儲かりまっか?上海

4.仕事をちょうだい!

                                                      2004年7月 
 
 上海人庶民も豊かになりたい一心で、足掻(あが)き、悶え、いま一生懸命模索している。
やれ好景気だ、やれ金儲けだと上海の世相は浮かれているようだが、その実、仕事がなくて困っている人達も結構大勢いるのだ。
お舅さんも58歳でレイオフされて以来、色々な商売に手を出した。私が聞いただけでも理容所に弁当屋、パソコンの営業マンに賓館やマンション夜間警備員と多彩だ。

 理容所は最初から上手くいかなかった。なんせ経験もないのに、いきなり店を出すのだから度胸がいいというか、浅はかというか、如何にもお舅さんらしい。
中国ではこんな場合、名義借りが常識である。交際範囲の広さに物を言わせ、トッとと名前を借りてきた。実務は理容免許は持たないが、一応経験のあるモグリ理容師を据えた。
よく路上の青空の下、2元、3元で頭を刈っているような、そんな人をどこからか引っ張ってきのだ。
開店までに当時とすれば大金の3000元を注ぎ込んだ。
大金といっても、李家にとって捻出するのが大変だったという事で、実際には物価の推移などを考えると、恐らく円で10万円くらいだったろうから、驚くほどの金額じゃない。

漲(みなぎ)る自信、不安な技術、貧弱な設備だが、人間何事もヤル気が一番と胸を張った。
この商売、社交的なお舅さんには、仕事をしながら人と話が出来るのが一番魅力に映ったらしく、儲けは大した事はないが毎日が楽しかった。
さすがお舅さんの客あしらいこそ上手かったのだが、肝心の理髪にいたっては、在り来たりの散髪しか出来ない。当然のようにパーマも掛けられなければ、少し変わった注文にも応じられない。
いくら金持ちの少ない下町とはいえ、出来栄えはお洒落とは程遠かった。
自然と客足は減り、赤字が続くようになって仕方なく店を閉めた。
店にある売れるものはすべて処分し、閉店した日にお舅さんは店の椅子を1脚持って帰った。
お姑さんは「これが3000元の椅子か」と深い溜息を漏らした。

 次に始めたのは、レイオフ前、会社の食堂管理を任されていたノウハウを活かし、弁当屋を開店させた。
今度こそ失敗は許されない。鷹揚なお舅さんも、いつになく気合が入りヤル気に燃えた。
選り取り見取りのおかずが3品と、山盛りのご飯を別々のパックに入れて5元(65円)。私ら夫婦ならボリュームがあり過ぎて、1パックを2人で分けて丁度いい。
物価の上がった昨今、庶民の味方である5元の弁当屋は少なくなった。よほど下町へ行かないと、もう見られなくなってしまった。

弁当屋は利の薄い商売であるから人を雇わず、お舅さん自ら捻り鉢巻で中華鍋を振った。
この商売に賭ける意気込みがひしひしと感じられる。・・・・・・・だが、これがいけなかった。
マメなお舅さんは家庭でも料理作っていたから、恐らく自分では自信があったのだろう。確かに手際はよかったが、如何せん肝心の料理が何たって不味かった。
オーナーの大雑把な性格を反映してか、第一味付けがいい加減で料理の味がその都度違う。
どんな料理も最後には大量の味の素を入れて誤魔化してしまうのだから、まぁそれも頷ける。
昼時になると客が群がったのは最初の内だけ、日を追う毎に一人減り、2人減り、店先は櫛の歯が抜けていくような寂しさが漂った。
お舅さんは焦ったが、何故客が寄り付かなくなったか原因が分からない。まさかそれが自分の料理の腕にあるとは露ほども思わなかったのだから、よくよくお目出度く出来ている。
まぁ、これは往々にして上海人にいえる事で、何か失敗しても自分の責任だとはまず認めない。
声を荒げ、体の五感を総動員しても、これ自己弁護と言い訳に徹する。あまつさえ関係ない人のせいにまでしてしまう傾向があるから、とてもウカウカしていられない。
5元弁当
下町の5元(65円)弁当屋・・・・ボリュームは2人前
家庭火鍋
李家の接待料理・・・・・私が唯一食べられる火鍋

 そして善戦空しく、またしても敗れ去った。そんな原因の分析など真面目にするお舅さんではないから、いまだにその料理スタイルは変わっていない。
女房の味オンチの原因が明らかになったような気がした。これはお舅さんの責任が大である。
不味いものでも毎日食べていれば、いつしかそれが懐かしい親の味、故郷の味となってしまう。
今でも時折、食事の招待を受けるが、女房だけ行かせて私は何やかや理由を付けて断っている。
マンション内装時に居候していた時の悪夢が、骨の髄まで染み渡っているからだ。
日本人の遠慮がちな慎み深さ、人の好意を思い遣る心。一口食べてこりゃ不味いと思ったが、突いて出た言葉はそれとは裏腹に「美味しい」・・・・・あぁ〜なんて事を言ってしまったんだ。
料理が何品出ても基本的な味付けは同じで、それも怖ろしく薄い味付けだった。
糖尿病患者じゃないんだから、もちっと何とかならないかと思ったが、私の賞賛を真に受けたお舅さんは以後も改善の兆しなく頑なにペースは守られた。
最近はお互い遠慮がなくなったので、歯に衣着せずバシッと指摘出来るようにはなったが、さりとて格段に美味くなった訳ではない。



 次にはもう開店資金のめどが立たず、已む無く勤めることになった。
背に腹は変えられず、メンツより実を取ったのだ。
お姑さんはホッとして「これで損しないで済む」と喜んだのは言うまでもない。
日本でも一度社長をやった人が、時代の流れで負け組みに回ったとはいえ、ガードマンや掃除夫にまで身を落とすのは、かなりの抵抗と葛藤がある筈。
だがお舅さんは切り替えが早い。すっかりサバサバした表情で、夜になると賓館の夜警の仕事に出掛けて行った。
この賓館、3つ星でも下のクラス、宿泊客は殆どが中国人でみんな何処となく品が悪い。
オーナーは名にし負うケチで評判の人であった。それが元で従業員も長続きせず、夜警の募集は随時行われていた。本来なら当時60歳を目前にしていたお舅さんには、就職口を見付けるのはかなり難しかったと思われるが、そんな裏事情からすんなり採用が決まった。
勤め始めて分かった事だが、賓館警備にはオーナー自ら定めた様々な厳しい規定があった。
勤務時間は夜10時から翌朝6時までで、その間は仮眠は勿論、椅子に座ることも許されない。所定の位置にて微動だにせず警備に付くか、ひたすら賓館内を巡回するかである。
給料は700元と相場より若干良かったが、もしこの規定に違反すれば1回に付き50元の罰金が、給料から容赦なく天引きされた。そこまで計算した経営者は頭がいい。
ここでオーナーのケチ振りが遺憾無く発揮される。夜毎、時間差攻撃で警備員の監視にこっそりやって来る。もし警備員が睡魔に負けて居眠りでもしていようものなら、すぐに見咎め違反状況を手帳へ書き込んで行く。まるで警備員の給料を少しでも減らすのが目的のような所業であった。
B型人間のお舅さんは、夜勤明けでも昼間ジッとなんか寝ていない。2、3時間寝たかと思うと、シャキッと目を覚ましフラフラ街へ出掛けてしまう。
歳の割には確かに元気ではあるが、これでは夜勤に耐えらる筈が無い。案の定、居眠りが見つかり2回、3回と違反を重ねた。4回目ともなるとさすがに自衛策を取らなければ、いよいよタダ働きになってしまう危機感が身を包んだ。
上海人のメンツもある。このままオーナーにやられっ放しでは、腹の虫だって収まりそうもない。
物音一つせずシンと静まり返ったホールの立ち警備。壁に凭(もた)れてしばしの休息。
耳を澄ませていると遠くからコツ、コツと足音が聞こえてくる。忍ばせるように歩いてはいるが、よく響くのですぐ分かる。

(奴さん、来やがったな)・・・・・・心の中で呟く。

以前なら急いで不動の姿勢に戻したが、今日は何としても仇を取りたい。
足音が一段と大きくなり、憎しオーナーの顔がコーナーから見えると同時に、肩口を心持ち壁から離した。
目と目が合うなり、手を壁と肩の間に上下させ、触れていないことを無言でアピールした。
オーナーは苦々しい顔で、「もっと離れろ」と捨て台詞を残し、次の場所へ移動していった。
(ざま〜みろ!)お舅さんはしてやったりと少し溜飲が下がった思いがした。
この時は上手くいったが、その後がいけない。一度仇を取った安堵感からか、本当に壁に凭れて眠ってしまった事がその後何度か続いた。
勤めて数ヶ月が経ったある日の給料日。封を開けてみると引くも引かれたり、罰金6回分300元が天引きされていた。馬鹿馬鹿しい、お舅さんは次を探してもう辞めようと決心した。
今日の持ち場は玄関ホール。時々遅い時間に「部屋はあるか」と訊ねて来る客もタマにはいるが、そんなのは滅多にないので、お舅さんはフロントの夜勤仲間と談笑していた。、
この日は上海に遅い到着だったのか、珍しくビジネスマンらしき男性の2人連れが入ってきた。
ツカツカと一直線にこちらに向かって歩いて来る。

「部屋は空いているかい?」

一瞬詰まったが、お舅さんがフロント男性の口を遮って一声怒鳴った。

「ない!ない!今日は満室だョ!」

フロント男性は「何で?」という顔でキョトンとしていたが、すぐに事情が飲み込めた。待遇はお舅さんと同じ、オーナーに煮え湯を飲まされたような経験も1度や2度ではない。
お互い顔を見合わせ、目と目で通じる暗黙の了解が「そうだ、そうだ」の大きな頷きとなって表れ、客に大きな失望を与えたまま追い返してしまった。
その落胆の後姿を見ながら、お舅さんとフロント従業員はオーナーに一矢報いたと、ささやかな喜びにしばし浸った。



 大見得切って賓館を辞めては見たものの、次の仕事の当ては無い。
お姑さんと合算した年金でも食べて行く事は出来るが、お舅さんにしてみれば何もする事がなくなってしまうのが何より辛い。・・・・・(私とは根本的に相容れないものがあるようだ)
ある日仕事が決まったと電話があった。求めるものは救われんはホントなのかも。犬も歩けば猫も歩く、60歳の老年を雇ってくれる奇特な会社をよく見つけたもんだと感心した。
職種を聞いて又々仰天!なんとパソコンの販売営業マンである。いくら仕事がないったって、選りによってそんな難しい仕事出来るのかョ〜
お舅さん、大ボラ吹いて経験豊富とでも言ったのか?それにしても摩訶不思議な事もあるもんだと私は首を傾(かし)げた。
パソコンのいろはも分からないお舅さんが、どうやって売る気だろう。客に説明を求められたら、いつものように適当な事を言って逃げる訳にはいかないぞ!
しかも自由出勤、自由退社。ポロシャツ出勤OKで休憩時間は取り放題ときては、私だって雇ってくれるなら行きたいくらいだ。・・・・・・だがひとつ難をいえば給料がナイ。
日々上司への報告への義務もない代わりに専用デスクもない。
それを聞いて、さもありなんと思った。
詳しく聞いてみれば、何のことはない体のいい勧誘員。街をブラブラしながら、これはと思う客を見つけたら何が何でも喰らい付き、歯の浮くようなお世辞を並べ立て、手揉み足揉み、契約したパソコン専門店へと連れ込む。ここまでが仕事の大半、後は専門知識を持つ店の従業員が対応する。
運よく成約まで漕ぎ着ければ、パソコン1台に付き500元のバックが入る仕組みだ。
いわば完全歩合制、店側は給料無しだから、気楽に幾らでも雇い入れた。
都会での稼ぎを目的に地方から出てきた人は、当てが外れたように中々仕事は見つからない。上海人だってあぶれている人が多いのだから、それは当然だろう。
折角出て来たのに何もしないでいる訳にも行かないから、取り合えずこの仕事に付く人が多い。
地方によっては気性も荒いし、こういった人は何より早く稼いで帰りたい切羽詰った状況にある。
お舅さんのように何とか食べられるが、もう少し収入が欲しいなんて余裕のある人は見られない。

「この客はオレが先に声をかけたんだ!」
「何をいうか!オレの方が先だ!お前なんかあっち行け!」

時折、客そっちのけで激しい罵りあいの喧嘩が往来で始まる。中国はすぐに人垣が出来ても、それを止める人はまず居ない。冷静にどちらの言い分が正しいか聞き入る。
エスカレートした当事者は、周囲の傍観者に向かって如何に自分が正しいかを訴えだす。奇妙な光景だが、見ている分にはかなり面白い。
肝心の客はといえば、ドサクサに紛れていつの間にか姿を消しているのが又愉快だ。

そんな激しい競争の中、お舅さんの勝ち目は殆どない。1週間やって見たが1台も売れず、この先も売り込める自信がないので辞める事にした。
勿論、退社届けも会社挨拶もしない。会社にとっては痛くも痒くもないのを知っているからだ。

 現在は日本で言えばバイク急便みたい事をしている。
思い立ったが吉日で、1000元の助動車を買ってきた。1000元もしたのに廃車同然のボロボロバイクなのを訝(いぶか)しんで聞いてみた。
車体価格はタダ同然で、殆どナンバー取得の値段だという。
上海は車やバイクが増え過ぎ、その抑制のため新しいナンバーを交付しない。したがって現在出回っているナンバーが売買の対象となり、その時々に合わせた相場もある。
4輪車は1万元もするらしいから、決して侮れない。
(あれっ、この話どこかの項で書いたかな?重複してたらごめんなさい)
愛用の助動車
同型の助動車・・・・お舅さんのはもっとボロボロ
リヤカーでも違反?
リヤカーなのに何故?・・・・・積載違反?まさか!

 準備万端、お舅さん最初は自力営業を目論んで、知り合いの企業や会社を1軒1軒回り、新規開業の挨拶と御用聞きに奔走した。
さて、自宅にて首を長くして電話の鳴るのを待ち続けたが、一向にその気配がない。
初日が過ぎ、2日が暮れ、1週間経ってもとうとう1本の仕事依頼がなかった。
さすが家にジッとしていられないお舅さんは、「仕事の電話があったら、すぐ携帯に電話しろ」とお姑さんに言い残し、街へと飛び出していった。
それから又数日経ったが事態は同じ。新規開業はしたものの、このまま1回の仕事もせずに廃業するのか?「いや、仕事の実績がまったくないのだから、廃業とは言わんだろう」などと、私ら外野は勝手なことを囁き合った。
意を決したお舅さん、知り合いの配送会社から仕事を回してもらうことにした。
確かに利益は少なくなるが、開店休業よりはマシである。
その会社は依頼があれば即対応できる体制を取っていて、事務所には常時4〜5人が待機していた。
まったく仕事というものはある所にはあるもんで、事務所へ頻繁に掛かってくる電話が恨めしくもあった。
システムは適材適所、持ち込んだバイクの良し悪しで、仕事内容が各人に振り分けられる。
お舅さんのは助動車。日本で言えば原動機付き自転車、つまり50cc以下のバイクに相当する。
中国製は性能が悪く、スピードは精々時速30kmくらいが目一杯だ。したがって急ぐ依頼や遠くの配達には適さない。
ところがある日、浦東空港まで急ぎの仕事が舞い込んだ。運悪くみんな出払って1人出番待ちだったお舅さんに、事務所は仕方なく指名した。
お舅さんにしてみれば配達費の高い遠隔地は望むところだ。だが依頼した客は、忘れ物を飛行場でジリジリしながら待っている。果たして間に合わせる事が出来るのだろうか?
「没関係、没関係!(大丈夫)」脱兎の如く飛び出したお舅さんは指定された場所で忘れ物を受け取り、一路浦東空港へ頼りないエンジン音を響かせて驀進した。
上海中心部から浦東空港まで50km、時速30kmじゃぁ急いだって1時間半は掛かるだろう。
還暦暴走族と化したお舅さんは、駄馬に鞭打つが如くアクセルを全開で握り締めた。
今年の上海は暑い、連日40度に迫る猛暑だ。風を切って走っている時はまだいいのだが、信号で止まったりすると突然その途轍もない暑さが襲ってくる。一瞬クラッと眩暈がするくらいだ。
配達料50元のうち、半分の25元は会社の取り分。5元がガソリン代として手元に残るのは20元。
これで事故でも起こしたら、悔やんでも悔やみ切れないだろうに・・・・・・
バイク配達
歩道、逆走なんのその・・・・必殺!配達人は今日も行く
バイク配達
ア〜言わんこっちゃない・・・・バイクじゃ積み過ぎだョ

 こんな失敗もあった。ある日、中国の小金持ちがピザの配達を依頼してきた。
上海にもピザ屋はあるが、日本のように配達はしていない。そこで最寄のピザ屋にて指定のピザを立て替えて買って行き、配達時に料金と一緒に回収する。
いって見ればこれだけの事だから、そう難しくはないのだが、悲しいかなお舅さんはピザなどまだ食べたことがない。どんなものかくらいは写真で見て知っていたが種類まではトンと分からない。
店のカウンター上に大きく張り出されたピザの種類別写真、どれを見ても同じに見える。
電話を受けた小姐事務員が書き留めたメモを何回も見たが、どうも要領を得ない。
そうだろう、書いた本人がピザなど食べたことがないのだから、さもありなんである。
結局、脇が甘いお舅さんは非情にも過ぎていく時間を気にして、自分勝手にどれも似たようで変わらないと判断、適当なものを選び注文した。
大分手間取ってしまった。あまり遅くなるとキャンセルされかねないからお舅さんは焦った。
歳を取ると、焦ったところで体が付いていかない、早く走ろうとすれば足が縺(もつ)れてしまう。
やっと辿り着いた聳え立つような瀟洒なマンション。あろうことか、その入り口にある3〜4段の段差に気躓(けつまづ)きコケてしまった
手から投げ出されたピザの箱が、大理石の床を見事に滑って行く。
幸いにも中身は飛び出さなかったので、汗拭きタオルで埃をはたき、そのまま配達を急いだ。

ピンポ〜ン、やっと探し当てた注文主の部屋チャイムを押す。

「遅かったじゃないの!」・・・・・・予想していたいきなりの苦情叱責

さすがのお舅さんも少々ムッとしたが、今は昔と違う事を十分承知している。
言い訳は中国人の得意技、あれこれもっともらしい事を並べ立てて、注文の品を差し出した。

「あれっ!これ違うじゃないの、こんなもの頼まなかったわ。何聞いてんのョ!」
「それに形が崩れているみたい。どこかにぶっつけたんじゃないの?」

その奥さんがガミガミ言っている最中にも、お舅さんの脳裏には確認の電話を入れれば良かったと後悔の念が立った。品物さえ合っていれば何とか切り抜けたのになぁ。
電話を掛けて、もし「アンタ食べたことがないの?」なんて言われたら、上海人の面子がないと躊躇したお蔭で大失敗をしてしまった。
結局、謝って買い直しに行かされた。ピザ代50元は勿論自腹である。20元の配達料で半分は事務所、10元の儲けで50元の出費は如何にも計算が合わなかった。
喜んだのは孫、「今日は何の日?」と訊いたくらい。お舅さんが持ち帰ったピザを、満面の笑みを溢しながらパクついた。

5.日本もどき!へ続く・・・・・

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