エジプト浪漫旅行

5.ルクソール、2つの神殿

 10日間のエジプトツアーも今日は5日目、いよいよ佳境となる中盤戦に入った。
まだ夜の帳に包まれているAM5:00起床。今日はカイロ発8:30のフライトで、空路をルクソールまで飛ぶから忙しい。3日後の最終日には又このホテルに戻ってくるのだが、一旦引き払うため忘れ物がないか夫婦で二重の確認。一人より二人、息の合った名コンビ振りで万全を期す。
主導権を握る女房も、うっかり何か忘れて責任だけ追及されてなるものか、そんな計算づくの思惑もあるのだろう。私は私でそそっかしい女房の事だから、どこか安心して任せて置けない気持ちもある。

カイロからルクソールまで距離にして600km。飛行機なら1時間、列車で10時間、バスだと18時間も掛かる。上空から見える曲がりくねったナイル川の両岸だけ、見事に緑地帯が帯状に続いている。
その他は見渡す限り、黄土色の荒漠とした大地が果てしなく広がっていて、ちょっと異様な光景だ。
ナイル川は全長6700kmにも及び、エジプト国内にはその下流域1000kmが流れ、地中海に注いでいる。
ナイル川を延々と遡っていくと、隣国スーダンの首都ハルツームで2つ源流に別れる。
1本は遠くエチオピア高原に辿り着く青ナイル川。もう1本は赤道直下、ウガンダの熱帯雨林に囲まれたヴィクトリア湖を水源とする白ナイル川。それらがこの悠久の大河の一滴となる。
古代エジプト文明は、このナイル川の度重なる洪水がもたらした肥沃な農業地を背景に、長きに渡り王国の栄耀栄華を極めた。
ルクソールとは「宮殿のある所」という意味で人口400万人。南北に長いナイル川の中間に位置していて、4000年前にエジプト文明新王国時代として繁栄した場所でもある。

カイロと違って急に暑くなった。少し南下したせいだろうか?もうTシャツ姿で十分だ。
品の良い我がツアーの方々、この日に備えサマージャケットかなんか新調したのだろう。容姿と関係なくお召しの人もいらっしゃる。概ね老若男女、持ち込んだ旅行ケースは大きい。
遥々エジプトくんだりまで出掛けて恥は掻けない。毎日手を変え品を変えてのファッションショーもどきだ。
それに引き換え私らといえば、なるべく荷物を少なくして手荷物で機内持込みギリギリ可能なケース各々一つずつ。おまけに着る物を削っても、パソコンは忘れない徹底振り。
そんな訳でカミさんは、冬の東京を旅立った侭の着た切り雀。相変わらず厚手のジャケットを羽織っている。まだ色香の残る年頃では恥ずかしくないのかと、亭主としては気を揉むが仕方ない。
日本人特有の暑さ寒さも一緒でないと落ち着かないお仲間意識。そんな感覚はウチの中国妻には微塵もナイ。大きなお世話、お構い無しなのだ。
まぁ日頃から寒がりなので丁度良いのかも知れないが、それにしてもこの暑さでよく着ていられるモンだ。
体の温度調節が少々狂ったかのと心配にもなるが・・・・・・いや、そうでもナイ。他にもまだ居た居た。
例のガイド氏、こちらはもっと上手(うわて)で、冬のサッカー観戦でサポーターが着ているロングジャケット。あれによく似たのを、いとも涼しげに着ている。
エジプト綿のTシャツの上から、粋に着こなしているのかと思っていたら、ご丁寧にも長袖トレーナーだった。そういえば街を賑わす現地の人も、冬備えと見間違う格好をしているから妙だとは思っていた。
これから立ち向かう、焼き焦がすような夏の暑さを考えると、寒さに愛おしさでも感じるのだろうか?
それとも私の方が風邪でも引いて、熱っ気があるせいかと思ったくらいだ・・・・・・・
それも最初の観光場所、カルナック神殿に着いてホッと安心した。
やはり観光ツアー中の白人団体。Tシャツ、ノースリーブは当たり前、ちょっと気の早い短パン姿もチラホラ。暑がりなのは私だけではなかった。
雄羊のスフィンクス参道
かなり原形を留めた雄羊のスフィンクス参道
カルナック宮殿
3千年以上の風雪に耐えたカルナック神殿内部

カルナック神殿
ルクソールにおける新王国時代の到来とともに、古来からエジプトに伝えられていた数々の神々の統一を図り、ここにアメン神と太陽神ラーとを合体させ最高神と定めた。
所謂、神の総元締めを誕生させたのである。ルクソールがエジプト信仰の中心地になる事で、国家の中央集権化を目指した。いつの時代も、頭のキレ者はいるものだと感心する。
この新王国は後に千数百年の歴史を刻んだが、最高神アモンラーを祀った神殿も、やがて見捨てられ砂に埋もれていく運命を辿る。まぁ徳川幕政三百年を思えば、大した偉業ではあるのだが・・・・
大昔はこのカルナック神殿と、もう一つのルクソール神殿が、左上写真の雄羊の頭を持ったスフィンクス参道で結ばれていたという。
神が行き来したというオペト祭の儀式の様子は、ルクソール神殿のレリーフに今も残されている。
映画のセットみたい!
ベンハーの映画を思い出した・・・・古いなぁ〜
パネジェム巨像
パネジェム巨像・・・・・造ったのは誰だ!?

ここルクソール東岸は「生者の世界」、ナイル川を渡った西岸は「死者の世界」として歴代のファラオが埋葬されている。
スフィンクス参道を抜けると、かのツタンカーメンが復興させたカルナック神殿の全容が目に飛び込んでくる。この数ある王の中でも一際傑出した建築マニアがラムセス2世だ。
飽く事のない権力の座に固執した在位70年。齢90歳を超えるまで、数々の巨大建築物や度肝を抜く石像を造り続けた。あまつさえ、歴代の王の業績を称える碑文も、自分の名前に刻み直させたというから、その自己顕示欲は相当なものだったのだろう。
一旦権力を握った者は、いつの世も孤独で哀れなほど末路は悲しい。
城門を入るとまず大理石の「パネジェム巨像」と呼ばれる像が建っている。これもラムセス2世が造らせたが、後年第21王朝のパネジェム王は、自らの名前をその巨像に刻ませ、そして後世に名を残した。
要するにお株を奪われた訳だ。まさに流転、古代も現代も悪の栄えた例はない(と思いたい!)。犯した罪は巡り巡るのだ。
そこから思わず息を呑んでしまう大列柱室が続いている。高さ 23 メートル、特大サイズの巨柱が12本。その1本1本に見事な彫刻が成されている。映画「ナイル殺人事件」のロケでも使われた柱だ。
その他の柱を入れれば100本以上も立っている。この立っているというところがスゴイ。
お隣のトルコの遺跡群など予算の関係か、殆どが放置に近い状態で横たわっていたから。
大列柱室
大列柱室・・・・・1本1本の彫刻が素晴らしい
オベリスクの塔
オベリスクも柱もどうやって立てたのか不思議だ!

大列柱群の先には、オベリスクの塔が聳(そび)えている。
オベリスクとはギリシャ語で焼き串という意味らしい。その高さ30m、根元から頂点まで継ぎ目のない一枚岩の花崗岩で出来ている。
これだけ巨大な石柱、重さだって半端じゃないだろう。それをナイル川を船でアスワンから運んだというが、そんな大きな船が在ったのかしらん?更に3500年前、人力でどうやって建てたのかは未だに謎だ。
頂点のピラミッド型の部分には、元々琥珀金という金と銀の合金が張られていたらしい。これだって当時それだけの技術があったとは驚異である。古代は朝な夕な陽を浴びてキラキラ輝いていたのかも知れない。
1本は残念ながら地震で倒れてしまったが、その残骸が近くの池の傍らに展示されていた。間近に見て手で触れてみると、如何にもその巨大さに圧倒される。
現地人とパチリ
モデル料1ポンドおじさん、顔が私の半分しかナイ
観光用馬車
街中を観光馬車が行く・・・・・乗る人は少ない

 ターバンを頭に巻いた民族着のおじさんが盛んに手招きしている。この暑いのにマフラーまでしっかり首に巻いている。カメラのシャッターを押す仕草から、どうやら「写真を撮ってもいいぞ」のサインらしい。
観光場所でのこうした行為は違法なのだろう。時折巡回している警官の所在を、かなり気にしている。
女房が、「どうせお金を要求されるに決まっているからよしなさい!」と牽制するが、「いいじゃないか、どうせ大した額じゃないだろう」と言いつつ、おじさんの方へ近づいて行った。
待ってましたとばかりに愛想を振り撒くおじさん。真っ黒に日焼けした(元々か?)顔から白い歯が零れる。
女房にカメラを渡し記念撮影パチリ。終わるや否や、おじさん早速手を出した
「幾ら?」と聞けば、当然例の「ワンダーラ!(1米ドル)ワンダーラ」と言われそうなので、女房手早く1ポンド札(22円)を握らせた。・・・・・・・お見事!
ルクソール神殿
ルクソール神殿・・・・古代エジプトにタイムスリップだ!
遺跡柱群
地震が少ないとはいえ、よく倒れずに残ったものだ!
 
 今日のスケジュールは目一杯。ランチまでにルクソール神殿もこなしてしまうらしい・・・・・忙しい忙しい。
カルナック神殿よりちょっと小粒ではあるが、ルクソール副神殿も又、古代エジプト人の息吹を感じさせるほど圧倒的な迫力で、観る者の心を掴んで離さない。
ここは当初アメン神を祀った神殿だったが、長い歴史の変遷の中でキリスト教の教会として使われていた時代もあったらしく、神殿の壁面には今でもキリスト教の聖画が残されている。
今では更に時代が変わり、神殿の中にアブ・アル・ハッジャージ・モスクがある。つまりイスラム教徒の礼拝場所になっているのだ。
ルクソール神殿の城門の前に、スペクタル映画のセットを思わせるような、巨大な石像が2体睨みを利かせている。スケールは違うが、さしずめ日本のお寺の伽藍守護の神で、寺門の両脇に安置した仁王像と性格は同じかも知れない。
その傍に天を射るように、ここもオベリスクが1本立っている。元は2本だったが、ナポレオンによって1本はフランスへ持ち去られ、今ではコンコルド広場に立っている。
あまたの石柱群は、強い陽光にくっきりとした影を落としながら、エジプトの兵(つわもの)どもが夢の跡を静かに物語っているようだった。

6.王家の谷はタダの岩山へ続く・・・・・・ 


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