2006年3月
タイル職人は翌日来るといっていたが、やはり昼間は現場を抜けられないらしく、夜になってしまった。
アルバイトでやる仕事だから、それは仕方ないとしても、夜来るんじゃ、現場を見るだけなのか?
お舅さんも手配をした責任上、やって来た。タイル職人とは電話で話しただけで、実は顔も知らない。
一度ならず二度までも!何て事にならなければいいが、本人を見て見ないことには何ともいえない。
日本であれば、腕の良い職人かどうかを見分けるには、その人となりを見て、ちょっと話をすれば、大体、見当が付くのだが、果たしてその勘が中国で通用するかは分からない。
お舅さんは電話で現場の状況を話し、注文主がうるさくて張り直すということも話してある。
今日来るタイル職人は、それを了解した上で、手間代が200元ならやると言った。
私なんかそれを聞いただけで、かなり自信を持った職人だと分かる。今度は、大丈夫だろう、もしも初回の修理人と同じようなら、その時点でストップ!お帰りいただくつもりでこっちも臨んでいる。
女房から、お舅さんが大分気にしていると聞いていたので、今日はそう愛想ない態度も出来ない。
一緒にリビングのソファには座っていたが、もっぱら話は父娘だけ。しらけた雰囲気はそのままだった。
もう来るか、今来るか、と首を長くして待っている時間は長かったが、ようやく7時を過ぎてお舅さんの携帯電話が鳴った。近くまで来ているが、場所が分からないらしく、お舅さんが素早く迎えに出ていった。
まもなくピンポ〜ンとチャイムが鳴り、お舅さんがタイル職人を従えて戻ってきた。
年の頃は30代半ばで、無精ひげの下から精悍な顔付きを覗かせている。
古い話で恐縮だが、その昔一世を風靡したイタリア製西部劇のスターで「さすらいの用心棒」に出ていたジュリアーノ・ジェンマに良く似ていた。
物怖じしない堂々とした身のこなしからは、タイルのことなら俺に任せろ!という自信が溢れていて、ほぼ私の想像した通りの職人であった。
フリーハンドで書いた簡単な図面を見せると、ちょっと眺めてから巻尺を取り出し、実際の寸法と間違いないか確認している。
おおっ!こやつデキルぞ!私の方が疑われてしまった。
急いで女房に、これは大体の仕上がり寸法だから、必ずしもこの通りでなくても、多少は構わない旨を通訳してもらい、補足説明を加えた。
肝心なのは、縦、横、高さの目地を合わせること。タイルは片方から押さないで、両サイド均等の切り物にすること、などを話した。
実に飲み込みが早く、フムフムと頷きながらも、もう下地の準備をしている。
東京のタイル職人と打ち合わせをしているような感覚が甦り、もうこれは90%仕事が終わったような確信を持った。中国にも居るじゃないか、プロと呼べる職人が!
夜なので、打ち合わせたら帰るのかと思ったら、これから始めるのだという。
大きい音は出せないから、今日は切らなくてもいいところだけ張って行くといって、手際よく下地の修正から取り掛かった。う〜ん、いちいちが抜かりない。
お舅さんも、私とさすらいのタイル職人のやり取りを見ていて、今度は大丈夫そうだと安心したのか、余計な口出しをせず、そ〜と帰っていった。余程懲りたんだろうね、ここまで揉めたから・・・・・・・・
小1時間で掛けて下地の調整を終えると、今日は床を張って行くらしく、その準備に入った。
セメントに接着剤を混ぜてモルタルを作り、それをタイル裏に盛り付けて1枚1枚張り付けていくのだが、その肝心の接着剤はどこにあるのか?と聞いてきた。
「あんた!接着剤見なかったぁ」
そんなの俺が知ってる訳ないだろ!そう言ってやりたかったが、女房がオロオロしているので、一緒になって探し回った。わざわざ見えないところに仕舞い込む訳がないんだから、その辺にある筈だ。
「あった、あった、これかぁ〜」
リビングの床にデンと置きっ放しにされている撤去した浴槽、その中に緑色の缶があった。
それを持ち上げて職人に見せると大きく頷いたので、まずは一件落着。蓋を開けてみると、少し粘り気のある透明の液体が入っていた。
「これはあまりよくない奴だ、この接着剤は偽物だね、幾らしたの?」
女房はお舅さんから貰った領収書を思い出し、「確か、30元」と答えた。
「本物はそんな値段じゃ買えないよ、それにもっと缶が大きい」
職人の説明では、安い偽物には有害な物質が入っていて、あとで目が痛くなったり、気持ち悪くなったりするのだそうだ。日本の住宅でも最近騒がれている、化学物質過敏症の類である。
何でも有りの中国なのに、職人がそんな事をいうとは、ちょっと意外な気がした。
これから張るというのに、今それを言われてもどうしようもない。大丈夫!私ら免疫性が強いから、そのくらいじゃ堪えないからと冗談を飛ばし、そのまま続行してもらった。
特別な指定がなければ、どこでもこれを使っているから大丈夫だ!と職人は気休めを言ってくれたが、中国はこんなものまで偽物が出回っているのかと思うと、何やら底が知れない不気味さを感じた。
中国の内装や営繕工事は、基本的に人間しか来ない。
ある程度はその職業に合わせた道具は持ってくるものの、工事が始まってから施主にあれがないか、これがないかと大きな顔をして要求してくる。
ドライバーや金槌、雑巾にガムテープくらいで収まっていれば、まだ可愛げがあるが、前回の修理人のように練ったモルタルを入れるために、野菜洗いのボールまで供出しなければならないのには閉口する。
日本なら現場の状況と仕事内容に合わせて、工事人の方がすべてを調達してくれるので、それが当たり前と思っている私など、「アンタやる気あんの?何しに来たんだ!」と段々腹が立ってくる。
このさすらいのタイル職人も手提げバック一つでやって来たから、恐らくいろんな事を言い始めるぞ!
「タイルを切るのに、下へ敷く厚目の板はないか?」
そら、きた!なっ、言わんこっちゃないだろ、一発目は厚い板だってさ!
そう言われて、女房は反射的にあちこち探し回るが、一般家庭でそんなもんがある訳ない。
それがないと仕事が進まないと思い詰めた女房は、あろう事か、厨房から俎板(まないた)を持ってきた。
確かに厚い板には違いないが、そりゃあんまりだ!
「おいおい、その上で大根切るんじゃないんだぞ!タイル切るんだからさ、貸したらもう使い物にならないぜ」
「じゃぁ、どうする?」
「この前使った化粧台のイスでやってもらえよ。何でも言えば出てくると思ったら大間違いだ!」
女房は恐る恐るそれを持って行き、「これしか無い」といって差し出した。タイル職人はチラッと見て不満な表情を浮かべたが、分かったという意味で小さく頷いた。
なんか言えよ!寡黙なやっちゃな〜、こっちはあれ持ってこい、これ持ってこいと翻弄されているんだからさ。

これがプロの仕事だ!・・・・初日の床張り、目地も均一で気持ちいい |

激闘!2日目の猛チャージ・・・・今日で絶対に終わらすぞ! |
黙っていても左右に糸を張り、それに合わせて中心から張り始めた。プロだったらこれが普通だ。
このやり方なら床に歪みが出来ないで、水も排水口に向かってサッと流れる。なんせ上海のマンションは、水周りでも防水工事をしないから、せめて水切れを良くしておくに越したことはない。
長手方向の1列を張ったら、壁際の列は切ち割らなければならない。さぁ、化粧台イスの出番だ。
細かい切り物でなければ電動カッターは使わないので、音の心配はない。。
割り方は前回の修理人と同じだが、こちらは年季が入っている。鋭いポンチで一気に罫書(けが)くと、上体の重みを巧みに利用して、迷わず力を入れた
・・・・・・・パッキ〜ン!あらっ!あら〜?嫌な音がしたね、ま、まぁ、弘法も筆の誤まり、そういうこともあるさ。
職人は上目遣いに私を見た。気が散るから、そこの戸を閉めてろ!と、脅しとも取れる暗黙の意思表示だ。
いや、いや、見てない、見てないよ、今のは見てないって!
さすが、さすらいのタイル職人、失敗したのは最初の1枚だけで、あとはパン!パンと小気味良い音を立てて、必要な枚数を切り割り、10時近くに床だけ張り終わった。
床の上には乗れないので、今日の作業は終了。
「明後日は朝から来て、全部終わらせる」と言い残し、とうとう最後までニコリともしないで帰っていった。
日本にも、ああいった取っ付き難い職人がいるが、そういう人は概して仕事の腕は確かなので、安心して任せられる一面もある。どうやら中国の職人世界も同じのようだ。
工事に取り掛かって以来、アクシデントがあったので1週間が経ってしまった。
普段は夫婦2人だけの静か〜な生活を送っているから、何とも慌しく落ち着かない1週間だった。
そんな日々にも、今日こそケリがつくかと思うと、何となくホッとした気持ちになる。
タイル職人は朝一番で来るといっていたから、朝の弱い女房も珍しく早起きして洗顔を済ませ、お肌の曲がり角をとっくに右折左折した顔を化粧で誤魔化して、準備万端、待機していたが9時を過ぎても来ない。
なんだ、今日も来ないんじゃないのか?そんな不安が脳裏を掠めた時、ピンポ〜ンとチャイムが鳴った。
寡黙が身上のタイル職人は、何も悪びれず、言い訳もせず、挨拶もそこそこにすぐ仕事に取り掛かった。
私が見ても、今日はネジを巻いて頑張らなければ、夕方までに終えるのは少々きつい。
職人は電動カッターを取り出すと、今日は気兼ねなく凄まじい音を響かせて、タイルを切り出した。
「おっとっとと、大変だ!浴室のドア閉めて来いよ!」
ドアを閉めてしまうと、モウモウたる粉塵の中で仕事をしなきゃならない辛さは分かるが、こちらも後の掃除を考えたら、閉めざるを得ない。
女房は冷酷にピシャッとドアを閉めるだけでは気が引けて、帽子を貸そうか、マスクを買って来ようかと提案する。
職人はマスクをすると余計苦しいから、帽子だけ欲しいと要望したので、女性が入浴時に髪を濡らさないために使う、ビニールで出来た伸び縮みするゴム付きの被り物を持って行った。
これなら耳まで被せられて都合がいい。中々良いアイデアである。
さすらいのタイル職人は、異様な出で立ちになったが、黙々と仕事を続けた。
時折、音が止むと、私も覗きに行ったが、狭い欲室内は粉塵で全体が白っぽくてよく見えない。
換気扇を回しっ放しにしてあるものの、密閉された空間では効果があまり無いようだった。
これでは中に入って張り具合を確認することも出来ないが、まぁ、技術レベルは先日分かっているので、昼になれば食事に行くだろうから、確認はその時にしようと思った。
ところが昼になっても一向に止める気配が無い。ネジを巻き過ぎて、腹も空かないらしい。
もっとも着ている服は動いただけでも埃が舞い上がるだろうし、眉毛まで白くなった姿では、食事に行きたくても行かれなかったというのが、実際のようだった。
そのまま夕方になっても断続的にタイルを切断する音が続き、果たして今日終わるものやら、こっちも心配になってきたが、6時を回ってようやく静かになった。
そ〜と引き戸を開けて中の様子を窺うと、職人は張り終わったタイルを清掃していた。あとは最後に白目地を入れるだけだから、もう30分もすれば終わりそうだ。
タイルとタイルの間に食み出たセメントも綺麗に取り除いている。こうすれば白目地をだって奥まで入るから、そう簡単に取れやしない。最後まで手を抜かないというのは、こういう事を言うのだ。
お舅さんは、化粧だから取れるのは当たり前だと言っていたが、ろくな掃除もしないで、ただ塗っただけだから取れてしまうのが分かっていない。

日本でも十分通用する完璧な仕上がり・・・・中国職人を見直した! |

細かいコーナーなども手を抜かずに施工・・・・アンタはえらい! |
自信を持って張り終わった、さすらいのタイル職人は、私に仕上がり確認をして欲しいと言ってきた。
ううっ、バタバタと修理人を煽るようにして出て行ったお舅さんとは、えらい違いだ。
私は目を皿のようにして検査したが、非の打ちどころなし、完璧な仕上がりである。
「謝、謝、はい、ご苦労さん。很好、とってもいい出来です」
日本語と中国語をごちゃ混ぜにしては、職人も何を言っているのか分からなかったろうが、私の満足した表情からOKと判断したようだった。この時、さすらいのタイル職人が始めて笑ったの見た。
女房が約束の200元を差し出すと、ちょっとはにかむ笑いを見せて受け取り、「再見」と一言いうと帰って行った。
あの、はにかむような笑いは何だったんだろうと思った。考えられるのは、
1.丸1日と夜間残業1日の作業で、200元も貰っては悪かったかな?の照れ笑い。
2.大変な作業だったことを考慮して、もう少し出してくれるかと思ったが、やっぱり200元だったかと苦笑い。
3.値切られるかと思ったが、何も言わずに200元くれたので、ホッとして思わず出た安堵の笑い。
その場に居合わせた私の印象では、どうも1番のような気がする。
なぜなら、埃塗れの大変な仕事内容については一言も溢さなかったし、自分のやった仕事に対して、施主がそれを十分に認めて褒めてくれたことで、満足している風があった。
もしそうなら、お金、お金に走る今時の中国人が多い中、仕事に対してプライドを持った希少価値的職人ということになるが、やはり私の買い被りだろうか?
だが一方で、これだけの技術があっても、肝心の労働対価が1日の稼ぎに換算して、片方の国では20000円、片方では100元(1500円)という現実に唖然としてしまう。
勿論、工事をお願いする方からすれば、涙が出るほど有り難いのだが、私などそれを通り越し、同じ建築の仕事に携わってきた者として、申し訳ないという気にもなってくる。
まったく人間は生まれた国、生まれて時代によっても、大きく人生が左右されてしまうものだが、そのハンデをバネにして成功した人も多いのだから、この職人さんにも是非頑張ってもらいたいものである。
お舅さんはすっかり懲りてしまった。
まだガラス仕切りが残っているのだが、またクレームを付けられては敵わないと思ったのだろう、女房を通じて「あとは自分達でやってくれ」と言ってきた。
フーテンの寅さんじゃないが、それを言っちゃぁ、お終いよ。
お舅さんが突っ返してきた400元は、女房がうまく取り持ってまた戻したと聞いているから、せめてここだけは決まりを付けてもらいたかったが、まぁ、ここまで拗(こじ)れてしまっては、お舅さんがそう言いたい気持ちも分かる。
「もうこれからはお父さんに何も頼めなくなっちゃったね」
「いいじゃなの、これを機会に自立するんだ、自立を」
そうは言ったものの、私が上海が好きな理由の一つに、身内に甘えられる居心地の良さがあった訳で、それが今日を限りに失うのは、やはり一抹の寂しさがあった。
「今度、何か修理があったら、下の管理事務所に聞いて、誰か紹介しもらえばいいよ」
お舅さんだってもう歳だ、遅かれ早かれ、その内みんなの面倒も見られなくなる。こっちから気を利かせて、肩の荷を軽くしてやらなきゃ、お舅さんは頼まれれば嫌だ!って言えないからな。
本人はみんなから頼りにされていることで、生甲斐を感じているのかも知れないが、そろそろ限界だよ。
人間、歳を取ると、何事も段々面倒臭くなるのは、亡くなった母親を見て知っていた。
あんなに綺麗好きだったのが、年末の大掃除も手を抜くようになり、終いには「年が変わるだけだから」とやらなくなってしまってから、3年後に亡くなった。
私も最近なんでも面倒臭くなってきたから、気をつけなくっちゃいけない。
帰国を翌日に控え、お別れの挨拶にお舅さん、お姑さんと甥っ子がやって来た。
蟠(わだかま)りはまだ解けていないから、何となくしらけた空気が漂っている。普通なら日本行きの話で盛り上がるところなのだろうが、どっちからもタブーのようにその話は出なかった。
二度目のタイル張りが上手くいったことで、私の憤慨した気持ちも大分収まっていたから、ここは恩讐を越えてサッと切り出せば、私もいい男なんですけどね。
そうすれば、ギクシャクした関係も一気に氷解すると分かってはいましたが、ちょっと躊躇(ためら)った。
よくよく思い起こしてみれば、6年前に訪日した時の大騒動は本当に大変だった。
お父さんたちにとっては普通のことでも、日本では通らないことが沢山ある。お姑さんなんか、上海に戻ってもしばらく大きな声が出せなかったというから、さぞや窮屈な思いをしたのだろう。
それに今回実現するとなれば、特別に煩い甥っ子も引き連れて来る。それは私が了解したのだから仕方ないが、まずは前回以上の騒ぎになることは目に見えている。
今考えれば、軽いノリで言えることではなかったと、後悔の方が重くなってきた。
タイル張りのトラブルが元で中止したと思われては、こっちも寝覚めが悪いが、まぁ、東京に戻り、女房ともゆっくり相談してからでも遅くないと思った。
もうすぐ桜の季節になる、どうやら今年は満開の桜を東京で見られそうだ。
後記
なんか尻切れトンボみたいな終わり方ですが、水漏れ騒動記も取り敢えずの完結です。
取り合えずというのは、肝心の工事はまだガラスの仕切りが残っていますからね。今度訪中した時に、自分達で手配して完成させることになります。その模様はまたご報告したいと思っています。
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