エジプト浪漫旅行
| 2003年3月5日、エジプト旅行6日目を迎えた。 今日は移動日に近い。移動しながらの途中で観光場所に幾つか立ち寄る按配との事。 ルクソールからアスワンまで180km、バスで約6時間の行程だ。 アスワンとは「市場のある場所」という意味で、人口300万人、7〜9月の真夏には気温が50℃近くまで上がるらしい。そんな話を聞く度、最適な時期にやって来られた私達は、ラッキー、ラッキーと小躍りしたくなる。 早朝ホテルを出発して程なくナイルの河畔まで来ると、珍しく気球が飛んでいた。すかさずガイド氏が、これは観光用で1人150米ドル(18000円)で乗れると説明。車内からはホゥ〜という溜息が漏れた。 昨年行ったオーストラリアで気球に乗ったが、確かあの時は日本円で1万円くらい。それと比較すればエジプトの物価水準に照らしても、かなりの高目設定だと分かる。 観光客からは取れるだけ取れ!そんな無言の圧力さえを感じて、これは益々ウカウカ出来ないぞ!と夫婦して再度気を引き締めた。
この日は警察の先導車が付くという話だ。いまだにそんな物騒なのか?不安感が脳裏を過ぎる。 朝靄を突いて指定の集合地まで来ると、すでに数台の観光バスが停車していて、私達のツアー1台の先導ではない事が分かった。 パトカーとは違う黒っぽい警察車両が数台、バスの先頭に停まっている。すべて日本車らしく、トヨタ、ニッサン、三菱と分け隔てなく割り振ったところが笑える。 屯する警官とは別に、アラブの民族衣装を纏った仕切り人が、しきりと各バスの確認や調整に動き回っている。その下に配下が数人いて、これ又無意味に周囲をチョロチョロ徘徊している。 失業率が高いせいか、1つの仕事を何人もで分けるワークシェアリングが自然と形作られているようだ。 警察もどこまで観光客の安全を心配してくれているかは定かではナイ。 カービン銃や自動小銃を見せ付けて物々しい警護ではあるが、あれこれ世話を焼いては経費を請求する、観光国ならではの体質も何処か見え隠れしている。 しばし待機の後、どうやらバスの員数も揃ったのか出発の合図があった。 ご丁寧に各ツアーバスに一人づつ警官も乗り込んできた。ガイドの話では警官が同乗していると、緊急時に限らず交通渋滞でも優先して走行出来る、便利で心強い味方なのだそうだ。 ニッサンとアルファベットで後部に横書きされた、セコイ4駆車が先導についた。 警護車両としては如何にも貧弱と言わざるを得ない。第一1台切りとはなんとも悲しい。騒然と並んでいたあの何台もの警察車両は一体何だったんだ。これじゃぁ、一朝時ある時は守り切れんじゃないの!
ルクソールの南96kmに位置するホルス神殿。現世ファラオの守護神として崇拝された隼の姿をしたホルス神を祀っている。エドフの町にあることからエドフ神殿とも呼ばれている。 周囲は高さ18mの大外壁に囲まれ、身の丈10mもあろうかという13体の彫刻が、強い日差しに反射してクッキリと浮かび上がっている。 グルッと回った正面の第一塔門は、その巨大さを一段と誇るように高さが36mもあり、幅は80mにも及ぶ。 ここの壁にも数々の彫刻が施されていた。塔門の前には2体の隼ホルス神が配置され、そこを潜り抜けると内側は中庭のような広場になっていて、正面に第二塔門がこれも完全な形で残されていた。 大外壁の内側も神殿の外壁も、全体一面に彫刻が成され保存度は良好。、気の遠くなる長き年月、風雨に曝されていた痕跡など何処にも見当たらない。何千年もの大昔、人類が営々と築いてきた文化を、この目でこの手で直に確かめられる喜びは計り知れない。 1860年フランス人の手によって始めて発掘整備が行われた時、神殿は殆ど土中に埋まっていて、その上には日干し煉瓦の住居や小屋が建ち並んでいたそうである。 その珍しいケースとも言える幸運さが、ほぼ完全な保存状態で遺跡を現代に発掘復元させた。 ここにあるものはすべて貴重な遺跡品である。それを忘れて、一見ベンチのような手頃な石台に乗ってカメラを構えたら、監視員が「降りろ!」と怒鳴りながら素っ飛んできた。
次に訪れたのがコムオンボ神殿。ナイル川を眼下に見下ろす小高い丘の上に建っている。 ギリシャがエジプト人の為におよそ2300年前に造ったとされていて、神殿の造りはギリシャ様式が取り入れられ、一見するとアクロポリスのような印象を受ける。 ワニの頭をしたセベク神と隼の頭のハロエリス神を一緒に祀っている為、それぞれ回廊や至聖所を別に設けた左右対称の珍しい二重構造となっている。 現存する壁面のレリーフには、当時の手術道具や古代のカレンダーなどがあり興味深い。 又神殿脇にはナイル川の増水量を測る目的で、井戸のように掘り下げられた場所などもあって古代人の知恵が窺われる。 神殿入り口の小礼拝堂にはワニのミイラが保存展示されている。ワニはセベク神の聖獣であり、死ぬとミイラにされたという事だ。あまり見たいという気にはならなかったが、女房、ここの拝観料はナイと聞いたら、「何で観ないで帰られりょか!」とばかりに私の手を引く。 埃だらけのガラスケースに、これがワニのミイラだと言われれば、まぁ辛うじて判別出来る程度の黒い塊。 ウ〜ン、ワニが死んで勝手に干からびたみたいだった。 物憂げに巨柱に佇む黒衣の女。いえね、サブタイトルに書くほど、私がこの女性と何かあった訳ではないんです。ただ妙に気になったものですから・・・・・・ 割りと想像力が逞しい方なので、ついつい余計な心配までしてしまって。中年男の嫌らしさでしょうか? 日本でも黒の喪服には、又普段とは違った色気が香ると良く巷では申します。国は違っても心理は同じなんでしょうか、この黒衣の女性、ゾクッとするほどの色気でした。 あまり気になったので、ひとり、ツアーの列からそっと抜け出し、傍まで行ってマジマジと見て来ましたョ。 年の頃なら27〜28歳、伏し目がちな目縁に涙が滲んでいるようにも見えました。睫毛が長く、顔を上げれば大きな瞳を連想させます。 彫りの深い顔立ちは、東洋人にはない厳しさを漂わせ、一種近寄り難い冷たさみたいなものも感じます。 出来れば盗み撮りではなく、きちんとお願いして1枚撮りたかったのですが、でもこの女(ひと)を包む辺りの空気はそんな雰囲気ではなかったし、例え承諾してくれたとしても正面からカメラを向けた時、恐らくこの物憂げな表情は消えていると思ったからです。 世の中、こんな美しい女性を悲しませたり泣かせたりする男がいるのでしょうか?いや、つい思い込みで話が飛躍してしまいました。そうですよね、直接聞いた訳でもないんだし、男とは限りませんよね。 私とすれば憧れのエジプトで、クレオパトラの再来に出会ったようなものでした。この歳になると中々ハッとするような美人と出会うチャンスは少なくなります。 このハッとするというのが問題で、それは単に世間一般で言われる美人ではなく、私だけに感じる美意識、又は因縁の出会いみたいなものです。 前世で何かしら繋がりがあったという人もいます。その遠い記憶が出会えた瞬間に呼び起こされるとも。 だからそう滅多に巡り合えるものでもありません。 それが遠い異国で出会えるとは・・・・・・思わぬ拾い物というか、儲けものでありました。 この因縁話とは別の一般的な美人選択眼も、最近頓(とみ)に判断基準が曖昧になったように思います。 それは私自身の感受性が衰えてきた証拠かも知れません。 何を血迷ったのか、うちのカミさんと一緒になった事がすべてを物語っているでしょう。(内緒!) でも諦めてはいません。自信を失う事は老ける要因に拍車を掛けるようなものですから・・・・・ この日、黒衣の女と出会ったお蔭で、私の美意識がまだまだ健在だったとちょっぴり安堵しました。 大変な収穫でした。この事があっただけでも、エジプトに来た甲斐があったというものです。・・・・・・万歳!
今日は見晴らしのいい高台にあるホテルレストランでのランチタイム。 レストランは中庭を回った奥にあるから、豪奢なフロントを抜け一旦外に出た。 アッ!・・・・・・そこには目の覚めるような光景が広がっていた。まさしく砂漠の中のオアシス、次元を超えた別天地がいきなり出現した錯覚を感じた。 青い空と緑の木陰、透き通って溢れるほど豊富な水、プールサイドでは太陽の恵みを燦燦と浴びた人達が憩う。この世の楽園を思わせる贅沢な造りのホテル施設。 その背景には荒漠とした砂漠が無言で広がっていて、まるで生と死のコントラストを見ているようだった。 ランチメニューはシシカバブ料理。2〜3日前にも確か食べたような?・・・・・・あ〜思い出した、所々焦げて半分炭化した奴だ。 得てして本場のモノというのは、大して美味くないというのが私の持論だ。まぁ、それほど一流レストランで食した訳でもないから極めて独り善がりなのだろうが、日本人には日本人受けする味付けがあるようだ。 元々生モノを食す習慣のある日本人は、舌の構造が繊細に出来ているのかも知れない。 家事不得意を公言して憚らない上海妻。おのずと毎日の食生活が貧しい私でも美味い不味いは分かる。 日本人ツアーだけでなくイタリアからの観光団体も入り乱れ、騒然とした昼食となった。右上の写真を見ていただきたい。泰然自若、周囲の喧騒何のその、私は私、悠然と頬張る我が妻の神経や太し。 相変わらず気を遣った村八分状態で、私たちのテーブルには誰も寄って来ないのが寂しくもあった。
アスワンには2つの大きなダムがある。ひとつはアスワンダムで、イギリス支配の時代にナイル川の氾濫を防ぎ、合わせて農業の振興を高める目的で1898年に着手した。 4年の歳月を掛けて完成。当時は世界最大のダムだったが、残念ながらその目的は十分に果たされなかった。それから又しばらく苦難の時を経て、1960年当時の大統領ナセルが新ダムの建設に踏み切った。 旧ダムの上流7km地点に、長さ3.6km、高さ111m、頂上部の幅40m、基底部の幅980mという途轍もない巨大なダムで、クフ王ピラミッドの92倍の大きさがある。 ナセルは資金集めに東奔西走、ようやく旧ソ連の資金援助を取り付けた。「成せば成る、成さねば成らぬ何事も。ナセルはアラブの大統領」こんな諺あったっけ? ダムは岩と砂を積み上げて造られ、3万5千人が建設に動員されて1972年に完成した。 完成まで11年を要し、上流には隣国スーダンにまで跨る巨大な人造湖、ナセル湖が出来た。 これにより下流の川の氾濫による被害はなくなったが、同時に人類の貴重な文化遺産も湖底に沈むという新たな危機に瀕した。明日行くアブシンベル神殿はユネスコが中心となって、巨費を投じて移築。辛うじて水没を免れた。 今も軍事上の最重要地域で、このダムを破壊されるとエジプトがほぼ壊滅してしまうから、警戒も厳重だ。 今日最後の見学地オベリスクの石切り場へやって来た。オベリスクとは根元から頂点まで継ぎ目のない一枚岩で出来た塔の事である。 心臓は早鐘を打ち、肺はゼイゼイと呼吸困難気味。暑さでクラクラ目眩(めまい)がする中、苦しい胸を押さえつつ一歩一歩カタツムリ登頂。ようやくテッペンに着いた途端、へたり込んでしまった。 暑さを凌げる日陰など何処にもナイ。ガイド氏の説明も、耳鳴りのように遠くに聞こえる。 確かに切り掛け途中でヒビが入ってしまったオベリスクがあった。30mはあろうか?人が作業出来るくらいの側溝を作り、徐々に回りから掘り下げて行ったのが分かる。 すぐ向かいにはナイル川があり、そこから舟に乗せて遠くルクソールまで運んだというが、俄かには信じがたい。幾ら近いとはいえ、これだけ巨大な塔を川辺まで引き摺り、あまつさえ筏に乗せたらしいが、よく沈まなかったモノだ。きっと現代人には想像も付かない英知があったのかも知れない。
ハードな1日だった。映画「ナイル殺人事件」の舞台となったホテル・・・・・の隣のホテルに宿泊。 ナイル川のすぐ川辺に建っているが、格安ツアーの面目躍如、川とは反対側で見晴らしはご覧の通り。 眼下には決して豊かな暮らしとはいえない住居群が広がっていた。 晩餐はホテルではなく、街のレストラン。再度バスに乗っての出動だ。 もう6日目なので、パターンが分かっているから大した期待もない。品数豊富な中国ツアーが懐かしい。 ツアー客がドヤドヤ乗り込んで行くような店とは到底思えない、静かな雰囲気の普通のレストラン。 例によって三々五々分散して好きな仲間とテーブルを囲む。今日は珍しく私たちのテーブルに相席者があった。それほど大きくないレストランなので、席が足らなかったせいだろう。 お互い、話の糸口を探して気まずい沈黙が流れる。 お相手は歳相応の年齢差で、若夫婦か恋人同士のように見える。「エジプトは初めてですか?」と水を向けると案外気さくに乗ってきた。 エジプトは2度目だという両人はやはり夫婦で、この家も奥さんが主導権を握っているようだ。旦那さんはまだ大学生と見間違うくらいの童顔で、口数が割りと少ない。 若い人は遠慮がナイ。「大分お歳が違うようですが?」単刀直入、ズバッと核心に切り込んで来た。 複雑なウチの内情は話せば長い。いちいち顛末から話す義理もないので適当に取り繕うのが常だ。 他のテーブルも6日目になるとすっかり打ち解けて、結構賑やかに話が弾んでいる。 その中で唯一女性の単独参加者がいる。齢60歳を少し超えたくらいか?とにかく倣岸な態度天下一品。 大人しい添乗員など顎でコキ使っている様子が多々見受けられる。 女はとっくに捨てているのか?開き直ったような傍若無人振り。 「ワタシは客だ!」の意識が強い。それを言うならみんなだって客だ!・・・・・この辺が分かっていない。 今日も今日とて恥も外聞もなくビールがぶ飲み、挙句にウェイターを呼び付け、「アイス!アイス!」と氷の催促。人間肥っていると常人より暑く感じるのか?私がまさにその類だからその辺は分からないでもナイ。 人間痩せても枯れても、鼻摘み者にはなりたくないものだ。本人は酔っ払っていて気が付かないだろうが、アイスは大体何処もナイルの水道水を凍らせている。 したがって体調を崩す元凶に成りかねないのだが、注意するお仲間が一人もいなかった。 見かねた女房が「アイスは・・・・・・」と言い掛けたので、私は急ぎテーブルの下で袖を引っ張った。 ・・・・・・・(黙っていろ!)目配せをして思い留まらせた。 明日想像通りなら、少しは薬になるだろう。他の皆さんも思いは同じらしく、何かを期待する顔は一様に弾んでいた。 8.甦ったアブシンベル神殿へ続く・・・・・ |