上海の厳しい現実篇

4.上海バブルの行方

                                                   2004年7月
 浦東の新興地区を始め、古くから上海の顔だった浦西地区も開発の嵐が容赦なく襲い、情緒ある建物も街並みも次々と取り壊して、政府は近代都市上海をあっという間に作り上げてしまった。
中心部はどこも高層ビルが林立し、街を歩いていても、フトどこか外国の都市に紛れ込んだような錯覚にとらわれ、ここが中国であることを見失ってしまいそうになる。
もう中国の匂いなどまったくしない街に変貌してしまった。その魔手は飽くことなく、更に郊外へと向かって伸びて行っている。
上海も私が始めて訪れた10年前に比べて、外国人もそれほど珍しくなくなった。
メリハリの利いたボディの金髪女性がヘソ出しルックで歩いているし、黒人の若者が蛮声を上げながらバイクで目の前を通り過ぎて行く。
そんな光景も日常的に見られるようになった昨今だが、破竹の勢いだった上海景気にも幾分翳りが見えてきた・・・・・そんな気がする。

そうだろう、いつまでも続く繁栄などある訳がない。日本のバブル期を見れば一目瞭然だ。
雨後の竹の子のように建てられた中心部の高級マンション価格が下がり始めたのだ。
いまのところu1000元程度の値下がり幅だが、一度値下がり始めると持ち直すのは、かなり難しいのではなかろうか。
日本のバブル崩壊のきっかけも、過熱した不動産投資を危ぶみ、金融総量規制という網をかけられたのが直接の引き金になった。上海の銀行も将来の焦げ付きを懸念して、以前のようにたやすく不動産ローンが組めなくしたのだ。
おまけに早期の転売を禁止するとか、中国の法令施行は待ったなし。日本のように猶予期間もないから、駆け込みで売り抜けるなんてことも出来なくなった。
いきおい賃貸で当座を凌ごうとしても、月額6000〜7000元、場所の良いところなら米ドル支払いで2000ドルもしては、おいそれと借りる人だって居る筈がない。
私の住む街も次々と新築高級マンションが竣工したが、とっくに完売した筈なのに夜はひっそりと静まり返り、生活の灯りも疎らだ。
買ったのは何も外国の金持ち投資家ばかりではない。欲に駆られた見栄っ張りな上海人にも、無理してローンを組んで買った連中が大勢いる。
賃貸物件もかなりダブついていて、家賃の値下げも其処此処で始まった。家賃がローンの返済金を下回ればもうお手上げで、事態はかなり深刻度を増してきている。
いやそれよりも、いつまで経っても賃借人が決まらない可能性だってある。そうなれば折角手に入れたマンションも売りに出さねば尻に火が付いてしまう。
怖いのはそういった物件が一時にドッと出ることだ。そうなったらもう歯止めは利かない。
マンション価格の暴落、いわゆるバブルの崩壊だ。

まだまだ建てるぞ!マンションジャングル

息苦しい・・・・もう隙間もヘチマもない

 私が上海のマンションを購入した3年半前はu6000〜7000元が相場だった。大体100uクラスが多かったからマンション価格で70万元、諸雑費、内装費を入れても100万元でお釣りが来た。
私などその上、生活に必要な電化製品一式、家具から鍋釜まで揃えられた。
それでも100万元(1300万円)は、当時の中国事情から考えて異常に高いと思ったくらいだった。
それがあれよあれよという間に、近接するマンション価格が暴騰し始め、1年後にはu10000元を突破、更にその翌年はu15000元にまで上昇。そして去年の後半、とうとうu20000元の声まで実しやかに囁かれていた。
よく考えてもいただきたい!上海の一般庶民の給料は2000元〜3000元である。
夫婦で働いているとして月収は高目を取っても倍の6000元、その半分を返済したとする。
仮に100uのマンションを購入して200万元のローンを組んだら完済は一体いつになるのか。
ざっと計算しても元金だけでも55年、利息を乗せたら100年だって返せっこない。
第一見てくれ重視の上海マンションが、それほど持つ訳がない。私の見るところ、30年も経てば建て替えの可能性だって出てきても可笑しくないと睨んでいる。
お舅さんは「大丈夫!給料だってドンドン上がるから」と楽観的だが、上海は中国でも特殊な地域、今でさえ内陸との収入格差が10倍近くも違うところだってある。
このまま給料が毎年上がり続け、誰もが月収1万元時代になるなんて到底考え難い。
これはもう実体のない作られた景気だ。新聞、テレビ、あらゆるマスコミを総動員して一般大衆を煽り、大金の価値を麻痺させている。月給3000元の人が100万元を大した金額でないと思い始めたとしたら、これは実に怖いことである。



 日本のバブル当時、私は建築屋だったお蔭で、仕事絡みの不動産情報は一般の人より割りと早く耳に届いたが、その高騰ぶりには首を傾げるばかりでどうにも解せなかった。
2〜3年前まで4000万円クラスだった東京の中古住宅物件や埼玉・千葉の県境に建てられた新築一戸建て住宅が、僅か3年ほどの間に1億円台にまで跳ね上がった。
マンションもしかり、1000万円台だった15uほどのワンルームマンションが、3000万円台が常識になってしまい、もう訳が分からなくなってしまった。
土地の異常な高騰はゴルフの会員権市場にも波及し、言ってみればゴルフのプレーが出来る権利だけで4000万円、5000万円と信じられない価格が横行した。
まさにお金の桁が一桁繰り上がったように、10万円が1万円ほどにしか感じられない超インフレ時代へと突入したのだ。
親代々住んでいるボロ家でも東京の土地に建っていれば、それがたとえ猫の額程度でも銀行は湯水のようにお金を貸してくれた。
もう普通の庶民が1億円のお金はそれほど驚く金額ではないと驕りにも似た錯覚をしてしまった。
目の前を何億円という途方もないお金が飛び交っていく。これでは金銭感覚が麻痺してしまうのも無理はなかった。
だが銀行も商売、タダでくれた訳ではない。年利8%なんて時代だから、1億円借りたら金利だけでも年800万円も払わなきゃならない。大金に慣れていない庶民は、ここが分かっていない。
想像すら出来なかった億というお金を手にしたことで舞い上がってしまい、銀行や知人に勧められるまま、土地やマンションを買ってしまった。
まだ上がる!まだ上がる!バブル時代後半には実体のない数字だけが勝手に一人歩きして、もう誰の手にも負えない巨大なバブル(泡)になっていた。
それにしてもあの当時、日本人の誰もがこれは可笑しいと感じなかったのか?マスコミに踊らされ、社会全体が異様な熱気に包まれてくると、みんな目が眩んでしまうものなのだろうか?
島国小国日本が敗戦の荒廃を乗り越えて50年、並み居る世界の国々を抑えて経済力トップまで上り詰めた儚い栄光の一瞬でもあった。
貧乏の中で育ってきた私には、値上がりを続ける物件が、どうしてもそれほど価値があるとは思えなかった。1億円はおろか、1000万円だって稼ぎ出すのは並大抵のことじゃないのを身を持って知っていたからだ。
同業の建設会社社長も下請け会社の社長も、本業をそっちのけで株や土地・マンションの投機に走った。丸でこの千載一隅のチャンスに、ただ指を咥えて見ている人間は余程の間抜けと謂わんばかりで、すっかり欲が人間を変えてしまった。

 人間には運が多分に左右する時がある。私には「こんな景気はそんなに続くもんじゃない」と忠告してくれた人がいた。「この景気が終わったら反動が大きいぞ!」とも。
人の忠告を真摯に受け止めることが出来るかどうか、これも又運であろう。
私は動かなかった。忙しい本業の建築にだけ専心した。
会社の人間も増やさなかったし、設備投資もしなかった。銀行が日参して借りてくれと泣き付いてきたが、必要以上は借りなかった。
何よりお金の怖さを知っていたからだ。借りたものを返せなくなれば仏の顔も鬼に変わる。
考えようでは、ただ度胸や意気地がなかっただけの事かも知れないが、結局、後年それが功を奏した。雪崩を打って冷え込んできた不動産ブームの終焉、この世の春を謳歌していた株価の急速な下落。もう悠長にゴルフの球など打っていられなった実体価値のない会員権相場は、目を覆うようにどこも一斉に急カーブを描いて沈んでいった。
こうなれば日本人が札ビラ吹雪の中で狂喜乱舞した日々も、最早遠い過去の夢。はっきり目を醒まさなきゃならなくなった事を否が応でも突き付けられたのだ。

 同業の知り合いにゴルフ狂がいた。商売には熱心だったが、どういう訳か儲けは全部ゴルフ会員権に注ぎ込み、東京近辺の割と有名なゴルフ場のを5、6つ持っていた。
当時最高値を付けた時期は、どれも4、5千万したから、ちょっとしたひと財産だった。
会合の時など仲間内から大いに冷やかされ、やっかまれたものだったが、バブル崩壊と共に運に見放された。大して大きな会社ではなかったから、相当無理もしていたのだろう。
バブル時代が沈静化してみると、本業の建築も仕事量が激減、受注が厳しくなった。
今まで営業などしなくても仕事に困ることなどなかったから社長は慌てた。虎の子のゴルフ会員権は大きく値崩れして、売りに出してもすぐには売れそうもない。
頼みの銀行融資も手のひら返したように冷たくなり、行き着く先はお定まりの高利融資。
そのうち会社はパッパッと赤信号が点滅し始め、内部からも不安の声が囁かれ出した。
社長は手塩に掛けたゴルフ会員権を、全部付け値で処分、起死回生を図ったが事態は好転せず、暫くしてひっそりと廃業してしまった。
これなどまだ社長の決断が早かったから、まだ人様に迷惑を掛けない廃業で済んだが、あっちこっちに不義理をして夜逃げ同然で行方を眩ました社長だって大勢いる。まったく世の中、明日の事は分からない。

 小さな会社が倒産の憂き目に遭うと悲惨だ。銀行はもとより、もう大体親戚筋や知人からも借り尽くしているから、ほとんどが高利の金融に手を出している。
したがって債権者集会は血を見るような修羅場と化す。社長はとても生きた心地はしない。
200や300万の小額の債権者などが口を挟もうものなら、「小口は黙っていろ!」と凄まれてしまう。この時点で、おとなしい小口債権者などは大概諦めてしまうのが多い。
今は小さな会社でも殆ど弁護士が代わって粛々と話を進めるので、社長は黙って首を項垂れているケースが多くなったが、昔は怒号の中、矢面の社長が土下座して大変だった。
中小零細企業の社長は個人経営に近いワンマン型が多いから、借金は社長が個人保証しているのが普通で、倒産ともなれば当然のように抵当に入っている自宅なども取り上げられる。
親の代から営々と築いてきた信用も財産も、たった数年間バブルに踊らされただけで水泡に帰してしまったのだ。
何も無謀に株や不動産に手を出した者ばかりではない。ここがチャンスと考え、あくまで会社の将来を見据えて、思い切った設備投資や不動産購入をした社長だって少なくはない。
あ〜それなのに人に恨まれ、その上身包みまで剥がされて路頭へ叩き出されてしまう。中小零細企業の社長とは哀れで可哀想なものである。



 今まさに上海はそれと同じ事が起きようとしている。
女房の知り合いに美容院と喫茶店を経営している夫婦がいる。生粋の上海人だから見栄っ張りな生き方は半端ではない。
もう四十を過ぎたというのにこの夫婦、事もあろうに目一杯の背伸びをして、次々と2軒の高級マンションを購入した。勿論借金ではあるが、ちょっと前まで銀行も簡単にマンションローンを組んでくれたからだ。
本人達はピノキオのように鼻を高くして、これで立派な資産家の仲間入りを果たした気分でいたが、最近になってローン返済の重みに耐えかね、暮らしは最悪の状態にまで落ち込んだ。
1軒はなんとか日本人の借り手が見つかり、9000元の家賃でローン返済を凌いでいるが、もう1軒が長いこと空室状態のままが続いている。
奥さんが経営している美容院も、最近は周囲に競争相手が増え、以前より客が減ってそれほど儲からなくなった。その美容院の隣に亭主が切り盛りしている喫茶店があるが、こちらも御多分に洩れず苦戦を強いられているようだ。
喫茶店といっても中国茶や紅茶が主で、なまじコーヒーなどを注文するとインスタントコーヒーが出てくる。ちょっと中心部から外れているせいか客層も品がなく、仲間内でカードなどを始められると1杯のお茶で3〜4時間も粘られてしまうような店だ。
恐ろしく客の回転率が悪い割の合わない商売といえる。
そんな夫婦が何故そんな高い買い物をしたのか、私にはどうしても得心が行かないが、見栄っ張りの背伸びもこうなると爪先立ちの危うさである。

高級マンションを2軒持つ資産家?でありながら、自分達は下町にあるボロボロの低層住宅に住んでいる。早く言えば、親が古くから暮らしているところに同居しているのだ。
両親とも健在だが、すでに御歳70の坂を越え最近は足腰が弱ってきている。
本来なら子として心配を掛けず、たとえ少なくても毎月小遣いでも渡して楽隠居させるのが勤めだろう。ところがこの夫婦はまったく逆で、自分達は商売で忙しいと口実を設け、家事一切をいまだに年老いた両親に押し付けている。
親孝行より見栄を優先させているところに、そもそもの間違いがあるのを少しも気付いていない。
こんな事をしていて資産など作っても決して褒められた話ではないし、私はその話を人伝(ひとづて)に聞いて、寧ろそのうち天罰が下ると思っていた。
案の定、賃貸の決まらないマンションのローン返済が、いよいよ首を締め出した。
私は「せめて1軒はまだ高値のうちに売ってしまえ」とアドバイスしたが、散々周囲に2軒の高級マンションを持っていると吹聴した手前、手放したりしたら余程苦しいと思われるのを懸念して聞く耳を持たず、メンツを取った。
当然のように益々生活は逼迫し、夜も寝られない日が続いているそうだ。
最近になって、とうとう食費さえ親に払えず、今は少ない親の年金で賄われているらしい。
こうなると親も気の毒を通り越して哀れにさえなる。何のために苦労して子供を育ててきたのか?親もまた自問自答の日々とか・・・・・・
中国は等しく貧乏だった共産主義から目覚めて日も浅い。上海社会などもう資本主義そのものであるが、残念ながら一般庶民には、まだその「いろは」が分かっていない。

上海バブルの崩壊!もしそんな日が本当にやって来たら、日本の教訓が活かされなかったことを悔やまずにはいられない。

おわり



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