではそう思っている。

ワンパターン化した日常の生活や喧騒の東京から、たとえ一時でも逃れてわざわざ田舎へやって来たのだから、私としては朝の清々しい空気を吸いながら、夫婦で散歩でも楽しみたいと願うが・・・・・・寝坊の所為で叶えられた事はない。
ならば朝風呂でも二人でと思い、隣の女房を見やって一瞬たじろいだ。
こりゃ、駄目だ〜・・・・・蛙が踏み潰されたような寝相、色気とはほど遠い寝顔、周囲を震わす寝息。
親しき仲にも礼儀あり、信頼と慣れは紙一重だ!まぁ、だからといってもう今更別れる気はないが・・・・・・

8時より朝食、テーブルは夕べと同じ。和食の料理揃えが嬉しい。
普段昼近くまで寝ている女房は、朝食など摂ったことがない。したがって静かに寝かせておいた方が親切なのだろうが、そうは好きにさせるもんか!と無理矢理連れて来た。・・・・・・したがって機嫌が悪い。
寝ぼけ眼で間に合わせの化粧を施したせいか、何となくアンバランスだが、知らぬが仏、本人には見えないのが唯一の救いだ。
個人旅行中で朝食がある場合は、しっかり食べて大体昼食は抜く事が多い。
これも女房の半ば強制的なアイディアで、旅行中は気が緩んで食べ過ぎてしまう私のダイエット作戦もかねている。

今日の泊まりはインターネットで予約済み、ここのホテルからも割りと近い。
ホテル探しをしないで済む分、今日の1日は自由に動ける。さりとて特別行きたい所もない訳だが、木陰でジッと座っているのも能がナイ。
観光案内では“遊べる那須”と大仰に謳ってあるが、子供でもいなけりゃ殆ど興味がナイ。
長閑な牧場系が多く、あとは遊園地。それと入場料が高い割りに見終わった後、大概期待外れでガッカリする美術・博物館の類。昨日の戦争博物館など、その最たるものだ。
どこへ行きたいか?カミさんには聞くだけ野暮というモノ。

「そんなの見たって面白くナイョ!」・・・・・・・タマには違った言い方出来ないの?

面白いか面白くないかは行って見なきゃ分からないと思うが、いつも言下に一蹴する。
基本的に入場料を取られる場所は好かないようだ。生理的に拒否しているようにも見受けられる。
“父母の背中を見て子は育つ”この性格は多分に生まれ育った環境が影響しているのだろう。
上海の舅姑も仲睦まじく、時折周辺の日帰り旅行など連れ立って行くらしいが、いまだに入場料の取られる観光施設には殆ど入らないと聞いた。
女房と同様、「そんなの見たってどこも同じだョ」とは言うものの、外側から外観だけはシッカリ見るし、塀の隙間でもあればそこから覗くらいだから、心からそう思っていないのは鈍い私でも分かる。
上海人としてのメンツがそう言わせるのかも知れないが、事情が分かっている私の胸にはグサッと来る。
貧乏とは辛い・・・・・・カミさんにとって、これがトラウマになってしまったらしい?
私も貧乏な生い立ちでは決して劣らないから、カミさんの気持ちが痛いほどよく分かる。だから女房の倹約癖が元で喧嘩になる事はない。
むしろ年齢差を超えて、曲がりなりにも何とか暮してこられた大きな要素は、貧乏育ちという共通の原点があったからだと言えるかも知れない。
心と気持ちが通い合う・・・・・夫婦としてこれほど幸運な事はない。
この幸運を贈ってくれた義父母には、せめて恩を返したいと思っている。
国境を越えた縁を共に喜び合えるように・・・・・・

さて、田舎の路線バスは1時間に1本か2本。都会慣れした私達にはカルチャーショック。
バス停まで徒歩20分、ホテル側の好意で到着時間に合わせ小型バスで送ってくれた。
予約を頼んだ大手旅行社のアンケートには、絶賛すべきホテルと明記しておこう。

バスに乗車の際、運転手さんへ“トリックアートピア”に一番近い降り場を聞いた。
大した期待はしていない。単に今日泊まるペンションに近かったからで、チェックインまで5時間の暇潰し。
それにしても今年の夏はどうなってんだぁ〜。例年7月も20日を過ぎればギラギラ憎たらしいほど暑い夏なのに、今年はどうだ!もう7月も終りだというのに気温15℃、この晩秋を思わせる肌寒さ。
これじゃ避暑どころか、東京にいた方が余程暖かい。今日も今日とて泣き出しそうな曇り空、エェ〜イ!今年はもう破れかぶれの夏休みだ。

この“トリックアートピア”は目の錯覚を利用した不思議の世界。所謂、飛び出す3D絵画の美術館。
若干、子供騙しのきらいもあるが、私らの移動手段が路線バスと2本の足では高望みしても仕方が無い。
降り立った田舎のバス停。目指す美術館は更に徒歩800m、おまけに車の行き交う国道沿いは、幾分上り勾配と来ていた。心臓と肺に爆弾を抱える肥った病弱の身には結構堪(こた)える。
例年の猛暑ならきっと倒れているかも知れない。安易に山奥の温泉などへ来た事を呪っただろう。
殊勝にも女房がリュック背負いの交代を申し出たが、なんの!老いたりとはいえ俺も男だ!取り敢えずの威厳は保ちたい。

「エライ、エライ!見直した!」

こいつぅ〜おちょくっているのかぁ〜・・・・
閑散パターゴルフ場
誰もいない那須パターゴルフ場・・・・貸切の醍醐味
トリックアート館
騙し絵のトリックアート館・・・・ペンキを塗る人もタダの絵

おや?こんなところにパターゴルフ。そういえばゴルフも暫くやってないねぇ、懐かしいくらいだ。
お遊びのパターコースは大体どこも擦り切れた人工芝が普通だけど、ここは立派な芝コース。
時間もあるんだし、ついでに遊んでいこうか?これが気侭旅行のいいところ。
それにしても誰もいないねぇ?今日は休みかぁ?
カミさんは私の魂胆など、すでに先刻ご承知のように機先を制した。

「よしなさいョ、そんなのやっても面白くナイと思うョ〜、勿体無い」
「ちょっと見てみるだけだよ」・・・・・(まったく何の為に来たんだ!遊びに来たんだろ〜)

無視!無視!駐車場をズンズンと横切り、チケット売り場の方へ歩いて行った。
ミニクラブハウス風板張りの建物、中には手持ち無沙汰のおばさんが一人。
18ホール1回大人1200円と書かれた看板の横に、自動発券機が置いてある。

「高いよ〜・・・・・ホントにやるの?私は見てるョ」
「そんな事言わないで一緒にやってみなョ、結構面白いよ」

ガラス越しにこちらをチラチラと見ているおばさん。夏休みだというのに冷夏が祟り、観光客の少なさに嘆き顔。財布を開けろ!チケットを買えと念じているようだ。

ゴルフ場貸切り気分の爽快さ!緑の芝が目に痛い。冷夏のお蔭か?後続組を気にしない、ゆったりのんびり贅沢ゴルフ。こんなチャンスに巡り合える事は滅多にない。
バブル時代、暇を見付けてはセッセッとゴルフ場通いしていた頃。ショットはまぁまぁだったが、ボールがグリーンに乗ってからがひと苦労の嫌な思い出が鮮明に甦ってきた。
距離感がまったく無く、カップインまで3回4回の大叩き。メンバーによく笑われたものだ。
今日は笑う者もいないし、相手はクラブを握った事もない女房。相手にとって不足はない!
超リラックスプレーの屈辱戦だ。これで負けたら余程の間抜け!二度とゴルフなど口にもすまい。
人に教えるほどの技量を持ち合わせてはいないが、女房に打ち方の即席コーチ。
たとえ夫でも命令されるのを、つとに嫌うカミさん。好きに打たせろと猛然反発。
マァマァお遊びだからいいでしょうと早速ゲーム開始。
曲がりうねったフェアウェイの先に、本格的なグリーンがあり、ホールによってパー何打と決められている。
まず私からお手本ショット。裏路地のように狭いフェアウエイをコロコロ転がって行く。
第一打にしては上出来位置に付けた。リラックスムードなら案外うまいじゃないか。
続いて見様見真似で所定の位置にボールを置いた女房が、打ち気満々で構えた。

「駄目!駄目!全然違う方向に向いてるよ〜」
「いいの!これで!」・・・・・余計な事を言うなといわんばかりに切り返す。

コン!・・・・・・いやな音がした。力任せに打った球は、案の定コースを外れ脇の草むらへ。

だが持って生まれた感性というのは争えなかった。女房にこんな才能があったなんて・・・・・
女房は名うての方向オンチ、距離感がいいのにこれ如何に?長い距離は別かぁ〜
3ホールも過ぎると何となくコツを掴んだようで、牙を剥いたような反撃に転じた。
(そうムキになるなよなぁ〜・・・・・俺にだってメンツっていうものもある)
面白いようにカップインし始めたから、急に鼻息が荒くなった。
主客転倒!生意気にも今度は私に逆コーチ。うるさい!ゴルフ歴15年のキャリアはどうしてくれる。

私はプレッシャーに弱い。結局はこれが元でゴルフをやめた。
自宅の駐車場にネットを張り、飽きもせずにドスンドスンと球を打ち込む毎日。その上、週に3回は練習場へ通い、冬場など指先が割れてまさに血の滲む努力を重ねたものだ。
マァ今思えば、それほど努力しても上達しない根本原因に早く気が付くべきであったが、本人は必死で周りが見えない。
ある日、毎度顔馴染みの仲間からコンペお誘い。
「イヤ〜最近練習もやってないから」とか何とか言いつつ、沸々と滾(たぎ)る競争心。
俺ほど練習した奴はイナイ。アッと驚くナイスショットを目に物見せてくれるわ!
あ〜それなのに、それなのに・・・・・・・・自信満々で迎えた第1ホールのティーショット。
プレッシャーと上がり性で肩に力が入り過ぎ、すでに体はコチコチ状態。
結果、衆人環視の中、見事な空振り。穴があったら入りたい心境を通り越し、このまま帰ろうかと思ったくらいの経験がある。
おまけにミスを許せない。いつまでも悔やみ引き摺る。気持ちの切り替えが、本で読んだ通りには出来ない。
時たま間違って飛び出す、目の覚めるような馬鹿当たり。「ナイスショット!」の喚声。
・・・・・・・・・これで又崩れる。自分の力量も考えず、次はもっといいショットをしようと思うからだ。
「鉄人殺すにゃ、刃物は要らぬ。ショットのひとつも誉めればイイ」・・・・・仲間内の格言だ。
よくよくゴルフってスポーツは私に合わないと思った。時あたかも平成不況に突入、その後押しもあってゴルフから久しく遠ざかった。

全18ホール、パー72のパターコース。
最後はお互いマジの攻戦を繰り広げ、私が75打、女房が82打で終了した。辛うじて面目は保ったものの、ど素人に舐められて「これでいいのか?」の思いが残った。

辺りはいよいよ湿気を帯びて、ひと雨ザァーと来そうな気配。ここで降られたら雨宿りの場所もない。
取り敢えず美術館に入ってしまえば、後の事はそれから考えればイイ。
床に描かれた地下通路
こんなところに危ないじゃないか!・・・・大丈夫、これも床絵
足が短い!
額の中からコンニチハ・・・イカン!足の長さが一目瞭然

「どうするの〜」・・・・・チケット売り場前。又始ったかぁ、今度はナンダ!

この“トリックアートピア”全部で3館に別れている。
トリックアート館、ミケランジェロ館、天使の花冠館とあって、それぞれテーマが違う。
勿論、それぞれの入場料は別で1館毎ならその度大人1300円だが、2館以上ならお得な割引制度有り。
カミさんが「1館見ればみんな同じだ!」と無言の圧力で私を見る。
ここで負けてはいけない!ケチってはいけない。旅の想い出が少ない、いつもの失敗を繰り返すな!

「3館共通で買っちゃえばぁ〜」
「エ〜〜3000円もするよ、2館でイイョ」・・・・・結局、一方的に押し切られた。

受付で背負いリュックを預かってもらい、幾分、田舎の美術館だからと期待薄の足取りで中に入る。
入り口には好感度抜群の説明嬢がにこやかに迎えてくれた。
展示されている絵の正しい鑑賞法伝授。平面に描かれた絵のだが、片目を瞑(つぶ)るとなぜか立体的に見える。2次元の世界を3次元に変えるアートテクニックの面白さは、すぐに私たちを虜にした。

中は迷路のように入り組んでいて、額に入った絵は勿論だが、壁面全体が騙し絵にもなっている。
頭上に迫り出したバルコニーもよく見れば平面に描かれた絵だったり、隣の展示室に続くドアと思いきや、これが押せども引けども開かない。横から見ればドアノブだけが壁面から突き出ている騙し絵。
超リアルに描かれた作品群は、傍に行って触って見なければ判別出来ないほどだ。
半開きになったドアの奥で清掃作業をしている人。いつまでも動かないと思ったら、やっぱりこれも作品のひとつ。
ご丁寧に遠近法も駆使して、少し小さく描かれているからチョット見では本物と見間違ってしまう。
極め付けは、床に何気なく落ちていた1万円札。ドキッ!こりゃ儲かったと反射的に周囲を見渡し、拾い上げようと手を伸ばして思わず苦笑い。
これが床に直接描かれたタダの絵と解り、あまりのリアルさに驚嘆の溜息を漏らす。
ワニに襲われる!
危うし女房!・・・・平面に描かれたとは思えない迫力
1万円札の拾い物
儲かった!・・・・・くっ付いて離れない床に描かれた1万円札

「ねぇ、ねぇ、こっち来てみな!面白いよ」

さっきは勿体無いと入り渋っていたカミさん。そんな事はとっくに忘れ、ひとつも見逃してなるものかの中国人気質が頭をもたげて、後方をまだ丹念に見て歩いている。

「なに!なにョ!まだ後ろ全部見てないんだから!」
「どうだ!食べられそうだろ〜」・・・・・・・・さり気ないフェイント。
「ワァ〜、すごい。ホントに食べられそうだぁ〜」・・・・・・すっかり童心に返ったカミさん。

この部屋は壁一面に、リアルな巨大猫が大口を開けて描かれている。写真の撮り様では危機一髪!迫真の特撮写真が期待出来る。
タイミングも良し、壁の隅を指差して何気なく呟いた。

「何だ、それ、お金じゃないかぁ〜?」
「エッ!どこどこ?アッ本当だ、お札だョ」・・・・・・カミさん即座に目の色が変わった。

口元に人差し指を当て、サッと歩み寄り掴み上げようとしたが・・・・・ウン?掴めない。
始めてそこで床に描かれた絵と判り、「な〜んだ」と落胆の深い溜息。
二人とも仲良く束の間の糠喜びに大笑い。欲の深いところも一緒だった。

楽しさが一杯だけど、もう1館見なければならないから長居はしていられない。
最後は足早に切り上げて出てくると、外は胸騒ぎ的中の篠の突くような雨。
頭の中を井上陽水の「傘がない」が駆け巡る。だから傘もって行こうと言ったんだぁ〜・・・・・

「ミケランジェロ館て、どこにあるんですか?」
「ここから500mくらい先にありますけど〜」・・・・・気の毒そうに降りしきる外に目をやる受付嬢。

見学終えたトリックアート館前、“見上げてごらん夜の星を”ならロマンチックだが、雨の空じゃぁ洒落にもならない。やっぱり田舎は車がなくっちゃ動きがとれん!
傘を持ちたがらない女房、「このくらい大丈夫ョ」って顔をしている。中国人の癖なのか?少々濡れるくらいは困った内に入らないらしい。
早く予定をこなしてペンションに入れば、今夜はディナーステーキ。減量中の私の分まで、気合を入れて食べる腹積もり。嬉し楽しさも2倍なのか?上海女房、これしきでめげる様子は微塵もない。
急に力が抜けてきた・・・・・・崩れ折るようにしゃがみ込む私。
ゴホ、ゴホッ、風邪か?心なしか俄かに体調の異変。朝方寒かったからなぁ〜薄着が祟ったか?

「車を呼びますから、ちょっとお待ちください」

おやおや、タクシーで美術館廻りかぁ、豪勢な旅行になっちゃったな〜・・・・・
女房は私より上手(うわて)、500mくらい雨がパンツまで染み通ったってタクシーなんかに乗る女じゃない。
間髪入れず断りの叫びが今にも口を突いて出ようとした矢先、

「美術館の車ですから、すぐ来ますョ」

思わず女房の袖を引っ張った。どうだ!聞いたかこの温かい思い遣り。
ア〜・・・・日本はやっぱりイイ国だ!中国じゃ、間違ってもこんな親切心やサービスはないぞ!
一緒にお絵描き
恐れ多くもミケランジェロと共同作業
ミケランジェロ館
システィーナ礼拝堂の荘厳さ・・・・・実によく出来ていた

ガラガラに空いていたミケランジェロ館。名作絵画の数々にちょっと遊び心の手を加え、ここも楽しさ一杯。
圧巻はイタリア・ローマにある世界最小ヴァチカン国、その中のシスティーナ礼拝堂をそっくり再現。
天井から壁まで5分の3サイズで模写した力作の殿堂。
ツアー料金の安さに釣られ、シーズンオフに出掛けた寒い寒いイタリア旅行を思い出してしまった。
新婚気分覚めやらぬ時期だったのに、想い起こせば当時から十分片鱗があった女房の倹約癖。

「最初のトリックアート館まで、又送ってもらえませんか?」

外の雨は幾分小降りになっていたものの、止む気配はなし。正式な送迎バスでもないのに、図々しいお願いを臆面もなく言ってみる。歩いて最初のバス停まで戻るにも、500mの距離稼ぎは助かる。
一瞬戸惑う肥えた受付嬢・・・・・・フザケルナ!グッと込み上げて来る感情を抑えた顔が可愛い。
中国式に何でも取り敢えず言ってみるもんで、再度車を出してくれる事になった。
事務所の裏口から小走りに出て来た運転女性、少々薹(とう)は立っているが愛想はいい。

「お客様も折角の夏休みに来られたのに、この天気では残念ですねぇ〜」
「まったくお互い様で、今年の冷夏と雨模様じゃ、商売上がったりでしょう?」
「いえ、天気が悪いと観光の方はどこも行かれないから、仕方なく美術館に来るんですョ」

仕方なくねぇ、はぁ、そんなもんですか・・・・・・どうも話が噛み合わない。
女房が耳元で囁いた。「このままバス停まで行ってくれないかしら?」
(タクシーじゃないんだから、いくら厚顔とはいえ、大人の礼儀としてそこまでは言えない)
500mは歩くと結構あるが車だと訳はない。あっという間に振り出し地点到着。
受付で預けていたリュックを貰い、深い溜息を漏らしつつ、恨めしそうに空を見上げる。
思い切りの悪い奴だ!女房の目がそう言っている。

「「バス停まで送りましょう」・・・・見かねた先ほどの薹(とう)が立った運転嬢。

オ〜〜地獄で仏、有り難きかな田舎の人情、これでこそ東京砂漠からやって来た甲斐があったというモノ。この際、人様の善意にすがる旅も悪くない。

ガラス越しに手を振る彼女の笑顔が神々しく見えた。深々とした最敬礼で運転嬢を見送る。
ああ言う人と所帯を持ったら一生心安らかに暮せただろう、なんてフト想いつつ女房の顔を見た。
1時間1本の路線バスが来るまで、まだ15分程ある。傍らの木の下で雨露を凌ぐ姿なんざぁ、とてもいい年をしたおっさんのする事じゃない。
折角遊びに来たのに段々惨めっぽくなってどうする!こうなりゃ、女房が何と言おうとタクシーで行くぞ!と気負いこむが、田舎の県道では、もとより流しのタクシーなど通る筈もない。
目指す最寄バス停はここから4つ先だが、地図を見るとそこからお目当てのペンションまで歩いたら結構ありそうだ。

「ペンションの人ここまで迎えに来てくれないかな?」・・・・・・女房の考える事は大胆だ!
「言ってみなさいョ!」

日本人としてそんな虫のいい話は中々出来るモンじゃないが、善意に縋(すが)るついでに電話してみた。

「もしもし、先日予約した鉄人ですけど、今○○のバス停にいます。えぇ4つ手前のバス停です・・・・・・」

「じゃぁ、そこまで行きましょう」という返事を期待したが、やはり無理があったようだ。
最寄のバス停まで迎えに来てくれる事で決着、もう暫し枝葉から落ちてくる滴(しずく)と闘う羽目になった。
ワイパーを忙しく回転させた車が、次々と水飛沫を上げて勢いよく通り過ぎるが、バスは遅れているのか中々来ない・・・・・

3.泣くな!ペンションオーナーの巻へ続く・・・・・


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