2006年2月
女房の奴、工事期間中は早く起きなければならないので機嫌が悪い。
2日目も修理人は早く来た。今日はタイル張りの下地を作り、出来れば少しでも張り始めたい様子だ。
元建築屋の私には、そのくらいの工程は手に取るように分かる。
だが、肝心の監督兼手配師のお舅さんが、まるで分かっていない。今日から張り始めるというのに、まだタイルの手配もしていないので、外野の方がヤキモキしてしまう。
女房をせっついて、そこのところを確認させると、悠然と「これから買いに行く」と、のたまった。
行くなら私も同道して、タイルを選びたい。だが、この状況じゃ、ゆっくり選んでいる暇は無さそうである。
昨日、無駄口叩いて、長靴のままリビングでお茶なんか飲んでる暇があったら、なんで「タイルを買いに行こう」と言ってくれなかったのか、またちょっと不満レベルの数値が上がった。
お舅さんの助動車に修理人を1人乗せ、私らはそれぞれの電動自転車で、後ろを着いていった。
うちのマンションは、こういう時には真に都合よく近くに建築資材市場が控えている。
道路をゆっくり流しながら走っていたら、すぐにタイル市場が見付かった。
店内のディスプレーは、人造大理石のようにツルツルしていて、割と大きいタイルが多く、畳1枚分くらいのシャワールームに張るには如何せん合わない。
しかも表面がツルツルだから、滑って怪我でもしたら大変なので、店員にどう勧められても頑として拒否した。
修理人も切ったり張ったりするには大きい方が都合がよいのか、あまりよい顔はしなかったが、お客は私だと無視した。そこで表面に滑り止めが施されていて、大きさは精々200角くらいが適当と目星を付け、それに近いものを探した。
探せばあるもんで、色といい表面の凹凸といい、申し分ないのが見付かった。大きさもちょうど200角である。
更に値段を聞いてまたビックリ、日本なら恐らく1枚300円近くするタイルが、たったの3元(45円)だった。
まぁ、得てしてこういう風に喜んだあとには、ガックリする事が待っているもので、やはり在庫がないのだという。
明日の朝には間に合わせると店側は言うが、今日張り出したい修理人は渋い顔。
でも、折角、気に入ったのがあったのだから、修理人の為に変える気はない。これも元はといえばお舅さんが、昨日買いに行こうといってくれなかったからだ。
こっちが揉めているというのに、当の本人は少し離れた場所で、携帯電話の真っ最中。
バイク宅配のアルバイトも休めないので、会社から要請があると、ちょこちょこ抜けてそっちの仕事もしている。
今も電話で、至急こっちへ来るよう催促されている。お舅さんは早くそっちへ行かなきゃならないから、揉めてる私らを一喝して、「タイルは明日でいいから、朝一番で届けてくれ」と店に強く念を押した。

レンガ積みの下地作り・・・・野菜洗いのボールがセメント入れに |

さぁ、タイル張るぞ!・・・日本人はうるさいから、キチンと張ってね |
結局、修理人はレンガを積んでモルタルで下地を作ったら、タイルがないので3時頃帰ってしまった。
目先がはしっこくて、機敏に動くお舅さんにしては、随分と間の抜けた段取りである。
私らはちょっとホッとした。寒くて冷える冬場で、トイレが使えないのを一番困っていたところだ。
一所懸命仕事をしているところを、ちょっと出てくれとも言えず、我慢の限界に挑戦する羽目に。
「さっきイッタのに、またしたいの?」
「うん、我慢できないんだよ」
「それじゃ、イクときは私もイクから、もうちょっと我慢してよ」
ここだけ聞かれたら、なんてまぁ、好き者夫婦だと思われてしまいそうだが、実際はそんな艶っぽい会話じゃなくて、なんの事はない二人連れ立って、1階の管理事務所までトイレを借りに行く相談なのだ。
心配だった翌朝配達されるタイルも夕方には届いた。これで準備OK、落ち着かない環境も明日で終わる。
もう1日の辛抱だが、明日はタイルの切断で、音も埃も一層覚悟しなければならないことに、気の重さを感じた。
いよいよ決戦の朝を迎えた。
今日はまた冷え込みが一段と厳しく、窓を少し開けただけでも凍えるような冷気が入り込んでくる。
上海ではここ10年くらい雪らしい雪は降ったことがないと、お姑さんは言っていたが、どうも雪でも降ってきそうな気配である。
修理人は1人が切り割りして、1人が張る、連携プレイでやるらしい。厚6mmくらいのタイルなら、硬い刃物で表面の釉薬を切れば割れるのを、私も現役中に散々見たから知っていた。
1人が外廊下に出て切り始めたが、どうも何か台でもないとやり難そうである。お舅さんが女房に台になるようなものがないか聞いていたが、そんなものある訳がない。
お舅さんはふと目に付いた、寝室にある化粧台の平たい椅子を、女房にいいか悪いかも聞かず、さっさと持っていってしまった。まったくええかっこしいのお舅さんには困ったもんだ。
だいたい監督なんてものは、修理人の便宜よりも施主の利益を優先させなきゃならないのに、まるで分かっちゃいない。
中国タイル工の技術レベルを観察するため、私も寒いのを我慢して外廊下で、それをしばらく見ていた。
修理人は化粧台イスの上にダンボールを乗せ、そこにタイルを重ねて置き、寸法を決めたらポンチのように鋭く尖った道具で一気に引き下ろした。普通これで折るように力を掛けるとパン!と音を立てて割れる筈だ。
・・・・・・筈だから、確定ではなく、予想とは違う結果になる事もたまにはある。
修理人がグッと力を入れた途端、パッキ〜ンと音がした。パン!ではなくパッキ〜ンだから、私は音だけ聞いても失敗したなと分かった。事実、手を上げた台の上には、無残にも四方八方に割れたタイルがあった。
まっ、日本の職人だって失敗する時だってあるから、1枚2枚は仕方ないと思っていたが、次もパッキ〜ンと甲高い音が外廊下に響いた。おいおい、しっかりしてくれよ、そのタイル1枚あんたらのお昼より高いんだぜ!
タイルの切り割りは熟練を要する。筋を入れた線で綺麗に折れるとイメージして、一気に力を掛けないと中々思うように割れてくれない。
割れるかなぁ〜なんて心配しながら、恐る恐るやっては力が分散して、結局は失敗してしまうのだ。
私はが傍で見ていて余計なプレッシャーを掛けている所為かと思い、玄関口に入り、ドアを少し開けて姿が見えないよう耳を澄ませていたが、やっぱり外廊下にパッキ〜ンの音が木霊していた。

上海も10年振りの雪景色・・・初めての冬体験なのにラッキー! |

公園の樹木も雪化粧・・・降り止んだら、すぐ融けてしまったが |
外はやはり雪が降り始めてきた。上海では滅多に見られない雪景色である。
お舅さんもさすがにこれでは不味いと思ったか、雪が降りしきる中、急ぎ知り合いの工具屋へ行って、電動カッターを借りて来た。
よしっ!これさえあれば百人力、もう終わったようなものだ!と修理人が思ったかどうかは定かではないが、どうにか今日張り終える希望が出てきた。
「お〜い、なにかセメント入れられるような入れ物ないか?」
今度は捏ねたセメントの入れ物ときた。まったく何にも持ってきてないんだなぁ、日本じゃ信じられないよ。
女房はうろうろ辺りを探し回っているが、元々無いものは探したってないよ。
「そこの赤いバケツはどうなんだ」
「あっ、それは深過ぎてダメなんだって」
じゃ、無いよ!と冷たく言い放ったが、修理人の方は無いでは済まないらしく、女房は仕方なく厨房へ行って、野菜を洗う時のボールを持ってきた。
「しょうがないよね、これと同じのまた買ってくるから」
上海では女房より私の方が厨房に立つ機会が多い。7年もの長い間、苦労を共にしてきたボールが、無残にもセメント塗れになって打ち捨てられるのは忍びなかったが、ここでゴネても見っとも無いだけと諦めた。
タイルの切断人は外廊下で1枚切ってみたが、煙幕のような埃と物凄い音で響く切断音に恐れをなし、これは狭い浴室内で切るしかないと思ったようだ。
必殺便宜人!のお舅さんは、狭い浴室内に2人が入り、そこで切断するのは余りにも酷と考え、玄関口でやらせようと画策しているのが発覚!
ただちに、「やるんなら手前の天井からシートでも垂らして、目張りでもしなかったら、もうこの家には住めない!」と言ってやった。何をそんなに修理人へ気を遣っているんだ、娘や婿より大事なのか!
浴室が狭いのは分かっていた筈なのに、大体、2人も連れて来る方が悪いんだ。
なまじ、内装のセオリーを知っている私は、余りの段取りの悪さに、段々怒りが込み上げてきた。
すっかり切り割りに自信をなくした修理人は、電動カッター切断に切り替えた。一日中ほとんど絶え間なく続く物凄い音に、日頃、静かな二人暮らしの私は、妙に落ち着きを失い、理由のない苛立ちを覚えた。
浴室の中もモウモウたる粉塵で息も出来ないのは想像できるが、彼らはそれが仕事じゃないかという気になってきて、何も浴室を直すのはうちだけじゃないだろうと考え、こんな現場は度々やってる筈だと思ったりもする。
「それならあんたが中に入ってやってみろ!大変さがよく分かるから」と言われれば、私だって言っちゃあ悪いが、経験がない訳じゃない。若い頃は散々こういった現場をこなしてきているから、よく分かるんだ。
時々音が止むと、お舅さんは様子を見に行く。浴室の入口引き戸を開けて立ち話をしているから、それだけで白い粉塵が舞いながら部屋に流れ込んでくる。
天井換気扇を回しっ放しにしているが、恐らく粉塵で目詰まりして、もう使いものにならないかも知れない。
「お舅さん、何を指示しているのか、ちょっと聞いてきてよ」
お舅さんは建築の事は専門的にはよく知らない。あっちこっちで聞きかじった知識だけで、一端の監督気取りをするから始末が悪い。
さっきも床タイルを張っていた修理人に、床が高くなるから、そんなにセメント糊を付けるなと指示していた。
セメント糊はある程度厚く付けないと、下地の凸凹が吸収出来ないのはタイル張りの常識なのに、無責任にもこういうことを平気で言う。
お舅さんにすれば、床を少しでも低くして、私らに使い易くしようと思っているのだろうが、優先順位がまるで違う。
余計な事は言わないでくれ!といってしまえば簡単だが、面目は丸つぶれ。自分ではしっかり監督していると思い込んでいるところに悲劇がある。
「なんて言ってたの?」・・・・・私は戻ってきた女房に畳み掛けた。
「うう〜ん、つまんない事言ってたよ」
「だからさぁ、なんて言ってたのよ」
「あんたのところのトリは幾らするんだ?何て聞いてたよ」
トリとは売春婦の事である・・・・・・・駄目だ、こりゃ、まったく何やってんだよ、お舅さんは〜
私も乗りやすい性質だから、その先を聞いてみた。
「それで修理人は何ていってた?」
「20元だっていってたけど、分からないよ。相手はお婆さんかも知れませんしい」
「ほぉ〜20元か、安いねぇ」
連続して半年も上海にいたら、女房の日本語も大分おかしくなってきた。もうそろそろ帰らんといかんなぁ。
「彼らはすごく真面目だよ、細かいところも手を抜かないし、とても丁寧にやってるよ」
監督しに行ったのではなく、トリの雑談をして戻ってきたお舅さんは、私らを安心させるようにそう言った。
あの埃の中で、どこを見てきたのか知らないが、平然とそう言い切るところがお舅さんらしい。
まったく何をやっても憎めないところが、このお舅さんの身上なのだろう。
「お舅さんのお蔭で何とか終わりそうですね。ありがとうございました」
私が改まった言い方で頭を下げたのを見て、お礼を言われていると感じたのか、少し照れながら「没関係、没関係、大丈夫ですね〜」と、いつものように両手を広げたゼスチャーを見せた。
私は煙草の臭いが好きでないお舅さんに気を遣い、窓を開けて、一服した煙を外に吐き出しながら、ふと、また日本へ招待しようかという気持ちになった。
前回の訪日から、早くも6年が経っている。どっちにしても、もう1回来るなら、元気なうちに来てもらった方が、本人たちもきっと楽しいに違いない。
「ど〜お、お舅さん、また東京遊びに来る?」
私の意外な申し出に、女房もちょっと驚いた様子だったが、通訳してそのまま伝えた。
お舅さんは思わぬ誘いに、宝くじにでも当たったような表情で、「は〜い、ありがとごぜます〜」を繰り返した。
女房には異存がある筈もない。普段は倹約していても、身内に使う金は別なのを私はよく知っている。
そうと決まれば女房も途端に乗ってきた。
「それなら上海から大阪まで船で行きたいよ。私は一遍やってみたかったんだから」
「おう、それもいいな、ついでに大阪見物もしたらいい。どうせなら京都も見せたいね」
まだビザの申請もしていないのに、気分はすっかり東京へと盛り上がってしまった。
お舅さんはちょっと畏(かしこ)まって、静かに喜びを噛み締めているようだ。
「あれ!一つ大事な事を忘れていたぞ、甥っ子はどうすんだ!」
昨年離婚した義弟は、息子の面倒をお舅さんとお姑さんに任せっ切りにしている。そんな状態で、長期間留守にする事は到底出来そうもない・・・・・・あ〜〜夢が萎む、萎む。
「大丈夫よ、夏休みに一緒に来れば問題ないよ」
いやいや、大いに問題があるぞ、あいつは落ち着かなくて煩いからな〜。毎日追い掛け回して、「勉強しろ!」とお舅さんがあの大声で怒鳴りつけていたら、近所じゃ何事が起きたんだと大迷惑だ。
それが1ヶ月以上も続くかと思うと、やはり甥っ子を連れて行くのは無理だ。
東京の家は上海と違って周りも静かだから、大声を注意すれば今度は声を出さずに叩くだろうしな。そうすりゃ大泣きして、そっちの方が反って煩くなりそうだ。
「大丈夫よ、私がよく言って、毎日公園で勉強させるから」
「毎日公園に行くったって、真夏だぞ、暑くて堪んないだろ」
女房は折角盛り上がった話を、途中で頓挫させてなるものかと、あれこれアイデァを搾り出す。
女房の熱意に押され気味である。私も物忘れが酷くなったのか、お舅さんたちが6年前に訪日して巻き起こした騒動をすっかり忘れている。確かもう二度とご免だと思った筈なのに、何でまたそんな気のなったのか分からない。
忘れた事は無理して思い出すこともないだろう、ええ〜い、この際だ、みんな纏めて面倒見ちゃうか!
午後6時近くになり、修理人も最後の追い込みのようだ。
工事が終わったら賃金をすぐ払わなければならないが、幾らにしたらいいか、女房が聞いてきた。
賃金は確か1日70元と決めてあった筈だが、お舅さんが埃だらけになって頑張った彼らに、少し余分に払ってやれないかと暗に仄めかしてきたらしい。
私は、「まぁ、お舅さんの顔もあるだろうから、少し余計にやったら」と言ったが、最初に70元と決めてあったので、女房はどうも釈然としないようだった。
そこで熟慮した結果、2人で3日420元のところ、帰りの食事代込みで600元と決めた。これなら1日90元(1350円)になるし、修理人も少しは儲かったと納得するだろうと思った。
お舅さんの声が一段と高くなり、自ら陣頭指揮に立って、粉塵で真っ白になった浴室内を清掃しているようだ。
バタバタと適当にやっつけると、私に仕上がりの確認も取らず、修理人を煽り立てるように出て行ってしまった。
これから食堂で、さも自分の奢りだというような顔をして、修理人に料理を振舞う姿が目に浮かぶようだ。
まったく、お舅さんの名調子には敵わない。
女房はいざお舅さんにお金を渡す段になって、頭のてっぺんから爪先まで白い粉だらけの修理人を見て気の毒に思い、食事代込みで600元に決めていたのを、新たに食事代として50元余分に払った。
それを聞いた私も、「いいんじゃないかぁ」と気のない返事をして、どっち転んでも1000円足らずの違いだから、気にも留めなかったのだが・・・・・・
後記
いよいよ騒動の核心へと入っていく次回、13章.蜜月の終わり!にご期待ください。
・・・・・・でも、誰も期待なんかしていないような、薄ら寒さも感じるんですがね。
いいんです!ここまで書いた以上、気にせず完投します。
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