上海一族の崩壊
1章 嫁・姑戦争
| 2004年も静かに明けた。相変わらず日本の不景気の出口は一向に見えない。 引き続き好景気の上海にあっても、付き合いよく我が上海一族の見通しも暗い。 女房が時折ポツリと漏らす話では、一見仲良く見えるファミリーも内情はかなり厳しい。 年々上がる一方の上海物価に年金や給料が追いつかず、時々それが原因で親子が険悪な対立ムードに包まれてしまう事もある。 上海庶民は貧乏から抜け出せる唯一の手段として、例え自分達は粥を啜ってでも子供には高学歴を付けさせようと必死だ。 中国では9月が新学期、義弟の息子もピカピカの1年生になる。 先行きを考えると悩みの種が一つ増えた。一昔前から中国の教育現場では、小学校はおろか幼稚園からすでに猫も杓子も大学卒業を夢見て、日夜苛烈な競争が繰り広げられているからだ。 低所得層の多くの親達は、無学な為に社会の底辺で汗まみれに働いてきた。 だがいくら一所懸命働いても豊かにならない暮らしにはホトホト疲れた。子供にはそんな思いはさせたくない。 大学さえ出れば出世は思いのまま、そうなればきっと自分達の面倒も見てくれる筈。 そう信じて疑わない親の期待を一身に受けた子供こそ、いい迷惑かも知れない。 ひとりっ子の身だから期待の分散が出来ないし、物心が付く以前から競争の渦に揉まれて過ごす事になる。かつて日本の子供達が“必勝”の鉢巻を締め、受験戦争を闘い抜いた姿が、いま中国では当たり前になってきた。 日本では今も名門校は狭き門らしく、昔と変わらない鉢巻組みもいるが、多くの若者が目標を見失って荒れてしまった。上海もこのまま資本主義形態が進めば、そんな親の期待など幻想に過ぎなくなるかも知れないのだが、上海の親達にとって今は気が付く術もない。
人を押し退けても競争に打ち勝つ!この道を選ぶしかないのだ。 両親の過度な期待と老後の安定まで託された子供達のハングリー精神もまたスゴイ。努力しなければ親たちが味わった苦労を自分もしなければならない。そんな危機感が一層競争に拍車をかけている。 日本の子供達には何よりもこのハングリーさが乏しい。 生れ落ちた時からすべてが揃っていたら、夢や希望さえ分からなくなる。 豊かになればなったで、また弊害も出てくるのだ。 際限のない豊かさを求める事は、もう考えなければならない。 適度な貧乏こそ!人間が人間らしく生きていくには必要な環境であり、人の痛みが分かる豊かな人材が育つような気がする。 中国も近い将来、核家族化が進み、個人主義が増長し、果ては親孝行など過去の遺物と片付けられて、初めて手に入れた豊かさの陰に潜む歪に気が付くのではあるまいか。 そうなってからでは遅いのだが、物質的豊かさに血眼となっている今の上海庶民には、この警鐘の声は届きそうにない。 長男である義弟は、早くからこの競争に脱落した。 中国の人口は13億人に間もなく届く。これだけ人間が多けりゃ、当然勉強の嫌いな奴だっている。それならそれで商才でも磨けばまだ何とかなるのだが、義弟はそっちの方もからきし苦手ときていた。 姉である女房はいくらか先が見えたのか、普通高校を卒業して、働きながら夜間の大学へ進学した。21歳の時、お舅さんの奔走で日本へ行けるチャンスが巡って来る。中途で大学を辞めるのには抵抗があったが、黄金の国ジパングの魅力には勝てず、留学という形で揚々日本の土を踏んだ。以後、姉弟の運命は大きく分かれて行く・・・・・・・・ 結局、義弟は中学を辛うじて卒業すると、高校へは行かず社会へ出た。 社会に出れば学歴がモノを言うのは日本も中国も同じだが、義弟には多少強みがあった。 当時はどの募集広告の文末にも「上海戸籍を有する者」と書いてあるのが多く、元々上海に住む者はかなり優遇されていた。義弟も「俺は上海人!何とかなる」と安易に考えたに違いない。 開放政策によって、地方から大都市への出稼ぎが自由になって以来、それを心良く思わない上海人が増えた。それは一種の差別化に繋がり、上海戸籍を持っているというだけで優越感に浸り、地方出稼ぎ者を見下す風潮へと発展した。 大都市に集まる出稼ぎ労働者は、本来臨時居留証や働く為の許可を得なければならない。 だが多少なりとも金が掛かるので手続きをしない者が多く、その為なるべく問題は起こしたくないのを見越して、苛めに近い傲慢な態度をとる上海人が多かった。 そもそも中国の戸籍とは戸口簿と言い、日本の戸籍システムとは大分違う。言ってみれば住民票か住民簿に似ていて、一世帯に何人住んでいるかの証明みたいなもの。 共産党華やかし頃には、この人数によって大小の居住家が割り当てられていた。 したがって権利はその人数分全員にあるから、話はややこしくなる。 仮に親子喧嘩をしても、親父は息子に「出て行け!」とは言えない。嫁が戸口を親元から移せば、嫁にも権利が発生してしまう。 現在の上海では、それらの物件は殆ど格安で払い下げられ、親父の個人所有に変わったが、子供達の権利意識は変わっていないようだ。女房が未だに「お舅さんのマンションの4分の1は私の物」と言って憚らないのを見てもよ〜く分かる。 さて義弟だが、勇躍社会に出たものの、そう世の中は甘くない。 中卒の小僧っ子では、そんな良い条件の仕事などある筈もなく、結局お舅さんの勤める国営企業にコネで何とか潜り込み、自動車の修理工として働いた。 しばらくすると上海人プライドが、労働者に甘んじている現状を許さず、19歳で中共軍入隊を志願する。軍隊に行って少し箔(はく)を付けてくれば、世間の見方も変わってくれると思ったのだろうか? だが残念と言うべきか、悲しいかな身長がちょいと足らなかった。 ここでも息子可愛さで、お舅さんが獅子奮迅の活躍を見せる。 中国はコネ社会、大概の事ならナントカなる。伝(つて)を頼って首尾よく無事入隊を果たした。 親心から、ついでになるべく苦労の少ない部署に就けるよう働き掛け、通信部隊への配属にも成功した。 ここまで面倒見ては、決して本人の為にならないのは明白。お舅さん、後に悔やむ事になる。
お調子者の義弟は急に偉くなったようにも感じた。このもうひとつの勲章の威光もあって、お舅さんの知り合いの会社へ目出度く入社となる。 目論んだように今度は油塗れの労働者ではない。 権限もある人事部の事務職だ。前途洋々、順風満帆の会社勤めが始まった。お舅姑さんにもホッと安堵の日々が帰って来た。 この幸せがずっと続いてくれたら・・・・・との願い空しく、ある日突然不吉な電話。 「李さん、悪いけど、あれじゃ、どもならん」 お舅さんも微かな心配は確かにあった。今それが現実となって返って来たのだ。 元々辛うじて卒業した中卒の学歴では、人事部なんて仕事は最初から無理があった。 会社も温情を掛けて、死に物狂いの努力を促し、夜間高校に通ってせめて高卒資格を取るよう便宜も図ってくれたが、義弟は恩を仇で返すようにそれを蹴った。 (20歳を過ぎて高校になんか行けるもんか!) 度量の狭い、ちっぽけなプライドの為に、そう何度も巡って来ないチャンスを逃してしまう。 もう輝かしい共産党員の肩書きも軍隊帰りの箔も、すべて地に落ちてしまった。 結局、門番にまで降格され、間もなくメンツが立たないと辞めてしまった。 メンツが丸潰れなのは、むしろお舅さんの方。無理に頼み込んだのに、この体たらくでは知人に今後顔向けが出来ない。手土産片手に平身低頭謝りに行ったのを、息子は知って知らずか? 今勤めている3星ホテルの警備職も、懲りないお舅さんが東奔西走やっと探してくれた。 仕事は楽だが、それに見合って給料も安いのだが一応安定している。 人間誰しも得意技はあるもの。この義弟、色事には滅法手が早く、学歴はないが若さにモノを言わせて上海娘を強引に口説き落とし、足元が固まる前に所帯を持った。 私らの結婚とほぼ同時期だから、7年前という事になる。 義弟は25歳、嫁さんはまだ20歳をちょっと超えたばかりの初々しい美人。控え目で大人しくて、最初は一見非の打ち所がないように見えた。 ところが日を置かずしてこれが豹変する。結婚してしまえばこっちのモノ。ブリッ子演技に疲れたのか、それまで猫を被ってきた偽りの殻を一気に脱ぎ捨てた。 家事は嫌い、働くのも嫌い、気に入らなければ一日中座り込みのスト決行。親がどれほど甘やかして育ててきたかが白日の下に露呈した。お舅姑さんも嫁を迎え入れたのは初めての経験、どうしたものかオロオロしながら腫れ物に触るような暮らしがスタートした。 食事の支度はもっぱらお舅さん。まぁ、それまでも殆どお舅さんが担当していたから、一人増えても大した負担ではないが、そういう問題ではない。 それとなく手伝うとか、ちょっとした気遣いが欲しいと思うが、望んだところで無理な話。 支度が整うと、ありがとうの一言も無く、さも当然とした顔でパクつき始める。勿論、後片付けもしないし、洗い物はお姑さんにおまかせ。 いつまでお客さんのつもりでいるんだ!これではお舅姑さんの不満が出ない方がおかしい。 中国では若夫婦が働き、爺婆が孫の世話や家事を受け持つのが一般的だが、それでもキッチリ両方こなしている嫁さんだって上海には大勢居る。 若い嫁さんは麦当労(マクドナルド)でアルバイトをしていた。職場でもこんな調子だから、上司と始終衝突していたらしい。加えて顔に険があるから笑っても凄味がある。愛想もないし、結局解雇された。 そもそもの原因が分かっていないから、他の職場も次々と首になり長続きしない。 本人はイライラが募るのだろうが、それをストレートに出されては、周りも堪ったもんじゃない。 嫁さんはお姑さんを呼ぶのにも呟くように言うから、時として聞こえない場合だってある。それなのに無視されたと言っては1週間も口を利かない。 狭い2LDKのマンションでは身の隠しようもなく、大人しいお姑さんはいつ呼ばれるかと、始終耳をダンボにして戦々恐々の毎日を送る羽目になった。 それでも夫婦だから間もなく子供が出来た。子に罪はないが、何の因果か生まれついての虚弱体質。病院通いの切れ間がなく、少ない給料も羽根が生えたように消えて行く。 ある時、義弟がプッツンと切れた。どうせ医者代に消えるなら、消える前に使ってしまおう。 元々働くより自分の世界に浸っていたいタイプ。今はパソコンに熱中していて、欲しい部品も沢山ある。父親としての自覚がないと言ってしまえばそれまでだが、子供っぽい性格は変えようがない。
こうなると夫婦喧嘩も派手になってくる。今までの小競り合いから、取っ組み合いの大喧嘩に発展するのに大した時間は掛からなかった。 ひとつ屋根の下の事ゆえ、お舅姑さんも黙って見過ごせない。 その都度仲裁に入っていたが、嫁が息子の味方ばかりすると声高に邪推するので、雲行きが怪しくなると自分達の部屋に引き篭もり、ジッと嵐が過ぎるのを待つようになった。 次第に怒りの矛先は息子に向かうようになる。 (生活が苦しいのはこの子のせいだ!何でしょっちゅう具合が悪いんだ!・・・・・) 幼(いたい)気な息子は小児喘息。何で!と言われてもどうしようもない。逆に教えてもらいたいくらいだ。 子供らしくはしゃぎ回った後に襲ってくる猛烈な咳き込み。風邪も引き易く、即、医者代が頭に浮かぶ若夫婦は、冬場は家の中でもダルマのように着膨れさせていた。 食事も医者の指示で、海鮮物やチョコレートのような刺激物はご法度。 見ていると殆ど食べられない物ばかりで、見兼ねたお舅さんが、箸で摘んだ惣菜を白湯で味付けを洗い落とし、孫の口へ運んでやったりしている。 それにしても相手は子供だ。糖尿病患者のように味気のないモノばかりでは、食べたくないと逃げ回るのは当然だろう。それを我慢できない若い母親は声を荒げて叱る。 自分の我侭さえ自覚出来ないでいる母親が、目を吊り上げて叱る様は本末転倒、言語道断だ。 その内、口よりも手が先に出るようになった。 父親である義弟が居れば、「ヤメロ!ヤメロ!」と止めに入るが、留守の時はその分倍になって返ってくる。パシッ!パシッ!連日のように響き渡る叩き叱る音とキンキンした怒鳴り声。 平和だった上海一族の家が、一人の嫁によって崩壊の危機を見せ始めた。 いきがりと臍曲がりは父親譲りか?子供も3歳になった頃から反抗の兆しが表れた。 叩かれても口を真一文字に結び泣かなくなった。いや黒い円らな瞳から涙が頬を伝ってくるから、泣かない訳ではないがグッと堪えている姿が健気だ。 (・・・・・・・こりゃ、ひょっとして将来は大物になるのかも?) キッと睨み返した目には、母親に対する飢えた愛と悲しみが漂っている。
その内、敵わずとも叩かれたら叩き返すようになった。幼くも儚い抵抗だ。 そうなると可愛さ?余って憎さ百倍、益々エスカレートした母親の叩く手に力が入る。 「やめなさい!可哀想じゃないか!」 或る日、堪忍袋の緒が切れたお姑さんが止めに入った。 この子は私にとっても大事な孫だ。 「口を出さないでョ!私の子供なんだから!」 尚も叩こうとする嫁の腕を、お姑さんが後ろから掴み掛けた瞬間、振り向きざま嫁の手が飛んできた。強かに頬を打ち、一瞬クラッと目眩がした。 打たれた事が非現実的な出来事のように、目の前が突然スローモーションに流れる。 どうやら嫁さんは自分が打たれると勘違いしたらしく、反射的に手が出たらしい。 だからといって中国でも姑に手を上げたとあっちゃ、簡単に許される話ではない。 この事件が元で、嫁姑の仲は決定的な破綻状態になり、間もなく嫁は出て行った。 2章 負けないぞ!貧乏へ続く・・・・・ |