エジプト浪漫旅行

1.これが本物?ピラミッド

                                                   2003年4月
 日頃から女房は中国人としての誇りを捨てず、日本への帰化は絶対にしないと言明していたが、最近になってちょっとグラ付いてきた。
理由は海外に出る度に繰り返す、煩雑なビザの申請だ。中国人にとってこれが足枷のように、いつも付いて回る。日本人と結婚し、永住許可も取ったのに、どうも自由に暮しているという実感が今ひとつない。
女房にとってビザなしで行けるのは故郷中国だけという事になるが、今度は日本人の私がビザが必要になる。日中国際結婚の面倒なところだ。
まぁ、私のビザは親族訪問でもあるし、間違いなく下りるのだが、いちいち六本木の中国大使館まで行かなければならない。それも申請と数日後の受け取りと二度になる。
新聞やチラシに格安の航空券やツアーの出物があっても、それからビザ申請したのでは、泥棒を捕まえてから縄を綯(な)うようで、とても間に合わない。
したがって、目の前を通り過ぎるチャンスを、ただ指を咥えて見逃す事になる。

子供が居ない私達にとって、今後の生活ライフを考えると、これはかなりの障害なのだ。
苦節5年、女房の英語力も独学でナントカ生活に支障のない程度まで上達したし、今や世界の何処へ行ってもパソコンがあれば、昔ほど遥か離れた異国に居ると感じないで済むようになった。
日本に暮して居なくたって、パソコンがあれば浦島太郎などに決してならないから有難い。
冬は暖かいところで、夏は涼しいところで暮す。しかも日本より物価の安い国で・・・・・
これは大幅年齢差を超えて、唯一夫婦の一致した今後の生活設計なのであります・・・・・・が
世の中そう簡単に実現出来ないから難しい。とかくこの世は思うように行かないのが常なのであります。

中国人の観光解禁になったエジプトは4月から夏シーズンになる。夏の気温は45℃も珍しくない灼熱地獄と化す。これは幾ら湿度がないとはいえ、私には耐えられそうもなく、行くなら何が何でもその前に行くしかナイ。
大手旅行社の電話申し込みは中々繋がらない。日本も不景気不景気という割りに、相も変わらず海外旅行に出掛ける人が多いのに驚く。
2月末までの出発なら169800円、3月に入ってしまうと199800円になってしまう。2人で4万円の違いは大きい。もう1月も半ば、ビザ取得の日にちを考えるとそれほど余裕はない。
お〜、やっと繋がった・・・・・・電話受付嬢の明るい声が響く。
気負いこんでお目当てのコースNOを告げると、運は我に味方せり。あと3席で受付終了の際(きわ)どさ。フ〜まずはひと安心。

「え〜!1ヶ月〜・・・・・エジプトでもそんなに掛かるんですか?」

一難去って又一難。同行者の女房が中国籍だと言うと一瞬の空白、「ちょっとお待ちくださ〜い」
しばし間があり、申し訳なさそうにビザ審査に3週間から1ヶ月掛かると無情の言葉が返ってきた。
受付嬢の「折角釣り上げたのにお願い!断らないで!」の声が聞こえてきそう。
それでもビザが下りれば問題ないが、もし駄目だということになれば、ツアー開始1ヶ月を切ってしまうから20%のキャンセル料が掛かってしまう。
それなら自分でビザ申請すれば万事解決なのだが、旅行する国によっては航空チケット確認や日程表などもあるから、そう簡単にはいかないのが辛い。
ウ〜ン・・・・・・中国人配偶者を持つと、いつもこの立ちはだかる壁に腕組みをしてしまう。
何食わぬ顔はしているが、きっと肩身が狭かろう女房の心中を察すれば、ここで弱音は吐けない。
「なんの負けてなるもんか!絶対行ってやる!」の意気で今までもナントカ乗り越えてきた。
お蔭で思い立ったが吉日、フラリ旅の好きな私も事前の計画性が出てきて、旅の仕方も随分変わった。
まぁ、そうは言っても、計画は出発まで。行く先々の国の観光は相変わらず無頓着、下調べも女房まかせなのは毎度の事なのであります。
したがって旅行記といっても、キッチリした時代考証や遺跡等の説明は大分端折(はしょ)っています。
そもそも私にしてみれば結婚前のお約束とはいえ、数々の難関をクリアして中国妻を様々な国へ連れて行く事に意義があるので、女房の喜ぶ顔が見られれば目的達成大成功なのであります。(ホントか?)
恥ずかしくもなくそう言い切る私の胸中を・・・・・・お察しいただきたい。
旅行コース
エジプト周遊コース10日間
 
 1日 成田
 2日 カイロ
 3日 アレキサンドリア(バス)
 4日 ルクソール(飛行機)
 5日 アスワン(バス)
 6日 アブシンベル(飛行機)
 7日 アスワン(飛行機)
 8日 カイロ(ナイルエクスプレス)
 9日 帰国
10日 成田
 
 キャンセル料を取られるか否か、ヒヤヒヤ綱渡りの女房ビザ申請も2週間ちょっとで下りた。
2003年3月28日成田空港、晴れてエジプトに出発だ。
総勢27人のツアー。細身で小柄な女性添乗員も成田から同行で、これからエジプトまで20時間の長旅になる。もっとも韓国で乗り継ぎ、アラブ首長国連邦のドバイで一旦降りるから、乗りっぱなしの座りっぱなしでないのが救いだ。
夕刻5:00、一路韓国に向け成田を飛び立つ。時間も時間なので早々に機内食が出た。
旅行日程表ではエジプト・カイロまで4回も食事が出るという。
動きもしないで食べてばかりでは、肝心の観光前に体調が崩れそうだが、出されるとついつい食べてしまう。どうもこの辺りに私の肥満原因があるようだ。
韓国ソウルまで約3時間のフライト、ここで1時間の休憩。一ぷくの時間も十分にあり、前哨戦としてはまずまずの滑り出しだ。
PM9:30、いよいよドバイに向かって過酷な11時間、煙草の1本も許されない空の旅の本番が始った。
空港内から出た訳でもないのに、手荷物検査が異常に喧しい。検査ゲートを何度潜ってもピィーピィーと警報が鳴り、終いには靴を脱ぎズボンのベルトまで外してやっとOKの人もいる。
私は喜んでいいのか恥べきか、肥満ゆえの最初からゴムズボンとスニーカーでは鳴る筈もなかった。

夜もとっぷりと暮れ、漆黒の闇を轟音とともに無事ソウルを飛び立った。
ドバイまで5時間の時差。何処の時間を基準にしているのか分からないが、こちらの感覚は夜の夜中。
狭いシートでようやく浅い眠りについたところを食事で起こされるが、気分転換と思えば腹も立たない。
飛行窓の外は相変わらず暗幕を張ったような闇が広がっている。本来なら7時間もしたらいい加減明るくなる筈が、地球の自転に逆らうように飛ぶので、中々夜が明けるのを許さない。うつらうつら寝ても寝ても夜が明けない感じだ。
時差の調整をしていない時計はAM8:30を指しているが、まだ真っ暗なドバイ空港に着陸した。
夜が明けない!
夜を追いかけて20時間空の旅
ドバイ空港
真夜中のドバイ空港・・・・女房は自爆テロにビクビク

5時間の時差を逆算すると、まだAM3:30の真夜中だ。
空港ロビーには作り物の椰子が茂り、暑い国へやって来た実感がする。まだ夜中にも拘らず、免税店やお茶を飲める店などもシッカリ営業中だった。
ドバイではで1時間半の待ち。
ボ〜としていても仕方ないから、散歩がてら空港内を一回りしないかと女房を誘う。
通路の其処彼処では、民族ショールを纏ったまま寝入っている人もいる。
女房はその姿に、いつかTVで見た自爆テロを想像したのか盛んに「動き回らない方がイイ、私を一人にするな!」といつになく弱気な態度。普段いきがってもヤッパリ女は女か。
金持ち日本人の面目躍如。ドバイの金は安いとか?ツアー仲間の中年おばさんは亭主を引き摺り、一目散に店の方へ駆け抜けて行った。

長いようで短かった90分の待ち時間。現地時間のAM5:00すぎ、まだ夜も明け切らぬドバイを後した。
さぁ、エジプト・カイロまであと4時間、時差は2時間。「今度は交代ネ」の一言で、窓際の席は女房に取られた。今度は交代と言ったって、真っ暗でズゥ〜と何にも見えなかったのに・・・・・・・
写真班としては不服であるが、カミさんが喜ぶんだったらそれでイイ。(又言ってしまったァ〜)
離陸して1時間もしたら朝食。これで日程表通りの4回目だ。・・・・・・・苦し〜い
黄色い土地?
エジプトは90%が砂漠・・・・・まさに黄色い大地だ!
カイロの街
全体が赤茶けたカイロの町、ナイルの川だけが青い

「何が見える〜」・・・・・・・・やっと明るくなった下界を見入る女房に聞いた。
「黄色い土地!」
「ウン?・・・・・・・」

確かに其処は茫漠たる不毛の黄色い大地が、視界一面に広がっていた。
干乾びて方々に幾何学模様のような筋が走っている。さながら大地の裂け目が牙を剥いているようだ。
まったく見事に草木の1本も生えていず、如何にも人が暮して行くには辛い土地のように見える。
更に高度が下がり着陸態勢に入ると、赤茶けたマッチ箱のような建物が密集し、その建物群を割るように巨大な川が流れている。一目でそれがあの有名なナイル川だと分かった。
川べり周辺には緑が広がり、人間も植物も水がなければ生きていけないのが良く分かる。

エジプト時間AM7:20、地球を半周して、とうとう憧れのエジプトにやって来た。
ドバイから2時間で着いた事になるが、実際は4時間のフライトであった。
27人ツアーの3分の2は熟年世代、あとはピチピチの女子大生とOLの混成チーム。
長い空の旅は老いも若きも相当堪えたようだ。皆一様に背筋を伸ばし開放感に浸っている。
空港出口のバス乗り場の目前には、一段下がって広大な駐車場があり、そこから見通す景色はごく普通で、とてもエジプトに来たとは思えない雰囲気であった。

やって来たバスは50人乗りの大型バス。一行は27人だからほぼ2席を一人で占領できる。
流暢に日本語を操る現地ガイドも空港から同行して、一旦ホテルに向かう。
空港から30分くらいの距離だが、車窓から眺める景色も街並みも物珍しく、あっちこっちキョロキョロ。
地震が滅多にない為、日干しレンガを積み上げた建物が多い。街の色彩は極端に少なく、全体が埃っぽい色合いに覆われている。
それは外装の化粧をしているビルが少なく、何処を見ても赤茶けたレンガと土壁が剥き出しのせいだ。
きっと雨も少ないのだろう。建築途中でコンクリート柱だけ上部に突き出ている建物も多い。
洗濯物など干してあるから、勿論出来上がった階までは人が住んでいるようだ。とても日本の建築常識では考えられないが、雨が降らないから屋上の防水工事など必要ないのかも知れない。

「みなさ〜ん、ちょと左見てくださ〜い。はい!ピラミッドが見えてきましたヨ〜」

ガイドの声にツアー全員が一斉にその方向に目をやると、あった!あった!TVや写真で何度も見た勇壮なピラミッドが、まさに目前に出現した。一同から「オ〜〜!」という歓声が上がった。
こんにちはピラミッド
来たぞ!来たぞ!憧れのピラミッド
ファラオのお出迎え
安いツアーでもホテルは立派!ロビーも広い

着いたホテルはピラミッドを眼前にする絶好のロケーション。広いロビーはファラオのお出迎え。
バスからそれぞれの荷物を引き取り、まずは部屋に入ってしばしの休息。
さすが大手の旅行社ツアー。価格は安いがホテルランクは、他社に負けない意気込みが感じられる。
先ほどバスから眺めた家々とは比べようもない別天地の部屋は、清潔感に溢れていた。
部屋からあの伝説のピラミッドを眺められる・・・・・・世の中こんな贅沢はナイ。
出発まで色々あったが、すべて報われた思いが込み上げてくる。亭主としてこれほど女房に胸を張って誇れる事はない。
片や寒がり屋の女房は東京から冬支度のまんま。「どうだ、参ったか!」と言わんばかりにはしゃぐ私を無視、黙々とTシャツに着替えていた。

「ネェ、ネェ、もういいか?カーテン開けるぞ!ア〜荷物の整理なんかいいから、こっちに来てごらん」
「そんな時間ナイョ、すぐ観光に出るんだから・・・・・」

(チッ!どこまでも現実的な奴だ。そんなセカセカしなくたって大丈夫だョ!)
カーテンをサッと引く。・・・・・・・そこは小ちゃなテラスを挟んで、高い塀が廻っていた。
又してもピラミッドとは反対向きの部屋・・・・・・・・ヤッパリ安い事だけの事はあったか〜

気を取り直し、いよいよギザのピラミッド見学出発。
途中、銀行に寄って現地通貨のエジプトポンドに1万円ほど両替。ここからは女房の独壇場。カミさんがすべてやってくれるから、私はタダ迷子にならないようくっ付いて行くだけでイイ。
パスポート、現金、部屋キーの管理は言うに及ばず、自由観光後の集合場所や時間も、「よく聞いておけョ」の一言で、あとはパチリパチリの写真撮りが私の持ち場。
クフ王のピラミッド
クフ王ピラミッド・・・・そばで見たらゴツゴツの山
ピラミッド内部潜入!
ピラミッドの謎・・・・・地下通路に潜入

 さて、世界最大の古代建築物と言われるクフ王のピラミッド。
中国4千年の歴史を上回る4600年前の代物。あまりに巨大すぎて、とても古代の人間が人力で造り上げたとは思えないのが実感。なんせ一辺が230m、高さが146m、1個2トンもある石灰岩を230万個も積み上げたというから驚きだ。やはり実物を見て始めて実感出来る世界なのだ。
3基が並ぶピラミッドのうち、メンカウラー王のピラミッド内部にも潜入した。急な勾配で続く狭い通路を下ると、石棺が置かれていた部屋に辿り着く。
狭いトンネルは上りも下りもこの1本しかない。観光客はがたいの大きいヨーロッパ人が多く、擦れ違う時は大変な難儀だ。私など天井に頭をぶっ付けながら這這(ほうほう)の体で下ったものだから、石棺室に着いた時はゼイゼイ肩で息をしていた。
スフィンクス
スフィンクス・・・よくぞ残った5000年の歴史
警官もラクダに乗って
ラクダに乗ったお巡りさん

続いてカウラー王のピラミッド前に建つ、スフィンクス見学に回る。
全長57m、高さ20mライオンの胴体に王の顔を持つ巨大石像を、こうして間近に見ると新たな感動が込み上げてくる。4000年以上前のモノが、よくぞ原形を留めて残っていたと不思議な気さえした。
歴史上幾度となく砂嵐によって埋もれてきたスフィンクス。風化侵食が進み、最近まで全体に足場が掛かり修復していたという話だったが、私らは完了した後だったので心ゆくまで堪能出来てラッキーだった。

カイロの空は青く、地表は見渡す限りの黄土色。そのコントラストが眩しいくらいに日差しも又強い。
だが暑さはそれほど感じない。時折吹き渡る風がかえって心地良いくらいで、まったく絶好の観光時期に来たと、夫婦して幸運を喜んだ。

2.あぁ敗北のアレキサンドリアへ続く・・・・・・


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