2001年11月、上海に来てすでに1ヵ月半。
暇そうに手持ち無沙汰な私を見兼ねて、お舅さんが銭湯に誘ってくれた。
好意は有難いが一瞬の怯みが脳裏をよぎる。
いつもの事ながら警戒せずばロクな目に遭いかねない。用心に越した事はないのだ!
「中国の銭湯って、やっぱり大きな浴槽があってみんなで入るの?」
お舅さんが大きく頷く・・・・・・・・・ここで簡単に信用してはいけない。
女房も昔は随分通ったらしいが、確かシャワーだけだったと曖昧な返事。
「浴場もランクがあるョ、日本人のアナタを連れて行くのだから、ちょっとレベルが上のところだと思うョ?」
全く持って他人事のように情がない。
更に「自分も一緒には行くが、入らないで外で待っている」と言うのが如何にも怪しいではないか!
私だって上海まで来て、東京と同じようなゴージャスな風呂屋に行きたいとは思わないが、モノには程度って事もあるから不安は拭えない。
別途料金でアカスリやマッサージも出来ると言う。
さすがお舅さん、最近、私の落し所を心得ていて、間髪入れず今度は大好きなマッサージとアカスリあとの爽快感を強調した餌を撒いた。
まんまとその手に乗ってしまった私は不覚にも、日本の銭湯にも昔あった、あの懐かしい三助さんに背中を流してもらう、仄々とした情景を思い浮かべてしまったのだ。
まさか湯船に浸かりながら、壁面の富士山の絵を眺めるまでは望めないだろうが、幼い頃母の手に引かれて銭湯の暖簾をくぐった思い出がフッと甦ってきた。
ひょっとすると中国であの頃の風呂屋に出会えるかも知れない・・・・・・・
それで・・・・・・・まぁモノは試し、恐い物見たさで行ってみようという事になった。
時間通り夕方4:00にお舅さんが迎えに来た。
慌ててシャンプー、石鹸、タオルを用意するが、「みんな向こうにあるから心配ない、消毒したタオルだってあるぞ〜」と大見得をきった。
ほんまかいなぁ?・・・・・・・マァ用心にシャンプーと石鹸はショルダーにソッと忍ばせた。
タクシーで10分くらいの所にお目当ての浴場があった。
こんなに遠くてはちょっとひとっ風呂浴びて来るという訳には行かない。
上海も昔は方々に沢山在ったらしいが、銭湯の衰退は日本と変わらない。
シャワー設備など望むべきもない一般庶民や労働者はどうしているのだろうか?
嘗て40年ほど前は、日本だって家庭に風呂のある家は少なかった。
銭湯は庶民の憩いの場でもあったし、数少ない情報収集の場でもあった気がする。
広い浴場内から木霊のように聞こえてくる、あの木桶のカ〜ンと響く共鳴音が何とも懐かしい。
開け放たれた大きなガラス戸の外には猫の額ほどの池があって、ちっちゃな鯉や金魚が泳いでいた。
縁の式台から湯上りにここで涼むのが気持ちよいもので、子供心に楽しみでもあった。
見知らぬ小父さんが、そこで片手をを腰に当てながら、如何にも美味そうに冷たい牛乳を一気飲みするのを、羨ましげに見詰めた記憶がある。(俺だって大きくなって稼ぐようになったら2〜3本纏めて飲んでやろう・・・・)
たまに父親と一緒に行く事もあったが、一度も買ってくれる事はなかった。
元来、厳格なその人柄は「お風呂は遊ぶ所ではない!」と言下に許さず、ご丁寧にも頭も体も二度洗いを命じられて窮屈した思いや、加えて江戸っ子に似合わぬ1時間以上も掛かる長湯に閉口して、小学校高学年になると段々敬遠するようになっていった。
それも今はただ懐かしく、早くに亡くなった父親とを繋ぐ唯一の接点として、私の心に微かな親子の温もりとして残っている。
隣の女湯脱衣場からは赤ん坊の泣き声が喧しく、それをチラチラと横目で見ては、お手伝いの若い娘に(早く行って着せてやれ・・・)と目で合図を送る番台の小父さんは、それなりに威厳があっていつもムッツリしていた。
子供心に風呂屋の倅に生まれたらどんなに嬉しかっただろう。
若しそうなら喜んで家業を継いで、堂々とあの憧れの番台に座れると思ったものだ。
日本も昨今殺伐とした時代になったが、これひとえにこうした裸の付き合いや触れ合いがなくなった所為ではないだろうか?

案内が居なければ通り過ぎてしまいそう |
銭湯らしくない佇まい
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上海の風呂屋の佇まいは、どこか病院を思わせる雰囲気。
周囲の崩れかけたレンガ塀が、写真で見た終戦直後の焼け跡に残った風呂屋を連想させる。
残念ながら暖簾はなかった。1階入り口には映画館のチケット売り場のような入浴券売り場があり、薄汚れた白衣を着たおじさんが無愛想に座っていた・・・・・・・いよいよこりゃぁ病院だ!
どうも最初からイメージが違うような気がしてきたが、ここまで来たら俎板の上の鯉同然、萎える気持ちを奮い立たせるように予定通りアカスリ、マッサージ付きのフルコースを女房に頼んだ。
私のは〆て46元(700円)、お舅さんは入浴だけの12元を購入した。
愛妻は予告通り「2時間したら入口で待っている」と連れない言葉を残し、何処へやらゆっくりお茶が飲めて本が読める店を探しに、サッと踵を返して立ち去っていった。
一切振り向くこともしないその後姿は、なまじの男より男らしい凛々しさが後に漂う。
浴場そのものは2階にあり、古びた階段を緊張の面持ちで足取り重くあがる。どこか13階段に上るような不安が広がってきた。
2階にはやはり男湯と女湯の入り口が分かれていて、ここには暖簾があるにはあったが、ゴムシートが足元まで垂れ下がり情緒の欠片もあったモンじゃない。
ゴム暖簾くぐって、壊れかけた入り口のドアを押して中に入ると、割と広い空間に所狭しと50台くらいの長椅子がズラッと並んでいる。
雰囲気的には東京の場末にあるサウナをもっと不衛生にした感じと想像して貰えばいい。
長椅子に掛かるシーツも、傍らに置かれたバスタオルもトコトン使い古され、元はピンクの格子縞だったと判別できるが今はその面影もない。
愛想笑いを浮かべた荷物の番人が、私達二人の場所を指定してくれた。
脱衣籠もなければ、それらしきロッカーもない。・・・・・・・・・(ここで脱ぐのだろうか?)
周りを見渡すと、奥の浴室入口からフルチンの人が盛んに出入りしているから、やっぱり状況からして此処しかないのだろう。
それにしても傍で早く脱げと言わんばかりに番人が突っ立ているし、脱いだモノだってここに置いて行くのだろうか?カメラだって持って来たし、多少の貴重品もある。
エエ〜ままよ!服を脱ぎ捨てると、待っていたとばかりの番人はYの字になった三又棒でヒョイと頭上のフックに引っ掛けた。ナ〜ルホドこれは頭がいい。
これなら場所を取るロッカーも要らないし、盗難だって三又棒がなければ手が届かない。
お舅さんがすでに入り口で手招きしている。
タオルがあるといったがどこにも見当たらないし、待っていてもこの番人がくれそうもない。
仕方なく無様な姿で備え付けのサンダルを履いて浴室入口に向かったが、何となく周囲の客の目線が私に向けられているようで身が縮みそうだ。
こうなりゃ恥も外聞もない!お舅さんに身振り手振りを交えて日本語で・・・・「タオル!どこ!」
そこにあると顎でしゃくり上げる方向を見るが、それらしきモノがどこにもない。
「どこ!ドコ!無いよ〜、まさかこれじゃ無いよネ〜」
カウンター脇に積み上げられている濡れた雑巾の束を指差すと、ピンポ〜ン見事正解。
そこで四の五の言っても始まらナイ!仕方なく一枚摘み上げて、ようやく中に入った。
まずそこは幅3m奥行き6mくらいの広さで、白いタイルが黄色く変色したシャワー室だった。
確かに剥き出しの配管から、湯気の立つお湯が出ているからそれと分かるが、しかしなんといっても豪快そのもの。シャワー口が無いから調節しようもなく、配管口そのままから全開で直接お湯が注ぎ出くる。
ドドド〜・・・・・・これじゃ日本の温泉によくある、高い位置から落下するお湯に打たれるとマッサージ効果があるという打たせ湯と同じだ。
仕切り壁の奥にもうひとつ開け放しの出入り口があり、そこをくぐると浴槽室がある。
湯気がモウモウと立ち込めた銭湯の懐かしさは無かった。きっと湯がぬるいのだろう。
シャワー室より更に陰鬱な感じで、湯に入りに来て背筋が寒くなるような、どこか手術室のような冷たさを感じる。排水も流れが悪いらしく隅に冷めた湯が溜まっていた。
湯の色は何か薬でも入れたのか、嫌に青み掛かった緑で、きっと汚れが目立たないように親切なる配慮を施したのだろう。私も中国は大分慣れたからその辺は察しが付く。
まだ時間も早いせいか先客の数は5〜6人と少なかったが、もっとも横3m縦4mくらいなので、何十人もいっぺんに入れる広さではない。
湯船の縁は30cmほどあり、先客の肥満した子供がその縁に寝そべってアカスリの真っ最中だった。
プヨプヨと肥えて豚の丸焼きのような姿態は、甘やかし放題の中国ひとりっ子政策の歪が感じられる。
胸毛の生えた四十絡みのアカスリ三助さんもフルチンで、粋なサラシに半だこの一心太助風とは縁もゆかりも無いあられもない姿であった。こりゃぁ益々想像した銭湯の懐かしき香りから遠くなっていったぞ。
お舅さんが木札をアカスリ人に渡して、湯船に入り順番を待つ・・・・・・やっぱりぬるい。
江戸っ子の私としては我慢ならない所だが、敵地では仕方あるまい。
ぬるい湯に浸かりながらお舅さんが、隣に沈む厳つい親父に聞いた。
「あんたもアカスリやるの?この人は遠くからわざわざ来たんだから先にやらせくれないか?」
遠くから来た人というのは私のことである。確かに日本から来たのだから間違いではないが、そんな事は関係ないとばかりに烈火の如く顔から火を噴いて怒る親父。
図々しく聞く方も聞く方だが、怒る方も怒る方で、穏やかに話せない中国人の一端を垣間見た。
怒りついでかどうか、その親父、湯船に腰掛けたままシャンプーたっぷりつけて頭を洗い出す暴挙に出た。
ギョギョ!あれ〜そんなのありかヨ〜・・・・・・・
何を思ったかお舅さんまで負けじと、私の隠し持って行ったシャンプーで頭を洗い出した。
その先はある程度予測は付いたが、やはり見事に期待を裏切らず件の親父はその泡だらけの頭のままザブッと湯船に潜った。
ムムッ!何でもありかヨ〜・・・・・・・
ほかの客も黙っているし、これが中国銭湯のやり方かとも一瞬思ったので文句も言えず、ただアングリ口を開けて静観す。
さすがにお舅さんはそこまでやらなかったが、湯船のお湯をタオルで掬い上げて被ったから同じようなものか。
子供のアカスリが終わり、その親父の番になった。衆人環視の中、悠然と無防備に小砲を晒して大のおとなが寝そべる姿は、どう見てもイタダケナイ。
次は私の番である。出来る事ならキャンセルしたかったが、ここまで来て敵に後ろを見せるわけにもいかない。途中何を聞かれても孤立無援で分からないから、覚悟を決めて事の順序を頭に叩き込むべく見守った。
15分ほどでトドにも似た親父が終盤に差し掛かった。擦られ過ぎて全身真っ赤で痛そう。
他の人に割り込まれないよう「近くに行っていろ」とお舅さんが背中を押す。
エエ〜イ!こうなりゃ、どうとでもしやがれ!
最初は湯船の縁に腰掛けて背中を擦られる筈が、いきなり粗いタオルで顔をゴシゴシやられ、痛すぎて鼻血が出そうである!
こっちは欧米並みにシャワー生活が長いから、忘れるくらいアカスリなどやっていない。
かなりアカスリ人も遣り甲斐があるだろうと想像していたが見事的中。予測を遥かに超えて恥ずかしくなるくらいだった。擦り上げて肩越しから垢がパラパラではなくバラバラ落ちてくる。
いいのかなぁ〜・・・・・・必然的にそれが湯船の湯に落ちてしまうが、一向にお構い無しだ。
日本人なら一斉に湯から飛び出て逃げ去ること請け合いだが、他の中国人客はものともせずに私の方を注視しているから恐れ入る。
いよいよどう見ても様にならない無防備の仰向け擦りに移った。意外と肝が据わったせいか、それほど恥ずかしくない。
それこそ体中隈なく擦ってくれる。手抜きはナイ。とても自慢できる代物ではない私の伝家の宝刀も、躊躇する事無くヒョイと摘み上げ股の付け根まで念入りに擦ってくれた。必殺アカスリ人の妥協を許さない一途な性格が窺われる。
裏返しのうつ伏せになっても、手を緩めないプロ意識に全身ヒリヒリとして真っ赤ッかの茹蛸のようだ。
叫び声も上げず歯を喰いしばって耐えた15分間であった。肩をポンポンと叩かれ終了の合図に思わずほっとした溜息が漏れた。
「謝・謝」と一声掛けて、そのままザンブリと湯に入ったが自分でも気持ちが悪い。
日本人は体を流してから湯に入る習慣がある為、そそくさと湯船から出てシャワー室に直行。
お舅さんと並んで配管口から直接太く噴き出るシャワーを浴びて、這這の体で出てきた。
お舅さんだってそんなに来た事がない筈なのに、勝手を実によく知っている。
無雑作に出入り口カウンター脇の大きな箱のフタを開けた。巨大な蒸し器のようで一斉に湯気が立ち上る。
如何にも慣れた手付きで熱々のタオルを摘み上げ、私にも一枚取れと盛んに指差す。
消毒したタオルがあると聞いていたが・・・・・・・これか!?
私の家の雑巾だってもう少し気が利いてる。これでは蒸して消毒してあると言っても、気休めにしかならないだろう。恐る恐る一枚摘み出したが、お舅さんのようにそれで顔をゴシゴシ擦る気にはならない。
先ほど所定の長椅子まで戻ると、追い掛けるように今度はマッサージ人がやって来て、早く横になれと急かす。
ちょ、ちょっと待ってよ〜・・・・・・こっちはまだフルチンで右往左往。
もうバスタオルが汚いなどと言ってられず、急ぎ腰に巻く。
気後れする環境の中で按摩されても、筋肉が何処か緊張していて気持ち此処に有らずで上の空。
それに上海で普段行き慣れている美容室での按摩やマッサージとはえらい違いだぁ!
・・・・・・・・あぁ〜あの、若い小姐のしなやかな指が恋しい。
ここは地獄の1丁目、雲泥の差とも言うべき無骨な手が遠慮会釈なく襲い掛かる。
コキッコキッと骨が軋むほど指圧の技が繰り出される。
もうこの際日本人などと隠しては居られない「イテテッ!」と日本語で叫ぶ。
お守り役のお舅さんが、すかさず「もっと丁寧にヤレ!」???とマッサージ人に指示が飛んだ。
普通、美容室のマッサ−ジは1時間が基本だが30分ほどで終了してくれた。
美容室なら時間が短いと文句を言うところだが、こういう時は有り難い。
私が安堵の思いを込めてニコッと笑い「謝・謝」と言った言葉を、マッサージ人は客の大満足と受け取ったらしく、大いに自分の腕に自身を深め、勝ち誇ったようにニカッと笑顔を見せて戻っていった。
・・・・・・・・・げに勘違いとは恐ろしい〜
フト時計を見ると思ったより時間も大分経過していた。這這の体で帰り支度を急ぎ、階下に降りてくると、すでに女房が所在無気に入り口の壁にもたれて本を読んでいた。私達に気が付くと堰を切ったように、如何にこの2時間待ち草臥れたかを訴えてきた。
随分歩き回ったがお茶など飲める店が無かったらしく、アッチコッチ徘徊していたらしい。
「こっちも酷い目に遭ったのだからドッコイドッコイだよ」・・・・・私は笑いながら慰めた。
外は幾分薄暗くなっていて、上海の夕暮れがすぐ其処に迫っていた・・・・・・・・・・・
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