エジプト浪漫旅行
| 慌しくルクソール神殿見学の後、ナイル川の辺にあるレストランでバイキングのランチ。 日程表にビュッフェと書いてあったが、その名の通りなるほど簡単なものだった。 それほど迷う事もない品数の料理を、そそくさと済ませるとテラスに出た。 蕩々と流れる大河の対岸には、緑が一切ない山が赤茶けた荒々しい岩肌を見せている。 中国の長江とはまた違った趣だが、エジプトの歴史を一切飲み込んだナイルの川は悠々と流れていた。
午後の観光はナイル川を小型船で渡り、ルクソール西岸にある王家の谷など3箇所を回る。 まず最初に向かったのが、高さ21mのメムノンの巨像。 新王国時代の王アメンホテプ3世の葬祭殿の入口にあったのだが、肝心の葬祭殿はすでに跡形もない。 理不尽な事に、他の王が自らの葬祭殿建立の為、とうの昔に壊され石材を使われてしまった。 そして哀れ巨像だけが残った。 朝日が昇るときメムノンは物悲しい声で泣いたという。そりゃそうだろう、泣きたくもなる。 朝日が昇ると巨像の石が夜との温度差で振動し、泣き声のような音をたてたらしい。1999年の修復後は、もうその音は聞けなくなったという話だ。
三々五々写真を撮り終えバスに乗り込んだら、ロバに乗った子供たちがやって来た。 これはもうかなり貧しい。車窓の下で盛んに物を書く仕草をしている。きっとペンが欲しいのだろう。 おどけて媚を売っている。どうしたら貰えるか、子供心に会得した悲しい知恵の表れにも見える。 手持ちの1本をあげても焼け石に水。他の子供たちが我先にと殺到しても、もう余分はナイ。 世界の色々な国へ旅行していると時々こういった場面に遭遇し、その度に言い知れぬ無力感に襲われる。これでいいのか?自問自答が私の頭の中を駆け巡る。 中国でも内陸に行くと、よく似た状況に接する事が多いが、これほど救いようがないのは初めてだ。 まだあどけなく屈託のない子供達の円ら瞳が、一層物悲しさを募らせる。 果たしてこの子達は将来、どんな道を歩むのか・・・・・・それを考えると、月並みの同情や言葉など何の役にも立たず飲み込むしかなかった。
ここから山をひとつ隔てた場所に王家の谷がある。今も密かに墓の盗掘がされているらしい。 金鉱と同じで一発探し当てれば大金持ちに成れるのだそうだ。 勿論違法であり、盗掘現場を見つかればタダでは済まないのだろうが、一攫千金の魅力には中々勝てないらしい。そうして貴重な出土品は海外へと流出して行く。 岩石がゴロゴロしている殺伐とした風景の山腹に、掘っ立て小屋が数軒建っている。見掛けはかなりみすぼらしいが、家の中には電化製品が揃い、自家用車も持っているとガイド氏が説明していた。 古代も権力を誇示したようなピラミッド型の墓は盗掘が絶えなく、その対応に苦慮していたらしい。 そこで新王国時代に入り、当時のエジプト王は外敵との戦いに疲弊してピラミッドを建設する余裕もない事から、山の中腹を掘って隠すように墓を築くようになった。これが王家の谷である。 それでもハイエナのように鋭い嗅覚を働かせ、墓を探して嗅ぎ回る盗掘者が現代まで脈々と後を絶たない。いつ永遠の眠りから叩き起こされるか、歴代の王もオチオチしていられないだろう。 一見したところでは、何の変哲もない岩山に囲まれた砂漠の谷間なのだが、有名なツタンカーメンを始め、現在発掘されたその数は60墓前後に達しているとの事だ。 何せ3千年も4千年もの長い時を経ている。王様だって数え切れないくらい居ただろう。まだまだ探せばお宝の山は、かなり埋まっていると思われる。
その王家の谷に向かう途中、ハトシェプスト葬祭殿がある。エジプトの歴史上では珍しい女性ファラオだが、およそ3500年前にここを築いた。 又ここは1997年に悲劇が起こった地でもある。 ご記憶の方も多いと思うが、テロリスト達の無情の銃弾に、多くの観光客の命が奪われた。 今でも自動小銃を構えた兵士が、要所要所に散っている。その厳重な警備の物々しさが、却ってありし日の悪夢を鮮明に連想させる。 その巨大な葬祭殿は、三方を見上げるような断崖絶壁に囲まれていて、遮蔽物が何もない広大な谷間のずぅ〜とに奥に建っていた。これでは狙い撃ち同然だったろう・・・・・・・胸が熱く痛む。 漂う緊張感の中、幾分登り勾配の1本道を徒歩で葬祭殿に向かう。目測でもかなりの距離と見たが、歩いてみると予想以上に遠く、息切れが激しい私一人が同行ツアーからは大きく遅れてしまった。 女房は毎度の事なので、もう最近は助けてはくれない。後ろを振り向きもせず、遥か前方を歩いている。 空は抜けるように青く、赤茶けて節くれ立った岩山とのコントラストが絶妙だ。 ようやく葬祭殿の近くまで来ると、その建物が意外と大きいのに驚く。幅100m奥行き200mもあるそうだ。 3層式になっていて、緩やかなスロープの階段を登ると、夥しい数の柱に支えられたテラスに出る。 そこの壁には、まだ当時の彩色が残る壁画が鮮やかに描かれていた。 到着の遅れた私だけ当然ながら見学時間が短い。スロープを上がり切った所で、同行ツアーの帰り組とバッタリ鉢合わせした。なんだ!ナンダ!もう戻る時間かぁ・・・・・・まだオレは観てないぞ〜
戻り道は下り勾配なので少しは楽だったが、まだバスに辿り着くまでが容易でない。ひとつ大きな難関を突破しなければならないのだ。 バスの駐車場からハトシェプス葬祭殿のチケット売り場まで、およそ100mお土産屋が軒を連ねている。 ここを抜けるのには、かなりの根性がいる。呼び込みが群れを成して襲い掛かってきて、どうにも離してくれないのだ。あっちでもこっちでも、すでにツアーのお仲間が足止めを食っている。 日本人はどうしても相手を気遣うあまり、断り方が優しくなってしまうから、どこも四苦八苦している。 言葉の通じない外国での断り方ノウハウは、表情を厳しく声も一段と大きくして、必要なら手足を使ったゼスチュアを盛り込められれば完璧に撃退できる筈。 こういう事にかけては一日の長があると自負している私達。手薬煉引いて中国式に「不要!と言下に一蹴してくれるわい」と意気込んだ。
「一切相手にするな!」女房の号令一下。果敢にスクラムを組んで、気分はラグビー選手の早駆け突破。 ところがお土産屋の冷かしが根っから好きな私は、ものの20mも行かないうちに、まんまと敵の術中に嵌ってしまった。まったく口ほどにもない奴だ! 「ワンダーラ、ワンダーラ、(こればっかり)やすいョやすいョ」 カミさんに腕を引き摺られながらも、半身は呼び込み兄ちゃんの相手をしている。 兄ちゃんの手に持っている民族焼き物出土のレプリカ。ちょっと変わって珍しい物。 「ちょ、ちょっと待ってョ!ちょっと見るだけ、値段聞くだけだョ!」 オ〜この客、脈ありと踏んだか呼び込み兄ちゃん、ここぞとばかりに猛然と売り込み攻勢を掛ける。 何を思ったか、やおら傍らのフェンスの鉄柱に、持っていた商売物を打ちつけ始めた。ガン!ガン! 「どうだ!そこらで売っているようなヤワな品物じゃないぞぉ」・・・・・・・と言わんばかりだ。 「どれどれ、見せてョ・・・・・ホ〜ラ、やっぱり欠けちゃったじゃないかァ」 三角形をした高さ15cmくらいの置物は、尖った角の色釉(いろぐすり)が弾け飛んで、素焼きの地肌が見えていた。 「駄目、駄目、いらないョ。キズ物じゃないか」 「待て待て、他にもあるから、ちょっと待て!」 「そんなモン買ってどうする!イラナイョ〜」・・・・・・これは女房。 行きつ戻りつ必死の攻防戦は続く。それにしても1ドルでは安い。ちょっとした置物として手頃な大きさだし、古代模様がエジプト土産らしくて中々イイ。 「わかった!ワカッタ!買うョ、1ドルだろ」 甘ちゃん亭主に女房呆れ顔。旅行中のお金はすべてカミさん管理。渋々1米ドルを出した。 「ノーノー!テンダーラ(10ドル)テンダーラ!」 「今、ワンダーラって言ってたじゃないか!」 すでにおじさん、大雑把にレプリカを新聞紙に包んでいる。 逃げるが勝ち!問答無用!夫婦して手に手を取って、脱兎の如く駐車場目掛け駆け出した。 意表を突かれたおじさんは慌てた。ここで逃がしてなるものかと猛然ダッシュ。 私は苦しい胸を押さえつつ、息急き切って間一髪駐車場のゲートに滑り込んだ。 後ろを見ると、入り口で地団太を踏んでるおじさん。お土産商人は駐車場内に入れないらしい。 「だから言ったでショ!構うなって!」・・・・・・ 「まったく油断もスキもないなぁ〜、買う段になったら何で10ドルになるんだョ。なぁ〜・・・」 諦め切れないレプリカおじさん、大声で戻って来いと叫んでいる。誰が戻るモンか! そのうちカタコト英語で値下げが始まった。女房に「何て言ってんだ」と聞くと「半分の5ドルでイイ!」 掌をヒラヒラと横に振ると、3ドルになった。それも無視してバスに乗り込もうと、ステップに足を掛けた時、あの懐かしい呼び声、「ワンダーラ!」が聞こえた。 結局、最初の1ドルで買えた。今回は完膚なきまでに叩いた我が方の大勝利。これで1勝2敗、百戦錬磨のエジプトでは、輝かしい初勝ち星となった。 7.ホルス神殿と黒衣の女へ続く・・・・・ |