上海の生活事情篇

9.美容室大戦争 2章

                                                       2007年1月
 金髪美容師は、店に流れているBGMソングに軽くハミングしながら、女房の髪を切り出した。
普通のカットならそれほど時間は掛からない。チャッチャッと瞬く間に切り終えてしまった。
出来栄えは、やはり好みのロングヘアに拘ったか、自分の思っていた長さより大分長い。

「このくらいの方が、今度パーマかけた時に、ちょうどいいですよ」

女房は言葉に詰まった、あれは単なる社交辞令で言ったんだ。
この次があったとしても、パーマなどかける気はなかったのに、これじゃ、カットに来た意味がないじゃないか。
女房は悔しかったが、もうこの店は何をいってもダメだろうと諦めた。
どうせ文句をいっても、ああだこうだと、店の言い分を押し付けてくるに決まっている。
多勢に無勢では勝てそうもない。忌々しいが、もうこの次は無いと思えば、ざまあみろ!である。

 さっきの小姐がやってきた。
しょうがない、顔の汚れ落しはOKしてしまったのだから、今更逃げられない。奥にあるエステの専門ルームに連れて行かれ、小姐の腕によりをかけた入念なマッサージが始まった。
常連獲得への執念は、今まさに炎となって燃えあがっている。

初めてのお客は、最初についた小姐がその後も独占するシステムのようで、別な小姐を指名でもしない限りは、次回もこの小姐がササッと飛んでくる。
これは客にしたら災難な話で、最初の小姐が下手だったり、サービスが悪かったら、店を変えるしかなくなる。
上手そうな小姐を指名してもいいが、鏡に映る自分を時々、悔しそうな目でチラッと見たりされると、なんとなく気まずい空気を感じてしまう。
店の決まりではない様子だが、お客の取り合いをしないよう、小姐同士で暗黙の協定を結んだのかも知れない。
これはどの店でも共通していて、それというのも殆どが歩合制だから、それぞれが自分のお客を持って、どんどんお金を使わせるよう努力しないと、身入りが少なくなるからだ。
なんだか、日本のキャバレーやピンサロのようなシステムと似ているが、本人たちは至って真面目に取り入れていた。

 顔のケアにほぼ1時間掛かるが、その間もひっきりなしに話しかけてくる。
小姐の貧乏な生い立ちから始まり、不遇だった少女時代へと進んで、まず客の同情を買う。
そして美容の世界に入って5年、腕が良いからお客もどんどんついて、今では両親に仕送りもしていると、しっかり自己アピールもして、孝行娘のイメージで客を安心させる。
そうした下準備というか、地均しを済ませて、おもむろに切り出した。

「お客さん、今日、1000元のカード会員になってもらうと、私すごく助かるんだけどな〜」
「今日は駄目だよ、そんなに持ってもってきてないから」

そんな問答を何回となく繰り返しながら、私は誠心誠意尽くしたのにとか、手が疲れちゃったとか、愚痴をこぼす小姐。いよいよこれは脈なしと見るや、

「お客さん、折角、顔の汚れ落しをしたんだから、仕上げの顔パックもしましょうよ」

値段を聞いたら10元だというし、女房にすれば、どうにかと1000元カードは断り切ったのだから、まぁ、そのくらいは顔を立てなきゃ悪いかなと思いOKした。
洗髪から始まり、カット、ブロー、顔の汚れ落し、顔パックの所要時間2時間半で、ようやく開放された。
それでもオープンサービスを利用したから、総額58元で済んだから、その点だけは満足した。
さて、支払いを済ませて帰ろうかと思った時、先ほどの美容マネージャーが再びやって来た。

「どうですか、考えてもらえましたか?」
「何を考えるの?わたし、なにか言ったっけ?」
「やだな〜、1000元のカード会員のことですよ」
「だから、それはさっき言ったじゃない、今日は買わないって!」

余りのしつこさに女房も切れかかった。女房の腹は、こんな店!もう絶対に来ないという確信に満ちている。
店側も今日買わせなければ、この次がないのは百も承知、だから必死になって買わせようと迫ってくる。
しばらく不毛の攻防戦は続いたが、ようやく「それじゃ、この次はお願いね」とスゴスゴ引き上げていった。
今度こそ間違いなく帰れるかと思ったら、最前のカット美容師が音もなく現れた。

「次回、パーマをかける時は、来る前に私の携帯に電話ください」

冗談じゃない、何でいちいち電話なんかしなければいけないのよ!
もう来る気はないにしても、たった一人のお客の争奪戦に振り回され、いい加減辟易してしまった。

「そうしてくれれば、ワタシ、ほかのお客を放ってもアナタのやりますからね」

そういいながら、さりげなく髪にブラシをあてて整えてくれた。
なんとまぁ、調子のいい奴だろう。
百戦錬磨の敵中を掻い潜り、やっとレジまでたどり着いた。
カチャ、カチャ、チーン、今日のお代のレシートを見せられて、またガックリ。
確か顔パック10元といった筈なのに、20元と打ち出されている。
もう、文句を言う気力も消え失せて、女房にしては珍しくそのまま払って帰ってきたそうな。

上海中心部の美容室は、今は大筋でこのような店が多い。だから、お客はみんな困っている。



 中国には美容師、理容師の国家試験なるものがないらしい。
一応、基礎知識と初級の技術を教える学校はあるが、これだって美髪科が90日間、美容エステ科が60日間とかなり短い。だが、美容師の全部が学校を出ている訳ではない。
授業料が美容エステで3800元、美髪・理髪で5000元以上もするから、地方出身の子など、美容室で働きながら、見様見真似で覚えていくケースが多い。

 どっちにしても国家資格がないのだから、自分が美容師だと名乗れば、今日からでも美容師になれるお国である。日本のカリスマ美容師のように、実は国家資格を持っていなかったことがバレて、急転直下、奈落の底へ真っ逆さま。今どこにいるんだろ?なんてことは絶対にない。
日本人は硬い、硬すぎる。カリスマになれるほど技術が確かなら、別に特例として認めてもいいじゃないかと思うが、昨日の友は今日の敵、マスコミはこぞって叩き、表舞台から引き摺り下ろしてしまった。
中国は中国で、これまた軟らかすぎて困るところもある。
この学校出立ての若者が臆することなく、「俺は、もう5年以上の経験がある!」なんて平気でホラを飛ばし、恐れもせず人の髪を切るのだから、上手なカットなど望むべくもない。


朝礼ショットは怖くて撮れなかった美容室
 うちのすぐ近くに、美髪美容の大手チェーン店がある。
ここなどは自社直轄学校を持ち、ところてん式に美容師を養成しては各チェーン店に配属させている。
各店で使用する化粧クリームから整髪剤まで、自社の工場で賄っているというから半端じゃない。
更に従業員教育も他店にはない厳しさで、毎朝、表に出て朝礼をしている。
いや?、私も毎日監視している訳じゃないから、時折なのかも知れないが、とにかくよく目にする。

 一昔前の中国人なら、衆人環視の中でこういうことをするのは嫌がったが、就職難の折、文句を言うものはいない。
季節の良い時ならそれもいいが、真冬の小雨そぼ降る中でもやっているから、これでは生半可な奴はついて行かれないだろうと、私なんか感心して見ている。

 従業員の布陣は洗髪・エステ小姐が15人くらい、カット美容師が男性10人ほどで、それを統括する責任者が男女1人づついて、盛んに檄を飛ばしていた。
全員、英国の衛兵を思わせる赤いミリタリー上着を着用、朝礼も軍隊式で、点呼に始まり、礼の角度、挨拶の言葉の反復など一日の始まりを引き締めたものにしている。

「声が小さ〜い!もっと大きく!ほら、そこ、背筋を伸ばせ!」

中国は男女雇用均等法など昔っからだから、うら若い小姐に対しても容赦ない叱責が飛ぶ。
一通りの礼式が終わると、今度は体操だ。従業員も赤いミリタリーを着ていてはやり難い、まして小姐はスカートである。だが、そんなことはお構いなし、統括責任者の声は一オクターブ高くなり、熱気が漲る。

「足を高く上げろ〜!そんなんじゃ、体操にならんぞ〜!ハイ、股を開いて〜!」

ややっ!生唾ゴクリ!こんな決定的瞬間、そうそうは巡りあえるもんじゃないとカメラを掴んだが、小心者の悲しさでレンズが向けられない。見つかったら最後、追い駆けられて殴られそうなのが怖かったからだ。
中国人を温厚な国民などと思っちゃいけません。これで案外、喧嘩っぱやいのです。
適度な運動を終え、これで朝礼も終了かと思いきや、全員が白く吐く息を整える間もなく、

「右向け〜右!駆け足〜!」

 先頭に立った統括責任者は、準備よく用意した笛を吹きながら、正面の大通りに出た。
その責任者がリズムを取るように何やら叫び、全員がそれに追従して大声で合唱しながら駆け始める。
何か、デモのシュプレヒコールの様でもあり、アメリカ海兵隊の定評ある下品な掛け声で走る姿にも似ていた。
どうせなら店の名前でも叫びながら走れば、宣伝にもなるし一石二鳥なのにね。
恐らく店側がこういうシステムを取り入れたのは、仕事始めに気合を入れて、客に対して恥ずかしさや躊躇いなどを、吹っ飛ばす効果を期待したのだろう。
客に無理やりセールスするんだから、やっぱりこのくらいやらなきゃ、成績は上がらないのかも知れない。
お笑い芸人なんかも恥ずかしがっちゃ出来ない商売だから、先輩や師匠が舞台度胸をつけさせるために、同じように鍛えるという話を聞いたことがある。
もっともこちらはもっと過激で、大勢の前でフルチンにさせるとか、今は場所を選ばないと痛〜いお灸をすえられる。ついこの間も、そうして鍛えられた関西の芸人が、中国の海南島でTVの収録中、由緒あるお寺で尻を捲くって大目玉を食らったことは耳目に新しい。

 ここでも可哀想なのは小姐で、ヒールの高い靴のまま走らされている。
ピンヒールじゃないにしても、かなり走り難くそうで、コケて足首でも捻挫したらどうするだろうと、見ている方がヒヤヒヤものだった。
しかも、その辺を軽く走って、ちょっとお茶を濁す程度のデモンストレーションと思いきや、これがかなり遠くを一周してくるという過酷なもの。
何で分かったかというと、別について行った訳じゃないが、私が散歩から戻り、しばらくしてからエッサエッサ全員が白い息を吐きながら、うちのマンション下を通り過ぎて行ったからだ。
このくらい厳しいから、店内の雰囲気はダレているところがなく、キビキビとしていて気持ちはいいのだが、残念ながら肝心の技術がそれに伴わないのが、今いち惜しい。

10.美容室大戦争 3章へつづく

2007年2月9日分、次回更新まで中国ランキングのクリックよろしく。

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