国際結婚奮闘記

2.そもそもの始まり篇

ウチの奥さんの結婚直前の自己アピールは、およそ次のような事でありました。

1. 私は良い奥さんになる、知人友人もそういうタイプだと云ってくれてる 。
2. 私は能力も無く遊んでいるのは嫌い。中国人は女性も働くのが当然だし、努力してレベルの高い仕事がしたい。
3. 年齢差は承知。将来アナタが寝たきりになっても必ず面倒を見る。
4. 家事はうまく出来ないかもしれないが、最善の努力をしたい。

これを聞いて、クラッと来ないほうが不思議で涙チョチョ切れる感動でした。

私のほうも感激のあまりエール交換のつもりで 、

1. アナタは若いんだし能力ももっと伸びる。私が側面からどんな事でも応援しよう。
2. 年齢差は申し訳無い。そのかわり私が先に逝ったあとも困らないようあらゆる努力を惜しまない。
3. アナタは自分の才能を伸ばす事に力を注ぎなさい。若い身空で今から主婦に専念する事はナイ。
勿論私に出来る範囲のことなら
家事も手伝おう。

まったく余計な事を云っちゃったモンで、売り言葉に買い言葉で決して本意ではなかった のですが、結局はこれが命取りになるとは・・・・・口は災いの元!
私の方も悪かった。若い頃から働き詰めでここまで来て50歳を目前にして、これから 第ニの人生を謳歌するゾと思っている時に、親子ほど違う若い娘が そのパートナーになってくれる。
・・・・・・・・・ ウウゥゥ これは夢じゃ!夢じゃ!夢でござる〜〜。

中年のオジさんにとって、これほどメンツの立つ話はない訳で、すっかり自分勝手に絵を書いてしまいました。
一度結婚には失敗している身ゆえ、細心の注意を払ったつもりだったのですが恥ずかしながらもう何も見えなかったと云うお粗末・・・・・・・・・(お笑いくだされ)
それから足掛け4年、この決断がゴルゴダの丘に十字架を背負って歩くキリストの姿とダブリ、受難の歴史の幕開けとなる事は未だ知る由もありませんでした。

結婚4年間の系譜

最初に会った時の衝撃。
その憂いを帯びた瞳(近眼だった為)、何処か不幸の影を引き摺り、口数少なく、踏み付けられても逞しく這い上がるであろうその生命力、若さゆえの躍動感などなど・・・・・
人間とは何と浅はかな生き物であろう。・・・・・・所謂ビビビと来たのである。
誠心誠意の真心が通じたのか、何とか結婚まで漕ぎ着けた・・・・・・・・・が?

結婚して1週間で《こりゃアカン》と後悔と無念さに、これから先を考えると暗澹たる
思いに沈んだ事を思い出します。日本式に〈嫁いで来た〉なんて意識が毛頭無いから実に堂々としたもので、遠慮や恥じらいは影すらもない。
我が家に引っ越してきた当日から、自由奔放、勝手気侭、大胆不敵であった。
一人暮しが長かったと聞いていたので、当然自炊していただろう。さすれば美味しい中華料理だって作れる筈と踏んでいた。そりゃぁ、そう思いますよネェ〜

さにあらず、我が目を覆いたくなるような現実を目の当たりにして仰天驚愕。

包丁をマサカリのように扱うのを始めて見た。何処から仕入れて来たのか砂糖黍を薪割りをするが如く、まな板に叩きつけていた。当然、包丁は痛々しいほどの刃こぼれ。
この分では料理の腕を見るまでも無かろうと、美味しい中華料理は夢と消えた。
後から聞いた話だが、上海では男が料理を作るらしい・・・・・・勘弁してよ〜〜

以来、コツコツと先生と生徒の如く、根気良く何事にも腹を立てず、オダテ誉め千切って
今日の地固めを為して参りました。
漸く苦労が実結び本人も成長して、昨今は絶妙のパートナーとして掛替えのない存在になった事は、密やかな私の勝利宣言でもあります。
尤も彼女にすれば「私の何処が我が侭だ!私こそ我慢して来たぞ」と言っています。
当然私一人が耐え忍んできた訳ではなく、人知れず女房殿も努力した事でしょう。
鈍感な私が気が付かなかっただけで、勿論評価していますとも。・・・・・(涙)

本人の才能を伸ばす為and見聞を広める為、年2〜3回の海外旅行を決行している。
よくも覚えていたもので、結婚前にそんな事囁いたかも知れないが私は忘れていた。
去年は韓国、上海2回。その前はイタリア、トルコ、マレーシア、その前は忘れた!
今年は3月にカナダ、4月上海、9月アメリカ、10月に上海。もっとも愛妻に云わせると、上海は里帰りだから回数には入らないと不満らしい。
まったく恥かしくって人には言えないっすよ。

3.てんやわんやのお披露目篇に続く・・・・


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