上海の厳しい現実篇

11.公安を呼ぶぞ!

                                                       2006年12月
 上海も12月に入ると、風の冷たさが身に沁みるようになり、一層寒さが厳しくなってくる。
物臭な私ら夫婦は、窓から顔をちょっと突き出しては、「お〜寒い、すごく風が冷た〜い!」なんていいながら、それを言い訳のようにして、部屋の暖房をガンガン利かせ、今日も一日篭城を決め込む。
上海のマンションは寒い、しんしんと寒い。部屋の中にいて指先が冷たくなってくるほどである。
いくら外壁厚があっても、内装に断熱工事を施していないから、ストレートに寒さが伝わってくるのだ。
暖房をつけるといっても、3LDKの部屋全部を暖かくしている訳ではない。
倹約女房がそんな不経済な事をする筈がなく、6帖間ほどのパソコン室だけに暖房が許されている。
ここで日がな一日、女房と鼻面を付き合わせながら過ごす日もあるが、息が詰まるとか、喧嘩もないから、まぁ、仲はいい方なのだろう。
 
 このパソコン室が、いわば冬将軍と戦う本土防衛拠点みたいなもので、どうしてもトイレや厨房に行かなきゃならない時など、まさに冷気の中を突破する気構えで、部屋を出て行くのである。
別に面白がってやっている訳ではないが、案外、慣れてくると不便さはそれほど感じなくなるから不思議だ。
これだけならまだしも、女房の奴、就寝前には換気と称して、寝室以外の部屋の窓を少しづつ開けて回る。
凍えそうに寒い晩でも関係なく、必ず開けて回る。
朝になると部屋は、まるでヘルハウスのように、冷気とも霊気ともつかない空気が全体を支配している。
早起きの私など、寝床との急激な温度差で、脳の血管がプチンと切れ、そのまま一巻の終わりになるんじゃないかと、いつもヒヤヒヤしている。

 パソコン室に立て篭もっていても腹は減る。
食事のことが問題だが、私は朝は食べない。肥満を気にしてコーヒーだけにしている。女房も昼近くに起きてくるのだから当然食べない。
お昼は食べるが、寝起きの女房が何か作ってくれるだろう、なんて期待などしてはいけない。第一、そんな殊勝なタマじゃない。
機嫌のいい時で、お湯を沸かすだけ。注いで終わりの即席ラーメンである。
最近はもっぱら、パッパと電話して、弁当の宅配を頼んでいる。
弁当の値段はおかずの内容によって多少違うが、1食8元(120円)〜10元(150円)、大体、30分くらいで持ってきてくれる。
女房にいわせれば、この方が安くて栄養のバランスが良いのだというが、私にはただの面倒臭がり屋としか思えない。
中国では弁当ではなく便当と書く。日本と違い、盛りが極端に良いので、私はいつも食べきれないのが難点でもある。

 大人しくしていると、晩飯も弁当になりかねない危機感から、なるべく夕方は外に出るようにしている。
夕暮れの街を散策して、適当な店で食事をする。それが時にはカレーライスだったり、韓国ビビンバや焼肉だったり、日本料理の時もある。中国にいて殆んど中華料理店には行かない。
中国料理はかなり油を使うので、それが鼻に付いてしまい、食欲がまったく湧かなくなってしまったためだ。
私ら夫婦はよほど貧乏性に出来ているのか、桂林米粉(ビーフン)とか、麻辣湯やワンタン見たいな庶民的なものが一番口に合う。それに5元(75円)か6元(90円)で食べられるから、何といっても安い。

 その日も、野菜をタップリ入れた麻辣湯を食べ、大満足。
足取り軽く、家路を急いだ帰り道で・・・・・・あっと驚く!思い掛けない事件に遭遇した。



 以前、NHKのドキュメント「コンビニ戦争」でも紹介された、うちの近くのコンビニ店。
そこから脱兎の如く走り出てきた初老の男、その男の後を追い駆けるように若い店員も出てきた。
さすがは若さの勝利か、店から10数mのところで追着き、初老の男の腰へタックルした。

「なに、するんだ!離せ!」
「さぁ捕まえた、ハァハァ、いいから、ちょっと店に戻ってよ」

それでもなお初老の親父は、店員の手を振り解いて逃げようとするが、ダメだ!野次馬がその行く手を阻むよう、遠巻きに集まってきた。
いつものことながら、他人の騒動に異常なまでの関心を示す、中国のレベルの高さには感心する。
どうやら、盗った、盗らないの押し問答をしているから、この初老の男が万引きで疑われているようだ。
押っ取り刀で駆けつけた、田舎のお姉ちゃんタイプの同僚店員も、最初は恐々(こわごわ)と離れていたが、この親父が割りと大人しそうであると見るや、途端に元気を盛り返して、

「ワタスは見た!うんにゃぁ、見間違いなんかでねぇ、絶対、盗っただ!」

夜の帳がすっかり下りた暗闇で、双方の言い合いは続く。
そのうち、観客、いや失礼、最前列の野次馬が、ちょっと停滞してきた展開に業を煮やし、

「おじさんよお、盗ってないんだったら、店で堂々と説明すればいいだろ、なぁ」

最後の「なぁ」は当事者ではなく、周りに集まった同じ野次馬に、同意を求めるような言い方だった。
中国の野次馬は参加型だから、こうなると人の揉め事も、ちょっとしたイベントのようになってくる。
親父もこうなっては逃げ果(おお)せないと観念したか、今度は引かれ者の小唄ように居直った。
兄ちゃん店員に腰を掴まれて、渋々店に戻って行く。その後ろをゾロゾロと、これまた野次馬の列が続く。

万引き事件のあったコンビニ日本っぽいけど、上海です

 店の前は黒山の人だかりになった。
日本なら差し詰め、奥の事務所に連れて行くのだろうが、上海では店先で衆人環視の中、素人同士の現場検証が行われた。

「ポケットにあるもの、全部出してよ」
「何で、そんなことしなきゃ、いけないんだ」
「分かってないね、おじさん。潔白なら堂々と証明しないと帰れないよ」

かなり大きな声だったので、レジに並んでいた客が一斉にこっちを向いた。
私は外からガラス越しに見ていたが、血の気の多い野次馬は店の中まで入り込んで、成り行きを見ている。ヤヤッ!女房もその中にいるではないか。

あいつめ、普段私には、他人の事に首を突っ込むな、とか何とか意見するが、自分はどうなんだい!
ガラスを挟んで、私の真向かいで対峙する渦中の2人。
私はこんなところでよくやれるもんだと思った。日本なら例え万引きでも、プライバシーの権利は守られる。
まさか、大勢の目に晒させながら詰問するなどあり得ないし、そんなことでもすれば恨みをもたれて、あとで火でも付けられかねない。

 明るい蛍光灯の下で見た親父は、ごく普通のお父さんという感じで、身なりも悪くなく、生活に困っている風には見えなかった。日本でもこんなタイプの万引きが多いようだ。
店員に再度促されて、親父は渋々備え付けのテーブルに所持品を出して並べた。

「ほら〜、あったじゃない。この髭剃りどうしたのよ?買ったんならレシート見せてよ」
「あれ〜?なんで入ってんだろ、俺は知らね〜な」

それはないでしょう、おとうさん!勝新太郎のマリファナパンツ事件じゃないんだからさ。
そのあとも、支払いを忘れたとか、レジが込んでいたから後で払おうと思ったとか、苦しい言い訳が続いた。
店員は勝利を確信した。さりげなく店の出入り口の塞ぐ格好で、再度の逃亡を防ぐためガードを固める。

「おじさん、店の方針でね、万引きは盗った物の、10倍払ってもらうことになっているんだよ」

この辺も日本とは違う。よくTVの特集で万引き事件を取り上げているが、窃盗者は大体、「お金は払いますから、勘弁してください」と懇願するが、店側は絶対拒否、お金を払えば済む問題じゃないと突っ撥ねる。
それなのに、こちらはお金を払えば解決できてしまうのだから、如何にも金権中国らしい。

「そんなに持っている訳ないじゃないか!そりゃ、法外ってもんだ」

ちょっと待ってよ、おとうさん。そんな言い方はしたら、万引きを認めたことになるよ。
私のテレパシーは届かず、親父は万引き代の値切りに掛かった。国が変わると、ここまで面白い。
財布からクシャクシャの50元札を取り出し、店員に「これしかないから」と強引に握らせようとした。
素早く手を引っ込めた兄ちゃん店員、髭剃りは25元だから、そんなに値引きはできっこない。
どうしても250元でなきゃ、勘弁できないと睨み合いは続いた。
どうにも埒が明かないと見た店員は、カウンターの中にいる小姐に、なにやら相談しに行く。
中間報告に来た女房の話では、この小姐が店長なのだそうで、いわば責任者の指示を仰ぎに行ったのだ。
小姐店長が首を横に振っている、どうやら値引きには応じないらしい。テロには屈しない、どこぞの大統領や首相と姿がダブってくるようだ。

「おじさん、250元は店の決まりだから、どうしても払えないなら、公安呼ぶよ」

店側も公安を呼ぶとますます面倒な事になるし、なるべくなら呼びたくないという気持ちもあったが、こう膠着状態が続いては是非もない、この上はキッチリした法の遵守で決着をつける意思を明確にした。
だが、この一言で、初老の親父は完全に開き直った。

「おうっ!呼んだらええがな、俺は仕事もしていないし、金も無いんだから、怖くなんかないぞ」


路上販売の撤去勧告でも、たちどころにこれだけ人が集まる
 どこの国でも、どの世界でも、失うものが何もない人間が一番強い。
成り行きは、親父の思いがけない反撃で、たちどころに攻守が入れ替わってしまった。
ここまで店に入ってから20分が経過。見物人も少なくなり、女房を含めた4、5人がしつこく見守っている。

「そうだよ、公安呼んだ方がいいよ、癖になるからね」

そう発言したのは、あろうことか、女房だった。
思わぬ援護射撃を得て、また店側が押し返した。
公安を呼ぶぞ!呼んでいいのか、ホントに呼ぶぞ!と呪文のように繰り返す兄ちゃん店員。
呆れた小姐店長は、とうとう公安に電話してしまった。

 こうなれば、もう説得も脅しも必要ない。
すべては公安が来てからの休戦状態に入った。
ホッとした兄ちゃん店員、サバサバした親父、共に疲れたのか、外に出て一服の火を点ける。
ちょうどライターを持っていなかった親父に、火を点けてやっている店員。この場面だけ見たら、馴れ合いとも取れそうな様子がなんとも可笑しかった。



 コンビニ店の前面にある通りを、後方から音もなく公安のパトカーがやってきたのは10分後だった。
車から降りてきたのは、雲を突くように大きい警官で、その巨体が大儀らしいのか、長い足をちょっと引き摺るようにして店に入っていった。
一人かと思っていたら、間もなくもう一人降りてきて、これまた面倒臭そうに店内へ。
店内で簡単な事情聴取が始まったが、私は特にこの警官から退去命令出なかったので、そのままガラス越しの特等席で凝視し続けた。
最後まで粘っている女房も、また店内に入り、間近で見ている。
警官は、一見して無関係な野次馬と分かっていても、特に何も言わない。中国では悪いことをした人間は、当然のようにTVでも新聞でも堂々と顔出しするから、プライバシーなんてものは関係ないのかも知れない。

「私はですね、盗ってなんかいないんですよ。それをこの店員が難癖つけて・・・・・」

警官はニヤニヤしながら聞いているから、恐らく本当にはしていないのだろう。
バインダーに挟み込んだ調書みたいな用紙に、その男の住所と名前を書き込んだ。

「ちゃんと調べてくださいよ、口で言っただけじゃ、嘘かも知れないじゃないですか」

猛然と兄ちゃん店員が抗議をしたが、警官はそれ以上、身分証の提示を求めなかった。
中国だって歴(れっき)とした窃盗罪はあるのだろうが、万引きくらいは、あくまで微罪放免として処理したい考えのようだった。

「お父さん、お店だって何もなければ、ここまで騒がないんじゃないか?だったら、この髭剃り買ったら?」

警官から出された和解案である。ここで手を打っておけば、一件落着で放免になったのだろうが、親父は事の流れがこちらに向いてきたのを敏感に察知して、買わないで済まそうと考えた。

「ここまで疑われて、こんな物まで買わされたら、もうおっかなくてこの店じゃ、買い物なんてできないよ」

今まで散々言われっ放しだったから、女房を含めて執念深く最後まで見届けようとしている人や、たまたま買い物に来ていた人達に聞こえるよう、声高に言った。
これには警官もムッとした。穏便に済ませてやろうとした気持ちを、これでは踏み躙られたようなものである。
こいつ、どうしてやろうかと思った矢先、兄ちゃん店員が巨体警官の袖を引き、奥の部屋に案内した。

「おまえ!やっぱり盗ったんじゃないか!いま奥で防犯ビデオ見てきたぞ!」

 店中に響き渡るような大きな声で、カミナリが落ちた。
おやおや、動かぬ証拠が出てきてしまった。
二兎を追う者は一兎をも得ず、虻蜂取らずの大失態。
いい歳して恥ずかしくないのか!と懇々の説教。
ハハァ〜恐れ入りましたと、がっくり項(うな)垂れる親父。
事ここに決着して、改めて店側は、罰金にあたる10倍の250元を持ち出した。
だが、これは法律に決められている訳ではなく、店側が勝手に決めたことであるから、その必要なしとの裁定。
親父が25元の髭剃りを買うことで、幕は下ろされた。

「それじゃ、お釣りをちょうだい」

親父はそう言って手を出した。お釣りとは、さっき拒否されたものの、店員の胸ポケットに無理やり捻じ込んだ50元の残りのことである。
店側は「そんなもの返せるか」とごねたが、警官に諭され、渋々突き返した。
一部始終を見届けた女房と私は、どっと疲れてしまった。ことに私は寒い外での見学だったため、体がすっかり冷えてしまった。これで風邪でも引いたら、まったく馬鹿につける薬はない・・・・・・。

 冷たい風が吹き抜ける大通りを、最前の親父が自転車で帰って行く。
その後姿は、こんな事くらいじゃ、メゲナイ、負けない、挫けない、中国人の心意気のようなものが感じられた。

この項おわり

2007年1月24日分、次回更新まで中国ランキングのクリックよろしく。

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