2006年3月
後に残った、一瞬にして嵐が過ぎ去ったような静寂、こっちだって本当に疲れちゃいましたよ。
これから浴室の掃除のやり直しだ。天井と言わず壁と言わず、どこもかしこも埃だらけだから、服がちょっと触れても真っ白になってしまう。一通り拭かなきゃ、トイレにも入れやしない。
私は雑巾片手に浴室に入り、初めて張り上がったタイルを見た。
お舅さんが、「彼らはとても丁寧で、細かいところにも気を配っている」という言葉を鵜呑みにして、上手に張れているものだと信じて疑わなかった事が悔やまれた。
「なんじゃぁ!これは!」
いきなり素っ頓狂な声を上げたので、女房も何事かと飛んできた。
私は怒りと落胆で米神がプルプルと震えてきた。
とてもタイル張りのプロがやった仕事とは思えない、素人が寄って集って張り付けた様な出来映えだった。
タイルとタイルの継ぎ目は乱雑に曲がり、隙間の有るところと無いところが交互に並んで、まるで遊び半分で気紛(きまぐ)れに張ったように見える。
壁の凸凹も気にせず、縦横の寸法を決めないで張り始めたから、片方で合わなくなり、無理やりタイルを少し切ってこじつけた箇所もある。
それだけならまだしも、切り方がいい加減だから角がギザギザで、素足で入るシャワー室では危険極まりない。
あれっ!割れたのをそのまま張り付けてしまったところもある。ウウッ、言語道断!プロにあるまじき所業!
あの修理人め!タイルを100枚も買わしておいて、どうも多いと思ったら、しっかり失敗分まで計算に入れていて、多分20枚くらいはお釈迦にした筈だ。
それで足らなくなったからって、なにも惚けて割れたのを張ることないじゃないか!
お舅さんも彼らが言ってたことの受売りで、「タイルの枚数は、ちょうどピッタリだった」と褒めていたんだから、まったくお人好しって言うか、こうなると茶番だね。
床は目で見ただけでも真ん中で窪んでいる。これでは水溜まりが出来て、年中湿気っぽくカビが生えそうだ。
まだある!右側の棚壁と床のタイルの継ぎ目(目地)が合っていない。あれほど目地はきちんと合わせてくれと頼んでおいたのに、何でわざとこういう事するかな〜、1cmや2cmは許容範囲だと思っているのかね!
仕上げの見栄えを一番汚くしているのは、清掃してから最後に入れる白セメント目地だ。ろくに掃除もしないで塗っただけだからすぐ取れてしまい、下地の黒いセメントが見えて、全体が斑(まだら)模様になっている!
これは私が内装に詳しく、日本人で几帳面過ぎるということを割引いても、到底許せる限度ではない。
「驚いたねぇ、これでよく金が取れたね〜」
「そぉ、そんなにひどいの?」
「おっ!さっきなんて言ってぁ?飯代別に出したってぇ?そんなに払うことなんかなかったんだ!」
私は自分がもう少し出してやれと言ったことも忘れて、女房に八つ当たりしてしまった。
女房はもう出来ちゃったんだから仕方ないという顔をしていたが、私にすれば、このままじゃシャワーを使う度に気分が悪い。
かといって、私が気に入らないから全部張り替えると言い出せば、お舅さんも面子を失くし、きっと面白くないだろう。
ここはやっぱり私が耐え難きを耐えて、矛先を収めるしかないのか。
東京の家だったら、こんな素人よりも酷い仕事は見逃したとあっちゃ、いい笑い者にされるだけでなく、私自身が納得していると看做(みな)されて、よりいい加減な人間だと思われてしまう。それが日本村というものだ。
まぁ、ここは上海だから知り合いも少ないし、遊びに来る友人も滅多にいないから、あとは私さえ得心すれば丸く収まるのだが、それが分かっていても尚許せない。
同じ建築の仕事を長くやってきた人間として、今日の修理人にはプライドがないのかプライドが!といってやりたい。
自分の技術が未熟なら引き受けなきゃいいだろうとも思ってしまう。 お舅さんもお舅さんで、肝心の技術レベルなどまったく考えずに、単なる知り合いというだけで連れて来てやらせたって、うまく行く筈がないんだ。
怒り心頭の私を落ち着かせるよう、女房が中国側の事情をフォローした。
「あの修理人たちには、まだそんな余裕はないんだよ、プライドで仕事なんかしてたら干上がっちゃうからね」
「お父さんだって古い考えのままだから、ほんとにこれでいいと思ったんじゃないかなぁ、あんたをわざわざ怒らせるような悪気はなかったと思うよ」
当ったり前だ!悪気があってたまるものか!そんな事は分かっている。
ただ、どこを見てたんだか知らないが、「彼らは凄く神経使って、丁寧に仕事している」なんて平気で言える神経が堪らない。これじゃ、騙されたみたいなもんだ!
「じゃ、どうするの?張り直す?」
「う〜〜ん、張り替えてくれっていったら、お舅さんきっと怒るだろ」
お舅さんとはもう長い付き合いだから、即座に返ってくる言葉は大体想像がついた。威圧するような大声で、「これのどこが悪いんだ!どこだってこんなもんだ!」なんて、そう言うに決まっている。
「よく分かってるじゃない、あんたもお父さんの性格が分かってきたね」
「そりゃ、分かるさ。だから、ここは良く考えなきゃいけない」
「私が上手く言うからさ。あんたがシャワー入る度、嫌な思いをするんじゃ、張り直したほうがいいよ」
「まてまて、言ったら最後、タダじゃ済まなくなるぜ。折角、いまお舅さんともうまくやっているのに、こんなことで気まずくなっちゃうのは詰らないよ」
言い出したら聞かない女房は、私が「慌てるな!」と制止するのを振り切り、お舅さんが帰宅した頃を見計らって電話を掛けた。
女房から電話があるちょっと前の李家。
お舅さんは帰る早々、靴を脱ぐのももどかしく、今日突然降って湧いたような朗報をお姑さんに話していた。
「婿さんが今年の夏に、また私らを日本へ招待してくれたよ」
それを聞いたお姑さん、お舅さんの冗談かと俄かには信じられない様子。そんな話になるまでの経緯を聞いて、ようやくホントのことだ分かり、喜びで目を白黒させた。
「それは有り難いけど、孫はどうするのさ?そんなに長く置いてなんか行けないよ」
「それがさ、話の分かる婿さんで、一緒に連れて来いって言ってくれたんだ」
嘘、嘘、俺はそんなこと言ってやしないよ あくまで仕方なくだよ。
電気代節約のため、滅多に暖房などつけない寒々とした李家のリビングは、一足飛びに春が来たような暖かさに包まれた・・・・・・・そこへ女房からの電話が掛かってきた。
「お父さんが行っちゃったあと、張り終わったタイル見たけど、とっても酷いよ。あれじゃ、私も嫌だから、固まる前に剥がして張り直してくれない?」
女房は自分が納得出来ないからという形をとったが、勿論、お舅さんは私がクレームをつけたと直感しただろう。女房も、もう少し捻った言い訳をすればいいのに、これでは見え見えである。
お舅さんは二言三言、「そんな無駄なことなんでする?」と聞き返したが、いつもの剣幕はなかった。
たった今、老夫婦揃って喜んだばかりの日本行きが、頭を過ぎったのかも知れない。拍子抜けするくらい穏やかに、「明日、見に行くから」と電話を切った。
傍で聞き耳を立てていたお姑さんが、大きな溜息を一つついて呟いた。
「あ〜、これで日本行きは恐らく駄目になったね」
状況把握はお姑さんの方が早い。お舅さんは、それとこれは話が別だと言い張ったが、連れ合いも婿も頑固な性格からして、丸く収まるとは到底思えなかった。
結婚して10年も経つと、女房というものは親よりも亭主の味方をしてくれるようだ。
それは有り難いが、時に先走りしてしまうから、嬉しいやら怖いやらである。
「明日の朝、お父さんが見に来るって!」
「喧嘩しないで上手く言ってくれよ、あんまり揉めるようなら、タイルはあのままでもいいからさ」
中国人の声が大きいのは今更驚きもしないが、父娘で親子の縁もこれまでというような言い争いをされては、こっちが居た堪れない。
普段でもこの父娘、何気ない話から、急に大声を出した怒鳴り合いになることがあるから心配だ。
女房は別に冷静に話をしているというが、とてもそうは見えない。未だに中国語がトンチンカンで、話の内容が分からない私など、語気の荒さから、どうしても喧嘩が始まったと思ってしまう。
翌朝、お舅さんがやって来た。
あんたが一緒に居ると話が余計ややこしくなるから、と女房に言われ、私は自分の部屋に引っ込んだ。
案の定、心配した通り、声高な舌戦がすぐに始まった。
お舅さんはタイル張りの不出来を謝るとか、認めるとかする気持ちは毛頭なく、ただひたすら怒鳴る。
女房も負けじとキンキン声で応酬すると、お舅さんの声は更に大きくなった。
さすが、面と向かって私には文句を言えないようで、その矛先を女房にぶっつけているように聞こえる。
予想していた展開とはいえ、私はその成り行きをハラハラしながら聞いていたが、そのうち私が直接怒鳴られているような錯覚に見舞われ、お舅さんの一方的な剣幕に段々腹が立ってきた。
不出来なのは誰が見たって一目瞭然なのに、それを開き直って怒り捲くる気持ちが理解出来ない。
私だってお舅さんの出方一つでは、どうしても張り替えるとは言わないつもりでいた。
「あぁ、ほんとだね、これはあまり良い出来とは言えないな。婿さん悪かったね」
開口一番!穏やかに、このくらいのことを言ってくれれば、不承不承でも収まった確率は高かった。
だが、そんなクレームをつける方が悪い!なんて言い方をされては、もう私だって黙ってはいられない!
私はイスを蹴ると、急ぎ足で浴室に向かい、口角泡を飛ばして主張し合う二人の間に割って入った。
「なんだってんだ!これで上等だってか!」
私は気に入らない箇所を、一つ一つ説明したが、お舅さんはまともに聞いてやしないだろう。
どうせこの間も、反撃の言い訳や屁理屈を考えているに決まっている。
いいだろう、私は議論下手だから、いきなり切れるぞ!
一頻(ひとしき)り私の説明を聞いたら、思った通り、あれこれ言い訳にもならない反論をしてきた。
1.タイルは寸法の違うのがあるから、目地が合わないのは仕方ない。
タイルの寸法が多少違うのは承知!それを目立たないように張るのがプロというもので、そんな事は理由にならない。第一、片面の15mmも違うってのはどういう訳?
合わせる気なんか最初からなかったと言われたって仕方ないところだ。
2.斑(まだら)になっている白セメントの目地は、ただの化粧だから、すぐに取れるのは当たり前。
何を仰るウサギさん、そんな簡単に取れてしまうものなら、塗らない方がまだマシだ。キチンとした施工法でやれば、そんな簡単に取れる筈がない。
3.ギザギザ床タイルは、こんなんで怪我なんかしないから、没関係、大丈夫!
そりゃそうだ、お舅さんは大丈夫だろう、怪我をするのは私なんだから。
まったくああ言えばこう言うと、往生際が悪い。謝らない、認めない、典型的な上海人気質なのだろう。
私もそんなに気は長くないから、ブチ切れるタイムリミットは近い。おっと3、2、1、・・・・・・プッツン!
「あ〜、ごちゃごちゃ言うんなら、このままでいい!俺はこんなシャワー使わないからな!」
突然、ジキルとハイドのように変身した私の逆襲に、思わずお舅さんもたじろいだ。
女房は、「あぁ、とうとう切れたか」という顔をしている。
「おう、ちょうどいい機会だ!こんなマンション売っ飛ばしてやる!」
上海で初めて年を越した今回、日の当たらない北向きの部屋の、底冷えする寒さに随分泣かされた。
上海景気にも陰りが出始め、不動産が3割くらい値下がりした現在、思い切って南向きの部屋に買い替えようかと、女房とも話していた矢先だった。
場の雰囲気を読み取る才能に長けたお舅さん。普段は大人しい?私の意外な反撃に、これは不味いと思ったか、慌ててタイルの張替えに同意する意思を見せたが、もうブレーキは掛からない。
「昨日の二人に話して、タダでやり直しをさせるよ」
「やめてよ!あの二人には技術がないんだから、また同じ結果だよ!お金の問題じゃないんだ!」
この期に及んでもまだ分かっていない。最早、交渉決裂!もうタイルの張替えなんかどうでもいい。
義理の親子とはいえ、初老の頑固親父二人。日本人と中国人、通して見せましょ、面子と意地。
ミニ国際間、仁義なき戦いの勃発で、最悪の展開と様相を見せ始めた。
「チケット手配しろよ!片道でいいぞ!もう上海なんか来ないから!」
「日本招待もご破算、なし!なし!東京で怒鳴り合いしなくてよかったよ」
激昂した私のセリフを、女房が全部通訳したかは定かでないが、お舅さんは思わぬ事態に発展したことを驚き、別のタイル職人を手配すべく急ぎ出て行った。

上海の高速道路・・・・人間も考え方の違いで、右と左に泣き別れ |

ケーキをレンゲで食べる・・・・中国人と付き合うのは難しい |
1時間ほどしたら、浴室からカン、カンと音がし出した。まさか、もうタイル職人が来た訳じゃないだろう。
今度来る職人も腕がいいとは限らないから、私はフリーハンドで簡単なタイル割り図を描いていた。
「お父さんがタイル剥がしているよ、あんた行かなくていいの?」
女房が呼びに来た。腹立ち紛れに、ここで無視しては益々溝が深くなるし、子供の喧嘩じゃないんだから、第一、いい歳して大人げない。
そこで狭い浴室に大の男が二人で入り、シコシコとタイル剥がしが始まった。行動は一緒だが、無言の作業。
お舅さんが剥がして、私がタイル裏のモルタル糊を削ぎ落とす。女房が再利用出来そうなタイルを、玄関脇に積み上げる連係プレー、何とか和解のきっかけを作りたい女房は一人で喋り捲くる。
「明日の夜、新しくタイル張る人が来るらしいよ」
「ふ〜ん、案外早く見付かったね」
「今度の人はタイル専門の人だから、昨日の人より上手と思うよ」
是非、そう願いたい。昨日の修理人は建設の仕事に携わっていても、恐らく資材運搬や土工事が専門ではなかったかと思うほど下手だった。
お舅さんは終始気まずい雰囲気が漂う中、タイルを剥がし終えると、不足分を買ってくるといって出て行ってしまった。いつもならソファにどっかと腰を下ろし、お茶を啜って、しばらく馬鹿話をしていくのに・・・・・
後記
毎度、話が長くなって反省シキリの鉄人です。
辛抱強く読んで下さっている皆さんも、そろそろ限界かと察しますが、残念ながら話はもう少し続きます。
上海生活7年目にして、ひょんな事から巻き起こった義父と婿の火花散る対立!
行き着く先に果たして和解はあるのか、次回 14章 叔父さんは日本鬼子!でまたお会い・・・・・・してください!
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