上海一族の崩壊

4章 走れ!激動の中国

  商都上海の大いなる発展は15〜16年前から兆した。目に見えて本格的に変わり出してから、まだ10年少々の話だ。
見上げるような高層ビルがポチポチ建ち始め、やがて環状高速道路や地下鉄の建設へと繋がって行く。当時は一般庶民も、なにか狐にでも摘まれたようであったが、急速に変貌を遂げて行く上海を目の当たりにし、それぞれの意識も大きく変わってきた。

「こりゃ、ひょっとして私らも豊かになれるかも知れないぞ」

だが、そうは思っても現状の生活は貧しく、豊かさへの憧れと期待は、まだ漠然としたものだった。今ほど情報が氾濫していなかったし、「そうなればいいなぁ」くらいにか考えず、庶民にしていればその日を生きる事に懸命だった。
(人間にとって、知らなければ知らないで、それなりの幸せという事もある。)
上海は古くから貿易港として欧米文化の影響を受けてきた所為か、元々どこか自由な空気があった。若者達も窮屈さが多少残る時代であっても、生き生きと青春を謳歌していた。
恋愛も大半は節度あるもので、日本が久しく忘れ掛けていた純粋さが、ついこの前まであったそうだ。それが・・・・・・・・僅かな間に中国も大きく変わってしまった

そんな激動の転換期に青春時代を過ごした女房も、大いに戸惑った一人だった。
年頃になれば、彼氏彼女が出来た出来ないと一喜一憂するのは、どこの国も同じ。
晩生(おくて)の女房は20歳の足音が間近に聞こえてきても、当時まだ決まった彼氏がいなかったらしく、日々乗り遅れてしまった焦りが身を苛む。そのイライラの矛先は厳しかった父親に向けられた。

「子供じゃあるまいし、夜8時の門限じゃ、いい人なんて出来っこない!」

それは責任転嫁というモノ。きっと、門限ばかりのせいじゃなかっただろうに・・・・・・・バキッ!
ある日のこと、曰くありげな顔付きで会社から帰ってきたお舅さん。昼間、会社の同僚に言われた事が気に掛かっている。

「アンタの娘は彼氏出来たかい?ウチじゃ、この前挨拶に来たョ」

さぁ、お舅さん、「ウチもいるらしい」と答えたものの、内心穏やかじゃない。娘にはその気配が無いし、それらしい男だって見たことが無い。悪い虫が付かないよう、気を遣い過ぎたのが仇になったか?今度は一転して娘の行く末が心配になってきた。
こうなれば既成の教育方針は、この際一時棚上げ。よそに遅れを取ったとあっちゃ、上海人の名折れ、李家の面子が立たないと焦った。

「なにぃ〜・・・まだ彼氏がいない!そんなこっちゃ、イイのはみんな他に取られちまうぞ!」

女房にすれば面食らった。どういう風の吹き回しか?そうイキナリ路線を変更されたって、自由市場でジャガイモを買ってくるような訳にいかない。
お舅さんには幼い頃より辛酸を嘗めてきた生い立ちがある。その時々の状況に素早く順応しなければ生きて行かれなかったから、日和見といわれようが風見鶏だろうが一向に抵抗が無かった。
しからば期待に沿うべく気合を入れて彼氏探しをしようと、心ウキウキした女房だったが、門限その他はそのまま。結局、浮いた噂も無いまま日本へ来る事になってしまった。
まったく運命の糸の絡み合いは分からない。当時、相思相愛の彼氏でもいたら、果たして日本へやって来たかどうかも怪しい。
もしそうなら、当然私との巡り合いも無かった訳だから・・・・・・
 
 当時の恋人同士はデートするといっても映画を見るか、精々はにかみながら公園を散歩するくらいが普通だったらしい。でもモノは考えようで、自由を履き違えた若者の暴走に眉をひそめる日本の末路を見ると、私なんか、反ってそのくらいが丁度イイと思えるのだが・・・・・・・やっぱり古い人間か?
人間、少々貧しさの中で暮らして居た方がいい場合もある。助け合う気持ちや思いやりの心は、そういった状況の方が芽生えて来易い。生きる希望や目標も貧しさゆえハッキリしてくるからだ。
自由と豊かさが蔓延(はびこ)った日本は、暗いトンネルにでも入ってしまったように、大人も子供も若者も先が見えなくなってしまった。
中国にはその轍を踏まないで欲しいと思うのだが、女房に言わせると、「じゃぁ、いつまで中国は貧乏していればいいんだ!」となる。しかし、飽食の果ての日本を見てきた今、どちらが人間らしい豊かな営みなのか分からなくなってしまうのだ。

今でもお堅い中国の建前通り、ラブホテルなんか1軒も見掛けない。もし緩和されれば、中国では大当たりの商売、連日押すな押すなの盛況で大儲けする事は間違いない。
上海には若者が簡単に安価で賃貸出来る住居物件が少ない。いや、殆ど無いといってイイ。
自由になればなるほど、落ちこぼれた若者達のエネルギーの捌け口が何処へ向かうのか、私としては興味あるところだが、反面、恐ろしくもある。
事実、上海の発展と共に俄か成金が増えてきて、実態は随分変わって来た。徐々にではあるが、豊かさの代償が蝕み始めてきているからだ。
競争を勝ち抜いて成功した者は、マンション、自家用車の次は愛人を囲うのが一種のステータスとみる社会現象にもなってきて、一般庶民も事業の成功者として羨望の眼差しを向ける。
拝金主義が若い小姐から貞操感を奪い、一昔前なら白い目で見られ、まともな結婚など諦めなければならなかったた仕事にも抵抗がなくなった。
金は魔物だ!上海の人口からすればまだ少数とはいえ、スキャンダラスな面では一気に日本へ追い着いてしまった。この先、中国も援助交際なんて話題が出ないとも限らない。あまりゾッとしない話だ。

時代の流れに敏感な若者達の意識は、いち早く確実に変わった。
パソコンの急速な普及で、怒涛のように流れ込む情報の渦は止めようが無く、西洋文化が時代の最先端と勘違いする一部の若者は、人前も憚らず往来で抱擁したりしている。
少しくらい悪い事をしたって、金を掴んだ方が勝ちだという時代の潮流は、やがて上海全体を覆う事になり、その変貌するスピードは更に加速して行った。


 義弟の嫁さんが物心付いた頃には、上海も豊かさに向けて大きく変わっている時期だった。
幸か不幸か、親もレベルの高い仕事を持ち、生活にも余裕があったから、恐らくそれほど貧乏は知らなかったのだろう。我侭一杯に育てられた過程は、私の子供と同じだから、何事にも我慢が足らない状況は分からない事もない。
だからといって、人の子の親にもなれば、それで通る筈もないのだが、本人は一体どんな気持ちで居るのか、外野から推し量るは難しい。
昨年後半から、義弟の嫁さんの行動はより大胆になってきた。
ケジメとなる謝罪の言葉もなく、お舅さんのマンションに出入りするようになった。この辺の感覚が日本人の私には到底理解出来ない。
お舅さんのマンションは、元々家族の人数に合わせて支給されたのだから、当然、権利は義弟にもある。
義弟が承知していれば仕方ないともいえるが、お舅姑さんからすれば、勝手に2年も飛び出ていながら、悪びれた様子もなくやって来られたのでは、いくらお人好しとはいえ感情的に割り切れないのが当然だ。

私は一人猛然と反対した。
このまま済し崩し的に居座られては、また親子の抗争を繰り返すのは時間の問題だからだ。
父母と無理して一緒に暮らさなくても、嫁さん所有のマンションがあるのだから、全部引き払ってそこで暮らせば万事解決だろうに・・・・・・だが義弟にはその気がない。
「勤め先がかなり遠くなってしまう」のがその理由と聞いて驚いた。
何を贅沢な事言っているんだ!日本のサラリーマンなんか片道2時間も掛けて通っている人が大勢いるぞ。
そんな考えで、金持ちになりたいとか豊かにないたいなんてよく言えたモンだ。

義弟が羨む日本人だって、ジッと腕組みしていて豊になった訳じゃない。
戦後の荒廃した日本を、血と汗と涙で今日の繁栄を築いてきた。
会社においては長年の忠勤に励み、女房子供の為に長時間の満員電車に揺られ、身を削る思いで家族を守ってきた。その挙句の仕打ちがリストラ、家族からは粗大ごみのように疎まれて居場所すらない人だっている・・・・・・まったく手を取り合って共に泣きたいくらいだ。
特に我々団塊の世代は遮二無二働き、世界屈指の経済大国へと牽引してきた自負さえあるのに、あぁ、なんて事だ!人情紙風船。
日本人亭主族よ胸を張れ!誇りを持て!恥じる事は無い!・・・・・・と、力なく思ぅ。
滅私奉公、耐え忍ぶ事に美学を感じてしまうような葉隠れ的生き方は、恐らく日本も私らの世代で最後だろう。
大きな転換期を強いられた日本の現状は、国や会社に幾ら忠誠を尽くしても報われない事が白日の下に露呈されてきた。歴史は巡る、まるでサムライ社会が崩壊した幕末の混乱期のようでもある。
旧時代と新時代の波間で翻弄され続けた、私たち戦後世代の末路こそ哀れに思えてならない。

上海だって早晩そんな時代が必ずやって来る。
僅かなジャガイモを数人で寄って集って作っていた時代の体質が抜け切れない人間は、豊かさのお零れにも与れないし取り残されていくのは当然だろう。
ここのところを、もっと自覚すれば義弟にも活路はあるのだが、残念ながら時代の波とは逆に、現状は楽な方へ楽な方へと引き摺られて行っている。男なら挑戦の気概は失って欲しくないのものだ。
義弟の本音は、嫁さんのマンションに居候的立場で住むのに我慢出来ないのかも知れない。
メンツに拘っている場合じゃないと思うのだが、また喧嘩でもして嫁から「出て行け!」と言われれば、持たざる者の辛さを味わう事になる。そんな懸念が躊躇させているのだろう。
私の見る限り、どうやら義弟夫婦はお互いを必要として、ヨリを戻そうとしているのでは無さそうだ。
況んや子供の為でもないだろう。病弱で金の掛かる息子を厄介者扱いこそすれ、自分たちが犠牲になっても立派に育てようなんて殊勝な考えは、どう贔屓目に見ても感じられない。
それならば結婚したからといって、当然のように子供を作るべきじゃなかったんだ。
双方反省の色が無いのだから、打算づくで元の鞘の納まったとしても幸せなど絵空事。どうやら先は見えていそうだ。
私自身の失敗と同じ事を繰り返そうとしている義弟には、歯軋りする思いを隠せない。
国は違えど若さゆえに犯してしまう過ちに、後年きっと後悔することだろう。人間とはつくづく悲しい生き物だ。
でも善人を絵に描いたような、お姑さんまで巻き込むのは許し難い。義弟がどうしても嫁を戻すというなら、お舅姑さんには私らのマンションに移り住んでもらっても良いと思っている。
結局は日本と同じように、中国もこれからは親子別々に暮らす方向に変わって行くのだろうと思う。
手塩に掛けた子供だって、将来面倒を見てくれる保証など無い。一人っ子政策の歪で、これだけ甘やかして育てたら自分らの事で精一杯、親の分まで手が回らないのは容易に想像が付く。
一緒に暮らす事で生じる諸々の煩わしさと、一時の寂しさを秤に掛けたら、果たしてどちらが重いかだ。

日本も20年ほど前、2世帯住宅が流行った。
ひとつ屋根の下で台所も風呂もトイレも別々。時には入り口の玄関ドアさえ2つある住宅をよく建てた。
商売だからどんな家でも建てるが、そこまで気を遣っても一緒に住みたいものかと首を傾げた事が幾度となくあった。
老夫婦たっての頼み、当然のように建築費は親の全額負担が多かった。
老後は息子夫婦と孫に囲まれた幸せな暮らし・・・・・・私に言わせればホームドラマの見過ぎだ。
それでも息子嫁とも感謝してくれれば救われようもあるが、多くは2〜3年後に埋めきれない溝を残したまま出て行ってしまう。
広い家にポツンと残された老夫婦の嘆きが聞こえてきそうだが、すべては後の祭り。
原因は殆どの場合、姑と嫁の確執が内在している。
決まって姑がつぶやくセリフ。「あれだけ優しく接したのに」・・・・・・・これだって嫁にすれば干渉のし過ぎと感じたろう。
我が家伝統の味、押し付け指導・・・・・・・お生憎様、私、芋が嫌いなの。芋の煮付けなんか知らなくたって生きていけるもん。
姑にしてみればこれが夢だったのだろうが、見事に噛み合わない事を歳の所為か気が付かない。姑と嫁が生きてきた時代背景も教育も違うのだから、当然といえば当然の結果といえる。
時代は変わった!今の嫁さんには何十年も前のように“家に嫁ぐ”なんて感覚は丸っきり無いのが普通だから、姑が良かれと思ってした事も、すればするほど嫌がられてしまう。
亡くなった母親が、まだ元気な頃よく言っていた。

「私が動けなくなったら、お嫁さんに面倒見てもらわなきゃならないから」

母親にすれば祖母も曾祖母もそうしてきたのだから、それが当たり前と信じきっている。
勝手に決め付けられた嫁さんにすれば、寝耳に水、はた迷惑もイイとこだ。きっと背筋が寒くなる思いがした事だろう。
自分の元気な内は、その埋め合わせと考えたか?せっせと世話焼いていたが、前妻には悉(ことごと)く嫌がられた。その悪循環はますます溝を深めて行き、二度と埋まる事はなかった。
離婚の原因はこればかりではないが、長年積もり積もった鬱積が遠因だった事は否めない。
女は執念深い。一度掛け違えたボタンは容易に修復出来ないし、ひょっとすると生涯その侭って事もあり得る。巷間よく言われる親子関係の見本、「スープの冷めない距離」でも、嫁さんにしてみれば、まだ々近過ぎるに違いない。
豊かに成なれば成るほど、子離れ、親離れは大事だ。我が上海一族にも、すでにその兆候が現れて来ている。30を過ぎた義弟を、この先いつまでも甘やかしていたら親子共倒れになってしまいそうだ。

豊かになると言う事が、果たして本当に幸せなのか、時折考えてしまう。
豊かさを追い求めれば、それに比例して家族の団欒や助け合いといった、ささやかではあるけれど人間らしい幸せと営みとを引き換えなければ、手に入らない物のような気がするからだ。
かつての日本のそうだったように、いま上海庶民は金さえあれば、すべて手に入ると思っている。人間、金がなけりゃ、首がないのと同じだと言わんばかりの勢いだ。
だが、そうは行かない。あちらを立てればこちらが立たずで、失うものだって大きい筈。
形あるものを次から次と手に入れ、目標がなくなった後に襲ってくる喪失感は経験したものでなければ分からない。掬い上げた砂が指の間から音もなく零れ落ちるように、気が付いたら人間にとって金や物より大事なモノを失っていたなんて事になる。
後に残った、心に広がる干からびた湖底のような索漠とした風景には、もう愛の欠片すら見えない。
アメリカでは人生の早い段階で仕事をリタイヤし、悠々自適に暮らすのが最大のステータスだと聞いたことがある。
勿論、それには人並み外れた努力をし、若くして成功を収めなければならないのだが、人間、急に目標を失ってしまうと人生が終わった気になってしまうらしい。
行き着く先は、果てしなく広がる心の空虚感に抗しきれず、自殺まで追い込まれてしまう。
周囲の人から見れば、なに不足ない生活なのに「何故?」と思うかもしれないが、本人はよほど苦しかったに違いない。
豊かになれば腹を空かせず生きていく事は出来るだろうが、それが究極の幸せとは私にはどうしても思えないのだ。
もっとも私だって紆余曲折、色々な経験をした末に感じた事だから、この辺りを女房と話し合っても、まったく噛み合わない。日本が繁栄の果てに辿り着いた暗澹たる未来、「そんな事は豊かになってから考えればいいんだ!」と言下に一蹴されてしまう。

私だって貧乏の方が良いとは決して思っていない。ただその限度を知っているのと知らないのでは、まったく人生が変わってくる。これは自分の苦い経験に照らし合わせても間違いない。
人それぞれの生き方だから、とやかくは言えないが、目的が金だけになってしまうと、欲に目が眩んで際限がなくなる、それが怖いのだ。
あらゆるものを犠牲にして、富を追い掛けている内は取り巻きも多いだろうが、慌しい毎日に本人も気が付かない内に、本来信じ合える筈の大切な人達が一人二人と去っていく。
それが女房であり子供であり、時には親友だったりする。そこで初めて「俺は一体何をしてきたんだ!」と、さめざめ泣いたってもう遅い。
私も最近になってようやく分かりかけてきた。年を取らなきゃ分からなかったのが残念でもあるが、もしもっと早く分かっていたら、私の人生だって相当変わっていた筈だ。
最近、幸せに暮らすコツというのが、朧げながら見えてきた。最大の難敵は、どうも金の魔力に有りそうだ。欲が絡むからこそ、失敗を繰り返してしまう。
ここさえ押さえておけば、さほど難しくは無いのだが、若い内はこれが中々気が付かないし出来難い。
もっとも若い時の豊かさへの憧れは自然で、やる気の原動力にもなり、世の中の進歩にも繋がるのだから、これは仕方ない。だが分別が付く年代になったら、ぜひ真剣に考えてもらいたいと切に思う。

「何不自由なく育ててきたのに、そりゃ、子供の方が求め過ぎだ!」と、怒り出す親がいるかも知れない。
でも、それで世の中良くなっただろうか?殺伐とした犯罪は急増し、我が子を平気で虐待する親も少なくない。昔はそんな話、聞いた事もなかった。日本は確実に人間らしく生きる事が難しくなって来ている。
仕事の忙しさにかまけ、空いた時間は自分の楽しみを優先させている親が増えてきた。
みんな決まって自分の人生を大事にしたいと言うが、金だけ渡していて良い子に育つ訳がなかろう。
結局、豊かに成れば成るほど、一歩間違えば不幸を呼び込んでしまう事になりかねない。

日本もすでに繁栄のピークは終わった。再び脚光を浴びる日がやって来るかは甚だ疑問だ。
若者も大学を出たって、フリーターを余儀なくされてしまう時代になってきた。
十把ひと絡げの努力では、収入においても父親を超える事はかなり難しい。今の日本は若者達の将来に対する不安が無軌道な行為に走らせ、強いては社会を不穏なものにしている。
不自由なく育ってきた世代には、相当辛い時代に突入した。今はまだ戸惑いの最中だが、若き親と苦しさ辛さを共有する次世代は、ひょっとして逆に親子の絆が深まるのかも知れない。
もしそうだとしたら、豊かに成りすぎる事への功罪と代償は、人間にとって計り知れなく大きかったと気が付く事になるだろう。
中国、取り分け発展目覚しい上海も、そんな時代が目の前までやって来ている・・・・・・

5章 愛すべき父よ母よへ続く・・・・・・


ホーム 戻る 次へ