国際結婚奮闘記

11.新年早々の葬送

第二部 お葬式

 その日の深夜、兄弟雁首並べての緊急会議。お互い無い知恵を寄せ集めて、葬儀の段取りに着手しなければならない。
なんと言っても先立つものは金だ!地獄の沙汰も金次第とはよく言ったものだ。
葬儀社選びは、こんな時の為に婆ちゃんが加入していた互助会で一先ず決定。問題は祭壇等お葬式の規模である。ここで兄弟アトで文句の出ないよう、意思統一を図っておかなければならない。事前のインターネット情報では、普通葬儀一式で300万円、菩提寺の住職さんによる通夜・告別式のお経料、戒名代は別途だ。

 ウチの菩提寺は、都内屈指の由緒ある寺と自負しているが故、格式や仕来りに殊の外こだわる。ここを如何にクリアするかで全体の予算が決まってくる。これまでにも数々の名目で寄付を?百万円も払い込んでいるのに、檀家の人間が亡くなれば亡くなったで、戒名代その他もろもろに二百万円近くも払うのでは、いよいよ生きている末裔が破産しかねない。
そんな事になれば、死んだ者にとっても決して本意ではなかろうと思うのだが・・・・・・

中国妻が横から口を挟む・・・・・・・

「中国ではそんな話聞いたことがナイョ!何で坊さんがそんなに儲けるの!オカシイョ!ワタシが言ってやるョ」
「しょうがないよ、日本ではお坊さんも一つの商売なの!」

私の代は親父・爺さまがすでに入っているし、葬式後の婆さまも入る予定だから致し方ないが、これだけ金の掛かる負の遺産を、息子や外国人嫁に受け継いで貰うのは難しい。
寺側もこれが当たり前と思っていたら、早晩、恐らく寺の存在そのものが廃れていくのは想像に難くないだろう。
したがって問題は婆ちゃんの葬儀だけに留まらナイ。今回お布施の件で巧く住職と話が付いたとしても、喉元過ぎたと喜んでばかりも居られない。此の侭問題を先送りして、将来私の番がきたら勝気な上海妻のことである、勢い余って寺側と血の抗争にも発展しかねない。
その為に今から折に触れて、大好きな中国のしかるべき所へ散骨して欲しいと、上海妻へ密かに伝えている。
女房曰く「それなら上海の黄浦江に撒いてあげるョ」
・・・・・・・ウン?あそこだけは止めてくれよ!あれは川じゃネェ!ドブの幅が広いだけだぜ!
これから墓所をお求めの方は、後々世話の掛からない霊園タイプを是非お勧めしたい。

 よくよく事情を話して住職の了解を取り付けねば、総額500万円も覚悟せねばならない事に兄弟一同慄然とした。バブルの頃ならまだしも、この平成不況の真っ只中では、もうイベント式の葬儀は考え直す必要アリと、最後には一致した意見の統一をみた。
ここさえ押さえておけば、これから始まる葬儀社との打ち合わせも、相手のペースに乗せられて大仰な葬式にならないで済む。
すでに夜中の1時を回っているが、葬儀社は何処も24時間対応である事から互助会に電話。

1時間ほどして互助会葬儀の営業がやって来た。さすがに早い。
深夜2時を過ぎての、白熱した葬儀ランク取り決め攻防戦が始まった。
カラー写真にファイルされた各々祭壇ランクを、500万円クラスから見せられた。

「こういう葬儀にするつもりありませんから・・・・・・」
「一応説明だけですのでェ〜・・・・・・」

さすが場慣れした営業マン、話の其処彼処から人の財布の中身に探りを入れる。
順々にランクを落としていくが、我々が目星を付けているところまで、まだかなり遠そう。

「一番下から見た方が早そうだョ〜」

一心に営業が説明するファイルを引っ手繰るように、こちらに引き寄せて最後のページを開いた。
確かに今まで説明されていたモノより見劣りはするが、一応葬儀のそれと分かる。


「イイョ!これで十分じゃないのぉ〜?」・・・・・又しても倹約女房が口を挟む。
(黙っとらんかい!家族の中でもお前は一番年季が浅いんだから、一々口を出すな!)

「これは区民葬で、身寄りのない方が殆どです・・・・・・」

そう言われちゃぁ、いい歳をした息子が3人もいて、さすがに其処まで落とせない。
結局何やかやで、中の下クラスで話がまとまった。

 正月明けのお葬式は斎場も火葬場も異常な込みようである。ウチは1月7日であったにも拘らず、今行われている葬儀は年末に亡くなった方々の分で、この侭手を拱いて順番を待っていたら1週間か10日先になってしまうらしい。それでは如何にも日が空きすぎて気が抜けてしまうし、第一婆ちゃんが可哀想だ。何とかならないかと、あまり儲けさせない客である私達は、葬儀社営業殿に平身低頭懇願に及んだ。
心配した婆ちゃんの導きか、この互助会の自社ホールがその週の土日、ラッキーな事に予約が入っていないのが判明し、一も二もなくそこを押さえた。この時期、葬儀まで中4日空きで済むのなら有り難いと思わずばなるまい。
さぁ、これで初期の手筈は済んだ。明日から戦争のような慌しさが始まるぞ・・・・・・・。

 朝一番で菩提寺の住職さんへ老母の死亡報告、葬儀お経供養の依頼。本命の戒名代も誠意を尽くした話し合いで、無事特例として便宜を図って貰い一件落着。
昨日、親戚に電話を掛け捲った折、急を聞いて殆どが今日見舞いに来ると言う話になっていた。
オット!早く連絡せねば病院に行っても婆ちゃんはもう居る筈もナイのだ。

昨日の今日で言い出し難いのは重々だったが、取り合えず死亡報告だけを手早くした。

「ナヌ〜・・・・・・可哀想になぁ〜」電話口で一瞬絶句したまま啜り泣く大叔父。
「なんでぇ!・・・・・・そんなに悪かったのかい〜!」途切れがちな言葉が震える大叔母。

老母の兄弟姉妹・親戚は、何れもご老体である事には違いない。通夜と告別式に出席をお願いするのは少々無理があるし心苦しいので、この際、告別式のみにてお別れして頂くよう話すと、ホッとした空気が受話器から伝わってきた。
これで一先ず安心か・・・・・・いや!まだ肝心な事が残ってた。愛妻の喪服がナイ!
思えばつい10日前、死期を悟った婆ちゃんが「そろそろイェランちゃんの喪服用意しておきな・・・・・」面と向かって言われて「ハイ!そうですか」とも言えず、その場は巧く誤魔化したが、こんなに早く必要になるとは思わなんだ。

「お前、喪服どうすんだァ〜」
「1回しか着ないのに要らないョ、そんなの!黒ければいいんでショ、何かあるョ!」

何かあるったって黒いセーターでイイって訳にいかない。確かに中国の一般葬式では、黒い喪章を腕にしていれば服に拘っている様子はナイ。だがここは日本!痩せても枯れても長男の嫁なのだ!この際、外国人もヘチマもあるもんか!
見兼ねて末の弟の嫁が助け舟を出してくれた。

「私の小さくなったのが有るから、それ着たら?イェランちゃんなら丁度いいかもョ」

 4日後、通夜の日を迎えた。
まるで誂えたようにピッタリだった貰い下げの黒スーツを着たイェラン。馬子にも衣装とは良く言ったもんだ。斎場に行ってみると小造りながら、思いの外立派な祭壇で大満足。
両脇を沢山の菊の生花で囲まれているから、決して見劣りもしない。飾り付けてこれだけ立派になるなら、この下のランクでも良かったと後悔したくらいだ。
今日は近親者のみ。兄弟とその嫁、孫にあたる私の息子2人だけで行う家族葬を目指していたが、何かと相談に乗って貰っていた私の友人が「どうしても」と言う事で2、3人加わった。
斎場が遠くなってしまった理由もあるが、イベント並みの通常葬儀では義理で来て頂く方も結構いらっしゃるだろうし、残された遺族として今後の付き合い方もある。私などこれから上海での生活が長くなるだろうし、頂いた義理だってお返しが出来ないかも知れない。
それで一般焼香はなるべくお断りした。亡くなった婆ちゃんには申し訳ないが、そこは勘弁してもらいたいと心で合掌。
問題は息子達である。私が再婚した事をまだ知らない。音信不通に近い状態が続いた為と、長男が現上海妻とあまり歳が違わない事が最大のネックで、ついつい言いそびれて5年が経っていたからだ。
勿論、その間訪ねて来たこともあったが、その都度そっとカミさんに出掛けて貰ったりしてカモフラージュしてきたが、もうそんな辛い思いはさせられない。これを機にハッキリ紹介しなきゃならんだろう・・・・・・・と思うが気は重い。
正直、息子と上海妻の仲が巧くいって欲しいと思うのは望みすぎだろうが、カミさんが「アナタの子供は私にとって敵」と公言して憚らないので、余計私は孤立してしまう。

 そんな事を思い巡らせていたら、息子が二人連れ立ってやって来た。次男は先に結婚して私の孫も出来ていたから、たまには顔を見に行くこともあったが、長男は暫く会わないうちに随分親父っぽくなっていた。
早速、祭壇の婆ちゃんと対面。どうもウチの家系は身内の情に希薄なのか、親と子と孫の関係のどれをとっても妙によそよそしい。

「今まで黙っていて悪かったけど、再婚したんだョ・・・・・」
「???・・・・・・・」
「この人イェランさんて言うの。よろしく頼むネ・・・・」
「ヨロシクお願いします・・・・」

女房も語尾が消え入りそうながら、不承不承頭を下げてくれた。

 時間通り菩提寺の住職による読経も無事終了。身内だけの通夜ゆえ、お清めの席は特別設けていないが、別室で軽く一杯飲みながら婆ちゃんを偲ぼうと言う事になった。
近親者とはいえ、普段あまり顔を合わせた事のない息子達は何処となくギゴチナイ。リラックスさせようと私も色々話し掛けるが、実の親子とも思えないほど噛み合わない。
長男も何か喋らなければと焦った挙句に・・・・・・・

「叔父さん、結婚おめでとうございます・・・・」

唐突に言われて、確かにバツ一で今は独身の弟がキョトンと面食らった。

「ウン?・・・・なに?そりゃ違うョ!俺じゃなくてお前の親父のことだろ〜」

どっと笑いが起きて確かにウケはしたが、笑いはどこか乾いたものだった。

 翌日の告別式は午前9時からの開始。それに合わせて遠くの親戚が早目に到着しだした。告別式の読経の為、昨日に引き続きお願いした住職さんも控え室でスタンバイしている。
私も次々に到着して来る、随分ご無沙汰だった父方・母方の親戚に挨拶が忙しい。
女房も卒なく応対していてくれれば良いがチョト気掛かり。混雑の隙間を目で追うが、こっちの心配をよそに何処へ行ったのか見当たらない。
まさか此処に居る筈はなかろうと思いつつも、そっと住職の控え室を覗いた。
なんとチャカッリお客然としてソファに鎮座していた。何たる不敵さ大胆さ、まだ二部屋に仕切られて畳の方に住職が居たから良いものの、失礼がなかったか冷や汗モノの一幕でありました。
昨日、電話口で嗚咽していた大叔父も今日は見事に立ち直り、ロビ−の喫煙所で久し振りに会う親戚連と談笑中。
そういえば私の再婚を知っていても、まだ女房の顔を見ていない親戚もいたっけ。
紹介がこんな場になってしまったが、殆ど冠婚葬祭でしか顔を合わせないのだから、これも仕方がないだろう。

「あの〜・・・紹介がこんな席になって申し訳ありませんが、家内のイェランです。・・・」
「ヨロシクおねがいします」女房もペコリと頭を下げた。
「オ〜〜そうか!よろしくネ」

優しい言葉を掛けてくれたのは、大叔父を始め色気とかヤキモチなどとうに卒業した概ね年寄り連中だった。私と同年輩である従兄弟の亭主を持つそれぞれの奥さんの目はキラリと殺気を帯び、私は思わず目を伏せてしまった。
明らかな敵愾心、よくもいい歳をして娘のような子と再婚だなんて・・・・・・・許せナイ!そんな目だった。反対に亭主連中は「うまくやったネ」「俺も考えようか」など冗談とも本気ともつかない溜息の連発。

「イヤ〜これで結構苦労がいるんですョ〜」
「そんな苦労ならしてみたいネェ〜」

可哀想に従兄弟がまだ言い終わらないうちに、隣にいた奥方の怒りの鉄拳が飛んできた。

 午前9時丁度、如何にも悲しみを盛り上げてくれる調べでエレクトーン演奏が始まった。
婆ちゃんがファンだった五木ひろしの演歌“汽笛”の曲である。

おずおずと僧侶が登場、身内と親戚が見守る中、渋い喉で読経が続く。きっとスナックあたりじゃぁ顔なんだろうと推測。

「お先にどうぞ」「イエイエあなた様からどうぞ」

全員合わせても大した人数でもないのに、後ろで焼香の順番を揉めている。日本人の遠慮深さ、奥床しさも時と場合によるのだ。
順次一通りのセレモニーも終わり、いよいよ出棺の運びとなった。私達三兄弟を慈しみ育ててくれた母親の顔もこれで見納めである。思えば大した親孝行も出来なかった悔恨の情が、フツフツと込み上げてくる悲しみのクライマックス。
これでもかと畳み掛けるような、物悲しいエレクトーン演歌の調べに乗せて、全員が棺に菊の花を添える。祭壇に供えた生花が多かった所為か、アトからアトから「まだ有ります、遠慮なくどうぞ」と言って、葬儀社の仕切り人が盆に山ほど載せて持って来る。
生前婆ちゃんは、それほど先の話じゃないと死を覚悟した時、ポツリと呟いた。

「花に埋もれて逝きたいネェ〜・・・・」

図らずもその通りになったと、あの日あの時を鮮明に思い出した。
ここまで盛り上がってしまっては、最大の見せ場、喪主の挨拶など到底無理。
口を開けば嗚咽が漏れ、考えた半分も喋れず切り上げてしまった。

 位牌を持ちピカピカの霊柩車助手席に乗った。親父の時も私が霊柩車に乗って先導したのかフト考えたが、随分昔の話で思い出せなかった。
極一般の宮型霊柩車であるが、中国人にとってはきっと珍しい事この上ないだろう。マイクロバスに乗って行った女房の奴、あとで私も乗りたかったと言うに違いナイ。
火葬場に着くと、誰もがもうすっかり心のけじめが付いたのか、割とサバサバした顔付きになっていて、変わり身の早さに驚く。
次々と引っ切り無しに同じような霊柩車が乗り付け、聞きしに勝る正月明けの混雑は本当だった。トコロテン式荼毘では仏さんも浮かばれないだろう。

焼き上がりを待つ間、待合室にての小宴。
父方母方キッチリそれぞれの小グループに分かれて、三々五々和気藹々の談笑。
私は喪主ゆえ畏まって僧侶の席で、まったく間が持てず身の置き所がナイ。

30〜40分もするとお呼びが掛かった。最近建て直した火葬場は最新設備を導入したのか、昔と違ってヤケに焼き上がりが早かった。

 小さな骨壷に無理やり押し込められて、哀れ婆ちゃんは懐かしの我が家へ帰ってきた。
ちっぽけな3段白布の祭壇が設えてある。そこに遺影と遺骨を置いた。
人間生きている内が花、死んでしまっては生花に囲まれていても、嬉しい筈がなかろう。

生きていて一緒に暮らしている時は、50を過ぎた私をいつまでも子供扱いする小うるさい親と煙たがっていた。

「今日は雨が降りそうだョ、傘持ってきな・・・・・」
「薄着だネェ〜、そんな格好してたら又風邪引くョ・・・・」
「わかってるョ!いちいち!いつまでも子供じゃネェんだからョ〜」

亭主に早く先立たれ、晩年息子にはそんな邪険な言い方をされて、きっと切なかったろう。
時々作ってもらった好物のがんもどきの煮付け、美味かったなァ〜。もうそんなに長くないと分かってから慌てて作り方聞いたけど、やっぱりダメだ。同じようには作れなかったョ。
カミさんには作ってくれと言うだけ無駄だし、もう二度とアレは食べられないんだなァ・・・・・

 お葬式から1ヶ月後、少しずつ婆ちゃんの荷物の整理を始めた。
年寄りの癖で「要らない物も3年とっときゃ娑婆に出る」式に何でも仕舞ってある。
整理ついでに、大きなビニールのゴミ袋に気前良くポンポンと捨て始めた。

「あれ〜駄目だョ、それ捨てちゃァ。要るんだから取っといて・・・・・」

婆ちゃんのいつもの声が聞こえたような気がした。そんな訳はナイ!と思ったら、言い知れぬ寂しさが急に込み上げて来た・・・・・・・・合掌

12.ラブホテルを探せ!へ続く・・・・


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