5.阿姨(アーイー)決戦!
| 2004年5月 その方法は単純ではあるが兵糧攻め。 阿姨(アーイー)さんの丸々と肥えて栄養の行き届いた顔を見て思いついた。 こうなればどちらが先に音(ね)を上げるかの戦いだ! それまで食材の買出しに毎日渡していた25元(325円)を15元(195円)に値下げした。 円ならたった130円の違いだが、中国でその差は大きい。その日を境に食卓から肉が消えた。 「東京は野菜が高いの。ワタシ上海にいる内に野菜を沢山食べておくわ」 これは思ったより効いた。 住み込み食事付きとはいえ、阿姨さんはその内容までは口を挟めない。 雇用主の食べたい物を作るのが建前であり、それを少し相伴させていただくというのが基本だからだ。 昔は勿論、主人の食べるものとは違っていた。相応の金持ちしか阿姨さんなど雇えなかったから、主人の食べる食材は高級で庶民とは格段の開きがあり、自分たちは裏方としての粗末な賄い食を別に作っていた。 今は生活にちょっと余裕が出来た中流家庭が阿姨さんを雇うのが増えた為、食に関してはそれほど差がなくなったから別に作る必要もなくなったのだろう。 日本でも私の母親が奉公していた呉服屋では、主人一家の食べるものは毎日変えるが、番頭以下奉公人全員は塩鮭だけ。それも飛びっ切りしょっぱい奴を丸ごと一匹買って来て、それを小出しに無くなるまで食べさせられたらしい。 おかずはそれだけ、口がひん曲がりそうなほど塩辛いから中々減らず、何日も何日も続いたこと、その時の様子が瞬時に甦るのか、老母が大仰な表情と身振り手振りも交えて話していたのを又思い出した。
雇用後2ヶ月目に入ったその月の半ば、阿姨さんが神妙な顔付きで話を切り出した。 「ワタシ、今月で辞めさせていただきます・・・・・・」 その顔は幾分頬がこけて、来た時よりも遥かに精気が失われていた。 奥さんは勝った!と思った。 これでどちらの立場が上なのかよく分かったろう。 してやったりと大いに溜飲を下げ、勝利の余韻が体の隅々まで広がって行く心地良さを感じた。 この奥さんもさすがに上海人、これしきでは全然めげないし、懲りてもいない。 早速お次の阿姨さんを物色した。 (赤ちゃんの世話はもういいわ、今度は家事だけやってもらいましょう) 次に面接した阿姨さんも、昨日地方から出てきたようなオバサン。髪はパサパサで油っ気がなく、如何にも山出し然として、肌の浅黒いのは前回と共通していた。 口が達者で、経験が豊富だと盛んに自己PRするが、俄かには信じ難い。 それでも憎めない性格と妙に人懐っこいところが気に入って、月1000元で雇うことにした。 最初の印象通り、何でも「はい、はい」と如才なく気軽に引き受けてはくれるが、すべていい加減。 料理を作らせれば丸っきりの田舎風。掃除だって、する前とした後でも大差ない。 (アチャ〜・・・・・また外れた) それにしてもいい加減な性格がどうにも気になる。ウチには生まれ立ての赤子がいるし、もし病気持ちだったらと思うと、心配で夜も寝られなくなった。 時は5月の大連休間近、中国も日本に倣ったか1週間の連休が定着していた。 この連休を利用して近在の親戚が、赤ん坊の顔を見がてら遊びに来るという。 恐らく泊まることも予測して、阿姨さんに5日ほど休んでもらうことにした。その間、病院で健康診断をするよう、諸掛り費用120元を渡した。これで心配の種も白黒がハッキリするわ。 5月の大連休は生憎の曇り空、少し肌寒さも感じる気温だったが、予告通り親戚連中がワイワイやって来た。 この子はお母さん似で可哀想だとか、冗談を飛ばし合う和気藹々の楽しい再会。 色々な話の流れの中で、阿姨さんのことが話題に上った。聞けば、今は阿姨さんを雇う場合も1週間のお試し期間があるという。 その1週間で気に入らなければ、断っても何ら差し支えないという事だ。 ・・・・・・・・・・知らなかったぁ〜 奥さんは俄然強気になった。そうと分かれば今の阿姨さんは気に入らない。 まだ雇ったばかりだから、休みが明けたら思い切って断ろうと心に期した。 5日間の休み中、雇用主が心変わりした事など露とも知らない阿姨さんが戻ってきた。 差し出された病院の健康診断結果は良好だったが、奥さんの気持ちはすでに離れている。 「やっぱりウチには合わないと思うわ。悪いけど他を探してくれる?」 ギョッ!まさに青天の霹靂の阿姨さん。しばらく絶句して沈黙の後、割と気持ちの整理が早いのか、ビジネス・ライクに切り替えた。 「それじゃぁ、月1000元を日割りにすると1日34元ですから、1週間分として238元。それに5日間のお休み中の食事代が1日最低10元として、エ〜と50元。合わせて288元いただけますか?」
2日間だけのお試し雇用だから、2日間分として68元。ちょいと色を付けて70元も払えば文句がないだろうと、最初は高を括っていた。 阿姨さんの言い分は、お休みはあくまで雇用主の都合。 私は休みたくなかったのだから、その分の保障は当然で、5日間の宿代だってタダじゃないという理屈だ。 おまけの食事代だって、住み込んで働いていれば掛からなかった訳だし、その分も出して欲しいとなる。・・・・・・・まぁ言い分としては分からなくもない。 しかし奥さんの方はたった2日間で288元、それに健康診断費も合わせたら408元にもなってしまう。 幾らなんでも、そりゃあんまりだ!と取り合う素振りを見せなかった。 阿姨さんも必死だ。 1日1日の稼ぎが勝負なのだから、引き下がる訳には行かない。 貰うまでは梃子でも動かないと態度を硬化させ、頑強な意思表示を示した。 阿姨紹介所に連絡しても、この阿姨さんの理屈の方に分が有りそうだし、このまま騒ぎを大きくしてもこちらに得はないと、結局、不承不承ではあるが応じる事にした。 要求が通り、意気揚々と引き上げる阿姨さん。奥さん、その後姿に塩を撒いてやりたいと思ったくらいだ。 まったく風のようにやって来て、根こそぎ持って行かれたような敗北感が口惜しい。 さすがにもう懲りた、2度と阿夷さんは御免だと心に固く誓っていた矢先、 ピンポーンと玄関チャイムが鳴った・・・・・・・・誰だ!今日は虫の居所が悪いんだぞ! ドアスコープ越しに廊下を覗き見ると、憎きさっきの阿姨さん。 忘れ物でもしたのかと思ったが、こっちはもう顔も見たくない。開けてやるのも悔しいほどだ。 「ナニ!まだ用があるの!」 「さっき渡した健康診断書、奥さんが持っていても仕方ないでしょ、私にくれない?」 この阿姨さんもしたたかだ。次の勤め先で身分証明書代わりに使おうとの魂胆ありあり。 奥さんは再びムラムラと怒りが込み上げてきた。結局、あの紙っぺらは私が120元も出して買ったようなもの。それを何であんたにタダで上げなきゃいけないんだ。 奥さんだって上海人の端くれ、金銭感覚には殊の外敏感だ。 「欲しいんだったら50元で譲ってもいいョ」 「あっそう・・・・・・・・・・じゃ、いらないわ」 サッと踵を返し、キリリと立ち去って行く阿姨さんの後姿を見て、上海人としてのプライドはもうズタズタ。 地方出稼ぎ者にここまでナメられた憤りで、ワナワナと手が震えた。 これで女房の親友が味わった、阿姨さんバトルの顛末は終わりです。 ウチも値段の安さに引かれて、一時阿姨さんを頼もうかと思っていましたが、実行に移さないで正解だったと胸を撫で下ろしました。 気兼ねをしたくない為に上海へ来ているのに、他人を家に入れて気を遣うのが嫌だったからです。 それに女房は盗難が心配だと、最初から気乗りがしませんでした。 子供もいないし、夫婦2人だけならそれほどの家事量でもない。雇ったら返って損だと、最後は例の倹約魂が頭をもたげ、意見の一致を見ました。 阿姨さんを雇っている他の友人の話では、阿姨さんと上手くやって行くコツは、家族的に扱うことだと聞きました。いわば家族が一人増えた感覚で、たまの外食にも同伴させたり、時々は給料の外に小遣いを渡したりと気を遣っているそうです。そうすれば親身に家事もやってくれると・・・・・ ア〜・・・・・・・やっぱり中国は末端まで、魚心あればナントカの世界なんですね。
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