上海一族の崩壊

8章 家族の絆

 激しく揺れ動いた1900年代も終わり、世界はお祭り騒ぎの2000年を迎えた。
日本は相変わらずバブル破綻以後の不況から脱出できず、国民は先の見えない泥濘に喘いでいた。
企業はどこも縮小経営に血道を上げ、勤労者は襲い掛かるリストラの嵐に戦々恐々としていた時で、半ばやけっぱちの新時代幕開けだったのではないだろうか。
それにしてもひとつの大きな節目であるから、多くの日本人が何か新しい展開を期待したが、4年経った今も大した変革改革が成されていないところを見ると、よくよく日本は落ちるところまで落ちて、ゼロからの出直しがお好きだと見える。
一方、快進撃の兆候が顕著に出始めていた中国は、発展繁栄の後発として13億の人民が巨大なエネルギーの塊となって、豊かさに向けて邁進していた。
こちらは4年たった今もその勢いは止まらず、21世紀は中国が世界を席巻する予感に信憑性も加わった。

 李家唯一の跡取りである甥っ子も、今年9月にピカピカの小学1年生になった。
義弟と嫁の別居も膠着状態のまま4年目に入り、嫁は内心戻りたい気があるのか、最近では依り大胆になり、頻繁に李家に出入りしている。剰(あまっさ)え、ドサクサに紛れて泊まっていくこともシバシバ。
まぁ、来ても何をするでもなく、ベッドに寝転んでいるか、パソコンゲームをしているかで、物の役には立たない。義弟が明け番で昼間居合わせても、殆ど会話もない冷た〜い夫婦関係にある。
そんな具合だから、今更、口煩(うるさ)い嫁とヨリを戻そうなどという気持ちは、すっかり薄れている。
今ではすっかりパソコンの虜になり、明けても暮れても暇さえあればモニター画面を見詰めている。
一時、発展する上海の時流に乗り、好きなパソコン関係で身を立てたいと、真剣に考えたこともあった。
最初こそ、姉である女房の手解きを受けて、暗がりの中の手探り状態だったが、最近では分解組み立てから多少の故障を直せるまでレベルが上がった。
そんな噂を聞きつけた勤め先の賓館の経理部から、今の警備員を辞めてパソコン管理をやってくれないかという話が舞い込んだ。
給料も上がるし、日がな一日好きなパソコンをいじれるならと本人も乗り気だったが、上司から細かい内容を聞いて尻込みした。
悲しいかな、自分には基礎が出来ていない。トラブルのメンテナンスなど、まったく自信がないのだ。
華々しく鳴り物入りで経理部に移籍しても、そのうち役に立たないと再度警備員に戻される事にでもなれば、周囲に対しての面子もヘチマもない。結局、大恥かくだけ損だと、そんな狭い了見で断ってしまった。
果たして結果はそうなるかも知れないが、新しい可能性にチャレンジして現状打破を試みる気概がなかった為、みすみすチャンスを逃してしまったのは勿体無かった。

 本人は今持ちうるレベルでの商売を模索した。相変わらずの警備職を務める傍ら、簡単なパソコン修理とトラブル解決、初心者への手解きを業務とする会社を設立した。
仰々しい名刺も作り、憧れだった総経理の肩書きも刷り込んだ。
会社を興したといっても、正式に届出をした訳でもないので、私らから見ればまったくのお遊びにしか見えなかったが、本人は得々として浮かれている反面、大真面目だった。

「今度会社にしたんで、今までタダで修理したり教えていたけど、これからは金もらうョ」

顧客と呼べるかどうかは疑問だが、今まで好意で面倒見てきてやった友人や知人に、一通りその旨通達を出した。以後、見事にパソコンの使い方の指導要請もトラブル解決の相談も、プッツリ途絶えた。

 親子はよくよく似ているのか、お舅さんも思い付きでバイク急便を独立開業したが、1件の依頼もなく開店休業のまま廃業した。義弟のパソコン会社も同じ道を辿り、大いなる野望も所詮絵に書いた餅となって、いつしか立ち消えてしまった。
それからというもの自分の限界を悟ったのか、パソコンの奥深さを学ぶ姿勢は影を潜め、路線を大きく変え、嬉々として17〜18才の若い娘とチャットしたり、見知らぬ人との対戦ゲームに熱中している。
寂しさから父親にじゃれ付く息子を「うるさい!」と叱り飛ばし、すっかり子も家庭も顧みなくなってしまった。
上海がいくら好景気だからといって、傍(はた)が頑張れ、頑張れ!といくら煽り立てても、どうにもならない現状に嫌気が差してしまった様子だ。
今の心境を聞くと、もう先の年金を貰うのが楽しみとかで、出世欲も金持ちになりたい!願望も諦めてしまった自暴自棄状態にある。
花の年金生活ったって、まだ20年も先の話だし、第一日本と同じで中国の年金制度だって、どう変わっているか分かったもんじゃない。支給される金額だって、それでまともに暮らせるかどうか大いに疑問だ。
それにこれからの上海経済は、役に立たない人間を漫然と雇っておくほど甘くないかも知れない。誰にでも簡単に出来る仕事は、定年前に首を切られる可能性だって十分あり得る。
口ばっかり達者で文句が多く、それでいて動かない人間は尚更だ。
そんな不安材料を抱えている所為か、この頃やたら怒りっぽくなり、キレ易くなった。お舅姑さんの意見にも耳を貸さず、時には口汚く食って掛かるようにもなった。

「そんなにうるさく言うなら、俺は親子の縁を切ってもいいんだ!」

それを言っちゃぁお終いとフーテンの寅さんがよく言ってたっけ。
義弟は一瞬たじろいだお舅さんの表情を見逃さず、(親父の奴、ビビッている)と思い上がった。
確かに以前はお舅さんも、年取って動けなくなった時に、水が飲みたいと思っても、それを持って来てくれる身内が傍に居てくれなきゃ寂しいとは言っていた。
そんな弱気のお舅さんに、娘の女房が発破をかけたことがある。

「たった1回か2回水を持ってきて貰う為に、何10年も面倒見て、これから先もまた何10年も面倒見る気か!」
「散々甘やかしてきたお父さんにも責任がある!もういい加減、突き放した方が弟の為だ!」

それをキッカケにお舅姑さんも末期の水は諦めたようで、今は息子にそんな脅し文句を叩かれても、

「そうしてくれりゃ、清々する。私ら夫婦だけなら、もっと余裕のある生活が出来るんだ」

と陰で舌を出すようになった。ケセラセラ、人生は成るようにしかならないさ。



“親がなくても子は育つ”とは良くいったものである。
甥っ子が小学校入学前、親同伴の面接があった。義弟は面倒臭がったが、「これは決まり事で、私らが行く訳にいかない」とお舅姑さんから諭され、不承不承出かけて行った。
甥っ子はこのところ随分大人びた口を利くようになり、家庭内の揉め事をよそにしっかり成長している。
健康も以前から比べれば、小児喘息の発作も少なくなり血色が良くなった。

「君の家の家族は何人かな〜」
「おとうさんと爺ちゃんと婆ちゃんとボク、えぇ〜と4人!」
「あれ〜、おかあさんが抜けているよ。忘れちゃったのかなぁ〜」
「そういうことはボクの口からはいえません、おとうさんに聞いてください!」

先生はチラッと視線を義弟に移したが、雰囲気を察してくれたのか、それ以上の突っ込みはなかった。
(チッ!余計なことをいう奴だ)・・・・強烈な蜂の一刺を食らったように慌てた。
まったくグサッと来て冷や汗モノであったが、子供にこんな気を遣わせてしまって、不甲斐ない親という反省にまでは至らなかった。

 でも、ものは考えようで、甥っ子も貧乏庶民の家庭でこれだけ揉まれたら、精神的には相当強くなる。社会に出てからは、この逞しさ、辛抱強さが物を言うのだ。
世間的には親が一所懸命働いていて、なお貧乏な暮らしであれば、子供は親の背中を見ているから、そう悪くはならないのが普通だ。甥っ子は親がこんな調子だから、もっと強くなる筈?
親孝行にしたって、そんな中、親が大変な思いで育ててくれたという実感があればこそ恩返しという発想が出てくるもので、裕福な家庭になればなるほど、反比例するように子供にはそういった感情が希薄になってくる。私だって貧乏所帯で年中ヒーヒー溢していた母親に、早く自分の稼ぎで暖かいコートのひとつも買ってやりたいと思ったもんだ。

 中国の若い親もタイプは千差万別でいろいろ居る。義弟夫婦のような育児放棄型もいれば、逆に面倒を見過ぎて、子供の自立心がいつまでも育たない甘やかし型もいる。
どちらかというと、私の見るところ圧倒的に、この甘やかし型が多いようだ。
小学校の付き添い登校風景など、例外なく親や爺婆が校門まで子供の学用リュックを持って行くのを、私はいつも不思議そうに見ている。街なかでも、子供に荷物を持たせている親などほとんど見掛けない。
中国の人はこれが愛情だと、本当に大真面目で思っているのだろうか?
タクシーで乗り付け
タクシーで登校お母さん、贅沢な子に育つョ〜
親に持たせるな!
鞄なんて自分で持て!親は召使じゃないぞ!

 甥っ子と同い年の子を持つ、女房の高校時代からの友人がいる。
小学校は概ね給食が原則だが、場合によっては昼食を摂りに家へ帰ることも出来るらしい。
この友人は、ウチの子は給食が口に合わないとか、衛生的に問題があるとか、栄養が偏るとか、生まれてこの方、私の料理しか食べた事がない、などの理由で、昼時になるといちいち連れて帰って来る。
食べ終わると、また送って行かなければならないような事を飽きもせず続けている。まったく馬鹿げた話である。登校、下校の送り迎えを合わせれば、1日4回も学校を行ったり来たりしなければならない。
それでいて増える家事の煩雑さに愚痴を溢(こぼ)し、時々夫に当たったり、同居する姑と揉めたりしている。
そこまで心配したら、子供は将来旅行も出来ないだろうし、会社の出張だって難しい。外食も出来なきゃ、女房の料理にだって不審を抱いてしまうだろう。
もっとも、そんなひ弱なモヤシみたいな男では、結婚出来るかどうかでさえ怪しいとは思うが
人間なんて少々痛んだものを食べたって、腹なんか毀さないくらいの頑丈さがないと、一朝事ある時には物の役には立たないものだ。
まぁ、そこの子供の行く末なんて、もう決まったようなもので、親が後から泣くような羽目になったとしても、それは他の誰の責任でもない。


 私のマンションの近くに小さな場末餐庁がある。客が20人も入れば一杯になってしまう店だから、そう大きくはない。ママさんも旦那も愛想のいい人で、場所が良いせいか結構繁盛している。
元々は夫婦とも役所に勤めていたが、15年ほど前に一念発起してこの場所に店を構えた。
当初は街外れの下町だったので客の入りも大したことはなかったが、開発発展のお蔭で商売としては最高の立地になった。夫婦は尚以前にも増して商売に励み、顧客を大事にした。
中古だがマンションも買い、コツコツと貯め込んだ預金も60万元(780万円)くらいになった。
中国人は成功すると人に自慢したくてしょうがない癖があるようで、女房が水を向けるとママさんはペラペラ何でも内情を喋ってくれる。
 
 この夫婦には一人娘が居る。プクプクと肥えて如何にも健康そうである。私らが始めてこの店に行った頃は、まだあどけなさが残る少女だったが、しばらく見ない間に、もう大学に行く年齢になったという。
小学生から語学に興味があって、中学生では日本語の勉強も個人的に受けていた。
時々店で会うと、「こんにちは、お元気ですか?」などと私らのテーブルの前に歩み寄り、直立不動の姿勢で緊張しながら喋っていたのが、つい昨日のように思い出す。
行く行くは日本人の観光ガイドをやりたいと話していたが、大学進学を前にして気持ちが変わったようで、外国に留学したい気持ちがフツフツと滾(たぎ)り、親を説得した。
親も娘を外国に留学させているとなれば、世間の聞こえも良いし、大いに面子も立つ。幸いに長年貯めた預金で、何とか費用も賄えそうだ。
話を垣間聞いた私らは、当然日本の大学へ留学するものと思っていたが、案に相違してドイツへ行きたいのだという。理由は定かでないが、どうやら日本留学では当節珍しくないし、箔も付かないというのが本音だったらしい。
かくして長いこと勉強してきた日本語を捨て、ドイツ語を新たに学び始めた。まだ留学の許可も出ない内にだ。この辺の気の早さは中国人特有のものだろう。
何度も何度も申請を書き直し、必要書類を掻き集め、面接もこなして、許可通知を待った。
結果、申請は通らず、ドイツ語の勉強も無駄になってしまった。

「諦めなさい、上海だって良い大学はあるよ」

ママさんはひとり娘が遠い異国へ旅立つのを本心では、必ずしも賛成ではなかった。
今まで手塩にかけ、離れた事などなかったのだから無理もない。
料理はおろか、自分のパンツだって洗ったことのない娘が、外国で一人生活など出来るのだろうか?
だが娘は、「どうしても、どうしても行きたい!」と諦める気配はない。
そこで仕方なく、カナダに留学申請した。さぁ、今度は英語の勉強だ!
これがどういう風の吹き回しか、運が良かったのか、悪かったのか、受理されてしまった。

 涙涙の浦東空港だったらしい。
旦那もママさんも手放しの号泣だった。娘も「行くのを止める〜!」と喉元まで言葉が出掛かったが、グッと飲み込み、泣きじゃくって鼻水を啜り上げた。
2004年の夏真っ盛り、私らが3ヶ月の滞在を終え、一旦東京へ引き上げる頃と時期が同じだった。

 そして今回秋の訪中、10月始めにやって来た。早速晩の食事を兼ねて店に顔を出した。

「娘さんが居なくなって寂しいでしょう。そのうち金髪の彼氏を連れて戻ってくるかもョ〜」

もじもじして要領を得ない旦那のあと引き取り、ママさんが話を切り出した。
要はこういう事だったらしい。派手な涙の別離のあと、10日ほどしてカナダから電話があった。

「お母さん、どうしても、どうしても上海に帰りたい!」
「何を馬鹿なこと言っているんだョお前、カナダに行ったばかりじゃないか!」
「それでも、それでも帰りたい〜」
「もうちょっと辛抱しなさいョ!」

娘は電話の向こうでシクシク泣いている。傍らの旦那が、ママさんに電話をよこせと小突く。

「どうしたんだョ、お前〜。なに帰りたいんだってぇ、それじゃ帰っておいでよ〜」

親戚縁者、友人知人に大風呂敷を広げた娘のカナダ留学も、旦那のこの一言で決着した。
21日目には悪びれずに上海に帰ってきた娘は、今、上海の編入受け入れ先大学を探しているという。



 こういう娘は気を付けた方がいい。間違って結婚でもしてしまった日にゃ、一生後悔する。何かにつけ親を頼る癖が抜けないから、新しい家庭なんて築けやしない。
豊かになると、どうしてこう堪え性が無くなるんだろう。これが親戚知人を駆け回り、親が必死で掻き集めたお金での留学なら、まさかこんな事にはならないだろう。
歯を食い縛っても頑張ろうと思うのが人間だし、早く恩に報いて親孝行しようと思うのも人情だろう。
女房が日本へ留学した時など、まさに片道燃料で出撃の特攻隊で、たった200ドル(当時4万円くらい)を握り締めてやって来た。当然あとの仕送りはないし、日本にいる中国人ブローカーに借金をして当座を凌いだ。
何とか頑張って学校を卒業しなければ日本に来た意味がない。

こんな例もあるたまに行く高級餐庁での出来事。
私らの後に入ってきた中年男女の3人連れ、身なりも私たちより数段いい。
中国人は元々会話の声が大きい上、隣り合わせの席だったので、その声は喧しいくらいだ。
中年女性が掛かってきた携帯電話で、なにやら込み入った話をしている。
最初は周りを気遣って小声だったが、段々エスカレートしてきて、米神に青筋立てて怒鳴りだした。

「お父さんもお母さんも、もうアナタの面倒見切れないわ!」
「もう大学も卒業したんだから、いい加減働いて頂戴よ!」
「ダメ、駄目、そう知らないわよ、欲しかったら自分で買ったら?」

どうやら怠け者の息子が、親の金を当てにして小遣いをせびっている様子だ。
話の成り行きでは、親が4室もマンションを所有しているらしい。多少の小金持ちとはいえ、普通4室は買い切れない。ローンの返済などで内情は結構苦しいようだ。
だが子供にはそう見えなかったのだろう。4室も所有する資産家の親の金をすっかり当てにしている。
刺々しい問答はいつ果てるともなく続き、所狭しと並べられたテーブルの上の料理は、とうに冷めてしまっている。今夜はこの中年女性がスポンサーなのか、連れの中年男達も遠慮して手を付けていいものか迷っていた。携帯電話での話は小1時間にも及び、とっくに食事の済んだ私達も何となく気に掛かり、事の顛末を物好きに見守っていたことがあった。

 このケースなども、たまたまお金があったが故に、家庭不和や不幸を呼び込んでしまったように見える。
まったく世の中は難しいものだ。こうなると極論だが、人間、お金に執着することが酷く空しいものにも思えてくる。親が身を粉にして、汗の滴るような金を遺せば遺すほど、子供は駄目になるばかりだ。
剰(あまっさ)え、人を踏み台にしたり、足蹴にして貯め込むほどの価値は金にはない。
豊かさも、ソコソコのところで手を打って置くのが一番いいのだ。
私の子供も放って置けば、稀代の放蕩息子になりかねなかった。欲しい物は今すぐ欲しい、借金だって何だって見境いがなかった。私はその尻拭いをブツブツ言いながらもセッセとやった。
ところが天からの導きか、ギリギリのところで家庭が崩壊した。私は捨て鉢になりながらその後、半ばやけっぱちに再婚してしまった。
それも外国人だ。中国人の現女房は、前妻の子供なんて敵だと公言して憚らない。
しばらくは隠していたが、それも知れるところとなり、子供達とは一気に疎遠になっていった。
でも、本人達の為にはこれが良かった。
親をもう頼れないと自覚した時から、本来の人間性に目覚めたからだ。
風の便りに、今はもうすっかり真面目になったと聞いている。
今は自分の稼ぎと相談して分相応の暮らしをし、食べているらしい。
そんなに出世なんかしてくれなくたっていいのさ。親を頼らず、人を頼らず、自力で生きて行ってくれれば、それが一番の親孝行なのだから。
私は決して子供に自慢してもらえる親ではなかったから、今更孝行して欲しいなんて思っちゃいないのは当然としても、図らずも結果的にそうなってくれた事は有難いし、正直、肩の荷が下りたようにホッとしている。

 結局、中国も豊かになればなったで、こういった矛盾と戦っていかなければならなくなる
今は目先の豊かさを買えるお金を追い求めているが、それが叶った時、新たな悩みが始まるだろう。
しかもその悩みは、人間を止めたくなるほど深刻で根が深い。
私は出来ることなら、豊かさとの代償に親子の絆が崩壊していく様など、見たくないと思っているのだが

とりあえず

その後、上海一族に大きな変化があれば、またアップいたします。


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