2005年12月
チ〜ン・・・・・・いつも聞き慣れている筈の電子レンジの音、この時ばかりは嫌な予感がした。
「あれ、あんたの手羽先だよ、きっと。やだね〜チンしたのを出すつもりかよ」
私の勘に狂いはない!いつも直感で閃いた時は大概当たっている。
それを証明するかのように、ほどなくして手羽先が運ばれてきた。一応焦げ目は付いているのだが、バーナーで炙ったような感じで、それ以外の部分は妙に白っぽい。
「これ、おかしくない?なんか生っぽいよ」
私は串に刺された手羽先の少し盛り上がった肉の部分を、箸の先で広げてみた。
案の定、焼けているのは周りだけで、中身は薄赤い肉のままだった。
ジャ〜ン!これで私らも晴れて堂々と文句をいえる客になった。女房よ、言うべし!言うべし、言ったらんかい!
「いいよ、可哀想だからぁ、焼けてるとこだけ食べるからさ」
どうもウチは、女房の方が日本人的武士の情けを弁えて、私の方がすっかり中国人化してしまったようだ。
確かに手負いの者へ、更に追い撃ちを掛けるような真似は大人気無い。
それは分かっちゃいるけど、まだ開店したばかりだから、言ってやるのもまた親切ってもんだ!とかなんとか理由をつけて、やっぱり小姐を呼んじゃう。
純情娘と違う別の小姐がやって来た。この娘がまた、こんな店で配膳係なんかさせとくには勿体無いくらいの美人で、大きな瞳と横顔の彫りの深さなんかゾクゾクとくるほどであった。
わたしゃ美人には弱い、出掛かった文句も引っ込んでしまった。
「お茶くれる?」
私は思わず空になった茶碗を指差してしまった。
傍らの女房が、まったく意気地のない奴、自分で言えないくらいなら小姐なんか呼ぶな!とでも言いたげに、舌打ちしながら、手羽先の生焼けを説明した。
今しがた散々客に怒られた小姐を気の毒だと思うから、いつもと違ってあくまで穏やかにである。
小姐は恐縮して、然も申し訳なさそうな顔で謝った。美人は得だ、その曇った表情がまたなんともいい。
美人小姐は、おずおずと女房が齧った歯型が付いた手羽先を持っていった。
「作り直してくるのかな?もう要らないよね、あんなの平気で出すようじゃ、焼き方も分からないんだよ」
新規オープンのこの店、私はひょっとして美味しい日本料理を食べさせてくれるかも知れないと、密かに期待を抱いていたが完全に裏切られた。この店も、この辺りに沢山ある“日本もどき”の店と同じらしい。
そうなりゃ、早くて半年、持って1年で、いつの間にか違う店に変わっていたなんて事になりかねない。
オーナーさんよ、早く気が付いてテコ入れしないと、泣きを見ることになっちゃうよ〜。
午後も1時半を回り、店内に客の姿は殆んど無くなったのに、何を梃子摺っているのか、我々の注文したものがまだ来ない。ちょっとイライラし始めたら、さっきのチ〜ンがまた鳴った。
「おい、おい、さっき持っていったの、そのままチンしたんじゃないのかぁ?」
その予想は裏切られることなく見事に当たった。当然、新しいのと交換すると思っていたのに、しっかり歯型の付いたのを再度持って来た。生焼けのを何回チンしたって駄目だっちゅうの!こりゃ、アカンわ。

俄か大堂経理は大忙し・・・・如才がなくて好青年だが口が軽い |

美人はお得?・・・・配膳小姐は容姿に関係なく給料は同じ |
待ち侘びたメインのかつ丼と野菜炒め定食は、意外にも大外れの心境を覆させるに足る、まともな味だった。
上海で今までに食べた日本料理屋の天丼やかつ丼は、大概、汁の掛け過ぎでビチャビチャなのが多かったが、ここのは日本のと比べてもそれほど遜色がない。
難をいえば、カツの厚みが少し薄いが、これなども極端な斜め切りにして、見た目の肉厚を強調するというか、誤魔化すというか、苦心の配慮がされている。いかにも外面重視の中国らしい。
女房とは夫婦の気安さも手伝って、よく相互の味見をする。一種の保険みたいな意味合いも含んでいて、両方が美味ければ、確率からいって、他のもなんとなく期待出来そうな気がしてくるし、不味ければ二度と行かない。
その店の料理人のセンスや腕が一定していれば、その二品だけではなく、平均してどの料理も美味い筈と思いたい、客から見た一種の店選びのコツである。
この店はそのセオリーからして、例外ともいうべきもので、さっきの手羽先を見たら、これは十中八九間違いなく大した料理は出てこないと踏んでいたから、意表を突いた驚きだった。
「いかがですか、味の方は?」
客も少なくなって手の空いた大堂経理(フロアマネージャー)が、ご機嫌を伺いに来た。
実直そうな好青年で、如才がなく腰の低い対応は、日本人でも好感が持てる。
「味はいいんだけど、どうにも出来上がりが遅いね」
「すみません、まだ厨房の方が慣れてなくて・・・・・」
「ほら、この手羽先だって、文句言って焼き直しさせたのに、まだ生だよ」
女房が焼けているところだけ食べて、生の部分がそのまま串に刺さっているのを見せてやった。
大堂経理の兄ちゃんは、「このお代は要りませんから」と言ったが、そりゃ当然として、ついでにみんなタダにしてくれたら、絶対贔屓にしちゃうけどね。駄目か、今、メインのかつ丼を美味いなんて言っちゃったからな。
そういうと兄ちゃんは、その手羽先の残骸が載っている皿を持って行こうとして手を伸ばしてきた。
やめてよ!そんな食べ残り、また焼いたってしょうがないだろ!と言い掛けたが、それを調理をした奴に見せて、反省を促したいのだと女房が通訳してくれた。
この大堂経理の兄ちゃんは、口が軽いのかペラペラとよく喋る。
こっちも上海の現代事情を生の声で聞けるなんて、そうそうないから、いちいち相槌打ちながら聞いていたら、かなりの内部事情まで話してくれた。
この店のオーナーは福建人で、料理の責任者は経験ある日本人を使っているから、味には拘りがあって自信を持っているのだという。(拘りは結構だが、ああ遅くっちゃぁ、本末転倒だろ)
さっきの手羽先の一件は、厨房とは別の軽食コーナーのアルバイトがやったので、日本料理人とは関係ないと擁護を忘れないとこなんざ中々憎い。
大堂経理の兄ちゃんは、飲食関係の仕事は初めてで、募集に応募してみたら、いきなり大堂経理の名札をもらったとかで、実態は雑用係に等しく、給料も配膳小姐と変わらないとぼやく。
すっかり打ち解けて、また近いうち来るからと言って伝票を持ってこさせたら、食べてもいない肉豆腐がしっかりついていた。こっちはあまり遅いんで、すっかり忘れていたよ。
「ほら〜今言ったじゃん、信用第一だって!こういうことしちゃぁ、信用失くすよ!」
大堂経理は伝票を書いた小姐を呼び、訳を聞いている。そんなごちゃごちゃやることないよ、テーブル見れば一目瞭然、肉豆腐の器なんかどこにも無いじゃないの。
小姐は憮然とした顔で、「これは私が書いたんじゃないよ!」と言うと、伝票を床に投げ捨てた。
これは中国人が言い訳に窮すると、今度は開き直る典型的パターンである。この小姐は、次に来たときにはもう辞めていなかった。

サンタが町にやって来る・・・・春節になっても、まだも飾ってあった |

日式餐庁にもクリスマスツリー・・・・客がいないのが寂しい |
2005年12月も半ばになり、街はクリスマスムード一色になった。
商店は例外なく店にクリスマスツリーを飾り、商場(デパート)前には、他店と競い合うように金を掛けたデコレーションがされている。
新規開店の日本餐庁が入るこのビル入口にも、サンタがプレゼントを抱えて雪橇を走らせる飾り付けがされた。
面白いのは、日本のようにクリスマスが終わっても、すぐに撤去しないこと。
ピカピカ点滅する電飾のツリーなど、派手好きの上海では受けがいいのか、クリスマスが終わって1ヶ月も経つ現在でも飾っている店が多い。
因みに写真の雪橇サンタ、幾ら何でも春節が近いですからね。当然、もう片付けただろうと思っていましたが、今日1月28日春節前日、買い物帰りに通り掛かったら依然まだ健在でした。
私らはそんなクリスマスムードで賑わう或る日の午後、また日式餐庁に行った。
昼時なので込んでいるか、ちょっと心配しながらやって来たのだが、豈(あに)図らんや、60人は楽に入れる店内に肝心の客がたったの3人ほど、目を覆う凋落振りであった。
「やっぱりな〜、そんな気がしたんだ」
大堂経理の兄ちゃんが、私らの顔を目敏く見付けると、ほっとした表情で近寄ってきた。
もう顔を見知っている配膳小姐も、笑みを浮かべて歓迎してくれている。
ガラ空きなので、今日はソファの席に陣取って、改めて店内を見回したが、やっぱりあっちに1人、こっちに1人と計3人しかいない。私らを入れても5人では、昼時の客入りとしては最悪だろう。
「今日は随分空いてるね」
大堂経理は照れ笑いを浮かべながら、ここのところちょっと暇だと素直に認めた。
これじゃ、ちょっとどころじゃないだろうと水を向けると、それでも1日3000元は売り上げがあるのだと言う。
地下鉄4号線の上海体育館駅地下通路が、このビルと繋がってくれれば、もっと客は増えると見込んでいて、勝負はそれからと妙な余裕を持っている。現に地下通路は出来上がっていて、あとは開通式を待つだけらしい。
今日は私が天丼、女房が鰻丼を注文した。おっと、忘れちゃいけない、この前食べそびれた肉豆腐も忘れずに頼んだ。幾ら何だって今日はこんなに客が少ないんだ、この前みたいに待たされることはないだろう。
人懐っこい兄ちゃんは大堂経理の職務上、店の客の入りをもう少し何とかしたいと考え、女房に日本式接客言葉を教えて欲しいと頼んでいる。
やはり日式餐庁だから、多少店内に日本語が飛び交っていた方が、それらしい雰囲気が出ていいと軽く思ったようだが、これが簡単のようで即席では中々難しい。
日式餐庁なら、どの店もそのくらいは思い付くのだが、それでもまともな日本語で出迎えてくれるところは少ない。
「歓迎光臨は、いらっしゃいませ。謝謝は、ありがとうございました」
この二つは基本中の基本、女房は気軽く応じてやっている。
何も客の私らに教わらなくても、ここの料理人は日本人なんだから、そいつにじっくり教えてもらえばいいのにと思ったが、案外職人には偏屈なのが多いから、聞き辛いのかも知れないと思い直した。
「い、い、いっしゃせぇ」
「違う、違う、い〜い、よく聞いて、いらっしゃいませ」
まぁ、大体最初はこんな感じである。中国人は誰も“いらっしゃいませ”より、“ありがとうございました”の方が言い易そうで、そっちに切り替えた。
「お客が帰る時は、“ありがとうございました”っていうのよ」
「あ、あ、ありがと・・・・ました」
うん、いい筋してるじゃない、それでいい。大概どこの日式餐庁も、そんな程度だよ。
中には可愛い小姐が、無理して“ござい”まで入れようとして、“ありがとごぜます”になる場合がある。
「ござ」と「ごぜ」、一字違っただけでも、随分と違う印象になるから、日本語は難しい。
うら若い小姐が、突然田舎の婆さんにでも変身してしまったような違和感を感じて、ついでに食欲まで失せてしまうから、オーナーはよくよく気を付けられたい。

天丼の甘き香り・・・・思わず膝を叩いた日本の味 |

メニューの豊富さが売りなのか?・・・・クリームパフェまであるぞ! |
あのてんやわんやの開店騒動から1週間、大分慣れてきたのか、予想通り、割と早く注文した天丼と鰻丼が出来上がってきた。
それも時間差攻撃ではなく、ほぼ同時に運ばれてきたのだから、この店も大いなる進化を遂げたといえよう。
この前のかつ丼が美味かったから、天丼もそこそこの味は楽しめる筈と私は睨んだが、その期待に違わず、日本へ帰ったような錯覚に囚われてしまうほど、正真正銘の天丼だった。
思わぬ拾い物をしたような喜びに浸る私とは裏腹に、日本の丼物があまり好きでない女房はまったく無感動に食べている。
「あんた、もう少し美味そうに食べたら〜、この店大衆的だけど、結構いい味してるよ」
「これ中国人には合わないね、タレが甘すぎるよ」
中国は食事時の料理には甘いものが殆んどないのだという。そう言われれば、普段食べに行っている餐庁でも、辛いものは幾らでもあるが、甘いものは少ない気がする。
確かに日本では、すき焼きや魚の煮付け、今日食べている天丼や鰻丼のタレなど大体甘い。
私など下戸の親父を持ったから、幼い頃から一家を上げての甘党で鍛えられたので、少々の甘さではビクともしない体質になってしまい、それが肥満の大元凶になっている。
何しろ亡くなったお袋の作るお汁粉なんて、まるで親の仇でも取るように、これでもかというほど砂糖を入れるし、お彼岸の定番だったお萩なんて、未だにお袋が作った以上の甘いやつに出会ったことがない。
長年上海で暮らしてきて、初めてといえるほど満足な食事だった。
一言、日本人料理人にお礼を言いたいくらいだったが、女房が「天狗になるから止めとけ!」というので、せめて大堂経理の兄ちゃんに励ましの意味も含めてと思い手招きした。
おや?大堂経理は気が付かずに、別な男が訝しそうにやって来た。
私は、もしやこの人かオーナー?ではないかと閃いた。
「いやいや、マネージャーを呼んだんですけどね、もしかして、この店のオーナーさん?」
「そうです、いつもありがとうござます。どうですか、うちの味は?」
ちょっとイントネーションが外れるものの、流暢な日本語で返してきた。年の頃は三十代後半、如何にも商売人という身のこなしで如才がない。
「いや〜、感激したね!上海でこんな美味い天丼食べたのは初めてですよ」
「そ、そうですか!そう言ってくれるの一番嬉しいです」
満面をくしゃくしゃにして喜ぶオーナー。私もHPにリポートしなきゃならないから、少しでも経営者の話を聞きたいので、歯の浮くようなお世辞を連発した。
すっかり気をよくしたオーナーは私に煙草を勧め、客も居ないのでその場に居座り、色々話し始めた。
孤立無援で味方が少なかったのだろう、地獄で仏に出会ったようにホッとした顔を覗かせたが、惨憺たる現状の重圧に手の持った煙草も微かに震えていた。
若きオーナーは日本で10年くらい働いていたから、日本の味はよく知っていると豪語する。
何もお世辞半分に褒めたからって、更に自分で大見得切って自慢しちゃうほど旨(うま)かないよ。
郷里は福建省で、向こうにも店を1軒持っていて、そっちは女房が切り盛りしているという話であった。
事業欲が旺盛らしく、商売を始めた以上、やはり上海で成功したいという思い止み難く、華の都へ単身乗り込んできたらしい。日本でも東京で一旗挙げたいと上京してくる心理と同じだろう。
やっては来たものの、上海の家賃が異常に高いのには驚いたと苦笑いする。
この店で1u1日13.2元の家賃だそうで、店全体は172uあるから、1日で2270元も掛かかってしまう。
2270元といえば、上海で働く人の平均1ヶ月給与に相当する。1ヶ月なら驚くなかれ、68000元(102000円)である。
出費はそれだけに留まらず、ビルの管理費を家賃の約1割徴収される。これだって侮れない6800元。
〆て74000元(1122000円)になるが、これはあくまで店を続けて行くのに必要な最低経費なのだ。
これに加えて材料費、人件費、ガス、水道、店内の電気代など諸々が掛かってきて、もう恐ろしくなるほどの金額に膨れ上がってくる。
上海でそこそこ見栄を張れるような店を持とうとするには、個人では余程度胸がよくなくては出来ない相談だ。
これだって、店が繁盛して客さえ入ってくれれば万事解消、何の問題もないのだが、ところが立地のよいところは商売敵の店も多く、中々思うように事は運んでくれない。
現にこの場所だって追っ付け、喜〇方ラーメン、韓国ビビンバ専門店、ベトナム料理店、スパゲティ店、中国火鍋店など目白押しにオープンする。
日本では商売の目安として、家賃分は1週間の売り上げで賄わなければ、旨味はないと言われている。
そのセオリーで行けば、74000元÷7で、1日最低1万元の売り上げは欲しい。
果たしてこの状況から、1万元も売り上げられるものだろうか?私はこの地域の客層からいって、客単価はそれほど高くないと見た。
恐らく1人30元(450円)〜精々行っても40元(600円)止まりではないだろうか。その計算で行けば、1日300人近い客を引っ張らなければならない。これはちょっと考えても至難の技だ。
70人で満卓として4.3回転、今日は昼時にも拘らず、私らを入れても客数は・・・・・・・声に出して言うのも憚れるたったの5人。
私は元商売人だけあって、オーナーの話をいちいち頷きながら聞いていても、短時間に大まかの数字は弾き出せる。なまじの中途半端なコンピューターよりも早い。
まだオープンして10日余り、福建人のオーナーは希望に燃え、意気軒昂だが、その前途たるや闇夜に船出するが如く、先がまったく見えず、ただひたすら暗いように思えた。
後記
連載形式に替えて、4回掛かりましたが、初めて1話アップしました。
この話はまだ続きます。もう少しお付き合いのほどよろしくお願いします。
大丈夫!このお店はオープンして2ヶ月ちょっと、現在も気張って営業中ですが・・・・・・
それでは次回、11.油が乗った、さばの塩焼き!でまたお会いいたしましょう。
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