上海一族の崩壊

2章 負けないぞ!貧乏

 先進的な上海にあっても、女房が子供の頃はまだ中国も貧しかった。
それでも上海の都会に住む自分は、まだ幸せな方だと子供心に思っていた。
上海郊外の農村にある母方の祖母の家はもっと貧しく、その悲惨な暮らし振りは、時折遊びに行って知っていたから、金持ちになりたい!という強い意識はこの頃から芽生えたらしい。

1994年頃から上海の発展は一気に加速し、目に見えて変わり始める。
今の上海市は発展に伴い、2000年にその範囲を大幅に広げたが、以前は黄浦江を挟んだ外灘側の浦西地区を中心にした地域だけだった。
それまでは中心部でさえ、まだ軒を寄せ合うように平屋建ての家々があちこち密集していて、外国人が描く中国の貧乏イメージがそのまま方々で見られた。
下水道やガスなども完全整備とは程遠く、食事時になると随所で炊煙が上がったそうだ。
本格的な都市部の改革が始まってたったの10年後に、今日の上海がこんなに発展するとは誰が想像しただろうか。

 その頃の若い上海娘の嫁入り条件トップは、新居にまずトイレがある事。2番目にガスが使える事、3番目が亭主になる男の稼ぎ、そりゃ収入は多いに越したことはないが、そこまで高望みしては嫁に行けなくなる。それは何とか食べていければ我慢しよう。まぁ、ナント欲の無い条件が一般的だった。
日本のように金のないイケメン男がモテるほど、甘くは無かったようだ。

上海には石庫門という古い建物が集まる一画がまだ所々残っている。
今は徐々に下水道工事も進んだが、場所によっては昔のまま現在も生活している。
女房が中学生の頃、ここに住んでいた友達の家へ遊びに行った事があった。
上水道は共同で、昔日本の下町長屋にあった井戸端風。
肝心のトイレは馬桶(マートン)と呼ばれる丸い木桶が部屋の隅に置かれていた。
男が家事を厭わない上海にあっても、馬桶を洗うのは何故か女の仕事らしく、乙女心に「これだけは死んでもやりたくなかった」と今も顔をしかめて述懐する。
私が初めて来た8年前にも、リヤカーに大きな馬桶樽を乗せて、力一杯自転車を漕ぐ人を何度も見掛けた記憶がある。ひょっとすると上海市も郊外に行けば、まだそんな地域があるのかも知れない。

 それでも李一家は貧しいながらも、まだ恵まれている部類のようだった。
お舅さんの巧みな世渡りとゴマすりで、会社からも比較的条件の良い家を支給されていたし、水洗トイレは辛うじてあったから、女房は口に出すのも嫌な馬桶経験はしないで済んだ。
当時は5階建てくらいの低層共同住宅に住んでいたが、ガスが無かったので、炊事はもっぱら練炭使用。炭の粉を固めた20cmくらいの円筒形で、火の熾りが良いように沢山の空気穴が開いている奴だ。
夕方になると廊下や通路で、そいつを燃料に煮炊きしたと振り返る。
上海の都会では昨今さすがに見られなくなったが、地方に行けばまだまだ大活躍している筈だ。
私も子供の頃、七輪で練炭を熾した記憶がある。
痩せても枯れても東京住まいだったから、恐らく炊事用ではなく、親父が器用に作った掘り炬燵の暖房用だったと思う。
弟達とそこへ潜って遊んでいた思い出があるが、今思えばよく一酸化炭素中毒にならなかったものである。真冬でも暖房は他に火鉢くらいしか無く、家の中でもオーバーを着ていた写真が残っている。
李家とてそれは同じ。今も一般庶民にとって上海の電気代は思ったより高い。
したがって暖房など滅多に点けない。第一、暖房器具など見た事がないから、果たして有るのかどうかさえ定かではない。
部屋の中をダルマのように着膨れした甥っ子と、具合も悪くないのに昼間からベッドに潜り込んでいる姑さんに妙な親近感が湧いてくるのだ。
私達夫婦は確かに20歳も離れているが、国の事情が上手くズレてくれたお蔭で、世代を超えた共通の貧乏体験があり、有り難い事に年齢差はあまり感じない。
同じ条件で日本人同士だったら、とてもこんな訳に行かなかっただろう。

 さて義弟夫婦のその後だが・・・・・・・
ストレスの元凶だった子供を置いて出て行った嫁さんは、同じ上海市内だが郊外に近い場所にある実家に取り敢えず戻った。
実家は割り合い裕福で、父親は大学図書館の元館長、母親も元教師という教育系一家。双方合わせた年金額はお舅姑さんより遥かに多い。
他に兄が一人いるが、やはり教育関係の仕事に従事していて、両親と同じマンションの隣に居を構えていた。
両親は出戻った娘を特別諭したり、意見したりはせず、何故かそのまま好きなようにさせてた。
実は嫁に出す前も、我侭にはホトホト手を焼いていたらしく、結婚話が持ち上がった時に一も二もなく諸手を挙げて賛成したのは、相手は誰でも良かった所為ではあるまいか。
嘘か真か?嫁の実家では、よい厄介払いが出来たと内輪では大いに喜んだという噂を、上海一族は風の便りに後から聞いた。
こうなったのも、惚れっぽい義弟に見る目がなかったのだから仕方ないが、こっちだって学歴もなく、仕事も低レベルで稼ぎも悪い条件だったのだから、まぁ義弟の方も大きな事は言えない。

 嫁が出て行った事で、再びかつての静けさを取り戻した李家ではあったが、お舅姑さんの負担は一気に増えた。
肝心の義弟はウルサイ嫁が居なくなって清々したのか、特別困った様子は無い。今度は子供の面倒を爺婆任せにして、すっかり独身気分に舞い戻り、相も変わらない無責任振りだ。
家出した若い母親もご同様、置いてきた病弱な息子の事がちっとも心配でないのか、その後もまったく音沙汰が無く、実家からも連絡が無い。

小児喘息は一向に好転せず、症状のひどい時は入院する事も度々あった。聞いた話では入院しても大した治療もなく、精々中国病院お得意の点滴をするくらいなのだが、それでも入院した方がいいと言われれば親は慌てるし、爺婆の方はもっと慌てる。
日本のように完全看護制ではないので、子供では尚更の事、始終誰か付いていなければならない。
おまけに中国の診療制度はすべて前金制。金がなければ門前払いを食わされる。入院ともなれば急ぎ相応のお金を用意しなければならず、義弟一人の力ではかなり厳しい。
勿論、お舅さんも黙って見ていた訳ではない。今までも出来る限りは応援したが、年金暮らしではそれにも限度がある・・・・・・・・思いは私とて同じ。
心が通い合わない最初の頃なら、元々ボランティア精神に欠けた私の事だから、当てにされても困ると見て見ぬ振りをしたかも知れないが今は違う。ファミリーの一員として当然の助け合いはしたい。
緊急時にたまたま私が居合わせれば、言葉が分からなくても切迫した雰囲気を察し、すぐにでも援助を申し出るところだが、そうそう待ってたようにそんな場面には遭遇しない。
以前から義弟はそれとなく支援を仰いでいたらしいが、女房のところでストップしていた。
内情は女房の方が良く知っている。
困る事が分かっていて、自分の楽しみの為にお金を使ってしまう義弟を快く思っていない。
あればあるだけ使ってしまう弟の性格は幼い時から承知済み。困ったら誰かが助けてくれると思う甘えも昔から変わっていない。
誰も助けてくれない、頼れない、辛い異国生活を経験した姉にとっては、どうにも歯痒い思いだ。
簡単に応じては、なお弟の為にならないと取り合わない事が多かったらしい。

私の立場からすると複雑な思いだ。
義弟から見れば、春と秋に1年2回も上海にやって来る姉夫婦、1回来れば3ヶ月と滞在は長い。義兄は定年の歳でもないのにブラブラして働かず、しょっちゅう旅行なんかに行っている。
(日本人はみんな金持ちらしい。そんなに余裕があるのなら、少しくらい回してくれたって・・・)
困ればそんな気にもなる。いや、困らなくたって金持ち?日本人が親戚になれば、何がしかの恩恵を期待していたとしても責められない。
それはお舅さんにしても同じ気持ちだったろう。結婚後しばらくしてから、同じ日中国際結婚をした殆どの人達が、高額な結納金を払っていた事を知った。
私は結婚前の挨拶に単身上海を訪れた時も、特別そんな話はなかったし、こちらも毛頭その気はなかったから払っていない。
それは今の女房に限らず前妻も同様で、結納金や支度金なんてものはお見合い結婚の場合で、恋愛結婚なら本人の意思で決めたのだから必要なかろうと勝手に解釈していた。
まぁ、それはこちらの言い分で、お舅さん側からにすればキッチリ要求したかったかも知れないのだ。
だが言葉の壁に阻まれ、言いたくても言えなかった・・・・・・・・それが実際だとしたら大変申し訳なかったとの思いもある。
今思えば、国は違っても親にしてみれば20歳の年齢差など不服だったに違いない。
反対して当然なのに、快く承諾してくれた事を考えても、その見返りを心密かに期待していたと考えるのが順当だろう。
お舅さんだって日中国際結婚がどういうものか、尾鰭(おひれ)が付いた噂は聞いていた筈。
これは劇的一発大逆転満塁ホームラン!金持ちになれる降って湧いたような大チャンスと内心心躍る思いだった事は想像に難くない。
現在でも上海庶民の年収は2万元〜3万元(25万円〜40万円)。
李家は年金が主な収入、お舅さんのアルバイト代を入れてもこの部類に入る。
上海の都会でも、1年間なんとかこれで暮らして行ける。
それなのに最近では300万円などと、法外な結納金を平然と要求をする中国親もいるらしい。およそ10年分の年収金額をだ。
ここまで来ると面の皮が厚い程度では済まされない。経済格差を考えれば、日本の感覚で2千万円くらい言われたのと同じだ。
ウチは東京で知り合って、曲がりなりにも恋愛だったが、仲介業者を通じた日中結婚も意外と多い。
私は一方的で少々強引ではあったが、一所懸命口説いて付き合う期間も1年ほどあった。
十分話し合って、その人となりに納得したつもりだったが、それでもいざ結婚してみると、文化や考え方の違いに愕然としたものである。
それが、中国でお見合いを1回しただけでスンナリ話が纏まり、そのまま幸せになれるとしたら、私の苦労なんかアホみたいに思えてくる。
やっぱりそんなウマイ話はないと考えた方がいい。
結婚のお墨付きを手に、堂々と合法的に日本へ乗り込みたい輩だってウヨウヨいるからだ。
空港で別れの涙を流されたって、演技と見破ろう。帰国後に届く切々たる手紙だって、代筆屋が適当に書いたモノ。1回会っただけで「アナタが私の理想の人!」なんて分かる訳がない。
私も大きな事は言えないが、年齢が大幅に違っていてもこんな事を言われたら、まず気を付けた方が賢明だ。父親のような男が好きな若い娘なんて、そう居るものじゃない。
勿論、仲介業者の世話になったお見合い結婚でも、子を成して幸せな家庭を築いている人達も沢山いる。
そういうご亭主達は、ウゥッ私を含めて、人知れず陰で並々ならぬ努力をしている・・・・・・筈だ!
くれぐれも「騙してもまだまだ騙せる日本人」にならぬよう、努々モテた!などと勘違いせず、冷静に判断することが肝要ですぞ!
それにしても年々吊り上る結納金に応じてしまう方が悪いのか、日本人も随分と甘く見られたものだ。
不況、デフレと言えども、まだ日本人の金持ち神話は崩れていないという事か・・・・・・
まぁ、こういった欲得の絡んだ邪(よこしま)な結婚ほど、日を経ずして離婚するか、突然新妻が蒸発してしまうケースが多いのも事実なのである。

ご多分に漏れず、ウチもそれとなく匂わす話がお舅さんから事前にあったと、随分あとになって女房から聞いた。自立心旺盛な女房は、結婚後も事ある毎に頼られては困る。最初が肝心とばかりに、それをピシャリと撥ね付けた。私より全然しっかりしている。
第一そんな持ち付けない金を手にしたら、お舅さんの性格からして天高く上がる凧のように気持が舞い上がり、大盤振る舞いをして遊び回る事は必至だ。
そんな事にでもなれば好意が仇になって、本当の意味で上海一族の崩壊を招きかねない。
そんな訳で、それに関しては尾を引く事もなく丸く収まり、お舅さんも出来た人だから、一時の夢も宝くじが外れたように諦めた。
収まらないのは私の方、知ってしまった以上、引け目も負い目もある。受けた恩義に対しそれなりに報いなければならないと常々思っているのだが、ここでも女房に「そこまですることナイ!」とストップされてしまう。
まぁ、恒例となった年1回上海一族との旅行くらいが、今のところ私のせめてもの償いなのだ。

話が度々脱線して申し訳ない。
若妻が居た時は、それでもアルバイト代もあったし、まだ息子の医者代は何とかなった。
よくよく逼迫すれば、困った時使うよう嫁の実家が持たせてくれた1万元の虎の子もある。不甲斐なくも義弟は、すっかりそれを当てにしていた。
だが自発的に出してくれるなら兎も角、「出せ!」とはこれで中々言い辛い。
目の前で我が子が苦しんでいれば、まさに困った時なのだろうが、嫁はそうは思ってくれないからだ。
「これは私のお金!」と最初は頑なに拒み続けたが、さすがに良心が咎めたか、仕方なく少しづつ取り崩したらしい。嫁にすれば亭主の稼ぎが悪いからだとの思いが強く、不満はいつまでも燻った。
結果、それも家を飛び出した原因の一つになったのだろう。

 以後別居状態が2年も続く訳だが、最近になってちょっと変化が表れた。
それまでも義弟とは密かに携帯電話で連絡は取り合っていたらしいが、ここへ来て土日に泊り掛けで息子を呼び寄せたいと打診があった。
散々引っ掻き回されて、相性も悪いのは分かっている筈なのに、義弟にはまだ未練があるらしく、正式に離婚した訳でもないのでそれに応じた。
お舅姑さんにしてみれば、今まで医者代の負担要請さえ、「金がない!」と突っ撥ねてた癖に、何を今更という気もあったが、本当に反省して悔い改めてくれたのなら、夫婦は元の鞘に納まるのが一番良いと思っていた・・・・・・

3章 子はカスガイか?へ続く・・・・・


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