2008年6月
客席はまだあった!私らは人数が多いので奥の部屋に案内された。
なるほど8人用の長テーブルがズラッと並んでいたが、ここも客は誰もいなかった。
レストランでシーンとしているのも不気味な話で、皿がカチャカチャ鳴る音すら聞こえない。
これいよいよ面白くなってきた!
私としては十中八九、値段は安いが味は最低、肉は脂身がほとんどのバラ肉か、下手すりゃ何の肉かにも気を配らなければならない要注意店と半ば確信した。
この店は黒が基調のようで、天井板はなく、配管剥き出しのまま躯体のコンクリートごと黒く塗装してある。
ウェイターも配膳小姐も上下とも黒ずくめで、首に巻いた明るい色のネッカチーフでアクセントを取っていた。
その黒衣装の小姐がメニューテーブルに置き、ぬるいお茶を注いで回る。
「そんな、メニューなんか一生懸命見なくたって、ランチ定食で決まりだろ?」
私らが淮海路にある神田焼肉で一族を接待する時も、定食以外は頼まないからだ。
それが時には1人が2人前食べても、あくまでベースは1人前27元(405円)のランチ定食なのである。
今日初めて入った、ここ小神田焼肉店ではオープン記念が終われば20元だが、今月一杯は25%引きが効いて、カルビ定食や牛タン定食が何とたったの16元で食べられる。
これではお舅さんの顔も綻ぶというもので、仮に息子と娘と婿が2人前食べたとしても9人前で144元、ピッタリ150元以内で収まるとソロバンを弾いた。
ところが世の中は、そうは中々うまくは行かないように出来ている。今日に限って女房が、
「いいんだよ!今日は私の誕生日なんだから、ケチケチしないで単品をバンバン頼むんだぁ!」
 |
人の奢(おご)りの時は遠慮しないのが李家の家訓らしい。
でもそれじゃ、お舅さんに悪いだろう。
そう言いつつも、上海での外食を一手に引き受ける私にとって、日頃の仇をとったように溜飲が下がった思いがした。
まぁ、たまにはいいか。
「上カルビ2つ、普通のカルビ5人前、それと牛タン2人前、あと何だっけ、そうそうキムチ1つとご飯6個ね」
上のカルビは女房が食べるつもりなのだろう。普段は質より量が優先するから頼んだことがない。
矢継ぎ早の注文に小姐は覚えきれず、もう一度一つ一つ聞いて、復唱しながら注文票に書き込んだ。
沈黙を守っていた義弟から、「それじゃ足らない!」という言葉が飛び出し、加えて「俺はマグロのすしも食べたい」とリクエストが出た。まったく親の心子知らずである。
たとえ親子の間柄であろうと、李家の家訓は活きているようで、親の懐具合なんて全然気にした様子がない。
私の子供の頃なんか、親に少しでも負担を掛けまいと、「家はお金がないんだから」と得心して何も欲しがらなかったし、1年に1回くらい連れて行ってもらうデパートの大食堂でさえ、親の財布の中身を量って高いものは食べなかった。
儒教の教えは親孝行の教え、親を敬うあの中国の伝統はどこへ行ってしまったのだろう。
お舅さんとお姑さんの顔が段々こわばってきた。これは大変なことになりそうだ!
女房が義弟をたしなめ、足らなければいくらでも追加するからというやり取りを聞くに至っては、辺りが急に暗くなって眩暈さえ覚えた。
まず最初に牛タンと上カルビがやって来て、次に義弟の特別注文マグロ寿司がテーブルにデンと置かれた。
お〜〜!一同から思わず溜息とも笑いともつかぬ、どよめきが起こった。
| 2008年6月28日更新 次回まで中国ランキングのクリックよろしく。 |
 |
白地の皿に真っ赤なマグロ、美的感覚はまぁ良いとしても、なんだ、この2個ってのは?ナメとんのか!
大体、へんてこなツマミばかりが目に付いて、肝心のマグロすしがどこにあるのか分からんじゃないの!
確かにメニューにはマグロ寿司18元(270円)としか書いてなかったが、まさか2個とは思わなかったぞい。
2個だと分かっていたら、さすがの義弟も頼まなかっただろう。
やっぱり焼肉屋で、専門外のすしなんか頼んでも駄目なんだよね、どうしても高くなっちゃうよ。
お舅さんは寿司皿を指差して、僅かに一言「太貴(高い)」としか言わなかったが、毎日バイクで走り回るアルバイトをしていても、昼は10元以上のものなど食べたことがない。
それが腹の足しにもならないたった2個で18元とは、こりゃ世の中狂っていると思ったに違いない。

す、すしはどこにあるんだ!・・・・2個で18元とは、いかにも高い! |

焼肉パーティの序章・・・・これから始まる争奪戦! |
肉、肉、肉の饗宴はこれから始まるが、忘れる前に、ここで記念写真を1枚パチリ.。
いざ食べ始めたら、写真のことなど頭からスッポリ抜けてしまうのはいつものこと、全部食べ終わってからハタと気がつくのもいつものこと。やっぱり撮っておいて正解だったのが右上の写真。
とりあえず先に来た牛タンと上カルビを焼きだした。
甥っ子は一番年少の癖に世話焼きタイプで、肉をトング(肉挟み)で器用に摘み、両方の網にせっせと肉を乗せている。こういう奴が大きくなると、鍋奉行として宴会などでは絶大な権限を発揮するのだろう。
タレは甘めで、淮海路の焼肉神田とよく似ている。やっぱり支店か姉妹店なのだろうか?
コピー店なんて私の気の回し過ぎならこんな嬉しいことはない。しかもこの店の方が、サービス期間が終わっても値段がグッと安いのだから堪えられない。
おっと、普通カルビの大皿がきたぞ!ほら、真ん中の場所を空けて、空けて!
さぁ、これからが本番だ、本腰入れて食べるぞ!と義弟の意気込みが伝わってくる。甥っ子も盆と正月が一緒に来たような笑顔で、もう一人前以上食べることを予感させていた。
もう一つこの店の見る目が変わったのは、ちゃんと解凍されて誰が見ても肉だと分かるものが出てきたこと。
低料金の店で、しかも昼のランチとなると、肉が半解凍のままだったり、下手するとカチンカチンの冷凍肉を、ただスライスしてきたようなものを平気で出す店が結構ある。
こちらとしては安いんだから仕方ないと思う反面、これじゃ安かろう悪かろうで、本当の意味のサービスが分かっていないことに唖然とする。まぁ、そんな店は二度とは行きませんけどね。
 |
大皿のカルビ肉が、羽が生えたようになくなって行く。
霜降り上カルビを食べ尽くした女房も、大皿の方へ参戦してきた。
義父母を除く、四つ巴の焼き肉争奪戦がいよいよ始まった。
お舅さんはもっぱら肉を焼く係りに回った。
お姑さんも思ったより箸が伸びない。
自分たちまで腹一杯食べては、一体いくら掛かるか分からないと、気が気じゃないのだ。
焼いては、みんなに食べろ食べろと勧めるが、お舅さんは殆んど食べなかったのを私は見てしまった。
「どうする?追加する?」
瞬く間に平らげて、残り僅かとなった大皿の肉を見て、女房が義弟に聞いた。
義弟は当然といわんばかりに大きく頷く。
それを見ていた甥っ子も真似をして、おどけるように何回も頷いた。
私は女房にそっと耳打ちした。
「もう止めとけば、お舅さんなんか勘定を心配して殆んど食べてないんだぜ」
「いいんだよ、そんな心配しないで!アンタも食べたいものあったら頼んだら!」
女房の気持ちの中では、いつも私に親がご馳走になっていて、肩身の狭い思いがあったのかも知れない。
その反動もあって、たまに父親が奢ると言ってくれたのだから、余計にケチケチしたくない思い募ったのだろう。
そういうことなら女房に恥を掻かせても悪いしな。
ええ〜い、この際、毒を食らわば皿までもだ!おれもカルビクッパ追加してくれよ!
追加のカルビ肉2人前もあっという間になくなった。義弟と甥っ子はまだ食べ足りない顔をしている。
私はつい欲に駆られて、カルビクッパを頼んだことを後悔していた。
所詮、若い者と対抗できる訳じゃないのに、勢いで釣られてしまったのが運の尽き。苦しいけれど押し込む、押し込む、残しでもしたらお舅さんの目が怖い。
「どうする?まだ食べられる?」
義弟に投げ掛けた女房の言葉が終わるか終わらないうち、堰を切ったようにお舅さんの一声が響いた。
「私はもうお腹一杯だ!今日の夕飯も要らないくらいだ!」
苦し紛れの先制パンチは、まだ食べ足りない者の腹にズンと応えた。
そこまで言われれば、義弟も暗黙の了解をしなければならない。
雰囲気を察知して、女房が「じゃ、これでお終いにしましょう」とパーテイの終了宣言をした。
私はまだカルビクッパを必死に食べていた。
| 2008年6月30日更新 次回まで中国ランキングのクリックよろしく。 |
 |
私らが宴たけなわの時に、ドカドカと中年小姐の一団が入ってきた。
やはり6人のグループだったから、同じように2階へ回されたのだろう。
どの小姐も飛び抜けて裕福という感じはなく、中流かそれよりちょっと下のクラスであることは、身なりからも窺えた。上海も昼日中から、こういうおばさんが気軽に焼肉店で食事が出来るようになったのだから、確かに金回りが良くなったことが実感できる。
破竹の勢いで邁進する中国の繁栄から、取り残されてしまった上海一族が気の毒だとも思うが、これも時代の流れに乗って行く運がなかったのだから仕方がない。
中年小姐はそれぞれの好みに合わせ、焼肉、牛タン、ビビンバなどの各定食を頼んでいた。
後から聞いた話では、25%引きのサービスは定食に限り土日は除外ということだったが、正規料金を払っても15元〜20元で収まるのだから安いことは安い。
6、7年前の韓国焼肉や日式焼肉は、そりゃ高かった。1人100元は下らなかったことを考えれば、店が増え過当競争になったお蔭で、客の方には計り知れないメリットが出てきた。

牛タン定食20元(300円)也・・・・焼肉屋は昼のランチが絶対お得! |

カルビ定食こちらも20元也・・・・このボリュームでなら文句なし! |
配膳小姐が列を作って、お隣の定食を運こんできた。
それとなく覗き見ると、我々の食べているのと肉質も1人前の量も変らない。
メニューを再度開いてみると、単品のカルビ肉は1人前25元と表示されている。女房は憮然とした。
これじゃ、25%の割引があっても19元近い、しかも定食の方は小鉢が2つ、サラダにスープもついている。
食べ終われば水果とコーヒーまで持ってきてくれるのだから、どうも損した気分は収まらない。
「だから定食にしたらって言ったろ、昼間は定食の方が全然お得なんだよ」
このシステムは、いつも行っていた淮海路にある神田焼肉と変らなかった。この店はやっぱり支店なんだなと、コピー店の疑いは雲散霧消、逆に支店であることへの確信と変った。まったく私もいい加減である。
私らは食事を終わり清算を頼んだ。私らには水果もコーヒーもなかった。
女房は小姐が持ってきた請求書をみてビックリ、総額348元の数字が飛び込んできた。
勿論その下に25%オフとして87元が引かれ、261元が本当の支払い金額ではあったが、それにしてもお舅さんの奢りとはいえ、定食だったら6人前で120元、義弟と女房は2人前としても160元で上がった計算になる。
もしかして食べたものが違っているんじゃいかと、一つ一つの項目を入念にチェック。
そして支払いを待っている小姐に向かって、嫌味タップリにこう言った。
「定食は随分サービスがいいのね、これじゃ単品で頼むと損しちゃうんじゃないの?」
それを言われても困る、配膳小姐の関知するところではない。
お姑さんが財布をひっくり返して、何とか261元を掻き集めた。
少し余分に持って来たとはいえ、こんなことになるのなら、もう少し持ってくるんだったと悔やんだ。
そんな父母の窮地も柳に風と受け流し、女房は定食と単品の差にまだ納得出来ないまま、仕方なく引き上げることにした。

我が街徐家匯に出来た神田焼肉の支店・・・・安くてうまい推奨店 |

お姑さんが激突した入口ドア・・・・目線の部分に何か張っとけ! |
甥っ子を先頭に義弟とお舅さん、続いて女房が外へ出た。
お姑さんはまだ店の中をゆっくりと歩いている。私はどういう訳かいつも一番どんじり。
お姑さんも後ろから見ると随分老けてしまった。
1996年に私が始めて挨拶に来た時は、お姑さんもまだ五十をちょっと出たくらいの歳、白のパンタロンスーツかなんかを颯爽と着こなし、並んで写真を撮ると丸で夫婦のようだった。
十年の歳月とは、こうも過酷なまでに人間を老いさせるものなのだろうか?
今ではとても颯爽とは言い難く、歩く後姿はむしろチャップリンに似たひょうきんな歩き方に変った。
出口のすぐ際にカウンターがあって、「ありがとました〜」の変な日本語が勢いよく響いた。
その声に一瞬ギクッとしたお姑さん。
何を血迷ったか、閉められているガラスドアに向かって、そのまま正面衝突!・・・・・・ゴン!!
「アイヤ〜!」
相当痛かったようで、しきりに額を撫でている。
奥からは店長が飛んできて盛んに、「大丈夫ですか?」を繰り返していた。
昔なら従業員がそれを目の当たりにしていても、無言でドジ!マヌケ!といわんばかりに冷ややかだったが、上海のサービス精神も大分向上してきた。
まぁ、人のことをとやかく言えた私ではない。お姑さんがゴン!とぶつかった時、怪我を心配するより先に、思わず吹き出してしまったのだから。
こうして個性溢れる面々が、いよいよ今夏日本へやって来る!無事に済めばめっけモノと思っている。
| 2008年7月2日更新 次回まで中国ランキングのクリックよろしく。 |
 |
|